黒賢と時司はこっそりできない
——メコッ
発生した音は、おおよそ生き物が出す音とは思えないものだった。
実に綺麗に地面に陥没した男の姿は、まるっきり喜劇の様だ。
男の上には、何故か大量の書物が浮かんでおり、見た目の混沌具合を増強している。
……そんな光景を作り出した存在もまた、書物と共に空中を浮遊していた。
黒い女。
それは、一言で表すに容易い。
虚空に揺らめく長い髪も、何処か茫洋とした瞳も、滑らかな肌も、身に纏う衣服も全てが黒だ。
女が身に着けているのは、ローディオでは見ることが珍しい東方の着物とかいう衣服である。
リアが身に纏う黒が、深みを帯びた夜闇に通じるそれなら、女の黒は、硬質な輝きを有する黒瑪瑙のそれだ。
翼無きもの達を地に縛り付ける、見えない鎖から解き放たれたかのように、女は書物と共に虚空を漂っている。
「——あ、ポルカ」
『ポルカちゃん、いきなり降ってくるのは、珍しいですね』
『せやねん。どうしたんよ、ポルカ? いっつも動くの面倒臭がってるやん』
クロード達の台詞で、ヴォルケは目の前に残念生物が増えたのを悟った。
そして、どうして彼等が別行動をとっていたのかも、よく理解する。
——ここまで隠れるつもりが無い不審者では、どう頑張っても、こっそりしようがないではないか……。
仲間達の言葉を聞いているのか、いないのか。
捉え難い表情を浮かべる女は、手に持っている書物の項を捲り上げる。
「駄目なのは、この若いの」
着ぐるみ組とは違う感情の薄い声で、黒い女はぼそりと呟いた。
「愚か者のせいで、面倒がくる」
黒い女とは別の、低い声がした。
ふわり、と、何もない空中に舞い降りたのは、様々な色が混ざりすぎて、何色とも形容できない梟である。
真ん丸な梟の瞳は、硬質な輝きを有する蛋白石だ。
透明な止まり木に掴まるかのように虚空に静止する梟は、黒い女と負けず劣らず目立つ。
こんなのがうろついていたら、確実に人外専用の討伐隊が飛んで来るだろう。
黒い女は、ぼやけた眼差しで、空を見上げた。
「可哀想なのは、死にきれなかった子達」
「――哀れ、哀れ。 死しても眠れぬ、不運な者達よ」
女は、紙面の文字をなぞる様に呟き、梟は、下手くそな演劇の様に語る。
「……え。 ちょ、それって……」
クロードが、慌てた様に両手を振り回した。
ぞろり、と。
ヴォルケの背筋を嫌な感覚が走る。
……さっきからこんなのばっかりだと、ヴォルケはげんなりした。
人外に関わると、ヴォルケの中の警報は中々鳴りやんでくれない。
「——より魔力を溜める様に、甚振って殺したせいか」
「是」
溜息の様なリアの言葉に、黒い女は頷く。
魔力欠乏症に陥った魔物の被害は、通常よりも凄惨なものになりがちだ。
飢餓状態の魔物は、獲物をじわじわと追い詰めてから殺す傾向があるせいだ。
——極限状態に置かれた生物は、生き残るために魔力の生産量の箍が外れる為に、魔物は本能的に餌をより良い状態にしようとするのだ。
「世界を捻じ曲げるのは、強烈な意思。 そうなのは、死に至る直前の断末魔も。 今のここは、引き寄せる澱も、たっぷり」
「幼子が、随分と食い散らかしていた」
「……お前ら、止めなかったのか……」
聞き捨てならない言葉に、ヴォルケは、思わず低い声を出してしまった。
ヴォルケの脳裏に、アカがちらつく。
——飢えた狂気は、未だに忘れられない。
……守れなかった、仲間達の顔も。
過去に引き込まれそうになったヴォルケを、華奢な、けれど力強い手が引き戻した。
「八つ当たりは、止めておけ。 黒賢と時司にヒトの倫理を押し付けても、どうしようもない」
淡々とそう言うリアの眼差しは、呑み込まれそうに深い。
「違うのは、幼子を止めなかったこと。 来るのが間に合わなかったのは、吾も」
漂っていた黒い女が、ふわりと浮き上がる。
「できるのは、終わらせてあげること」
空気が変わった。
まだ冷えている風に、明らかな腐臭が混じる。
『……み、みょぉ~……』
『あばばばばばばばば』
着ぐるみ組の奇声が、緊迫感を台無しにしていた。
嫌な、音が近づいてくる。
「非業の死は、不死者を産む」
人を真似るのに失敗した、梟の声が響いた。
「後は、悲劇をどう処理するか——」
「簡単なことだろう」
梟の台詞をばっさりと切り捨てたリアの言葉は、何処か物憂い。
「不死者だろうが何だろうが、首を刎ねて、身体を焼けば、全部終わる」




