01.婚約破棄を告げられ、修道院に送られる
アビゲイル・バンフィールドは孤立していた。この日はアビゲイルの誕生日を祝うバンフィールド公爵家の主催のパーティであるというにもかかわらず、一人で過ごすアビゲイルを気にかける者はいない。
アビゲイルはいつだって悪者だった。
なにかをした覚えはない。しかし、いつだって悪女として指をさされる。
「アビゲイル」
婚約者のクリス・ダドリーに名を呼ばれた。
クリスはダドリー伯爵家の三男だ。公爵家から得た多額の借金の返済を帳消しにすることを条件に、バンフィールド公爵家に婿養子に入ることが決められている。
幼い頃に交わした約束をクリスは覚えていない。
公爵家の後継者は自分だと言うかのように偉そうな態度でアビゲイルを呼び捨てにする。立場が違うことをクリスは自覚していなかった。
「早く来い。本当に役に立たないな」
クリスは上から目線でアビゲイルに命令をする。
……うるさいですわ。
アビゲイルは心の中で毒を吐く。
いつからだろうか。猫を被るようになっていた。それが幼い頃のアビゲイルの印象をかき消し、気弱なふりをしている悪女と呼ばれるようになっていた。
オルコット帝国の軍国主義にふさわしくない令嬢。
いつの間にかそのような印象を持たれていた。
……誰に口を利いていますの。
文句を心の中で言う。それを言葉に出す勇気はいつの間にかなくなっていた。
「俺はアビゲイル・バンフィールドとの婚約を破棄する!」
クリスの目の前まで辿り着いた途端、クリスは大きな声で叫んだ。
……婚約破棄?
アビゲイルは現実を見ていられなかった。
婚約破棄を告げる権利はクリスにはない。クリスは借金の代わりとして、公爵家に婿養子として買われた立場だ。それを忘れてしまっているのだろう。
「お姉さま」
クリスの腕に抱き着いている義妹、フィオナ・バンフィールドは涙を流した。
……フィオナ?
状況の理解ができなかった。
……どうして、フィオナが?
フィオナは義妹だ。父親の後妻となった女性の連れ子である。血の繋がりのないフィオナの見た目はかわいらしく、美しいアビゲイルとは顔の系統は全く違った。
貧乳を腕に押し付けるフィオナは悲し気な顔をした。
それが演技だとアビゲイルは知っている。
フィオナが被害者だと言い触らしてるときにする表情だ。
「罪を認めてください」
「罪?」
「そうです! フィオナを虐めていた罪を認めてください!」
フィオナは泣きながら訴える。
そのような事実はなかった。しかし、世論はフィオナの味方をするだろう。
この場に来ている貴族たちはフィオナに同情的だった。かわいらしい容姿をしているフィオナは貴族の好感度を高めるのが、なによりも得意だった。
「そのような事実は――」
「フィオナが婚外子だっていうのですね!」
フィオナは泣きながら叫んだ。
アビゲイルに主張はさせないと言わんばかりに泣いている。
「そんな酷いことを言ったのか!」
クリスはアビゲイルを非難する。
……言ったことは一度もないわ。
しかし、事実ではある。
フィオナは後妻の連れ子だ。婚外子どころか誰との子どもかすらもわかっていない。公爵家の血が流れていないことは確かだった。
「婚約を破棄されて当然だな!」
クリスは高らかに宣言をした。
そうして、アビゲイルが十八歳になった記念に開かれたパーティは幕を閉じたのだった。
* * *
修道院送りを望んだのはアビゲイルだった。
婚約破棄の恥をかいてしまっては社交界には出られないと父親に訴え、自ら、修道院に入ることを望んだのだ。
「アビゲイル」
馬車に乗る前に父親、チャーリー・バンフィールドに引き留められる。
そして、抱きしめられた。
父親に抱きしめられた経験は生まれて初めてだった。
「必ず、迎えに行く」
チャーリーはこっそりと告げた。
……信じてくださっていたのですね。
数年ぶりに人に信じられた気がした。
「父上……」
アビゲイルは涙を流す、
アビゲイルは悪いことは一度もしていない。それどころか、自分自身の性格に嘘をついてまで気弱な令嬢を演じてきた。すべてクリスが望んだことだった。
クリスはアビゲイルの活発な性格を嫌っていた。
クリスはアビゲイルが実力を発揮することを嫌っていた。
常に気弱な令嬢でいることを言い付け、言い付けに逆らおうとした時には、クリスはアビゲイルに暴力を振るい、婚約破棄を迫った。
アビゲイルはそれが恐ろしかった。
誰にも言えず、気弱な令嬢として過ごすしかなかった。
「アビゲイルが悪さをしていないのはわかっている。証拠を掴むまでの間だ。耐えてくれ」
チャーリーはそう告げ、アビゲイルを馬車に乗せた。
アビゲイルを乗せた馬車はすぐに出発をする。公爵邸を出ていく馬車を見守っていたのはチャーリーだけだった。
……父上はわたくしを信じてくださっている。
その事実がなによりも温かった。
目を閉じ、チャーリーに思いを馳せる。気難しい父親だと思っていたが、実は娘思いだったのだろう。
そのようなことを考えていた時だった。
馬車は激しい音を立てながら揺れた。公爵邸から出てすぐのことだった。
馬車は横転した。
そしてそのまま、重みに耐えることができなかったように潰れてしまった。馬車の下敷きになったアビゲイルの意識は遠のいていく。
……こんな死に方をするくらいならば。
死を覚悟した。
遠くからチャーリーの声が聞こえる。しかし、生きて再会することはないだろう。
……わたくしらしく、生きたかったですわ。
アビゲイルは後悔をした。
自分自身を偽り、なにも言わずに生きて来たことを激しく後悔した。婚約者に怯えていた日々を後悔した。後悔だらけの日々だった。
……乳母に会いたいですわ。
遠のく意識の中、最後まで味方だった三年前に解雇された乳母を思う。乳母はなにも悪くなかった。ただ、フィオナの味方をしなかったという理由で解雇されてしまった。
……お母様。
亡くなった母の傍に行けることだけが救いだった。




