えたーなるふぉーすぶりざーど
うちの竜が大分残念です。
竜に夢を持ちたい方は、お気をつけてください。
そこは、王都を一望できる場所ではあった。
位置的には、貧民街の上空。
翼あるもの以外に辿り着けない空間が、突如切り裂かれたようにぱくりと割れた。
空間の割れ目から現れたのは、二つの影。
それは、喪服姿の黒い女と、様々な色彩が入り混じりすぎて、何色とも言い切れない梟だった。
出現した場所もおかしいが、黒い女の周囲には何故だか大量の書物が浮遊しており、見た目からして異様だ。
地上より遥かに低い気温で、吹きっ晒しの風に嬲られているにも拘らず、女も梟も、凍えている様子はない。
ただの人族では知覚できない高度に在る彼等は、おもちゃ箱のように見える王都を淡々と見下ろす。
貧民街全体が、徐々に闇を濃くしているのを見ても、硬質に輝く黒瑪瑙と蛋白石の瞳は揺らぎもしない。
未だ年若い竜が咆哮を上げる姿を捉えても、黒い女は、手元に引き寄せた書物の項を捲り上げるだけだった。
◆◆◆
狂気に呑まれた咆哮に、リアは内心呆れ果てていた。
目の前に在るのは、漸く雛から抜け出した様な若い若い竜。
真竜はその身に流れる血を以て、知識を受け継いでいくと言うが、この無様を見ると、それが本当なのか怪しく感じる。
本来、真竜が住まうのは、魔素の濃度が高い土地だ。
そういう土地が竜の住処になることから、高濃度の魔素が凝る地を『竜穴』と呼ぶのである。
リアの目の前にいる真竜が荒れ狂っているのは、魔力欠乏症のせいだ。
真竜は、クロードと同じく、大気中から生存に必要な魔素を補充できずに餓えきっている。
せめて、ヒトの領域にのこのこ来るなら、事前準備ぐらいしておけとリアは思った。
そのせいで、今現在、リアは余計な手間をかけなければいけなくなっている。
——自分達が限りなく異質な場所へ入り込むという自覚のただ一点だけは、リアがクロード達を認めてもよいと思ったことだ。
事前準備は落第以外の何物でもないが、最低限とは言えど、彼等に共存の意思があったからこそ、リアは真竜との敵対を選ばずに済んだ。
因みに、飢餓状態の真竜に現在進行形でリアが目をつけられているのは、神域育ち故に、ローディオの人間よりも体内に内包する魔力の濃度が高いせいだろう。
真竜の血を引くクロード、——ひいては、同族殺しを選択するほど、目の前の真竜が理性を飛ばしていないのは幸いなのか否か。
涎を撒き散らしながら迫る口腔に、リアは意識を切り替えた。
切り替えは一瞬。
己の体内に溜め込んでいたものの堤を断ち切り、勢いよく押し出す。
身体に力が満ちると同時に、自分の肌に禍々しい紋様が浮き出るのを、リアは感じ取った。
ざわりと、いつものように囁きが大きくなる。
戦闘に邪魔なそれを除け、リアは常よりも雑多になった世界と屠るべき敵がいる場所へと沈み込んだ。
縮地。
気功術に特有の技法を以て、リアは竜の喉元に辿り着く。
そのまま、手にした得物を一閃。
竜の大動脈を鱗ごと断ち切ろうとした刃は、けれど、若い竜には届かなかった。
『——止めるのですっ!!』
凛とした——が、布越しでくぐもっている声が響き、リアの前から真竜の姿が消失する。
それを理解するのと、リアの耳に打撃音と木材の破壊音が届いたのは、時間差が殆ど無かった。
見れば、真竜がいた場所に残念なウサギの着ぐるみがあり、そこからやや離れた場所で真竜が瓦礫に埋もれていた。
ウサギの着ぐるみの前脚部分には、きらきらとした星型の飾りがついた、可愛らしい装飾の短い杖。
——あれは確か、『魔法の☆スティック♪』と自慢されたやつではなかろうか……。
『リアちゃんが、わざわざこんなのの相手をする必要なんて、無いのですっ! アカンことをする悪い子は、こっちでぺんぺんするのですよっ!!』
そう叫びながら、ぶんぶんと『魔法の☆スティック♪』を振り回すウサギの着ぐるみ。
察するに、手に持っていた短杖で若輩者の竜を殴ったのだろうが、寧ろウサギの着ぐるみに介入される方が面倒臭そうだ。
「……白姫、そこをどけ」
半眼になったリアの言葉に、ウサギの着ぐるみは両脚で大きく×を作った。
『ダメなのですっ! おバカを〆るのは、こっちの役割なのです!! リアちゃんの言うことでも、聞けないのですよ!』
リアが米神を揉んだ時、視界の端に、引き気味のレーゲン将軍の姿を捉えた。
気持ちは分かる。
非常事態でなければ、リアだって、こんな阿呆な真竜と関わりたくも無い。
ウサギの着ぐるみが、ぽすぽすと足音を立てながら瓦礫に埋もれていた竜と向き合う。
哀れにも、まだ若い竜は、圧倒的上位者を目の前にして、金縛りにあったようであった。
『ふふふ。 ようやくこの時が来たのですよ。 異界の最強魔法は、今まで使う機会が無かったので、丁度良かったのです』
貧民街で可愛らしい短杖を持ち、高笑いを上げるウサギの着ぐるみ。
傍から見れば冗談のような光景だが、ナカの存在は至って真面目なのが救えない。
ウサギの着ぐるみの両目が、キラーン、と言う効果音付きで光った。
恐らく、クロード達の無駄過ぎるこだわりの一つであろう。
……いらない。
そんな仕掛けは心底いらない。
『——喰らうのですっ!!』
着ぐるみの足元から、猛烈な冷気が吹き上がった。
リアが制止の言葉を口にする間もなく、初夏の温かさを含んだ空気は、絶対凍土のそれと化す。
『えたーなるふぉーすぶりざーど・らいとぷち~!!!』
——一体何故これを竜鍋にしなかったのかと、リアは『暴食鬼』と呼ばれた先祖に毒づいた。
『えたーなるふぉーすぶりざーど』
異界の最強魔法。
但し、ウサギのナカのヒトが伝聞を元に再現したため、元の魔法との類似性の程は不明。
ナカのヒトがその気になれば、王都を丸ごと氷獄にできる。
なお、『えたーなるふぉーすぶりざーど・らいとぷち』は、大幅な劣化版である。




