閑話 継がれていくもの
*時間軸は、ヒロイン達と不審者一行の遭遇時辺り。
*ヒロインの国説明回の為、長くなりました。
——鐘が鳴る。
或る王の死を悼む、鐘の音が。
聖堂の鐘。寺社の鐘。そして、ひときわ目立つ王城の鐘楼。
信仰の自由の名の元に、王都に林立する会堂に在る鐘が、一斉に打ち鳴らされていた。
高く、低く、鐘の音は、どこまでも響く。
彼が『外』で初めて聞いたのは、いつ終わるとも知れぬ追悼の輪唱であった。
——忘れてはならない、と、父が囁いた。
国に住まう、ありとあらゆる種族が集まった日。
多種多様な外見を有する者達の中心、今は亡き賢王が眠る棺の傍らに、彼等は佇んでいた。
濃い目の茶色をした髪の、何処かくたびれた男と、赤銅色の髪に黒衣を纏った、陰鬱な青年。
彼等が、次の王とその忠臣なのだと、父が言った。
——忘れてはならない、と、父は繰り返す。
この光景は、自分達が招いたものでもある、と。
——彼等に全てを背負わせて、自分達はここに在るのだ、と。
……故国の業の深さを、彼が一欠片も理解していなかった日の話である。
***
綺麗に整えられた庭園では、控えめにその存在を主張する花々が、そよ風に揺れていた。
奇跡の様なドミノ倒しの末に、妻に向かって倒れてきた銅像を、彼は慌てて押し返す。
——妻がなにもない場所で躓き、手にしていた書類を撒き散らしたのが、一体どうしてこうなった。
「……あらら?」
彼の腕の中で、妻が気の抜けた呟きを漏らしていたが、もう少し危機感を持って貰いたいものである。
今現在、王と言う立場の代替はいないし、何より妻は身重の身体だ。
妻だけではなく、子供に何かあったら、彼は悔やんでも悔やみきれない。
いつもど突いて妻の尻を叩いていた娘が不在の為、妻のほわほわ具合が酷いのである。
アレクサンドリア王家には、何かと極端な人間が生まれるが、妻もまたその類であった。
妻は、『盤面の女王』と恐れられる程の頭の回り具合とは裏腹に、運動神経はからっきしなのである。
近接戦闘に関してはもう絶望的で、うっかり武器を持たせようなら、逆に自分はおろか、味方に怪我をさせかねない。
苛烈な性情の忠臣が何かと補っていたものの、独りになると、途端に危なっかしさが前面に押し出されるのが、彼の妻と言う女なのだ。
首を傾げている妻を、彼はさっさと庭園の椅子に座らせることにした。
妻を放置して置くと、何が起こるか分からないから怖い。
……日向ぼっこをするはずだったのに、何故妙な妨害を受けなければならないのだろうか?
少々黄昏る彼を余所に、妻は気持ちよさげに日光浴を行っていた。
「いい天気ね、紅雷」
そう言って、ほわほわと微笑む妻は、本当は、薄暗い策略を練るよりも、陽だまりの中で微睡む方が似合う女なのだ。
「そうだな、リズ」
緩やかに波打つ、濃い目の茶色の長い髪を梳いてやれば、妻はほにゃりと口元を崩す。
本当に、争いごとなんて、似合わない女なのに。
「リアは、手こずっているみたい。 あちらに、戦いたがりが多くて、困ってしまうわ」
そう言って、空を見上げる妻は、細く長い溜息を吐いた。
代々大凶星たる《殺戮の覇王》を宿星としているせいなのか、如何に望まざるとも、アレクサンドリア王家の直系は波乱の中心となる。
何か突出した能力を持つ者ほど、歩む道は血と骸に彩られるのだ。
ふと、妻の瞳が茫洋としたものになったことに気付き、彼はぞっとして、妻の名を呼んだ。
「リズ」
「卵が奪われて、真竜が動いたわ。 卵を呪式の要にするなんて、酷いわね。 囚われている母親も、可哀想に。 いくら檻を壊したくても、我が子を害うことなんて、出来やしないわ」
彼に構わず、語り続ける妻の意識は、此処ではない何処かを漂っている。
「ああ、でも、動いた真竜に竜公が含まれるのは、あの子にとって僥倖なのかもしれない。 ——奇縁ね。 睡蓮刀自の縁が、今、あの子に繋がるなんて。 あの子は、上手く使えるかしら」
「リズっ」
今現時点で、自分達の元に届いていない情報を、妻は見てきたように語り続ける。
その様は、託宣を告げる巫女の様にも、戯言を語る狂女のようにも見えた。
「星狂いにも、困ったこと。 捻じ曲げられた星は、もう元に戻せるものでは無いのに。 あの子の時間を、邪魔しないでほしいわ。 ただでさえあの子は——」
「——リズっっっっ!!!!!」
「———えっ———」
彼の怒鳴り声に、妻は漸く、夢から覚めた様に目を瞬かせる。
「……わたし、……私は……」
震える両手を見ながら、妻は呆然と唇を動かす。
「……ねえ、紅雷、……私は、……まだ、私のままかしら……」
髪と同じ、濃い目の茶色の双眸が、頼りなく揺れる。
「大丈夫だ」
次の瞬間にでも、崩れ落ちてしまいそうな危うさを醸し出す妻を、彼は掻き抱いた。
「まだ、お前は、お前のままだよ、リズ」
儚い祈りに過ぎなくとも、そう言わずにはいられなかった。
アレクサンドリアは、世にも珍しい多種族国家だ。
己と異なることが、容易く迫害の理由になるこの世界において、二つや三つならまだしも、何十もの種族が共存する国家は異質ともいえる。
因みに、多種族国家と呼ばれる王国は隣の大陸にもあるものの、そちらは混血が大半で、希少な純血統が多く暮らすアレクサンドリアとは事情が異なる。
それでは、どうしてアレクサンドリアでは、異種族間での共存が成り立つのか?
その理由は、アレクサンドリアが擁する疵物の神域と、王家にあると言って良い。
神域は、その土地に縛られた絶対者たる地神が治める場所だ。
だが、絶対者と呼ばれていても、地神が滅びない訳ではないのだ。
――アレクサンドリアのウェールズの大森林は、一度、地神が喪われた疵物の神域である。
それ故、神域に刻まれた傷跡は、今でもその存在を生々しく主張している。
星無時。
年に一度、そう呼ばれる日が訪れるのだ。
神域に凝った澱により、神域の魔物が狂い、また、空間が歪み繋がることで、何処かの魔物達が神域の外に溢れだすのである。
アレクサンドリアの王都は、丁度溢れ出した魔物達を阻む場所に作られた為に、年に一度、王都の民は嫌でも凶暴化した魔物と対峙する羽目になる。
はっきり言って、星無時に異種族だなんだで不和を起こしていては、魔物による犠牲者を量産することになってしまう。
けれど、多大な危険に対する利益もまた大きく、星無時に得られる豊富な資源が、アレクサンドリアを潤すのである。
また、アレクサンドリアの地神は、疵物であるために、神域の管理に人手を必要としていた。
その為、力が強く、尚且つ生体素材を有する為に、他種族に狙われやすい魔族などが、労力を提供する代わりに、地神の庇護を受けているのである。
次に、アレクサンドリアに王家が存在する理由は、至極単純なものだ。
例外はあるものの、代々、突出した能力を有する人間が生まれるのだ。
それは、戦闘能力であったり、為政者としての能力であったりする。
だがそれは、王家が継承してきた一つの業のおまけでしかないのかもしれない。
——嘗て、アレクサンドリアの建国王は、神の力が宿る神剣を以て、自らの敵を滅ぼした。
その建国王の血なのだろう。
アレクサンドリア王家の直系は、呪いの如く、神の力が宿る器物に魅入られる。
——神器、と呼ばれる存在がある。
例えば、万軍を跡形も無く焼き払う炎剣。
例えば、あらゆる攻撃を撥ね退ける聖鎧。
そんな御伽噺めいた力を有するもので、誰が作成したかも不明。
ただ、概念の様に、『そういうものである』ものは、唐突に然るべき者の元へ現れる。
彼の妻の場合は、神書。
過去現在未来の、ありとあらゆる知識が詰まっているというそれは、便利なだけの代物ではない。
何かを得るには、代価が必要であり、神器は使用者を取り込もうとするのだ。
当然、神器に取り込まれれば、使用者は人格が喪われ、ただひたすら神器の力を振るうだけの存在となり果てる。
そうなれば、周囲の被害は甚大だ。
無造作に振るわれる神器の力は、最早災害でしかないのだから。
そして、王家の第一の忠臣とも呼ばれる、王鞘は、神器に取り込まれた人間を止めるための人材だ。
万が一神器に取り込まれたなら、それが例え主君であっても、首を刈ることを厭わない為に、王鞘は主君殺しとも呼ばれるのだ。
神の力の一端を潰すことを求められた故に、ヒトの枠から外れた王鞘は、ほぼ例外なく人間としての何かが欠落している。
現に、妻の王鞘たる娘も、実の父親を殺しておいて、髪の毛一本たりとも後悔した様子もない。
その時が来たら狂わない為に、彼等は、最初から狂うことを選んでしまったのだろうか。
因みに、対象が著しく限定される上に発露の仕方があれなせいで、殆ど理解されていないが、王鞘に連なる者の性は、献身だ。
——大切なものの為なら、彼等は何を捨てようと構わない。
妻の王鞘だって、神器に取り込まれた妻を救うために、父親諸共己の右腕を差し出すことに、些かも躊躇うことなどなかったのだ。
一度、神器に取り込まれかけた後遺症は、今も妻を蝕んでいる。
妻の精神は、正気とその向こう側の境界上に、囚われたままなのだ。
「……大丈夫よ、アーサー。 母様は、頑張るわ」
胎の子に言い聞かせるように、妻はそっと囁いた。
初代王と同じ名は、歴代の節目の王に与えられてきたものだった。
例えば、暗黒期直前に謀殺された王、残虐王の次のアレクサンドリア中興の祖、聖戦の大侵攻を迎え撃った賢王——。
そして、腹の子は次の真なる《殺戮の覇王》の父親であると、妻は神器に言わされた。
むかしむかし、周囲に死を撒き散らして滅ぶはずだった《殺戮の覇王》は、彷徨っていた《虚ろの騎士》と出会い、その宿命を反転させた。
無い筈のものが在ることが罪だと言うのなら、アレクサンドリアはまさしく『悪の王国』であろう。
建国王も初代の王鞘も、本当は、国を作る前に、互いに会わずに死ぬはずだったし、アレクサンドリアがここまで続くと、どの星も告げていなかったのだから。
星を歪めた代償を背負うのは、何時だって、王と王鞘なのだ。
皆が、仲良く暮らす国。
建国王が求めたのは、そんな優しい幻想だ。
硝子細工の様な幻想に寄り掛かった歪な箱庭の維持には、常に贄を必要とすることに、気付いている者はどれ程いるのだろうか。
多種族の統合の象徴たる王と、王を支える王鞘がいなければ、箱庭は呆気なく瓦解する。
——鞘が無ければ、剣は触れるものを傷つけながら朽ちていくだけで、剣が無ければ、鞘はその存在の意味を成さない。
内外の敵を屠る剣が無ければ、貴重な宝物で飾り立てられた箱庭は、すぐにでも食い荒らされてしまう。
「……紅雷、……ねえ、紅雷……」
「リズ」
頼りなげに自分の名を呼ぶ妻の額に、彼は己の額に在る角を寄せた。
紅い宝石の様な角は、彼の一族特有の魔法の為の補助器官である。
生体素材にもなる角は、彼の一族にとっての第二の心臓に等しく、伴侶以外に触れさせることはない。
妻のほっそりとした指先が、彼の鋭い爪が付いた指を、弱弱しく掴む。
「……私は、貴方がいてくれれば、どんな地獄でも歩き抜けるから……」
妻と彼とは、何もかもが違う。
外見も、立場も、——生きる時間までもが。
「——どうか、名前を呼んで、……その時までは、手を離さないで——」
「当たり前だろう」
それでも、温もりを共有することに意味はあるのだと、彼は信じたかった。
「——泣いて頼まれても、離してやれない」
——忘れてはならない。
そう囁く父の残滓に、彼は頷いた。
如何に巨大な力を振るうことが出来ようと、王も王鞘も、神にはなれない。
……そんな当たり前のことを忘れた時が、彼が妻を喪うときであった。
*ヒロインの主君のイメージソングは、天野月様の『ゼロの調律』でした。




