8 王様とお散歩
「…お仕事、した方がいいと思うの」
蛇王の巨体にちょこんと座ったセレネが、流れ行く木々を眺めながら呟いた。
「我が振る舞いにケチをつけるとは、お前は何様のつもりだ。ちゃっかり私の背中に乗りおってからに、こ」
「…かなり乗り心地悪いわ」
「…………そ、そうか」
命の恩人の、しかも一国の王に向って何だその態度は、と今日こそ叱ってやろうと息巻いてみたが、早速出鼻を挫かれた。
端的に話すセレネに、まるで勝てる気がしないのは何故だ。
王様は、そう思ってから考える。
何故だ。
それは、セレネが真実のみを語るから。
それにしては、やけにセレネの言葉は心に突き刺さる。
何故だ。
…………………………。
……うーん、解らんな。
面倒臭くなった王様は、思考を投げ出した。
「…何処へ行くの」
どんどん森の奥へと分け入って行く蛇王に、セレネは不信感も露に問うた。
表情は相変わらず冷たいままであったが。
セレネが目覚めてからの数日間、ずっと側で観察してきたから解る事である。
彼女には、おおよそ表情という表情は無い。
けれどそれは、感情が無いという事と同義では無い。
彼女の声は表情を補ってあまりある程、雄弁にその心の内を語る。
雄弁すぎて、時々、どストレートな物言いに王様の心がポッキリ音を立てて折れる事もしばしばなくらいである。
王様だけが気付いたセレネの豊かな感情であったが、それは随分と起伏に富んでいると言えた。
これで表情と行動が伴ったら嵐のようだな。
表情が乏しいのはアレだが、大人しいのは良い事だ。
そんな事を考えていると、背中に妙な痛みが走った。
「なんだ。何をした?」
振り返る王様の眼に、キラキラ光る、半透明の貝殻のような形をした薄っぺらくも大きな“何か”が映る。
「あー…………思いのほか痛いので、やめてくれると嬉しい」
「…返事がないから、引っ張ってみただけなの。剥がれちゃうとは思わなくて……あの、ごめんなさい」
セレネの手に握られていたのは、王様の背中のウロコだった。
「一度剥がしたら元には戻らん。無茶をするな」
「…え、そうなの?ごめんなさい」
さりげなく元の場所へグリグリ押し込もうとするセレネを、王様の溜息交じりの声が制止した。
というか、結構痛いな、初めて知った、というぼやきを聞きながら、セレネはウロコを大事そうに懐へしまい込んだ。
「そんなもの、捨ておけばよかろうに」
予想外の行動に、王様は唖然とした。
「…だってこれ、綺麗」
チラ、と懐からウロコを取り出して見せながら、セレネが言う。
どこか嬉しそうで、その声はワクワクと浮き立ち、頬もほんのり桜色だ。
「そ、そんなもの、その、……そうか」
乙女の謎な行動に全く理解が及ばず、王様はしどろもどろだった。
まるで自分が綺麗と言われたような気がして、落ち着かない。
何よりも、乏しい表情なりにも大きく心を語る表情は存在するのだと知って、胸が騒いだ。
その変化を見つけるたびに、王様は心に不可思議な波が立つのを感じていた。
「…あ。ここ……」
王様の背中の上に立つと、セレネはキョロキョロと周囲を見回した。
結界の中でも北の外れに位置するそこは、王様がセレネを見つけた場所だった。
漂うアケビの芳香に、思わず涎を垂らしそうになる王様。
「…あの小川に行きたかったの。喉が渇いて」
近付こうとしたら物凄い音がして、火花が一杯散って、あとは覚えてないわ。
背中から聞こえる呟きに、王様の思考が現実へと引き戻された。
アケビは取り敢えず後回しだ。
「お前は、あちらの方から来たのだな?」
鼻先で北を示すと、セレネはこくりと頷いた。
ここより更に北へ向うと、やがて森は途切れ、海へと至る。
海岸沿いには昔から人間の集落が点在している。
セレネは、その集落のどれかから来たのだろう。
「…薬草を探しに来たの。お腹も空いてたし、喉も渇いて」
小川があったから、水を飲もうと思ったの。
でも、雷に打たれたのかしら、晴れの日だったのにおかしいわね。
セレネは自分が結界に触れた事に気付いていないようだった。
何が起きたのか解らずしきりに首を傾げるセレネをじっと観察していた王様は、そこに虚偽が潜んでいないかを見極めていた。
結局、無表情な彼女から得る物は何も無かった。
「近くへ行ってみるか」
セレネに背中から降りるよう指示すると、王様は首をうんと伸ばして、胸を張った。
あっという間に王様の姿がぼやけ、みるみる影が縮まったかと思うと、次の瞬間には細身のイケメンがセレネの前に立っていた。
長身で、日に焼けた肌が健康的な、金の瞳の美青年だ。
白灰の長い癖毛を後ろで一つに括り、緩やかに肩へ流れさせている。
切れ長な目元がなんともセクシーな王様に、セレネが少し嫌そうな顔を見せた。
「…ないわね」
長々間を置いて、初対面での懐かしのセリフが炸裂した。
「な!?」
何がだ!と騒ぐ王様の頭に、可愛らしいティアラがちょこんと乗っかっている。
「…どっちもないわ」
大蛇に超ちっこいティアラも、イケメンにちっこいティアラも、どちらも嫌だ。
しばらく王様の顔と頭上のミニ王冠を見比べていたセレネは、何処が乏しいのかと思うほど、目一杯嫌そうな表情で王様を見た。
……そんな、そんな嫌そうな顔だけは、完璧……だ、と……!?
それを発見しても、何故かちっとも嬉しくない……っ!
清らかな小川のほとり。
がっくりと膝をついて項垂れる王様の姿が、そこにはあった。




