名刺
流石に猫実さんを待たせ続けるわけにはいかない。
いったん部室に戻ろう。やや小走りでプレハブに向かう。だんだん息が上がってくる。
身体を鍛えなくては、と思う。お助け部なら肉体労働もあるだろう。この間、猫実さんを追いかけた時も、体力のなさを痛感した。
何時、トレーニングの時間を取ろうかと考える。毎日部活はあるから、多分早朝か休日になるだろう。どちらも小説を書くのに使っている時間帯だ。
考え事をしているうちにお助け部の部室の前に着いた。
ガラリと軽いドアをスライドして開ける。
「ただいま」という挨拶で入る。すっかり定着してしまった。
「おかえりなさい」という声のほかに
「おっ、帰ってきたきた」というのも混ざっていた。
なぜか山形さんもいた。猫実さんと向き合って話してたみたいだ。あの日以来、時々部室にくるようになった。
ぺこりと会釈をして猫実さんの隣に座る。
「どうでしたか?」猫実さんがワクワクした顔で問いかけてくる。
夜桜先輩とのやり取りを、どう言葉で表せばいいのか少し考える。
「考え方が変わったよ。」
そう言って少し微笑む。
「うんうん」猫実さんもしきりに頷いている。
「結局、先輩の好みはよくわからなかったけど、関係ないってさ。」
「なるほど」
「自分にしか書けないものを探そうと思う。」
どうせ、自分の中にある経験からしか小説は書けないのだ。
「そうかあ、わたしにしか書けないもの、、、」
猫実さんが顎に手を当てて考える。仕草が夜桜先輩に似ている。じっと目を細めて、虚空を睨んでいる。
「ねぇ、好みとか、書く、とかって何?ラブレター?」
山形さんが興味津々に食いついてくる。
「いや、ラブレターじゃなくて小説です。」巧は訂正する。
「しょ、小説うう?」
思いっきり山形さんが驚く。
「はい、わたしも書いてます。というか書こうとしてるんです」猫実さんも熱がこもった声で言った。
「眩しいっ!」
山形さんが激しくのけぞって目を腕で覆う。その姿が面白くてほおが緩む。
「青春がっ、二人の青春オーラが眩しいっ!」
「ええええ?」猫実さんが困ったような声を出している。
「うわーん、こんなに真面目な人たちとは思わなかったよおー、バカなわたしとは違いすぎるよおー」肩をガクガクさせて山形さんが棒読みでいう。
嘘っぽい泣き方だな。と巧は思ったが、
「ええ、ちょっと泣かないで」
猫実さんがガタリと立ち上がり、机に手をつき、急いで慰めようとする。
「山形さんだって、彼氏を大切にするいい人じゃないですか」猫実さんも泣きそうになりながら、深刻な顔で言う。
ほんとに猫実さんは優しすぎる。
「ありがとう、、、。」
ようやく落ち着いた山形さんが座り直す。
「ふうー」と息を吐いて、猫実さんが席に着く。
「いや、とにかく小説書くなんてすごいよ。あたしなんか本も読めないし。」
「いい本を紹介しましょうか?」
「うん、未来ちゃんは優しいね。」山形さんが猫実さんの優しさに涙ぐんでいる。
褒められた彼女は「いえいえ、お助け部として当然ですから」と謙遜している。
巧はさっきから俺の出る幕がねぇとうずうずするのであった。俺もお助け部なのに。
「無駄に長居しても迷惑だし、わたしは帰って勉強するわ。」
「まだいいですよ」猫実さんが引き留めようとする。
「いや、わたしも、いろいろ頑張らなきゃ」
山形さんがよろよろと立ち上がって床のバッグを肩にかける。中身があんまり入ってなくて、ヒラヒラしている。
「それじゃ」
そんな彼女だったが、出て行く時は爽やかに笑った。巧も猫実さんと一緒に手を振って送った。
ふう、と息をつく。
これでようやく本題に取りかかれる。
「さっき図書館に寄った時に名刺をもらったんだけど」
「なんで真っ直ぐ帰って来なかったんですか」ちょっと怒った声で猫実さんがいう。
「ごめんなさい」泣いたことを言えるわけがない。
「とにかく、これです」
そろそろと胸ポケットから取り出した。
「話題がずれてますよ」
と言いながら、受け取った猫実さんは名刺を眺めている。
成田財閥総合科学研究室室長、という肩書き(わざと長く書いてるのかな)、そして成田究という名前。彼女は何者なのかはよくわからない。しかし夜桜先輩になんか用があったみたいだ。
「これを夜桜先輩に見せようと思うんだけど」
ちらりと猫実さんの方をみる。
背筋を伸ばしたまま、両手で胸の前に持った名刺をじっと見つめている。
「これ、どんな人が持ってたんですか」
くるりと首をこちらの方に向けて尋ねる。
ポニーテールが揺れる。
「メガネの女の人だったけど、それに、白衣とかきてましたね。なんか心当たりあるんですか」
「うーん。もしかしたら私の知ってる人です。」何か引っかかることでもあるような言い方だ。
「ほんとですか」
「まぁ、キュウっていう名前が珍しいですし」
「たしかに」
「でも、その人、まだ高校生のはずなんですよね。夜桜先輩と同級生です。」
そう聞いて少し考える。可能性があるのは、
「飛び級したとか?」
「あっ!そうだ!」巧の発言で何か掴んだみたいだ。
「たしか、留学したとか言ってた気がします。」
「なるほど」留学かあ。巧には遠い世界の住人がする行為に聞こえた。
海外には言葉の壁がある。そもそも日本語リスニングすらできないのに、他言語のリスニングなんか過酷すぎる。
「だとしたら、絶対彼女ですっ!ああ、早く夜桜先輩に教えてあげないと」
今にも飛び出しそうな雰囲気で猫実さんがいう。なんか夜桜先輩に関わることになると途端に元気になるなあ。
「じゃあ、文藝部に行きますか」
「はいっ!」
ビシィと猫実は敬礼した。
「失礼します」
さっきまで入るのも怖かった文藝部に猫実さんは迷いなく入って行く。気まずい巧はおそるおそる彼女の後を追いかけて入った。
「やあネコ、元気そうでなによりだよ」
夜桜先輩が慣れた様子で猫実さんに声をかける。猫実さんは嬉しそうにはにかんでいる。
猫実さん、夜桜先輩のこと好きすぎだろ。
「巧はもう大丈夫?」
夜桜先輩が首をかしげると、長い髪の毛がするりと肩を流れる。
「大丈夫です!もう大丈夫です!」
できれば猫実さんの前で触れてほしくない。
「さっき何があったんですか?」
部室で留守番してた猫実さんは知らないのだ。
「なんでもないです!」
「ははは」夜桜先輩がよく通る声で笑った。
「まぁ、二人とも座りなよ。あ、ちょっと待て。」突然、夜桜先輩が立ち上がって机を動かし始める。
机が床をこすることが部室に響く。
四つ机を合わせた島が分解されて、一つの机の周りに三つの椅子が並べられた。
「これで話そう。」
夜桜先輩の意図に気づく。1メートルだ。これなら3人全員が1メートルの輪の中に入る。
何気ない気配りが嬉しくてまた涙腺が緩みかける。
我慢しながら、席に着いた。目の前にはさっきのノートパソコンが、ちょこんと置かれている。
「それで、何の用かい?」お助け部の二人を見回して、夜桜先輩が言う。
「これ、見てください。」
猫実さんが名刺を先輩に差し出す。
「これは、成田って、、、キュウのことか?」
「ですよね!キュウちゃんのことですよ。巧さんが図書館で会ったみたいです。」
「ふーん」
夜桜先輩の視線が向けられる。そこで涙が乾くのを待ってたのまで見透かされてそうだ。
「夜桜先輩のこと探してたみたいですよ」
恥ずかしくなり急いでノートパソコンに視線を移す。
「ふーん」こんどはちょっと笑いながら夜桜先輩が言った。ニヤついた顔が見えなくても頭に浮かぶ。
「そうか、キュウも偉くなったんだね」
懐かしむような声だ。優しく、過去から繋がれてきた時間のレールを撫でるような。
「肩書きがすごいですもんね。」猫実さんも相槌をうつ。
「なんでここに来たんだろう?」夜桜先輩が考えるポーズをとる。見た目の美しさが人を惹きつける。そして見た人を、真面目な気持ちにさせる。
「さあ?なんか忙しいからってすぐ帰っちゃいましたよ。」
真摯に考える夜桜先輩を手助けしようと言った。
「 とりあえず、電話してみようか」
「それがいいですね」猫実さんも賛同する。
夜桜先輩がポケットから携帯を取り出した。
一度見ただけの電話番号を長い指でサッと入力し、斜め上を向き、髪をかき上げながら耳に携帯を当てる。
しばらく、待つ。というより、猫実さんと、美しい夜桜先輩の仕草に見とれていた。
「もしもし」
繋がったようだ。
会話はよく聞こえない。それが自分に向けられてないからなのか、早口だからかはわからない。
ただ、先輩の、口から軽やかに発せられる意味のわからない言葉を聞いていた。
本当に仲の良い友だちのようだ。楽しそうに話す声が心地よく耳を通り過ぎてゆく。
この言葉は聴こえなくても良いのだと思った。
聴くことだけを突き止めてきた今までとは違った。




