18話「蕪木天華の場合」
「男は最初になりたがり、女は最後になりたがる...」
確信に満ちたこの言葉は、アイルランドの劇作家オスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』に登場する箴言である。
「ねぇそれって...なんだか」
「すっごくすっごい興味深いかもっ!?」
退屈そうに組まれた足を勢い良く解くと、その勢いのままズイっ!と半身大きく乗り出す平八重さん。
彼女の傾聴の姿勢と、やたらと食い付きの良い反応からやはり彼女も年相応、女の子らしく恋愛要素を孕んだ話題には目がない様だ。
白石萌心(おまけに吹寄弓月)に匿名の面白おかしくも悪質な要素を孕んだランキングについて話を聞きに行った日の翌日、急遽舞い込んだ簡単な依頼を彼女と二人幾つかこなした後、こんな恋愛与太話をに花を咲かせてみる。
場所はいつからか使われていない放課後の空き教室を例のごとく不法占拠。
すっかり人気はまばらに、喧騒の波も砕けた後。
辺りに人の気配は全くもって感じられない。
偶然にもエアコンの動きが悪い空き教室を選んでしまった為、窓の全てを開け放って対処してみる。
夏もいよいよ走り出したこの時期、今年の夏はセミの鳴き声が全くと言っていいほどに聞こえてこない。
その為どこか夏と呼ぶには物足りない、暑すぎる春の延長の様に感じられる。
窓から吹きすさぶ強すぎる風は生ぬるく、けれども汗を乾かすには十分なモノだった。
「これって言うのはやはり...男女の価値観の違いが大きく寄与しているのでしょうか?」
男女の恋愛、パートナーに求めるモノ、価値観の違いと言うものはどこに重きを置いて形作られていく物なのだろうか?
これはあくまで諸説ある物の中の一例、尚且つ憶測の域に過ぎない確証バイアス的要素もあるのだが
男性の場合「独占欲」パートナーの過去の一切を消して最初の存在、自分が相手にとって最初の相手であり、未経験の者を自分色に染めたいと思う虚栄心や征服感の様なものが大きな要因だろうか。
女性の場合、「最初」に価値を感じない訳ではなく、最も重きを置くのが「最後」即ちゴールである事。
男性が付き合う迄を1つの区切り、ゴールとするのに対し女性はそこを始まり、スタートとする。
最後の恋人になりたがるその心理とは、過去の経験を踏まえて成長した男性の、最も深く成熟した愛を独占し、生涯にわたる特別な存在として大切にされたいという本能的な願いに基づいてる。
「と推測してみたのですが...どうでしょうか?」
「う〜んそうだね男女の違いは確かにあるかもだけれど...最初はシンプルに独占欲と征服感の合わせ技で」
「最後は特別でいたいっていう承認欲求とか、或いは自己重要感みたいな物が大きいのかも?」
「自己重要感ですか。誰かに必要とされる事を喜びとし、そこに価値を感じる」
まさに平八重美里の様な人物を指す言葉。
「でもでも私はねっ!難しい事抜きにしたならやっぱりっ...!」
「生涯の最後に連れそって〜...長く愛を誰よりも独占!なんてのも素敵だとは思うんだっ!」
「けれどやっぱり好きな人にとっての初めて!『最初』に、私はなりたいかなぁ」
「平八重さんは少し男性的な考えが根底にあるのかもしれませんね」
「では僕から理想の提案...──────」
「『最初で最後』なんてのは如何でしょう? 」
「!?」
「えっ!なにそれずるいっ...ずるいよ初恋くんっ!!」
「お互いに最初の相手である事は...相手を自分色に染め上げるのではなく、お互いの色を混ぜ合わせるそんな価値観の擦り合わせからのスタートとなる」
「お互いに最後である事...生涯を通して長くお互いを唯一とし、共に成熟していく事をゴールとする」
「そんな恋愛、そんな関係は如何でしょう?」
「ずーるいずーるいっ!!初恋君ってばなんだか...ずる賢いね!」
「ずるいって言われましても...」
「でもさ...?なんだかそれって」
「最も理想的だけれど、外を知らない事でやたらと遠回りしそうな...迂遠な恋愛だよね」
「井の中の蛙大海を知らずなんて言葉がある様に、広く見て周らないと得られない価値観もあると、そんな尤もな意見ですね」
「けど、私はそんな事の全てをかなぐり捨てても...好きな人にとって全てにおいて初めてで居たいっ!!」
「...かも?」
「その...例えばね?...ちゅーとか...さ?」
「ファーストキスですかっ!思春期らしく初々しいしい...甘い響きを孕んだ言葉ですね!」
「あぁっ...!あんまり大きい声でちゅーの話は...なんだかむず痒くなるから...少しボリューム下げよ?」
「その実!ファーストキスはその殆どが親族によって産まれてまもなく物心着く前に奪われているんですっ!!」
「だからっボリューム!...ってもういいや」
「でも親はっ!親はノーカンじゃないかな...!?」
「親や親族を含めない、好意を自覚した相手とのキスをファーストキスと定義するのであれば、愛情表現のプロセスとして、それはより強力な物になりますね!」
「いつか私も大好きな人に最大の愛情表現で〜...なんて思ってたけれど」
「もう...ね...」
「なにを早計な。僕たちなんてまだ恋愛において赤子の様なもの、それにそれをこの身で心で一身に享受する為に、この部活があるんじゃないですかっ!」
「んっ...それはそうかも...?じゃあ現実を一旦度外視して、理想を素で語るなら...私も最初じゃあなく『最初で最後』を一番に変えるっ!」
「恋なんて遠慮配慮なんかより...良いとこ取りしてなんぼだよねっ!」
「あははっ!傲慢で強欲で、慎ましさを知らない人だ!」
「けれど、そんな人でなければ上手に恋愛なんて到底できませんからね」
「恋なんてしない!いつだったか平八重さんのそんな発言が、勢いに任せた嘘っぱちに聞こえてきますね?」
「むむむっ...!」
「うっうるさいなぁ〜...!だって恋愛なんて、教科書も無ければ学校で学ぶ訳でもない...誰だってその本質を教えてくれないじゃない?」
恋に教科書は無い、それは決まった正解が無いからだろうか?
基本的な心の動き、その感情について度々曖昧に綴られる事はあっても、事細かにそれを特定している物はひとつとして存在しない。
ある種バイブルとなるのは誰かの価値観を剪定した恋愛漫画やドラマなど先駆者たる他人の恋愛感くらいのものか。
「産まれてこの方勘違いして大失恋した私なんて...これっぽっちもその片鱗だって、正解がわからないんだものっ...」
「しない、したくない、なんて強がり言ってもさ...?知らないでいる事はずっと怖いじゃん」
恋や愛ほど道徳に反するものは無い。
どこまで行っても実力主義で、早い者勝ち力づく。
まさにルール無用の乱世の様相。
「僕もまぁ大層理想的な関係を掲げてはみましたが...それこそ幼なじみや許嫁、幼い頃からの半強制的な紐付け、ながく積み上げた関係値が無ければ『最初で最後』なんて恋愛関係の極地は限りなく実現性の低いモノだと思います」
「幼なじみであっても、見るも無残に為す術なく、呆気なく散るんですから...宝くじを当てる方が幾分現実的かもしれませんね」
「夢も希望もへったくれも無いね...」
そんな詮無い与太話に大いに花が咲き始めた頃、間もなくの下校時間を迎える。
辺りは未だ明るく、あと数時間はその日の暑さを保ったままだろう。
グンッと上がった交感神経。
簡素な討論を交えてある種の緊張が代謝されホルモンの分泌を促す。
そして室温と湿度が乾きかけていたシャツをじわりじわりと湿らせ始める。
「...あぁ〜汗で濡れて乾いて濡れて乾いて...」
「きーもーちーわーるーい〜っ!!」
「もぅっどうにかしてよ初恋君!」
窓を開け放っているとはいえ、吹き込む風は段々と熱を帯びた物に変わっていき、それに伴い室温もグンと上がってきている様子。
「どうにかって言われても、僕に出来るのは恋愛絡み位のもので...」
どうにか出来るならとっくにやっていると、額の汗を拭いながら心の中呟いてみる。
「あ〜っ!恋愛と言えば例のランキング、昨日また更新されてたんだよ!」
「ほぅ...今度は一体何八重さんと何石さんが上位を独占しているのでしょうか?」
先日の『彼氏の周りにいて欲しくない女ランキング』を経てあれから数回更新が有った。
傾向を見るにおおよそ男女の恋愛絡みのランキングともなれば必ずと言っていいほどに彼女たちが上位にランクインしている事が確認出来た。
それというのは良くも悪くも彼女達が目立ち、何を取っても中心である証だとありありと証明している。
「ん?誰それ?...え〜っとね今回は男子と女子とで別れてるんだけれど...」
「夏が似合うランキング、男子第1位ッ!」
「吹寄 弓月!まぁ...無難だねその下もサッカー部や陸上の目立つ男子が殆どを占めてるね」
「女子は1位に私、2位に4組の松原さん...あれ白石さんが最下位だ...」
今回も期待通りというのか予想通りとも言うのかなんとも代わり映えのしない順位だなと思った矢先、白石萌心のまさかまさかの没落を見とめる。
「夏が似合うって...一体どういう基準なのかな?」
「白石さんも夏、似合うと思ったんだけど...?」
それは一重に、男子のランキングにおいて投票者は女子が多く、女子の投票者は男子が多い。
それ故に起こったランク付けだと推理してみる。
「思春期男子の脳内を逆算してみれば答えは自ずと...海、プール、そして水着と胸」
「事このランキングで言えば平八重さんと白石さんではまるでアリとゾウ......到底勝負になんてなり得な...」
「いえ、僕にもさっぱり理由がわからないですね!」
言いかけた所、保身と白石萌心の体裁の為にも慌てて口を紡ぐ。
こんな所仮に彼女に見られた日には、今後日元は歩けないかもしれない。
「ねぇ初恋くん?...もしかしなくてもそれって...」
「...?」
──────ガラガラガラッ!!『バンッ!!』
言葉のキャッチボールの途中。
まさに投げ返そうとそのタイミング、ふいに大きな音を立ててスライド式の硬い両扉の片側が前回にまで開く。
「たのま────────────いっ!!!」
「「!?」」
「なんだこの暑苦しい部屋ッ!?姉さん...こんなジメジメした所に一体なんの用事が...」
入口、音の正体は二人の男女の生徒だった。
慎ましくも発育の良い肢体を持つ満面の笑みを浮かべる女生徒。
隣、憂鬱そうに不快感を隠そうともしない男子生徒。
陰と陽、まさにそんな言葉がピッタリな組み合わせ。
「あれ...?蕪木さんじゃないですか」
目と目があった矢先、不随意に頭の中記憶が蘇りスクロールの様に彼女を思い出す。
「あ──────っ!!やっぱりいた!みつけたっ!発見したっ!」
「叶人せ──────んぱいっ!」
やや離れた位置、机5個分程の距離を大きな大きな一歩と跳躍も合わせた勢いでこちらへと歩み寄る。
まさに目と鼻の先!と言った距離まで近づいたタイミング
──────ヒシッッ!!と熱い抱擁を交わされる。
「暑いですよ蕪木さん...」
「ふっふっふ〜超捕獲ッ!!」
「はぁ〜...女の子みたいな顔で、男の子みたいな力強い匂い──────はぁぁ〜好!」
「ちょっ、やめましょう...みる人が見たらあらぬ誤解を受けますよ」
「ほら、また──────『以前』みたいに...」
「大丈夫...ちょっとだけこうしていたいの...あと1時間だけ...」
やや激しく抵抗してみるものの、ガッチリとホールドされてしまいなすがままとなる。
膝の上に豪快に跨り、胸元を繰り返し大きく吸い込む彼女。
やや汗ばんだシャツの匂いを堪能する様に。
「...っ!?姉さん一体何してっ!?」
「初恋くん?だっ...だだだ...誰なのかなその子は!?」
二人の声や反応など何処吹く風、一切意に介さず尚も頬擦りのような物を辞めない彼女をとりあえず、今にも生まれそうな誤解を取り急ぎ弁解する事を兼ねて紹介してみる。
「え〜...と紹介します、彼女は4組の蕪木天華さん」
「僕らが住む良くいえば自然豊か悪くは...言わないでおきましょう。向日葵と特産品である美味しいお水が売りの座間市」
「そんな座間の市の花の親善大使でもあり、ご当地アイドルでもある通称『ひまわり王女』さんです」
「ご紹介に預かりましたっ!」
「健全健康っひまわりの様に上向いてこっー!ひまわり親善大使&王女の天華ちゃんでーすっ!」
簡素な紹介を受け自ら補足の様な形で付け加える彼女。
身振り手振り激しいパフォーマンスの様な物をオマケに、ポップでキャッチーな自己紹介でもって自らをありありと見せつける彼女。
あまりの衝撃に静まり返る教室、唖然とした一同。
「って──────あれ...っ?なんだか、あれあれ?みんなまったく盛り上がってないっ...!?」
「ぷ...ぷぷぷ...ぷはぁっ!まずったったぁ!」
「お察しの通り彼女は...ご覧の通りのお方です」
「う、うん眩いばかりの向日葵さんだね...」
膝の上、不随意に激しく動く彼女にみっともなく年相応の劣情を抱いてしまった時、ようやっと少し距離を置いてくれる彼女。
これはしばらくこの場から立てないなぁと困り果てる。
そんな情けない状態の僕と、眼前戸惑いを隠せない平八重さん。
そして底抜けに明るく落ち着きの無い件の彼女。
あとはそんな彼女の後ろ、今にも手や足を出してきそうなほど鋭い眼光を飛ばしてくる彼、蕪木秀吉。
狭く暑い教室内、人口密度でさらに上がった室温をかき消す程の熱量でもって彼女は口にする。
「叶人せんぱいっ!せんぱいに大事な大事な...一生のお願いがあるのっ!!」
「一生のお願い?」




