第3話 猿の取締
ノヴァに仕えて数日が過ぎた朝、王宮から使いが来た。
ヒデヨシが戸を開けると、使いは兄弟そろって来るようにと告げた。
背に剣を背負ったヒデヨシの後ろで、ヒデナガも太刀の帯を肩へ掛ける。
帯の端がねじれていたので兄が手を伸ばすと、弟は先に自分で直し、
代わりに兄の背へ手を回した。
「兄上の方が緩いぞ」
二人が外へ出るまで、トモは戸口で見ていた。通りの向こうを荷車が通り過ぎると、
アサヒが姉のそばへ寄った。あの日から、車輪の音がするたびに妹の目が戸口へ向く。
「日が暮れるまでには帰る。戸を開けるのは俺たちの声を聞いてからでいい」
アサヒはうなずき、今度は自分で戸を閉めた。
王宮では、ミデオンを先頭に貴族たちが並んでいた。
ノヴァが壇上からヒデヨシを見つけ、笑う。
「どうだ、猿。少しは仕事を覚えたか」
「何の仕事をするのか、今日こそ教えていただけるのでしょうね」
「港湾区長だ。お前に任せる」
誰も口を挟まなかった。ヒデヨシが左右を見回すと、目が合う前に顔を伏せる者がいた。
「港湾区では仕事が減り、日々の暮らしに困る者が増えている。
人さらいに暴行、荷の抜き取りも後を絶たん。そこの治安を取り戻せ」
列の端で、年配の貴族が袖を揺らした。
「港へ来る商人には、長くこの国と取引してきた者もおります。
乱暴に扱えば、船ごとよそへ移りますぞ」
「だったら、荷を盗まれて出ていく商人の話も聞いてください。
姉と妹をさらいに来た男を捕まえたとき、詰所の衛兵は、
俺たちの話を聞く前に縄を切ろうとしました」
ヒデヨシはノヴァの方へ向き直った。
「お引き受けさせて頂きます。ですが、仕事の仕方には口出し無用でお願いいたします。
証拠があれば、たとえどの様な取り引き相手でも徹底して調査し、
不正が行われていたのであれば捕縛いたします」
ノヴァが肘掛けを叩いて笑った。
「言うではないか、猿。よかろう。好きにやれ。仕事は結果で示せ」
ミデオンが貴族たちの前へ一歩出た。
「港湾区の取締りに必要な調査と拘束は、区長の権限で行うものとします。
王命としてお聞きください」
ヒデヨシは頭を下げた。隣のヒデナガもそれに続く。
王宮を出て階段を下りきったところで、弟が訊いた。
「兄上、まずどこから手をつける」
「詰所だ。あの日の衛兵が見回りを外した時刻と、船が出た時刻を照らし合わせる。
お前は、話を聞かせてくれる住民を探してくれ」
「分かった。ただ、詰所まで呼びつけるのはやめよう。あそこを信用できない人もいる」
ヒデヨシは頷いた。自分たちもつい先日、その戸口で締め出されかけたのだ。
その日のうちに、ミデオンから取調べの記録が届いた。
捕まえた商人の供述には、金を受け取った衛兵と、巡回を外させた日が記されていた。
詰所に残った衛兵の中から、以前から巡回表の書き換えを訴えていた者が名乗り出た。
商人の供述と突き合わせると、同じ時間帯に、同じ岸壁から何度も荷車が入っていた。
ヒデナガが訪ねた家では、娘が帰らなくなった日を、父親が戸板の裏に書き留めていた。
役所へ届けたことはあるが、返事はなかったという。
「もう一度、名前を教えてもらえますか。俺が聞いたことを兄上に伝えます。
見つかったら、この家へ知らせに来ます」
父親は戸板に目を落としたまま、娘の名を口にした。
弟が書き留めた名をその場で読み返すと、父親はようやく顔を上げ、
娘が出かけたときの服の色まで教えた。
詰所へ戻ったヒデナガは、机の上に証言を並べた。
兄弟は住民の話と船の記録を一つずつ照らし合わせた。
最初に追った商人の仲間は、港へ下る荷車を使っていた。
別の一味は市場の裏で人を連れ去り、日が落ちてから古い倉へ移していた。
さらに荷揚げ場で商人を脅す一味が、金を払わせて船に人を紛れ込ませていた。
金を渡す先も、人を集める者も違う。港で動いているのは三つの組織だった。
〖半兵衛… 港へ下りる道と、倉の裏口に人を置けます。
正面へ向かう者には、捕らわれている人を先に見つけてもらいましょう〗
『うむ。取り逃がすことを恐れて、倉の中の者を危険にさらしてはならぬ』
夜明け前、最初の倉へ向かった。衛兵が表の戸を押すと、奥の男が棚を倒して逃げた。
ヒデヨシは倒れてくる棚を肩で受け、隣の衛兵に下をくぐらせる。
奥から助けを求める声がした。棚を壁へ押し返したときには、
戸の外にいたヒデナガが逃げた男の腕を取っていた。
倉の仕切りの奥にいた人々は、戸が開いても誰も動かなかった。
ヒデナガは太刀を背負ったまま戸口から退き、来る途中で聞いた娘の名を呼んだ。
「お父さんが待ってる。上着は青だったと聞いた。覚えているか」
後ろの方で、小さく返事があった。表へ出るとき、娘はまだ服の袖を握りしめていた。
ヒデナガは連れて帰る衛兵を一人選び、父親の家まで送り届けてくれと頼んだ。
次の一味は市場で捕らえた。荷を置くと見せて荷車を止め、
脇道へ人を引き込むところを、見張っていた衛兵が押さえた。
誰にいくら渡したかを記した帳面も見つかった。
暴行を受けた荷運びの証言と、帳面にある日付が重なった。
最後の元締めは荷揚げ場へ出て、係留していた小舟に飛び移ろうとした。
岸壁に先回りしたヒデナガが太刀を抜き、男の刃を受け流す。
太刀を返すと、男の手から武器が落ちた。
ヒデヨシは剣を抜き、駆け寄ってきた手下の一撃をかわして、足元へ切っ先を置いた。
手下は足を止め、剣を石畳に置いた。
「俺を捕らえれば、後ろ盾が黙ってはいない!俺が誰だか知っているのか?」
元締めは、駆けつけた衛兵たちの顔を一人ずつ見た。
衛兵の一人が、縄を持つ手を止める。
「知る気もない。だが、お前が攫った人を待っている家族の名前なら知っている」
ヒデヨシは、縄を持つ衛兵に目を向けた。
「こいつを捕らえろ。家族のところへ帰す人は、まだ他にもいる」
衛兵が今度は迷わず前へ出た。元締めの腕を取り、後ろで縛った。
誰がその背後にいるのか、問いただしても男が知っていたのは、
名前も顔も知らぬ相手からの指示が仲介を通して届くということだけだった。
元締めと手下を押さえたあと、兄弟は証言、帳面、押収した金を別々に記録した。
金は封をして保管し、金額と押収先を王宮へ報告した。
被害を届けに来た者の話は、詰所の外にも机を出して聞いた。
列に並んだ人々の中には、助けられた者の家族もいた。
「見回りを手伝わせてくれ。夜の荷揚げ場なら、俺は明かりが消えていても歩ける」
そう申し出た荷運びの男をきっかけに、腐敗を嫌っていた衛兵や、
働き口を探していた住民が次々に加わった。人数は三百人近くになった。
ヒデナガは名簿を作り、住民の話を落ち着いて聞ける者を分けて書き込んだ。
「兄上。効率よく人員を割り振って巡回警備に当てようと思う」
「なら百人ずつを目安に三組だ。巡回と詰所の番を組ごとに割り振って、
朝も夜も誰かが動けるようにしよう」
ヒデヨシは名簿を弟の前へ押し戻した。
「港湾区に警備隊を置く。隊長はお前だ、ヒデナガ。人の配置と巡回は任せる。
俺は区長として、隊が続くように金と方針を固める」
ヒデナガは名簿を手に取り、すぐには返事をしなかった。
見回りを志願した人々が、戸口の向こうで順番を待っている。
弟はその顔を一人ずつ見てから、兄へ向き直った。
「ああ。交代する相手の顔と名前まで覚えさせる。
夜の組が見たことは、朝の組に必ず伝えるようにする」
初めの巡回では、古い衛兵詰所をそのまま使った。だが、夜の組に渡す灯りも、
雨の日に貸す上着も足りなかった。ヒデヨシは予算を記した帳面を開いた。
押収した金を給金に回せば早いと言う者もいたが、返還すべき分もあり、
区長が勝手に使える金ではなかった。
〖半兵衛… 商人が安心して荷を運べれば、船は戻ってきます。
今と同じ税率でも、取引が増えれば納められる税は増えましょう〗
【官兵衛… ただし、税が入る前にも給金は必要です。
これから入る見込みの金と、今使える金は分けてお考えください】
〚金兵衛… 詰所の棚に、金具が外れただけの灯りが残っています。
儂なら、使える物を直すところから始めます。全部を買い直す必要はありません〛
『まずは今ある警備の予算と装備で港を守る。
人も装備も、税が実際に増えてから整えるぞ』
ヒデヨシは残っている警備予算の範囲で、給金と修繕に使う額を決めた。
ヒデナガは巡回の組に、持って出た灯りと戻した灯りを記録させた。
直せる装備から直し、予備は詰所に残した。
壊れていた戸の掛け金を直した日、初めて夜中に住民が相談に来た。
酔った男が店先で荷を蹴っていると聞き、夜の組が二人を出した。
巡回を始めてしばらくした朝、あの娘の父親が詰所へ来た。
ヒデナガは、また何かあったかと戸口まで出た。
「今日は頼み事じゃありません。娘が市場まで行くと言いましてね。
途中で会ったら、声を掛けてやってください」
父親はそれだけ伝えると、仕事へ向かった。ヒデナガは巡回へ出る者に、
市場へ行く道で困っている人がいたら、まず立ち止まって話を聞くよう伝えた。
兄に報告するとき、父親がどんな顔をしていたかまで話した。
ヒデヨシは、証言を並べた机を見てうなずいた。
あの父親は、今度は戸板に日付を書いておかずに済んだ。
巡回が続き警備が強化されるにつれ、荷を抜かれる恐怖で遠ざかっていた商人が、
一人、また一人と戻った。船を寄せる前に賄賂や金品を要求される事が無くなり、
沖で待たずに荷を下ろせる。荷揚げの仕事が増え、朝の港には、
担ぎ棒を持った者が並ぶようになった。
日々の暮らしに困る家はまだあったが、仕事を探す人に案内できる場所が増えた。
王宮へ成果を報告する日、ヒデヨシは押収の記録と、
船が戻り始めてからの取引の記録を別々に持っていった。
あの日に異を唱えた貴族が、同じ場所に立っていた。
ノヴァは二冊を受け取り、先に船の数を数えた。
「船ごとよそへ移ると聞いておったが、増えておるぞ」
年配の貴族は帳面を受け取り、行を指でたどった。
「……私の取引先も戻って来ております」
「今の税率のままで、取引が増えています。警備に金を使えば、
港がそれ以上を国へ返します。入った税を給金と装備に回せば、警備を続けられます」
ノヴァは帳面をミデオンへ渡した。
「三つの奴隷売買の違法組織を壊滅させ、そのあと三交代制で巡回と警備を行ったのか
見事だ、よくやった猿。港は引き続きお前に任せる」
ミデオンが進み出て、ヒデヨシへ膝をつくよう促した。
「ヒデヨシ。港湾区の治安を取り戻した功により、騎士爵に叙する」
ノヴァの声が広間に通った。王の下に侯爵、伯爵、男爵、騎士爵が並ぶ。
この国で貴族に連なる最初の爵位だった。
広間を出る間際、年配の貴族が、入ってきたときより深く頭を下げた。
日が傾く前に兄弟は港へ戻った。
荷運びたちが声を掛け合い、子どもが店先を駆け抜ける。
店の主人が、走るなら荷車の来ない方を走れと笑いながら呼び止めた。
ヒデヨシが通りの向こうを見ると、トモとアサヒが買い物の帰りに立ち話をしていた。
荷車が来ても、アサヒは姉の背に隠れず、道の端へ寄って車を通した。
「兄上、貴族になったのだな」
「ああ、明日からも頼むぞ、ヒデナガ」
「当然だ兄上、任せてくれ」
向こうでアサヒが兄弟を見つけ、トモと並んで手を振った。
「いい顔をするようになったな」
「誰が?」
「この街の人たちだ」
ヒデヨシは笑って手を振り返し、ヒデナガと並んで家族の方へ歩いた。




