8-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (後)
凛斗の言葉にどこからか言葉が飛んでくる。「踊らされてるってことだよね。自分の人生の、大切な……大切な時間しか用意されてない人生のほとんどを」。
「ほんとうの〈人生〉みたいなものを見失ってるのかな。もしくは、人生っていう価値すら誰かが決めた『目指すべき』とか『憧れる』みたいな統制された情報の中に置いちゃってる。習俗的な倫理思想でいうなら正しいのかもしれないけど、それは自然なものかどうかはわからない」
「その一部に『徳』があって、この街の住人はよりたくさんの徳を積みたい。多くは自己演出のために。で、その徳ってなんだろね」
「ブレインレイン的に言えば、『積むと人生が良くなるもの』。だから手に入れられる徳はいくらでも『買う』もの」
「で、この徳をたくさん買った……積んだ人たちが集まってる状態が、徳のかたまりになる?」
凛斗がきのこの椅子の人々に投げかける。いたずらっぽい笑みを口の端に湛えて。
「どうだろうね。少なくとも、『欲のかたまり』になることは予想できる」
投げかけられた〝気分〟をそのまま捏ねたように言葉を生成して深ちるが答えると、きのこの椅子の人々は沸いた。「達磨大師に『無功徳』ってばっさり切り捨てられるやつだ」。
「『欲のかたまり』が増大した街がどんな様相になるかは、まあ想像できるよね。その中で暮らす人間たち、という意味だけど」
「ここでいう『欲』は地位財を指すと思ってるけど……金銭欲、名誉欲、物欲。これって一過性の幸福じゃん。カネも名誉もモノも、手に入れた瞬間の高揚は持続しないよね。かつてあんなに希求していた〈すばらしいもの〉のはずなのに、どんな手段で手に入れても、結局すぐに色褪せて見える。もしくは手に入れたはずのものが〈見えなくなる〉。もっと別のものが欲しくなる。どんなにたくさん手に入れても人間じたいが満たされるわけじゃない。まるで幻みたいなものなのに、誰もがそんなことを深く考えたりせずに、ただ眼前の、欲を満たすものを欲しがる。そういう気分で街が満たされるのかな?」
「ということは、いま言ったような地位財を人生の目的にしている人たちは比較的、周囲からの目とか評価を気にするのかもしれない。地位財は自分そのものを満たすわけじゃないから。周囲と自分を比較する中に〈自分〉がある、言い替えれば他者との比較なしに〈自分〉がない」
「その『比較』なしに自分自身を見出せないということは、常に他者との比較……他者よりも優位である、みたいな充実、満足が生きている実感で、地位財を求めはじめるとそれがエスカレートする。ずっと満たされない状態が続いて、満足を、てか自分てものを実感するために欲を過剰に求めるようになる。この街で言えば、徳の多さを競うということだよね」
話をぼんやり聞いている灯都の脳に数え切れない情報のつぶつぶが繋がって、あらゆる記憶となって巡り続ける。ウィルと一緒にうさみちゃんロボットを回収に行った先で会ったうさみちゃんシティの住人たち。
彼らの生活の中には、最先端の設備や家電がある。それはモニターも兼ねてうさみちゃんシティのほとんどの住居に設置されている。すべての設備や家電を通して使用状況などがブレインレインへ送られている。とはいえ、どの家にあるものも結局似たようなものばかりだ。
けれど住人たちは、自分たちの人生はうさみちゃんシティの外側で生活している人々より満足度が高く、生活の質が高いと誰もが言う。それは彼らが使っている高価な設備や家具や家電が新しくて珍しいからだ。そういった暮らしをしていない人間は彼らの中で〝より下のランク〟と位置づけられる。たとえそれが必要ないからだと言っても、彼らの脳で勝手な解釈に変わる。『虚勢』。それは車や、うさみちゃんシティの地下に伸びるトンネルが使えることなど、消費主義的なことすべてにおいてそうだ。
皆、誰からも見下されないためにカネで〝上のランク〟を目指す。ただしそこにあるのは単なる〈ある、決められた世界の中での価値〉だ。人間そのもの、人格そのもの、その人そのものに対して与えられるものでは全くないのに、人間たちは、新しくて、より高価で、より珍しくて、よりおしゃれなものを身近に置くことで安心する――そう教育されて育ったからにすぎない。
そういう生活に身を置く人生が人間の最上の幸福である、ある種のフォーカシング・イリュージョン。だからこの街の住人たちは、誰もが信じきっている。地位財を得ることが幸福であること、誰からも羨まれるだろうこと。そして、自分を演出する。相対的に地位財をより所有する自分。結果、この街は欲のかたまりになっている。
いまも新しく建設され続けているうさみちゃんシティの集合住宅群は、いわば、空虚で高価な収容所のようだ。
「そういえば、徳は数値化されてるんでしょ。このあいだ……」
きのこの椅子に座っていた一人がそう言って、どこかからかいのような雰囲気をもって隣に座る人に目を向ける。隣に座っている人は人間が盛大に開き直るときのおどけた雰囲気を醸して言葉を継ぐ。「ああ、キャップちゃんね」。そう言って制服のポケットを探り、キャップちゃんのようなものを取り出した。
「あ、それこのあいだ見た。街で。なんか人間の徳を計るデバイスだって……」
思い出した灯都が思わず声をあげると、キャップちゃんを持った人は一瞬だけ後ろめたそうに顔を歪ませて目を泳がせ、そして再びおどけたような雰囲気を取り戻して答える。
「そう、徳を計るとか徳が溜まったらどうのとか、なんかカーゴカルト的な話になってるらしいけど。もともとは徳を計るんでもなんでもなくて、パートナーの手のひらにのせて愛情を計る、っていういわばジョークグッズ的につくっただけなんだけど。でもこんなの信じて買う人たちもいるわけでさ。個人で販売してたんだけど気づいたらブレインレインがキャップちゃんっていう商品を発売してて。形も色もめちゃくちゃ似てるでしょ」
手のひらに載っているのはうさみちゃんロボットの顔だけ取り出したような樹脂製のなにかだった。
このあいだキャップちゃんお試し会とかいうイベントへの参加を促す声掛けのときに見たものとは色が少し違う。耳かツノがいっこだけ垂直に生えてて、マットな質感の、色とりどりのマーブル模様になっている。
色のせいか単純にグロい見た目で、ブレインレイン社製のキャップちゃんのほうがより洗練されているのは確かだ、と灯都は思う。
「へー……え、これでどんだけ徳を積んだか計れんの?」
興味津々の表情で差し出した凛斗の手のひらの上にキャップちゃんのようなものが乗せられる。部屋にいるうさみちゃんロボットのうち、何体かはキャップちゃんと自身のかたちの類似性に気づき、ぽこぽこの挨拶によって交信しようと試みている。
てのひらにのったキャップちゃんのようなもの――そもそもキャップちゃんのほうがマーブル模様の〝なにか〟を真似して作られたものなのだから、キャップちゃんのほうが〝なにか、のようなもの〟であるのだが――は、凛斗の手のひらの上に接地すると左右に揺れて踊り出す。そしてすぐに止まる。
「あそっか。個人の情報を連携させないと計れないんだね」
そう言って凛斗は〝なにか〟を持ち主に返した。「ちょっと興味あったのに。徳がどんだけ溜まってるか」。持ち主の手のひらに帰った〝なにか〟は、使用する者が登録者であることを察知して内側がぼんやり赤く灯る。数秒、赤い光が内側で点灯し、萎んでいくように消えると低いピッチの音声が言う。「六十七ポイント」。罰ゲームを宣告されるときのトーン。
「これ高いの? 低いの? ポイント。あと声こわっ」
ポイントのからくりについては結局誰もが知らなかったので部屋の中で舞っている茶色いくまの人形の姿をしたうさみちゃんロボットに聞いてみた。彼はもっともらしい言葉で返答を何度も迂回させるだけで、的を射た正答は得られなかった。
「うさみちゃんシティが、誰もが羨む最先端の、世界のどの年にも比類しない街として健全に成長していくためには、計算され尽くした政治的な統治じゃないよね。市民レベルで健全でなきゃいけない。現在のうさみちゃんシティは僕にはそんなふうには見えないな。うさみちゃんシティの住人は、他責で、少ない努力で最大の効果や効率を得ようとして、傷つくのがいやだから傷付かないように何事にもずっと目を瞑って見ないようにしてる、そういう行動は周囲からしっかり見えてることも気づかずにね。こういう市民が揃ったら、健全な成長なんてしないよね。この先にあるのは大きな終わり。ジ・エンド」
凛斗の声は次第に小さくなっていった。それは自信がないとか、発言を躊躇っているからではなく、発言している内容に凛斗自身がやりこめられているように灯都には感じられた。気概とか関心の急激な低下。
凛斗のからだの内側から、そういう気分が言葉の長さとともに増えていくのがわかる。この先に待ち受けるのは一点のヴォーテクスなゴールだ、と灯都は思う。『もうすべてが面倒臭くなってしまった』。『おわり』。
「それが影響してんのかどうかわからないけどさ、不思議なのが、そこにあるものは変わってないのに、印象がまったく変わっちゃうってことなんだよ。ケーキの建物は和玖さんたちがつくって、ずっとあるじゃん? ブレインレインが来る前とか、うさみちゃんシティになる前から。そこに住んでた人たちはわかるよね」
きのこの椅子に座る者たちは頷いている。和玖にもにわかに視線が集まる。ここにいるほとんどの人が、かつてのうさみちゃん市の姿、なんもない土地にケーキのかたちの建物が建ったときのことを思い出している。
「あのとき、和玖さんがつくったケーキの建物とかいちごの建物とか、めちゃくちゃいいなあって思ったの。作ってる最中から見てたわけだからさ、和玖さんの拘りと、つくりたいものを真剣につくる、っていう姿勢っていうか。気概っていうか。信念みたいなものがさ、誰もがかっこいいと思って見てたし、誰もがそういう気分で自分のすべき作業に取り組んでたから、励ましにもなったし。みんな互いに良い影響しあって、より質の高い作業に取り組んでたと思う。でもさ、いまも同じ建物はこの街にあるじゃん。周りに違うものも建ったし、昔より住民の数も増えたし、賑やかになったはずなのに、なんていうかかつてのケーキの建物に対する印象がいまは無い。ただそこに建ってる、それだけになっちゃったというか。同じものなのに、あれからなんも変わってないはずなのに、あの建物に詰まってたもの……うまくいえないんだけど……それが全然無くなったみたいに見えるというか」
きのこの椅子に座る誰かの発言。それはきのこの椅子に座る誰もが思っていたことだった。かつてのうさみちゃん市にあった建物とまったく同じはずなのに、できあがったときには建物にも作った人々の――和玖たちの――熱量が〈美しさ〉として映えていたはずなのに、いまは違う。なんかおもしろいかたちの建物がそこに建っている。それだけ。
「うさみちゃんロボットにしてもそう。ウィルができあがったときはめちゃくちゃみんな興奮したし、かわいさとか賢いことに感動したりして、これもやっぱりうさみちゃんロボットの中に灯都たちの熱量を感じてすげー! ってなったわけだけど。いまは違うよね。うさみちゃんロボットがたくさんいるからなのかな。それとも、あのころのうさみちゃんロボットと違うのかな」
「そりゃどっちも違うよね。ケーキの建物はブレインレイン社になっちゃったし。うさみちゃんロボットだっていま街を歩いてるのはぜんぶブレインレイン社製だし。おんなじじゃないよ」
そう言




