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澱は凝る

「——はぁっ?!」

 野太い驚愕の声に、窓硝子がびりびりと震えた。

 ばつの悪そうに両耳を伏せる黒猫と、(あご)を落とす男を視界に収めながら、彼女は唇を噛み締める。

 想定外の方向へ転がっている事態は、ある意味予想以上の最悪だ。

 都を覆うほどに(よど)(こご)っているのに、彼女は気付けなかったのだ。

 疵物(きずもの)の神域で生まれ育った彼女にとって、澱と言うのは身近なものだ。

 何せ、彼女の故郷は、年に一度、必ず魔物の大量発生と暴走が起こるほど、澱が溜まりやすいのである。

 それ故、彼女は徒人よりも澱への耐性も、感知能力も高い。

 その彼女が、この場に凝っている程の澱が今も分からないままであるということは――

「——地下水路に、固定されているのか」

「多分それやねん。 アディーさんだけじゃなくて、ヤーちゃんも言っとったけど、地面の下は、ホント酷いんよ」

 彼女の予測を、ハムスターもどきが肯定する。

 このハムスターもどき、実は彼女の先祖に丸かじりされたことがあるイキモノなのだが、言っていることは信用できる。

 それが、信用できるだけの能力や性質を有する存在であると、彼女は知っている。

 寧ろ、ハムスターもどきを丸かじりにした、彼女の先祖が規格外であったのだから、被害者の情けない過去も仕方のないことなのだ。

 ——『暴食鬼』の二つ名を冠した男は、『神殺し』を(しい)する存在の、帰結の一つであったのだから。

「……固定って、どうして、澱が——」

「人為的なものに、決まっているだろう」

 動揺する男に、娘は冷めた声で吐き捨てた。

 澱と言うものは、世界の理に刻まれた事象の一つでしかない。

 要は、氾濫する大河と同じだ。

 向き合うも、利用するも、人間次第。

 娘の顔に、苦みが過る。

 ——澱に関しては、(はら)う術と利用する術、両方が存在していた。

「莫迦が」

 娘の唇から零れた声は、凍えるほど冷たく、火傷するほど熱い。

「自分を切り売りも出来ないど三流が、呪術なんぞに、手を出したか」

 澱を祓う術は、浄化と呼ばれ、――澱を利用する術は、呪術と呼ばれる。

 人を呪わば穴二つ。

 その格言が、呪術の全てを表している。

 魔法の様に、世界を歪ませるのではなく、世界を直接書き換えることが出来る呪術は、それだけ代償が大きい。

 それこそ、まともな神経では、呪術の真髄には至れぬと言われる程に。

 澱と言うのは、呪術において、求められる代償の代替に過ぎなかった。

「——呪術って……、良くて無期懲役じゃねぇか……」

 男が、呻き声を出した。

 呪術にまつわる、おぞましい事件が数多く発生したために、大概の国で呪術は禁術扱いだ。

 ローディオでも、呪術を用いた者は、無期懲役か死刑かの二択になる。

「まあ、呪術とか何とかはよく分かんないけど、卵が見つからなくて困ってんだよ。 

 此処の地下水路って、まるっきり巨大迷宮状態だし。 

 卵を巻き込むかもしれないから、うっかり壁とかぶち抜けないし」

 困り果てた様子で頭を掻く不審者に、彼女は溜息を吐いた。

 生ける災害が暴れ回らないという意味では、澱を固定化した馬鹿は、いい仕事をしたのかもしれない。


「——なら、取引をしようか、長生きしているだけの蜥蜴共とかげども


 少なくとも、彼女が割り込む余地があるだけ、幸運ではあった。


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