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平民将軍の副官

 フェリクス・フォン・ファルケランツェは、栄えある公爵家の三男として生を受けた。

 (さかのぼ)れば王家にも連なる血筋に、代々重ねてきた忠義による誉と富。

 誰もが羨む身の上は、けれど、フェリクスには何の価値も無かった。

 嫡子の長男と、その予備の次男。

 ——そして、三男のフェリクスは、無用の長物であった。

 数十年と大きな戦は無く、王家の守護を主に行う近衛に属していれば、武門と言えどそうそう命が危ぶまれる場に出ることも無い。

 女児に継承権が無い故に、家名を継承するべき男児がいなければ、婿をとるのではなく、できるまで産ませるのがローディオの考え方だ。

 余った子息の行き先は、良くて近衛か文官、悪くて肩身の狭い屋根裏、更に悪ければ、冒険者の末の行倒れだ。

 せめて娘であったなら、使い道があったと、嘆いたのは両親で。

 二人の兄は、余りでしかないフェリクスを、何かと邪険にしていた。

 ——ファルケランツェは、地位や金はあっても家族間の愛情は無い、典型的な政略結婚の上に成り立つ貴族の家だった。

 幸いにも剣の才に恵まれたフェリクスは、特にコネを使うことも無く近衛に入隊できたが、ただ、それだけとも言えた。

 あの事件がなければ、フェリクスは流されるままに生き、惰性の末に死んでいた。


 人生が変わった日を、フェリクスは今でも鮮明に思い出せる。

 近衛隊の演習で訪れた地で、彼は受肉した絶望を見た。


 ——生ける理不尽たる、『災獣』。


『災獣』の中では小型の個体であったと言うが、それでも、その存在感はそこらの魔物など足元にも及ばない。

 この時フェリクスは、次兄により囮になれと、複数展開された障壁の外から二番目の隙間に、他の次男以降の子息共々締め出された。

 ……長兄は、転移陣を使って真っ先に王都に逃げ帰ったのだから、武門の名が泣こうものだ。

 これでフェリクスは、辛うじて表層に漂っていた肉親の情も消し飛んだ。

 そして、二つの障壁を挟んでなお感じた気配に、彼は膝をついたのだ。

 勝てやしないのだと、そう、理解させられた。


『——諦めるなっ!!』


 遠くから響いた声は、音量こそ決して大きくなかったが、フェリクスの頬を張り飛ばすには、十分だった。


『お前等、生きて帰るぞっ!!!!!』


 共に絶望の中に在る者達への鼓舞。

 立ち上がろうと、前に進もうとする意志は、確かに、フェリクスの希望となったのだ。




 ——数十人分の命、そして、軍人としての未来と引き換えに、『災獣』は討たれた。




 障壁が解けた後、フェリクスが目にした現場の壮絶さは、言葉にできそうもない。

 そこは確かに、絶望と、それに抗った者達の戦場だった。

 首を落とされた『災獣』の前で、(うずくま)っていたのは、後にフェリクスの上官となる男。

 ……血の海と化した酸鼻極まる戦いの跡地で、部下の助けを乞う声を『なかったこと』にしようとした次兄には、最早人間として愛想が尽きた。

 兄弟の中では最も武芸に秀でていたことについては、フェリクスは両親に感謝してもいいと思っている。

 お陰で、痕を残さずに次兄を絞め落とすことが出来たので。

 この件に関しては、次兄は極度の緊張状態から解放されたことにより、気を失ったということになっている。

 次兄の弱みを握れて、フェリクスは、この後何かとやりやすくなった。

 ——人間の屑が近衛隊の中にそれほど多くなかったことは、不幸中の幸いだろう。

 お陰で、物理的に黙らせる手間が省けたので。

 身の丈に合わぬ武勲は破滅を呼ぶだけだと、理解するだけの頭がある人間がいるだけ、ましだったとも言える。

 蛇足だが、真っ先に逃げだした長兄は、『災獣』討伐の誉れを平民に奪われ、好い面の皮だった。

 不謹慎だが、ざまあみろ、と、フェリクスは内心面目が丸潰れの長兄を指差して嘲笑ったものである。


 ローディオで初の平民将軍が誕生した時、フェリクスは真っ先に彼の部下に志願した。


 小うるさい家族がぐだぐだと口出ししてきたが、フェリクスは建前を駆使し、上手いこと丸め込んだ。

 命の恩人たる男に、フェリクスは心からの感謝と尊敬を抱いていた為、力になりたかったのだ。


 ――取りあえず、将軍には、可愛くて御淑やかで家庭的な、癒し系の嫁をっ!!


 それが、フェリクスの目下の目標であった。


 ◆◆◆


「——ほ~ほ~」

 ローディオには珍しい、艶やかな黒髪と深みを帯びた黒瞳の青年は、フェリクスの長い長い長い熱弁を、真面目な顔で聞いていた。

 黒一色の服装の青年の手には、フェリクスの言葉を記録した、分厚い雑記帳がある。

 最近フェリクスの上官に(まと)わりついている娘の、遠縁だと言う青年は、フェリクスに上官の事を聞き取りにやってきたのである。

 ので、フェリクスは、日頃誰も聞いてくれない上官情報を、青年にぶちまけていた。

 無論、機密に関わる情報を漏らすなんて、ポカはしない。

「そっか、そっか。 参考になりました。 有難うございます」

 フェリクスの長話を一通り聞き終えると、特に辟易(へきえき)した様子もなく、青年はフェリクスへ頭を下げた。

 こいつ、やるではないか、とフェリクスは有り触れた碧眼を(きら)めかせる。

 フェリクスの上官への想いを語ると全く止まらなくなるのだが、ここで引かずにきちんと受け止めてくれる聴き手は珍しい。

 ——けしからんことに、上官への尊敬の念を、腐った方向に解釈する女もいるのだ。

 フェリクスは、付き合うなら男ではなく女だし、理想を言うなら、長兄の婚約者の様な一途で真っ直ぐに努力のできる女性が良いのである。


「そんじゃ、これで」

「——待て」

「ん?」

 フェリクスの話を聞くだけ聞いて、頭を下げてそのまま立ち去ろうとする青年の肩を、彼はがっちりと掴んだ。

「貴様、情報交換と言う言葉を知らないのか?」

「え、俺がねーちゃんの話をする流れなの?」

 ぼけっとした様子で首を傾げる青年は、フェリクスが情報を得たい対象の娘とよく似ている。

 ただ、似ているのは一目見た時の印象と顔の大まかな構成で、よく見ると青年は十人並の容姿であるのに対し、娘の方は地味に整っていた。

 中身の方も、子供の様で常識に乏しい青年とは対照的に、娘の方は実に油断がならない。

 上官に向ける柔らかな笑みとは隔絶した、人をモノとして見る無機質な光を、フェリクスは娘の瞳に見てしまったのだ。

 その光が向けられたのは上官ではなく、わざわざいちゃもんをつけに来た、フェリクスの長兄であったが、一瞬浮かんだそれに、フェリクスはぞっとした。

 娘の血統が代々継承してきた『悪鬼』の称号の、それは、証だと思ったから。

『第一の忠臣』、『神域の番人』、——そして、『アレクサンドリアの悪鬼』。

 二つ名を有する家系は多々あれど、アレクサンドリアのウェイン伯爵家の様に、異なる意味合いの称号を複数持つのは珍しい。

 だが、彼等は確かに、忠臣であり、神域の守手であり、戯れに触れたならば喰い殺されるような怪物だった。

 ファルケランツェよりも更に古い歴史を有するウェインは、少し調べれば、ろくでもない逸話が出るわ、出るわ。

 ……もう、盛り沢山である。

 貴族では間々見られる血族殺しが御約束になっているのはさておき、嗤いながら人を殺しまくる人間が代々輩出されるというのは、如何なものか……。

 当代当主たる娘自身にも、実の兄を放逐しただの、毒殺しただの、一夜を共にした相手を殺しているだの、不穏な噂が絶えないのである。

 噂から総合する限り癒し系では全然ないので、正直、上官の嫁にはちょっと……、と、フェリクスは評していた。

 娘に気があるらしい上官に、面と向かって諦めろと言えないことが、ツライ。

 上官に怯えないで会話をする年頃の女性は、中々に希少なのだ。

「——くっ、何故癒し系の御令嬢に、あの女の様な根性が無いのだ……」

「なんか、そこにいるだけで怖がられてたよな。 おっちゃん、山賊顔なだけの、良い人なのにな~」

 へらへらと呑気に笑う青年の頬を、フェリクスは思い切り引っ張りたくなった。

 彼の上官の顔は確かに威圧感があるが、山賊顔と言う表現は何だ。

 まるで、何だかんだで面倒見の良い上官が、悪党のようではないか。

 睨み付けるフェリクスを気にした風も無く、青年は顎に手をやった。

「よーするに、フェリクスさんは、ねーちゃんがおっちゃんに相応しいかを知りたい訳だ」

 意外なことに、青年はフェリクスの意図を、正確に察していた。

 子供の様な振る舞いをするが、青年の勘か頭の動きは、それ程悪くはないらしい。

「まー、ねーちゃんもウェインさんちの人だからな、フェリクスさんが心配するのもしょうがないよな」

 青年の口ぶりは、彼がウェインの括りに入っていないように聞こえるものだった。

「——よし、占ってもらおう」

「何故そうなる」

 一気に明後日の方向へぶっ飛んだ主張を行う青年に、フェリクスは突っ込みを入れた。

 青年は途中の理論を数段階すっ飛ばしたようで、フェリクスには全くもって意味が分からない。

「大丈夫だ。 『天の氏族』の人は、占えなかったら占えないって言うから」

「余計に意味が分からないのだが」

 どや顔で親指を立てる青年に、フェリクスの額に青筋が浮かんだ。



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