その1(全5回) 連邦は人権にうるさい
「天の時、地の利、人の和、三者の得ざれば、勝つと雖も殃いあり。」
(天の時、地の利、人の和のうち、一つでもかけたら、勝っても災いに見舞われる。)
『孫臏兵法』「月戦」篇より
その日も寒かったが、フミト皇太子たちは、体の芯から暖かくなっていた。
シャオ隊長のテントに招待され、ホーチン族の民族料理をふるまわれたのだ。寒い地方に住む部族の料理だけあって、食べると体の中からポカポカと温まる食材がふんだんに使われている。
とりわけピリリと辛い香辛料が数多く使われているようだ。だから、体の芯から暖かくなるわけだが、生活の知恵だろう。
「食材の調達が難しく、本場の味とは少し違うかもしれませんが、お許しください」
シャオ隊長は、そんなふうに言って、フミト皇太子に謝罪していた。
しかし、招待された誰もが本場の味を知らないので、どうにも判断のしようがない。
とりあえず食べておいしかったので、「おいしい」としか言えなかった。
この日、招待されたのは、北部辺境守備軍の司令官フミト皇太子、副司令官ヤマキ中将、軍師クリー大佐、その補佐官アルキン大尉の4人だ。
なお、この食事会は、単なる宴会ではない。もともとは、シャオ隊長から報告を聞くために集まる予定だった。
予定が決まると、シャオ隊長が言いだす。
「殿下、せっかくですから、オレらの故郷の料理を食べていってください」
こうして開かれた食事会だった。
ところで、食事が始まったばかりのときのこと。
シャオ隊長は、料理を口にする前、神妙なおももちで両手を合わせ、目をつむり、お祈りをした。それから食事をはじめる。
ヤマキ中将は、珍しいものでも見たような顔をしていたが、このときは黙っていた。会食がはじまり、しばらくしてから感慨深そうに言う。
「シャオ隊長、先ほどの祈りだが、貴様にも、しおらしいところがあったのだなぁ」
「は? あたりめぇだろ。オレらは、もともと敬虔なんだよ。連邦に禁じられているから、これまで祈れなかっただけだ」
「なに!? なんと連邦では、宗教が禁じられておるのか?」
「そう言えば、かつて革命が起きて、王制から共和制に移行したとき、あらゆる宗教が禁止になったとか、本で読んだことがあるな」
フミト皇太子が、思い出しながら言う。
「神仏を信仰せずして、なにを心のよりどころにするのか?」
ヤマキ中将は、朝晩、欠かさず神仏に感謝の祈りをささげている。宗教のない生活など、思いもつかない。
「なにって? とりあえず心の中だけで祈るんだよ」
シャオ隊長は、思い出すだけでもいまいましいらしく、吐き捨てるように言った。
「少し補足してもよいだろうか――いや、よろしいでしょうか?」
無口なアルキンが、口を開いた。
「かまわないよ。ぜひ補足してくれ」
フミト皇太子は、いつものおだやか笑顔で言った。
「連邦では、“人権”が神のように崇められている」
あとで分かったことだが、アルキンは、さすが軍人と言うか、「軍師殿」の補佐官だけあって、敵=連邦のことをいろいろと調べているらしい。連邦の政治、経済、社会、文化などについて、ひととおりの知識をもっていた。
「だな」
シャオ隊長が、軽くうなづきながら言う。
「連邦の役人どもときたら、なにかにつけ人権、人権って、うるさかった。やれ人権を尊重しろだの、やれ人権を侵害するなだの……。人権さまさまって感じだぜ」
「人権か……。たしか“人を人として大切にしなさい”という考え方だったね。わたしはよい考え方だと思うが」
「わが一族の教えにも、“この世に人よりも尊いものはない”という教えがある」
そう言うクリーは、辛いものが苦手らしく、顔が汗だくだった。
「ところが殿下、聞くと見るとは大違いなんですよ」
シャオ隊長は、グチるように言った。
「連邦のやつらときたら、“人権の分からないやつは野蛮だ。宗教などと言う迷信が、人の心を惑わし、人権を分からなくさせているのだ”とかなんとか言いくさりやがって、オレらの宗教を弾圧し、信仰を捨てないやつは“人権侵害をなくすため”に弾圧され、虐殺される……」
なにかが床にぶつかる音がした。
見るとクリーが卒倒し、イスから転落している。床にころがり、頭をかかえながら痙攣していた。
「クリーっ!?」
アルキンがすばやく駆け寄り、状態を診る。
通報を受けた軍医が、まもなくやってきて、クリーを診察した。体調には異常が見られず、安静にするようにという指示がなされた。
クリーはとりあえず室内のすみにあったベッドに寝かされる。そこまではアルキンが抱えて、連れていった。
「この件は、軍事機密に指定する。他言は無用だ」
フミト皇太子は、その場にいた全員に告げた。全軍の士気に悪影響を及ぼすことを懸念してのことだ。とりあえずは司令官としての仕事をこなしたわけだが、このへんはさすがプロだと言いたい。
しかし、心の中の最優先は、やはりクリーの心配だった。もちろん、フミト皇太子だけでなく、ヤマキ中将も、シャオ隊長も、クリーのことを心配していた。アルキンにあれやこれやと問いかける。
しかし、アルキンとしては、この件にはふれたくないらしい。ただ「だいじょうぶです」と、あいまいに答えるばかりだった。なにか事情があるのだろうが、気になる。
「とりあえずクリー大佐には、あとで伝えておきます。ですから――」
アルキンが、たんたんと言う。
「――大事な会議を遅らせるわけにはまいりませんので、予定どおり会議を続けてください」
「そこまで言うなら……」
フミト皇太子は、会議の再開を告げた。
なお、クリーは、翌日には回復した。本人が言うには、急に目まいか、なにかがしたらしい。
「決して料理がまずかったわけではないから、気にしないでほしい。本当に悪いことをして反省している。ごめんなさい。料理は、辛かったけど、おいしかった」
クリーは、病気のことを聞こうとすれば、こんな感じで話題をそらす。
この件に関しては、クリーもふれられたくないようだった。聞こうとすれば、クリーの顔が青ざめていく。
だから、だれも聞かないようにした。そうしているうちに、この件も忘れさられていく。




