その1(全4回) 食費だけでもバカにならない
「高ければ則ち之を方にし、下ければ則ち之を円にす。」
(有利な高地にいるなら方陣を組み、不利な低地にいるなら円陣を組む。)
『孫臏兵法』「陳忌問塁」篇より
「なかなか難しいです」
主計将校が帳簿を見ながら頭をかいている。
「数字のことは、よく分からんが、結局のところ、どのくらいの日数になる」
ヤマキ中将は、目の前にある物資の山を見上げながら言った。
ここは野外倉庫。
連邦軍が放置していった物資は、あまりに大量すぎで、城塞都市内にある軍用倉庫に収納しきれず、民間倉庫を借用しても納まりきらなかった。だから、城外にテント式の野外倉庫を設営し、そこにも収納することになった。
「おそらく一か月で底をつきます」
「たった一か月か!? これほど大量にありながら……」
「見た目は多そうに見えますが、数字は正直です」
北部辺境守備軍は、先の連邦軍(遠征軍)との決戦で、「100万」の敵軍を潰走させた。
その将兵のほとんどは母国に逃げ帰ったが、それでも20万人近くが捕虜となった。
これだけの捕虜を養うとなると、毎日の食材だけでも、ものすごい数量になる。
「副司令官閣下、このままではジリ貧です。捕虜の連邦への送還、もしくは中央収容所への移送ですが、どのようになっておりますでしょうか?」
いくら北部辺境守備軍から中央に打診しても、例によって返事がなかなか来ない。
多くの捕虜をかかえさせ、食料がなくなるのを待っているのかもしれない。勝手に捕虜を解放すれば、軍規違反となる。
しかし、このまま捕虜を収容し続け、食料がなくなれば、飢えた捕虜が暴動を起こしかねない。だからと言って、食料を買いこむほどの資金もない。ないない尽くしだ。
(おそらく皇子派のイヤガラセであろう)
だが、そんなことは言えない。皇子派を非難することは、タケト皇子を非難することでもある。それは皇族に対する批判であり、それは不敬罪に問われる。そうなれば、上官のフミト皇太子にも累が及びかねない。
「現在、協議中だ」
ヤマキ中将は、あたりさわりのない答えをしておいた。
このことを司令部に戻って報告すると、執務室のイスにゆったりと腰かけていたフミト皇太子は笑顔で言う。
「それは困ったね。こうなったら、わたしたちも捕虜たちと一緒になって、暴動でも起こすか。ははは」
「殿下、冗談を言っている場合ではありませんぞ。ゆゆしき事態なのです。まあ、殿下が、われらを安心させるため、そうなされているのは理解しておりますが……」
「とりあえず、われらの軍師殿に聞いてみるか」
すぐさまクリーが呼びだされたが。
「わからない」
クリーの答えは、そっけないものであった。
「兵法については教わったが、お金や食べ物のことは教わっていない」
「そこをなんとか、若い頭でなんとかならんか?」
ヤマキ中将は、すがるような顔つきだ。
「たぶん無理。……ごめんなさい」
クリーは頭を下げた。
「ムムム……」
と、そこへ、情報将校が報告に来た。
さっと敬礼して言う。
「殿下、中央より電信です」
ヤマキ中将の表情が、ちょっと明るくなった。
「まちかねたぞ。捕虜の件か?」
期待のまなざしのヤマキ中将。
「いえ。作戦命令となります」
「は?」
ヤマキ中将は、思わず呆然となる。
もっとも表情には出さないが、驚いたのはフミト皇太子も同じだった。
「内容は?」
「はっ」
情報将校は、手にした紙片を読み上げる。
「シン帝国皇帝の名において命ず。汝、北部辺境守備軍司令官は、この命を受けてより、3か月以内にターレン街道を押さえ、北部辺境地帯の安全を確保せよ」
そういうことだった。
ターレン街道は、北部辺境地帯から見て北西にある。連邦と帝国をつなぐ主要幹線道路で山岳地帯――ターレン山脈をつらぬいている。
ターレン街道の連邦側にはターレン要塞があり、ターレン街道を扼していた。この街道は事実上、連邦の支配下にあると言っていい。
ここを押さえようとすれば、その重要性からして、連邦が全力で阻止にくるだろう。そうかんたんに押さえられるものではない。
「ありがとう」
フミト皇太子が言うと、情報将校はさっと敬礼して退室していった。
「あの街道を押さえてしまえば、連邦からの大軍も帝国領への移動が困難になるから、たしかに北部辺境地帯を守りやすくはなるな」
シン帝国の北部とハン連邦の東部をつなぐ交通路としては、他にターレン山脈の西端に海沿いの道がある。しかし、海沿いの道は、ハン連邦にとって侵攻ルートに適さない。
かなり遠回りになるし、もし今回のように皇子派がフミト皇太子を亡き者にしようと画策しなければ、帝国海軍も動くだろう。
帝国海軍はトン数では連邦海軍に劣るが、練度も士気も高い少数精鋭の海軍であり、その強さは東洋一と言われていた。
帝国海軍が艦隊をさしむければ、たやすく海沿いの道を封鎖できる。海沿いの道を行く敵軍に対して猛烈な艦砲射撃を加えれば、大打撃を与えることができる。
このように海沿いの道は遠回りで、ハン連邦にとって危険きわまりない。したがって、ハン連邦が陸路でシン帝国を攻めるなら、やはりターレン街道が主要路となる。
だから、ターレン街道をシン帝国がおさえれば、シン帝国の安全保障にとって有益だ。
「しかしながら、殿下もご承知のとおり、わが守備軍は任務を遂行できる状態にはありません」
連邦軍が遠征してきたとき、フミト皇太子は、国境警備の部隊が各個撃破されるのを防ぐため、すべての部隊を城塞都市に集めていた。その結果として3万の軍勢がそろったのだが、今は戦闘も終わり、それぞれ国境警備に戻している。
したがって現在、フミト皇太子のもとには1万ちょいの兵力しかなかった。しかも多数の捕虜もかかえている現状では、出兵する余力などない。
「だからと申しまして、なにもしなければ、勅命違反の逆賊となってしまいます。いやはや一難去ってまた一難です」
「だな。――まいったな。ははは」
フミト皇太子は、不安をふりはらうように快活に笑った。
「というわけなのだが、軍師殿、なにか策はないかな? これなら軍事に関することだから、なにか名案でも思いうかばないかな?」
「そうだ、軍師殿、この前のように寡兵をもって大軍を打ち破るような方策はないか?」
期待のまなざしで見つめられるクリー。
見つめてくる相手は、ただの人ではない。一人は皇族で、もう一人は将軍だ。クリーの身分からして、ふつうなら会話すらできない相手だ。
さすがのクリーも、いちおう15歳の少女なので、ちょっとプレッシャーを感じてしまう。
「わからない。状況を見ないと。だから偵察に行きたい」
「やってくれるのかい?」
「ありがたい」
フミト皇太子も、ヤマキ中将も、安どしているように見える。
先の戦闘での勝利が、クリーに対するかなりの信頼につながっているようだ。




