閑話:星は、動かし得るか
一体、幾つ大切なものを手放せば、本当に守りたいものを、守ることが出来るのだろう。
——いつも兄が梳いてくれる、長い髪が自慢だった。
あの人が夜空の様だと褒めてくれるから、兄とは違う黒い髪でも、好きになれた。
握りしめていた自分の髪は、あの人がくれたハンカチに包む。
髪と言うのは、意外と重量があったのだと、床に零れた髪の毛を拾いながらひとりごこつ。
首の後ろがすうすうとし、軽くなった頭と共に、違和感を持った。
——あの人がくれたハンカチの、下手くそ過ぎて何の図柄か判別不可能な刺繍は、けれど、自分のために作られたものだったから、とても気に入っていた。
髪を包んだハンカチが広がらないように、必要が無くなったリボンで結ぶ。
——いつも無駄に偉そうな地神と同じ、紅のリボンは、自分の髪に一番映えるからお気に入りのものだった。
そう言えば、と、自分が着ていた服を見下ろした。
程よく襞とレースをあしらったドレスでは、とても森の中を歩けまい。
きっと、小枝やら何やらに引っかかって、台無しになってしまう。
——屋敷の周囲に広がる森の様な、深い緑色のドレスは兄からの贈り物だった。
初めて、外の世界へ出た時に着た、とっておきの衣装である。
丁寧に脱いだドレスを、綺麗に畳む。
動きにくいドレスより、いっそ下着姿の方がましかもしれない。
生憎と、あの男から何も期待されていない自分は、兄の様な動きやすい服は持っていない。
顔を上げると、いつも一緒に寝ているクマの縫いぐるみが目についた。
——ふわふわとした、茶色のクマの縫いぐるみは、あの人からの誕生日プレゼント。
この子がいれば、独りで眠る時でも寂しくないでしょう、と、あの人は微笑んでいた。
「……ごめんね、エリー」
自分の数少ない友達を抱きしめ、呟いた。
大事だけど、大事だから、自分は友達と別れなければいけない。
大事なものでなければ、意味が無かった。
——世界を書き換えるには、相応の代価が必要だと、教わった。
あの人に与えられた縫いぐるみは、大切なものだった。
けれど、それ以上に、自分に沢山のものを与えてくれる兄も、あの人も大事で、守りたかったのだ。
——寂しい。哀しい。無くすのは、辛い。
そう思う自分は、大切なもの達と一緒に手放してしまおう。
ふわふわのクマの頭に、顔を埋める。
兄も、あの人も、少しずつ、擦り切れているのだ。
兄は、あの人が好き。
あの人は、兄も好き。
互いが互いを好きあっているのに、どうしてか、二人共、絵本の主人公の様に笑えていない。
よく読んでもらう絵本の中では、好きは、幸せと同意義だったのに。
——好きという感情だけでは、誰も幸せになれないと、二人を見ていてよく分かった。
……破綻は、もう、そう遠くないから。
兄を、逃がしてしまおう。
あの人を、支えていこう。
その為に、力が必要だから——
大きな森に住む、黒髪自慢の小さな女の子は、それっきり、いなくなった。
そうして、何処かの誰かが、憎々し気に呟く。
——星が、動いた。
——あら、珍しい、と、何処かの誰かが囁く。
——仮初の覇王の傍らに、虚無の聖女が侍るなんて——。




