まだ、いる
「……」
「おお、すげ~、忍者屋敷みたいだな~」
子供の様に声を上げるクロードを余所に、自室の壁にぽっかりと空いた穴を、ヴォルケは呆然と眺めていた。
壁の穴は、破壊されてできたのではない。
リアが壁の飾りや窪みを弄ったら、通路らしきものが出現したのだ。
「王城が建設された時に造られた、古い仕掛けの一つだ。 都合よくお前の部屋にあって、助かったよ」
「……いや、何で俺が知らなくて、お前が知っているんだよ……」
ヴォルケの突っ込みに、リアはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「アレクサンドリアを舐めるなよ。 敵対する可能性のある国の情報を、収集し続けるのも、蓄積し続けるのも当然だろうが」
昔、同僚の法螺でエライ目に遭ったため、ヴォルケにも情報の重要性が骨身に染みている。
だが、リア及びアレクサンドリアが実行していることは、ヴォルケの認識とは根底から異なる気がした。
将軍位を拝命した時に、ヴォルケが王城の一角に与えられた一室は、はっきり言ってぼろかった。
本来、将軍位に就いた者には、貴族街に邸宅が与えられたのだが、ヴォルケの場合は部屋一つ。
明らかな平民差別だが、豪邸をぽんと与えられても管理しきれないので、ヴォルケはその辺りを気にしないことにしている。
そして、幾度も行われた増改築から逃れたヴォルケの自室には、部屋の主さえ知らない秘密があったらしい。
——それを、他国の人間が知っていることに、ヴォルケは、国防とは何ぞや?と思ってしまった。
◆◆◆
光と影は、表裏一体だ。
光がより強くなる程に、生れる闇は更に色濃くなる。
ぬるりと、生暖かい風が、退廃的な路地裏を流れる。
だが、風が吹けども、そこに漂うすえた臭いを払うには至らない。
か細い月明かりが、風化した石壁を暗闇の中に浮かび上がらせる。
あちこちに影がわだかまる路地は、朽ちていくに任せるままだ。
割れたガラス窓。
壊れた軒先。
そんなものは、珍しくも無かった。
王都にしがみ付く様に広がる貧民街は、まさしくきらびやかな都の影であろう。
そこには、光の当たる場所から弾かれたモノ達が蠢いている。
――荒廃した街角と、ヘンな着ぐるみの組み合わせは、最早喜劇だと、ヴォルケは考えた。
ぽすぽすという気の抜ける足音は、ヴォルケの後からついて来る、着ぐるみの足元が発生源だ。
ヴォルケはあまり目立ちたくはないのに、これは無いと思う。
着ぐるみの足音について、クロードが何やら自慢をしていたが、そこまで拘る意味がヴォルケには分からない。
クロードは『異端の王国』出身らしいが、彼の地が奇人変人の巣窟だというのは事実であったようだ。
——ローディオの東に位置するその国は、国土全体が、魔素が異常に溜まりやすい竜穴のような状態になっている。
魔物の手強さは、生息地の魔素の濃度に比例する為、当然、その国自体が第一級の危険地帯である。
常に身の危険に曝される環境への、適合故か。
はたまた、この世に顕現した地獄とも呼ばれる流刑地に放逐された人々の、あらゆる主義思想が複雑に絡まり合った風土故か。
基本的にその国の人間は、他国から見て変わっていたり、謎であったりする思考回路を形成していた。
——真竜入りの着ぐるみ二体が、その国で制作されたという設定に、ヴォルケが思わず納得してしまった辺り、彼の国の奇人変人率の高さが窺えよう。
どんなにおかしかろうと、変わっていようと、その国が関わっている時点で、もう何でもありだと見なされるのである。
自律式の無駄に高性能な魔法具が、残念な外見のウサギと竜のぬいぐるみのカタチをしていても、『あの国なら、さもありなん』で、片付けられる。
「――澱が濃い」
ぽつりと、リアが呟いた。
女にしてはやや低めの声に、ひやりとしたものが潜んでいる。
闇の中に蹲る貧民街は、不気味なほど静かだ。
在る筈の生活音も、人々の気配も、何も無い。
ただ、ヴォルケ達の足音だけが、空虚な闇に響いていた。
誰にでも分かる、明らかな異常。
けれど、ヴォルケには、それが自分達の目的の存在のせいなのか、他の要因のせいなのか、判別できなかった。
ヴォルケ達がこの場に来たのは、残念生物達の申告によるものだ。
貧民街で、仲間達と合流する予定であったと言う。
理由は、貧民街が一番ごちゃごちゃしていて、良い目印になったから、とのこと。
——お前らみたいな残念生物が、他にもいるのかっ?!
それが、うっかり口から出てしまった、ヴォルケの本心であった。
彼には、残念生物の仲間達の残念ではない姿が想像できなかったのである。
……この世には、類は友を呼ぶという、格言もあるからにして。
ヴォルケは、何を目印にしているのだと突っ込む前に、残念生物がまだまだいるかもしれないという残酷な事実に、戦慄してしまった。
「ん~~~~?」
リアの後ろを歩いていたクロードが、首を捻りながら、唸る。
特徴的だった黒と緑の金銀妖眼は、けれど、今は偽装の為に両眼とも漆黒に染まっていた。
「妙だ」
クロードが感じているものを、彼が抱えている黒猫もまた感知したのだろうか?
黒猫の黒曜石の様な瞳が、訝し気に瞬きをする。
漆黒に彩られたクロードの双眸は、虚空を見ているようでも、何も見ていないようでもあった。
「……ポルカ達以外にも、いる、のか?」
不思議そうなクロードの独白を掻き消す様に、近い場所から絶叫が届いた。




