第63話 【幕間②】エリオスの誕生日
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ブランフォードの夜は、昼間の喧騒とはまるで別の顔を見せる。
遠く鉱山の方から吹く風が、かすかに鉄の匂いを運んでくるその時間、街の片隅にぽつりと明かりを灯すのが、酒場『黒猫亭』だ。
扉の上には小さな鉄製の看板。
黒猫のシルエットが揺れ、かすかに笑っているようにも見える。
カラン、と鈴が鳴った。
「いらっしゃい!」
カウンターの向こうから顔を出したのは、女主人サラ。
明るい茶髪を無造作に結い、腰には布巾、手にはジョッキ。どこか男勝りで、けれど笑えば太陽みたいに朗らかだった。
「まあ、マリアじゃない! うちに来るなんて珍しいじゃないの!」
「えっと……ごめんね、やっぱり場違いかな?」
マリアはおずおずと笑いながら入ってきた。
白い侍女服のまま、場違いな雰囲気に少し緊張している。
「いいえいいえ! ようこそ《黒猫亭》へ! それにしても可愛い子が来ると、店がちょっと華やぐわ!」
「さ、サラ! からかわないでよ!」
「で、後ろのフェリオは何? 見張り役?」
「俺はただ、付き添いを頼まれただけだ」
低い声で答える青年フェリオは、黒髪を後ろでまとめ、鋭い目をしていた。
寡黙で無愛想。だが、根はやさしく、面倒見がいい。そして、マリア、サラ、エリオスとは古い付き合いだ。
「あんたもそろそろ自分の彼女を作ってさ、自慢しにきたら褒めてあげるのに」
フェリオは顔を赤くして、ぷいと横を向く。
「……うっせえ、おまえには関係ないだろ」
「はいはい、そうでしたね〜」
チラチラとサラの顔を覗くフェリオ。
目が合うたびに、ギクリとして顔を背けている。
奥手のマリアでも、フェリオがサラに好意を抱いているのは、はっきりと分かった。
「まあ、他人のことを気にしている場合じゃないか……」
ボソリとつぶやいたマリアの顔をサラが、きょとんとした目で覗き込んだ。
「で、今日はどうしたの?」
「へっ? あ……実は相談があって……」
「相談? 恋の?」
「ち、ちがっ……!」
顔を真っ赤にして否定するマリア。
その様子を見て、サラがニヤリと笑った。
「図星、っと。あんた、もしかしてエリオスの誕生日の件ね?」
「ど、どうしてご存じで!?」
「そりゃあ街中その話題よ。領主様の誕生日なんて、祭りみたいなもんじゃない」
サラはジョッキを置き、カウンターに身を乗り出した。
「で、何をプレゼントするか悩んでると」
「はい……。何か、心がこもってて、でも、重すぎないものを……」
「うわー、恋する乙女のテンプレ発言出た~!」
「さ、サラっ!」
「冗談よ冗談!」
そのやりとりを聞いていたフェリオが、カウンターの隅で小さく息をついた。
「……木彫りの品とかどうだ。素朴だが、長く使える」
「へぇ~、フェリオのくせにロマンチックじゃない」
「うるさい。俺はただ、そういうのが無難だと言ってるだけだ」
マリアは目を輝かせた。
「木彫り……! それ、いいかも!」
「ほら、あんたにしては良い案じゃないのフェリオ!」
「別に……俺が使うわけじゃない」
フェリオはポケットからすっと何かを取り出し、サラに手渡した。
それは木彫りのペンダント。真ん中に真っ赤な魔晶石が埋め込まれていて、キラキラと輝いている。
「これ……。ハルモニアの職人が趣味で作ったやつを、大通りの商店で売ってるんだ」
「わあっ、綺麗!」
「気温に反応するように作られているらしくて、外が寒いと温かくなるらしい……買い物とかで外に出ることも多いだろうから、おまえにどうかって……」
マリアがニタニタしながら声を張った。
「フェリオ。もしかして、サラにプレゼントを贈るために、私についてきたのかなぁ?」
「ばっ、バカ! おまえっ!」
サラはペンダントを首からかけると、ニコリと太陽のような笑顔をフェリオに向けた。
「ありがと! せっかくだから貰っておくわ!」
フェリオの顔が真っ赤に染まる。
サラはフェリオとマリアにジョッキを差し出した。
「さあ、これは私からのプレゼント! 今日は特別に一杯だけ飲みなさい。勇気の酒!」
「えっ!? あ、あの、わたしお酒弱くて……」
「大丈夫よ、蜂蜜酒だから! 甘くて美味しいわ」
マリアは恐る恐る口をつけ、ぱっと顔をほころばせた。
「おいしい……!」
「でしょ? その笑顔、絶対エリオスも好きよ」
「や、やめてよ、サラ!」
「ははは!」
フェリオも、つい笑いをこらえきれずに口元をゆるめた。
「……確かにそうかもな」
マリアはぷくっと頬を膨らませた。
「何言ってんのよ、あんたが好きなのはサラの笑顔のくせに!」
笑い声が重なり、夜が静かに更けていった。
やがてマリアは満足そうに黒猫亭をあとにする。
その様子を、通りの影から見つめている人物がひとりいた。
ルチアだ。
青い外套を翻し、口元に薄い笑みを浮かべる。
「ふふ。可愛い侍女さんね。でも、私だって譲る気はないの」
夜風が吹き抜ける。ルチアのイヤリングが小さく揺れた。
三日後。
執務室の扉が叩かれた。
「エリオス様、少々お時間を」
執事ハロルドが丁寧に頭を下げる。
「どうした、ハロルド?」
「大広間に……見ていただきたいものがございます」
エリオスは小首をかしげた。
「見せたいもの?」
「ええ、まあ……百聞は一見にしかず、でございます」
そう言って半ば強引に廊下へ引っ張り出され、大広間の扉を開けた瞬間。
「お誕生日おめでとうございます、エリオス様ーー!!!」
ぱんっ! と紙吹雪。
クラッカーが一斉に鳴り響き、部屋いっぱいに明かりが灯る。
目を丸くするエリオス。
「これは……」
「サプライズです!」
満面の笑みでマリアが叫んだ。
周囲にはサラ、フェリオ、クロエ、カイル、ハロルドまで勢ぞろい。
テーブルの上には料理と酒がずらりと並んでいる。
「まさか……俺のために?」
「もちろんです! エリオス様のお誕生日ですから!」
場のあちこちから拍手が起き、音楽が流れ出す。
エリオスは少し照れたように頭を掻いた。
「……ありがとう。まったく、こんなことをするとは」
「いいじゃないですか!」
サラが笑う。
「ブランフォードの街が元気なのは、エリオスのおかげなんだから!」
しばらくして、マリアが小箱を手にしてエリオスの前へ出た。
「えっと……これ、わたしからの……その、プレゼントです」
箱を開けると、中には木彫りのペン立て。
中央には小さな魔晶石。夜になるとほんのり光るらしい。
少し不格好だが、温かみのある出来栄えだった。
「これ……マリアが作ったのか?」
「はい。すこし下手ですけど……」
「いや、そんなことはない。……とても、いい出来だ」
エリオスは優しく微笑んだ。
「大切にするよ。ありがとう、マリア」
マリアの頬が真っ赤になり、言葉にならない声を漏らした。
その空気をわざとらしく破ったのは、ルチアだった。
「まあまあ、可愛らしい贈り物ね」
にこやかに現れた彼女は、上品な笑みを浮かべつつ包みを差し出す。
「私からも、エリオス様にプレゼントを」
「ああ、ありがとう」
エリオスが包みを開けると、中には小瓶が一つ。
淡い紅色の液体がとろりと揺れる。
「これは……?」
「クロエ所長にお願いして作ってもらった特製の“活力剤”ですわ。
もっとも……用途はお任せしますけど?」
ルチアが耳元に顔を寄せ、甘い声で囁いた。
「今晩、私相手に使っても……いいんですよ?」
エリオスは、凍ったような笑みを浮かべた。
「いや、それは遠慮しておく……そうだな、遠征中に疲れたときにでも使わせてもらおうか」
「うふふ、それは残念」
周囲の空気が一瞬で変わり、クロエが遠くから頭を抱える。
カイルは真っ赤になり、サラは腹を抱えて笑い、フェリオはため息をついた。
「……まったく、落ち着かん誕生日だな」
そう言いながらも、エリオスの顔にはどこか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
夜はゆっくりと更けていく。
グラスが触れ合い、笑い声が響き、荒れ果てた辺境の地ブランフォードに、久しぶりに穏やかな灯りがともっていた。




