その1(全3回) その山あいの村は、いきなり襲われた
「客は倍し、主人は半ばす。然れども敵すべきなり。」
(攻め手が二倍の兵力をもち、守り手が半分の兵力をもっていたとする。それでも守り手は、攻め手と対等にわたりあえる。)
『孫臏兵法』「客主人分」篇より
干し草ベッドのかぐわしい香りにつつまれて、今日も少女は目覚めた。
石でつくられた壁にある小さな窓からは、さんさんと朝日がさしこんでいる。今日も好天に恵まれそうだ。
大きく伸びをして、ベッドから降りる。寝室を出ると、そこは居間だ。
「おはよう」
少女は元気にあいさつした。
「おはよう。そして、おめでとう。今日で8歳だね」
おばあさんは、ほがらかに言った。居間の真ん中にある囲炉裏の前で、編み物をしている。
「おはよう。今日はクリーの誕生日だし、夕食は大好きなトマト料理にするわね」
お母さんも、ほがらかに言った。囲炉裏に鍋をかけ、朝食をつくっている。
「ありがとう!」
クリーは、あふれんばかりの笑顔で言った。
「クリーの欲しがっていた肩掛け袋も、じきに完成するからね」
おばあさんは編みかけの袋を見せる。
「うれしい!」
そう言うクリーの目は輝いていた。
「今日は学校もあるし、誕生日だし、うれしいことばかりで、もったいない気がする」
クリーは心をはずませながら身支度を整え、朝食をすませると、学校に向かった。
クリーの気もちを代弁するかのように天気は快晴だ。
目の前には、山あいの斜面にそって、階段状にいくつもの畑がある。天に向かって伸びようとするトウモロコシの緑が、朝の太陽に照らされて輝いて見える。
そんな棚畑のところどころに、石壁で茅葺の民家が見える。どの家からも、炊事の煙がのぼっていた。
もちろんクリーが出てきた家も、似たような造りだ。
クリーは斜面の道を登り、高台を目ざす。そこは空堀と土塁で囲まれており、土塁のうえには柵がある。3つの区画――「三の丸」「二の丸」「本丸」から構成されており、それぞれが独立していた。
正面から入ると「三の丸」で、そこには商店や民家がある。ちょっとした公園や病院などもあり、クリーの通う「学校」もここにあった。
この「三の丸」を抜け、空堀に架かる跳ね橋を渡って「二の丸」に入ると、そこには倉庫や工場などが建ちならんでいる。さらに跳ね橋を渡ると「本丸」だ。そこには役場や倉庫などがあった。
この高台にある砦は「山城のような町」とか、「難攻不落の山城」とか言われており、いざというときの避難場所にも指定されている。
クリーが登り道を歩いていると、途中にある民家の軒先で妊婦さんと出くわした。もうすぐ産まれるのだろうか。お腹は、かなり大きい。
「おはよう」
「おはようございます」
妊婦さんとクリーが笑顔で挨拶をかわす。
「アルキンさんのお弁当ですか?」
「そうよ」
「身重なのに毎日、大変ですね。それにアルキンさんは、今日も畑で朝食なんて、仕事熱心ですよね」
「うん。だんなも、もうすぐ産まれるからって、すごくがんばってくれて。でも、ありがたいけど、ちょっと体が心配だったりするかな」
言いながら妊婦さんは、大きなお腹をやさしくさすった。
「男の子かな。女の子かな。楽しみですね」
「そうね。クリーちゃんみたいにかわいい女の子か、だんなみたいに逞しい男の子だといいかな」
言われてクリーは、ポッとほほを赤らめる。
「男の子だったら弟みたいにかわいがってあげる。女の子だったら妹みたいにかわいがってあげるね」
「ありがとう。クリーちゃんのほうは、今日は学校だったかな?」
「うん。一週間に一回の楽しみ」
「お勉強は楽しい?」
「うん。いろいろと知らないことを教えてもらえるから」
「そうなの。きっと領主先生も喜んでいるでしょうね。将来はクリーちゃんも先生かな」
「うん。領主先生みたいに物知りになりたい!」
たわいのない会話をかわして、クリーが高台の「学校」に着くと、時計はちょうど始業時間になっていた。
なお「学校」と言っても、病院のなかの一室に教室があるにすぎない。病院を経営している領主先生が運営している寺子屋みたいなものだ。この村には、これ以外に学校はない。
この辺りでは「教育は家庭でするもの」であり、学校があるのは珍しい。
領主先生は、ボランティアで子どもたちの教育をうけおっている。一人でやっているので、一度に教えられる人数は限られる。だから、1人あたり1週間に1回という制限を設けて教えていた。
教室には、クリーのほかに数名の子どもたちがいた。いろんな年齢層がいるようだ。まさに田舎の学校そのままのイメージと言っていいだろう。
「おはよう、諸君」
物腰のやわらかな老紳士が言った。領主先生だ。領主先生は、もともとは貴族で、ハン王国というところで「辺境伯」をしていたらしい。
「ハン王国は、ここイグ族の村から見て、西のほうにあった大きな国だ」
かつて領主先生が、子どもたちに教えてくれた。
「今から30年くらい前に革命で滅び、かわりに連邦と言う国ができた。10年くらいの革命戦争を経て、国際社会から正式に国として承認された。その5年後だったろうか。白色テロと言って、元王族や元貴族が反乱を起こした。それは5年くらい続き、連邦の勝利に終わる」
そう言うとき、領主先生は、いつも遠い目をしていた。
「吾輩は、革命が起きてまもなく国を捨てることにした。なにしろ元王族、元貴族というだけで、連邦では迫害の対象になったからな。ところが、吾輩が一族をひきつれて亡命しようとしたところ、なぜか連邦軍に見つかり、襲撃された」
このとき領主先生をのぞき、全員が殺されたらしい。
領主先生は、かろうじて逃げのび、追跡をふりきるために深山幽谷にわけいり、ここイグ族の村まで落ちのびてきた。
イグ族は「困ったときは、お互いさま」ということで、こころよく領主先生を受け入れる。イグ族は、お人好しな部族としても有名だった。
領主先生は、お礼がわりに村の医者となり、そのうえ子どもたちに教育をさずけることにした。領主先生は、ハン王国でも屈指のインテリだったらしく、博覧強記で、かなりの教養があり、医学のわきまえもあった。
それから10年以上が経ち、領主先生の後継者として、医者や教師に適した人材も育ってきた。
「自画自賛するわけではないが、これからのイグ族は医療や教育の点では充実していくであろう」
領主先生は、よく満足げに語っていた。
ところで、その日の授業では、予想されたサプライズがあった。
「今日は、クリー君の誕生日だ。プレゼントがある」
領主先生は、クリーに手作りの本を渡した。
子どもたちの誕生日がくるたび、領主先生は子どもたちに手作りの本をプレゼントしていた。予告なしにプレゼントするので、「サプライズ」プレゼントということになっている。
しかし、子どもたちはこれまでの流れから、誕生日には領主先生からのプレゼントがあることを知っていた。だから、必ずしも「サプライズ」とは言えなかった。
「ありがとうございます!」
クリーは、大喜びで言った。
イグ族の子どもたちは、領主先生のプレゼントを楽しみにしていた。
そもそもイグ族の村は、かなり山奥にある。外界とのつながりが乏しいので、変化のない毎日が続く。しかも、ゲームもなければ、ネットもないし、テレビもない。そういう社会では、本はとっておきの娯楽になる。
子どもたちは、だれかが本をもらうと、それをまわし読みして楽しんでいた。
もちろん学校では、読み書き計算だけでなく、ときおり地理や歴史も教えてもらえる。知らない世界のことを知ることができる。これほどワクワクすることはない。
だから、子どもたちにとって、週1回の学校も楽しみだった。そして、子どもたちに楽しみをくれる領主先生は、子どもたちの人気者であり、あこがれでもあった。
「今日は、かけ算のおさらいをしてから、ミン族の友人から聞いた歴史の話をしようと思っておる」
領主先生が今日の予定を言ったとき、事件は起こった。
突如として多数の発砲音が聞こえてきたのだ。それほど大きな音ではなかったので、遠くのほうで発砲しているのだろう。
「うわぁーっ!」
「キャーッ!」
かすかだが悲鳴らしき声も聞こえてきた。
それらの音や声は、その後も断続的に続く。
クリーをはじめとして子どもたちは、だれもが気になって、お互いに顔を見あわせたりしながらソワソワする。
そのときだった。子どもたちが驚くよう大きな音で鐘が鳴り響いた。緊急事態を知らせる合図だ。
ついに子どもたちは、ざわつきはじめる。
「静かにしたまえ!」
領主先生が一喝した。
「なにがあろうとも、柵のなかにいれば安心である。諸君らは今、柵のなかにいる。したがって心配はいらない」
そう言って領主先生は、警報が鳴っても気にせず、たんたんと授業を続けた。そのせいか、しばらくすると子どもたちも落ちついてくる。
『総員、配置につけっ!』
『各員は状況に応じて対処せよっ!』
外からは甲高い号令が聞こえてくる。おそらくイグ族を守る戦士隊の隊長が指揮をとっているのだろう。なにか突発的な事態が起き、騒然としているのだと思うが、教室のなかは平和な別世界だ。
ランチの時間になるころには静かになっていた。
「いったいなにが起きたんだろう?」
子どもたちが外に出てみると、棚畑のほうから黒煙がたちのぼっているのが見える。
「火事?」
「山火事?」
興味津々で柵のところまで走っていき、柵のすきまから外をのぞいてみる。目の前に広がる斜面――その広い棚畑のあちこちで炎があがっていた。いくつかの民家もバリバリと燃えている。
「なにがあったんですか?」
クリーが近くにいた大人たちに聞いてみた。
「連邦のやつらが攻めてきやがったらしい。完全な奇襲攻撃だった」
忌々しそうに言う。
「戦士隊が奮闘して追いかえしてくれたが、多くの死傷者が出たようだ」
悔しそうに唇をかむ。
「!?」
クリーの心に不安がよぎる。
(お母さんは!? おばあちゃんは!?)
家は柵の外にあって、お母さんとおばあちゃんは家にいる。
(お父さんは!? おじいちゃんは!?)
お父さんとおじいちゃんは、いつも棚畑で働いている。
連邦の兵隊が襲ってきたなら、クリーの家も、棚畑も、まちがいなく戦場になっているはずだ。そちら方向が現に被害を受けている。
心配でたまらない。
「現在、偵察隊が連邦軍の動きを捜索中である。その結果が出るまで、柵の外に出ることを禁じる!」
戦士隊から通達が出されていた。
「柵の外に家族がいる者は、家族のことが心配であろう。だが柵の外に出てはならぬ。待ち伏せ攻撃の対象になる。したがって役場から指示が出るまで、ここにいなさい」
領主先生は子どもたちに厳しく言いつけていた。
でも家族のことが気になって仕方がない。
だからクリーは警備している戦士隊の目を盗んで、勝手に柵の外に出た。
このときクリーは、まず柵のすき間に小さい体をねじこむようにして、柵を抜けている。それから土塁の土手を空堀の底まですべりおり、そのまま目の前にある空堀の斜面をよじのぼった。
登る足はすべるが、雑草をつかめば登れないことはない。体重の軽い子どもだからできることであり、大人が雑草をつかめば体重の重みで抜けてしまうだろう。
こうしたことは、通学する子どもたちが「近道」と称して、よくやっていた。だから、クリーも難なく柵の外に出られたわけだ。
クリーは脱出に成功すると、家に向かって全力で棚畑の広がる斜面を駆けくだる。
途中で何度も死体を見た。血まみれになった住民の遺体や、兵士の遺体などがたくさんころがっていた。
死体を見るたび、クリーは気持ち悪くなる。とりわけ住民の死体は「惨殺」という言葉がふさわしいくらいだった。
小銃で撃ち抜かれたうえ、銃剣で何度も刺されたような傷痕がある。そこからドクドクと血も流れたようだ。地面に広く血のしみこんだ跡がある。
思わず身震いがする。「身の毛もよだつ」とは、このことを言うのだろう。
しかし、それでもクリーは先を急いで走る。
生きている人影が見えた。
「アルキンさん……?」
アルキンは跪いて、妊婦さん――アルキンの奥さんを介抱しているようだった。
体のあちこちが傷つき、血も流している。あとで聞いた話だが、連邦軍の兵士たちと格闘したらしい。
(よかった! 人がいた!)
たくさんの死体を目にして、不安と恐怖に襲われていたクリーにとって、まさに「地獄に仏」だった。
ピンチにおちいったとき、ヒーローが助けにきてくれた。そのような安心感がわいてくる。
「大丈夫ですか?」
クリーはアルキンに駆けより、話しかけた。その瞬間、おぞましい光景が目に入る。
アルキンの前に横たわる奥さんはズタズタに切り裂かれ、血まみれになっている。腹部からは内臓が飛び出していた。大腸や小腸などの臓器が四散している。
そして、小刻みに震えるアルキンの大きな両手のなかには、へその緒で妊婦さんとつながったままの胎児が……!
ヘナヘナと腰が抜けそうになるクリー。
「うっ……」
吐きそうだ。
「行けっ!」
アルキンが鬼のような顔をしてクリーをにらみつけ、怒鳴りつける。
まるで体を電流が走りぬけたかのようにビクッとするクリー。おかげでなんとか正気が保たれた。とにかく先を急いで自宅に戻る。
「!?」
自宅の前で立ちすくむクリー。
そこには、お父さんと、おじいちゃんが仰向けになって倒れていた。目をカッと見開き、天をにらんでいる。
眉間を銃で撃ち抜かれ、体じゅうがめった刺しだ。血の海が広がる。
「えっと……」
クリーは体がふーっと軽くなっていくのを感じていた。
(たぶん、お父さんも、おじいちゃんも、夕方になったら無事に帰ってくる)
そんな思いがわいてくる。
(とにかく、わたしも帰ろう)
クリーはフワフワした足どりで家に入る。
そこも血の海になっていた。お母さんと、おばあちゃんが血の海のなかに浮かんでいる。その顔つきは、鬼のような形相をしていた。呼吸も止まっている。
(ひどいケガをしているけど、時間が経てば治ると思う。だから、ここで待っていればいいよね)
クリーは、その場にすわりこむ。そして、傷の回復をまつ。治るわけがないのに、なぜか治るような気がしていた。
今回の襲撃で、畑や民家にいた住民のほとんどが逃げ遅れ、連邦軍に惨殺されていた。むごたらしい殺され方をしていた。
「連邦軍は、敵の戦意を失わせるため、見せしめとして、ひどい殺し方をする」
よく知られている話だが、事実だったようだ。
その連邦軍だが、イグ族の村から山1つと、谷1つを隔てたところにある広い河原に野営していた。その規模からして、旅団レベル――5千人程度の兵数がいるようだ。
野営地の周囲にはバリゲードが設けられている。周辺の山林で伐採した木材を組んで柵にしただけの簡易的なものだが、なにもないよりマシだろう。
野営地にはたくさんのテントが張られていたが、テントとテントの間隔は広めにとられていた。もし火攻めにあったとき、延焼しないようにするための措置だ。
それらのテントに囲まれるようにして中央にある大きなテントが司令部だった。
「はぁ? 野蛮人どもに反撃されて、おめおめと逃げ帰ってきたというのか!?」
司令部では、病的なほどに細身の人物が興奮していた。まだ若いように見えるが、高等文官の制服を着ているので、地位は高いのだろう。
その目の前には、数人の軍人たちが跪いている。いずれも軍服が汗まみれ、泥まみれ、血まみれで汚れているが、その階級章からして、いずれも将校クラスのようだ。
「――いいかい。王族や貴族を根絶やしにしなければ、革命は成功しない。革命が成功しなければ、いつまで経っても人権が尊重されない。人権が蹂躙されるのだぞ。それでよいのか?」
「いえ。よろしくはありません」
将校のうち、1人が答えた。
「だったら、逃げ帰るなんて、ありえないだろ。命を惜しまず野蛮人の砦に突撃し、わが身を犠牲にしても突破口を開くべきでなかったのか?」
「お言葉ではありますが、ヤオ委員――」
そう言う将校の目には怒りがある。
「――あの状況で攻撃を続ければ、味方も大きなダメージを受けたことでしょう。退却もやむをえないと思われます」
「はぁ? ダメージが怖くて退却したって? そんな甘っちょろい考えで、革命を守れると思っているのか? 革命とは、そんなに甘いものではない!」
「そうかもしれませんが、少しは味方の命も大切にしていただきたい。そもそも武力を背景にして、辺境伯を差し出すように迫れば、将兵の命をムダにしないで済むのではありませんか?」
「やれやれ、軍人のくせにして、なにを甘えているんだか。いいかい、わがほうは、あいつらイグ族に比べて兵力も、物資も、武器も格段に上まわっているんだぞ。力ずくで攻めれば必ず勝てる――」
言いながらヤオ委員は、さげすむような目で将校たちを見下ろす。
「――辺境伯といっしょにいたということは、イグ族のやつらも貴族の毒に染まっているということだ。浄化せねばならない。ひとりも生かしてはならない。どのみち殺すんだから、さっさと殺したほうがいい。そうしないと時間のムダになる」
ヤオ委員の口ぶりは「兵士の命なんかより、時間のロスのほうがもったいない」と言わんばかりだ。将校たちは、もちろん不愉快になる。
「しかしながら……」
突如として銃声が轟く。
将校が抗弁しようとした瞬間、その眉間を撃ち抜かれた。即死だ。
ヤオ委員の手にしている拳銃の銃口からは、ほわほわと煙があがっている。
「上官に対する抗命は死罪に値するって、教わらなかったのか?」
そう言うヤオ委員は、冷酷な笑みを浮かべていた。




