第6章 新しい職場 ― ミーティングルーム ―環の過去 ―
新しい場所に立ったとしても、過去の記憶はそう簡単に消えるものではありません。
けれど、それを「話せる誰か」がいるだけで、人は少しずつ癒えていきます。
この章では、環が初めて“心の奥”を語ります。
そして、柊がそっと寄り添い、受け止めることで生まれるやさしい信頼。
過去を語ることが、未来へ進む第一歩になる――
そんな穏やかな時間を、どうぞ感じてください。
「環、これから仕事の説明をするから、ちょっとミーティングルームにいいかな?」
柊が声をかけてきた。
「わかりました……」
環はノートとペンを手に持ち、柊の後をついて行った。
ミーティングルームに入ると、柊が「ここ、どうぞ」と椅子を引いてくれた。
柊が隣に座ると、環は少し緊張して姿勢を正した。
「早速だけど、業務の説明しちゃうね〜。」
軽い調子で言いながらも、説明は丁寧でわかりやすい。
都度「ここまででわからないところある?」と優しく確認してくれる。
「……すごくわかりやすいです。」
「よかった。」
説明が終わると、柊は少し笑って言った。
「少し雑談してもいい?」
「え? あ、はい……」
「環、この前話してたことなんだけど。」
「はい……」
「クロノスの前にも、何かあったのか?」
環はペンを指先で転がしながら、ゆっくりうなずいた。
「はい……実は同じことがありました。情報漏洩の犯人にされました。
私、常習犯ですよね……はは……」
柊の眉がぴくりと動いた。
「は? 違うだろ?」
環は苦笑しながら、少し肩をすくめた。
「そうなんですけど……今回もだったんで、さすがに辛かったです。
でも、“やってません”って言っても、誰も本当のことを知ろうとしなくて。
なんか悲しいですよね?
アニメでは“真実はいつもひとつ”って言ってくれる頼もしい探偵さんがいるのに、現実はそうはいかないですね。
でも、如月さんと凪くんは信じてくれて、調べてくれて、真実を見つけてくれた。
この前カフェでその話を聞けて、本当にうれしかったんです。
こんな私でも信じてくれた人がいたんだなって。」
柊は黙って頷きながら、環の言葉をすべて受け止めた。
環は小さく笑って続けた。
「反省文って、なんなんですかね? 誰でもいいから“これ書いて”みたいな感じで。
謹慎中は何もできないし、“反省につながることをしてください”って言われても、
反省ってなんだろうって。頭おかしくなりそうでした。
だから派遣社員になって、三ヶ月ごとに職場が変わる方がいいかなって。
人付き合いも得意じゃないし……。
ちょっと投げやりになってました。
如月さんと凪くんが起業したって聞いて、なんか情けないなって思っちゃって。
忘れようとしても、一人になるとやっぱり思い出しちゃうし……。
あ、すみません、暗くなっちゃいましたね。」
「いいんだ、環。」
柊が静かに言った。
「つらいことは、話していい。
環が話したいことを話してくれていいんだ。全部聞くから。」
環は少し笑って、照れくさそうに言った。
「ありがとうございます。……如月さんって、魔法使いですか?」
「はぁ? 魔法使い?」
「なんか、隣にいるだけで何でも話せちゃうんで。
私、誰かにこんなこと話したの初めてだし……。
魔法で話させてるのかな〜って。」
柊は思わず吹き出した。
「ははは……そんな発想できるの、すごいな、環。」
「えー、そうですか?」
「うん、いいよ。そういうの、俺好きだよ。」
「ありがとうございます。」
少し間があって、柊が微笑む。
「それとさ……環、俺のこと“如月さん”って呼ぶだろ?」
「あ、はい。如月さんって……。あれ? 間違ってましたか? 漢字苦手で……」
「ははは……そういうことじゃなくて。違わないよ、“きさらぎ”で合ってる。
でも俺、“柊”って呼ばれる方が好きなんだ。だから環も“柊”って呼んで。」
「え? そんないきなり“柊”って呼べませんよ。
私は如月さんの大切な人ではないですし……。」
「大切な人?」
「はい。名前は特別だから、大切な人に呼んでもらってください。」
「へぇ〜。でもさ、環。」
「はい。」
「俺は環のこと“環”って呼んでるよ。それはいいの?」
「あ、ホントだ。そうですね。
……じゃあ、私の“大切な人”は如月さんなのかもしれないですね。」
柊は少しだけ目を細めて、笑った。
「環の言う“大切な人”って、どういう人なの?」
「大切な人は大切な人です!」
「じゃあ、その大切な人が“名前で呼んで”って頼んだら?」
「はい! もちろん呼びます! だって大切な人ですから。」
「環、さっき俺のこと“大切な人かも”って言ってたよな。」
「言いましたね。」
「じゃあ、もう一回聞くよ。」
柊が少し身を寄せて、優しく言う。
「環、俺のこと“柊”って呼んでほしい。」
環は顔を赤らめながら、ペンを持ち直した。
「でもいきなり“柊”って呼ぶのはちょっと抵抗あります。
凪くんって、なんて呼んでますか?」
「アイツは“柊先輩”って呼ぶな。」
「じゃあ、私も“柊先輩”って呼びます。
いつか“大切な人”の意味がわかったら、“柊”って呼びます。それでもいいですか?」
柊は微笑みながら頷いた。
「うん、いいよ。如月さんより全然いいからな。」
「はい。柊先輩は、私をここに連れてきてくれた大切な人です。
これからよろしくお願いします。」
柊は少し照れくさそうに笑って、
「こちらこそ。よろしくな、環。」
そしてその笑顔が、環の心にやさしく灯をともした。
それは――“信じてもらえる場所”で生きていく、新しいはじまりの光だった。
ご読了ありがとうございました。
誰かに話すことで、少しだけ心が軽くなることがあります。
柊の静かな言葉と、環の勇気が重なって、
このミーティングルームには“希望の灯”がともりました。
名前を呼ぶこと、呼ばれること。
それは信頼の証であり、心が通い合う最初のサインなのかもしれません。
次章では、3人が“アークシステムズ”で共に働き始め、
新しい日常と、それぞれの想いが少しずつ動き出します。
どうぞ、その光の続きをお楽しみください。




