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空腹は満たされず

 彼は、若かった。

 産まれてからの年数は、三十年ほど。

 見た目こそ人族で言う二十代半ばだが、人族と真竜の合いの子を祖父に持つ、彼の精神年齢は更に幼い。

 真竜と言う種族は、血によって記憶を継承するものだが、そもそも、受け継いだ記憶との前提条件が異なるため、彼の知識は現実と齟齬(そご)があった。

 はっきり言って、強靭な真竜の肉体を元にした知識は、真竜より遥かに惰弱な人族の血を有する彼には、役に立たないものが多かったのである。

 寧ろ、その記憶のせいで致命的な勘違いを犯す時点で、役立たずどころか、害悪と言ってもいいかもしれない。

 だが、若さ故に、彼は自分の持つ知識がガラクタと劇物混じりである事に、気付いてはいなかった。


 ***


 王城の平兵士用の食堂には、耳に痛いほどの沈黙が充満していた。


「……いや、……すいません……」


 だらだらと冷や汗を流しながら、青年は目の前の娘に土下座をした。

 彼にしてみれば、最上級の謝罪の仕方なのだが、リアと名乗った娘は表情を動かさなかった。

 ただ、夜闇に通じる漆黒を秘めた瞳が、静かに青年を見つめている。

 怒りを顕わにされるよりも、こちらの方が余程心臓に悪かった。

 とん、と、リアの指が、安物のテーブルを叩く。

 食堂の椅子に足を組んで座る彼女からは、妙な威圧感が発散されていた。

「クロード」

「……はい」

 呼ばれたのが偽名であったせいで、彼の返答が遅れた。

 クロード、と言うのは、リアに与えられたその場しのぎの呼び名だ。

 本当は、自分の名前を名乗るつもりだったのだが、リアに拒絶されたのである。

 曰く、隠密行動中に本名を名乗るのは、馬鹿だろう、ということだ。

 その場には、真竜に疎いレーゲン将軍もいたから、彼女は曽祖父達の真名を聞くのを避けたのかもしれない。

 真竜は、これはと思った者のみに真名を明かす。

 真竜にとって、真名は明かしていない者に呼ばれると、反射的に殺しそうになるくらい重要なものであった。

 それを知るリアは、面倒事から逃れたかったのだろう。

 彼女は大丈夫でも、レーゲン将軍の方は、きっと大丈夫ではない。

 知るだけでは、理解したことにはならないことを、リアは骨の髄まで叩き込まれていたのだ。

 引き結ばれていたリアの口元が、ふっと、弛んだ。

「謝って済むなら、戦争なんて起きませんよ」

「そーですね」

 がっつり巨大な猫を被って、淑やかな笑みを浮かべるリアは、とてもとても迫力があった。

 床の上に正座をしたまま、彼は途方に暮れる。

 自分がやらかしたのは、確かなのだが、これからどうすればいいのか、全く分からない。

 と言うか、頭に栄養が回っていないのか、考えがまとまらないのだ。

 ぐうぐうと、間の抜けた音が自分の腹部から鳴り響くのを、彼はふらふらになりながら聞いていた。

「……ねーちゃん、俺、あとどんだけ食べたらお腹いっぱいになるのかな?」

 自分が量産した皿の山を見るともなしに見ながら、彼はリアに尋ねた。

 厨房からは、食材を切らしたという宣告さえ受けてしまっている。

 目立つなと、リアに釘を刺されたのだが、即行で頓挫してしまった。

 ——やってしまった、でも、腹減った。

 空腹が酷くて、彼にはまともな思考能力が残っていない。


 何故だか、この国についてから腹の減りが早かった。

 街中にいても、普段の数倍は食べなければ、やっていけなかった。

 それが、王城に着た途端、糸が切れた様に腹が減って腹が減って堪らなくなったのだ。

 血筋柄、呪術には高い耐性があるはずなのに、飢餓の呪いでも受けたようだった。


 情けない顔をする彼に、リアが向けたのは、問題児を見る教師のような目。

「身体を巡る気を、生命維持に必要な最低限の水準まで落とせば、すぐに解決するでしょうに」

 気は、要するに、生体エネルギーの事だ。

 魔法の発動に必要な魔力もまた、生体エネルギーを指すが、気とは種類が異なる。

 魔力が外に向かうものだとすれば、気は内に向かうものである。

 気を操る術を気功術と言うが、これは、肉体の強化が主な作用であり、極みともなれば、己の肉体を自在に操る生体自己制御に行きつく。

 達人ともなれば、自己治癒はおろか、代謝を極限まで落とすことにより、自らの老化を遅らせることさえ可能だと言う。

 ……だが、身体能力に任せた大雑把な戦い方をする彼には、壮絶な研磨の末に行きついた技能など、身についている筈も無い。

 因みに、ウェインさんちのお家芸は、この気功術である。

 曽祖父達が怪談っぽく語るところによると、『暴食鬼』はその応用により、武器に使用するような強度の生体素材を噛み砕いていたらしい。

 彼の血族が『悪鬼』と呼ばれるのは、それ相応の所以があるのだ。

「……え? それ、何処の奥義? 俺、そこまで極まってないんだけど……」

 娘からの結構な無茶ぶりに、呆然とする彼の腹からは、再び間の抜けた腹の虫が鳴った。


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