エピローグ2 始まりの終わり
――それは、瀬川和樹が『暴走』した日の深夜のこと。
瀬川邸のリビングにあるテーブル。
そこには現在、和樹の父である竜樹と母の凪、そして和樹の魂はやはり回収するべきだと考えを改めた神原まどかの姿だけがあった。
そんな彼女は、目の前に置かれたティーカップには口をつけることもせず、呆れにも似た感情をこめて嘆息する。
「……まったく。いつの間に『皇帝騎士団』なんかに入ったんですか、竜樹さんは……」
なにげない、まどかの口調。
しかしそれは、ただのカマかけでしかなかった。
竜樹が『皇帝騎士団』に属しているという確証など、まどかには欠片もないのだから。
灼騎士と面識があるようだったこと。
戦闘に割り込んできたタイミングが出来すぎていたこと。
その少し前に、竜樹と思しき侵入者が、彼女の張った結界に踏み入ってきていたこと。
そのあたりから推測してみたにすぎないのだ。
だからこの言葉は、彼から否定を引き出すためのものだった。
その否定の仕方で、真実がどうなのかを見極めるためのものだった。
竜樹であれば、内心の動揺などいくらでも隠しとおせるだろうが、それでも――
「う~ん、二十歳を少しすぎた頃のことだったかな。ちょっとした事件で凪と組むことになってね。それが皇帝の耳に入って、いまに至ってるってところだ」
まどかの正面に座る竜樹は、自らの右隣に座っている三十代後半の女性を目で指しながら、隠すことなくそう答えた。
気負いはない。
嘘をついている様子もない。
そもそも、まどかに嘘をつく必要すら、彼には存在しないはずだ。
しかし竜樹は、彼女に真実すべてを語ってもいなかった。
現在の彼は『皇帝騎士団』に席をおいていない。
『シュテルン』の『アルクトゥルス』へと昇格している。
だが、それをわざわざ教えるつもりなど、竜樹にはなかった。
一方、自分の推測をあっさりと認められたまどかは、思わず呆気にとられてしまっていた。
しかし、それも数秒。
心を落ちつけようと、彼女は出されていたティーカップを「そうですか」とつぶやきながら持ちあげる。
そして、揺れる琥珀色の液体を、少しだけ口に含んだ。
「――さて、竜樹さんは今日、和樹さんのことを心配して戻ってきたとのことですが」
「そりゃ、可愛い可愛い息子のことだからね。心配しないわけがない」
「その言葉、本当に額面どおり受け取ってもいいものなんですか?」
まどかが竜樹に向ける表情は、険しかった。むろん、声音も。
「竜樹さんは、あの『暴走』している和樹さんを見ても全然驚きませんでしたよね? むしろ、和樹さんがああなるのを見越していたとしか思えないくらい、落ちつき払っていました」
「だな。でもそれは、そんなに不自然な反応だったか?」
「いいえ、全然。『皇帝騎士団』に所属しているというのが本当なら、『黒き魂』のことを知っていても不思議ではありませんし、竜樹さんが受けた命令だって、ああなった和樹さんを止めることだったんでしょう? ですから不自然に思うところなんて、ひとつもありませんでした」
「……つまり、なにが言いたいんだ? まどかは」
紅茶の入ったティーカップをテーブルに置き、まどかは竜樹を睨みつけるように見る。
「竜樹さんは言いましたよね? 可愛い息子のことなんだから心配しないわけがない、と。でも、それは本当に本心ですか?
これでも疑問に思ってはいたんです。竜樹さんが言うところの『可愛い息子』が命の危険に晒されているというのに、なんで竜樹さんはすぐに戻ってこなかったんだろうって」
「……ふむ」
「それに、竜樹さんが戻ってくる直前に和樹さんが『覚醒』したというのも出来すぎです。竜樹さんが『皇帝騎士団』の人間なんじゃないかという疑いをさて置いたとしても、灼騎士と示し合わせて動いてたんじゃないかって勘ぐりたくもなりますよ」
「なるほど」
「……遠回しな言い方は、もうやめましょうか。――竜樹さん、あなたが本当に心配しているのは、息子である和樹さんではなく、彼の持っている『黒き魂』及び『救世主因子』のほうですよね?」
しばしの沈黙。
和樹の父は少しバツの悪そうな表情になり……しかし、それでも死神の言葉を肯定はしなかった。
「どっちを心配するのも同じことだろ? 和樹が死んだら、『黒き魂』も『救世主因子』もこの世から失われるんだから」
和樹のことを心配するのは、和樹の中にある『力』の消滅を危惧するのと同じことで、『黒き魂』や『救世主因子』が失われるのを恐れることは、和樹の身を案じるのと同じ。
そう竜樹は言ってのけた。
「もちろん、俺たちが『黒き魂』や『救世主因子』の『力』を必要としていることも、否定はできないけどな」
嘆息する竜樹に、長い黒髪を揺らして凪が同調する。
「あの子の持つ『力』は、この世界を佳き方向へと導くために、『この世すべての善』を成すために必要なもの。こんなちょっとした事件で失うわけにはいかないの」
「ちょっとした事件、ですか。和樹さんからしてみれば、いままで生きてきた中で一番の大事件だったでしょうに」
「一度も事件に遭遇していないのなら、小さな事件から順に経験して、強くなっていってもらわないといけないもの。和樹の主観はどうでもいいわ」
その言葉に眉をひそめ、まどかは正気を疑うように竜樹を見やった。
「……竜樹さん。もしかしなくても、この方に毒されましたか? 昔のあなたはもっと純粋で善良な人だったと記憶しているのですけど?」
「心外な。俺はいまだって純粋で善良だよ。もちろん、狂ってもいない」
そう言われても、自己申告のその言葉ほど、信じられないものもない。
だが、竜樹の瞳に狂気の色がないというのも、また事実だった。
「……そのようですね。思えば昔から、自分が信じると決めた道を突き進んでしまう方でした。そういうところ、なにげに和樹さんに受け継がれてますよね……」
「まあ、血の繋がった親子だからな」
「けれど、ご存知ですか? 本当に善良な方は、自分の目的のために子供を育てたりなんて、しないんですよ?」
まどかの冷ややかな言葉に、しかし、返ってきたのは心底不思議そうな声だった。
「そうかな? 自分が叶えられなかった夢を子供に託す親なんて、この世には山といるじゃないか。それに、老後のために、養い手として子供を作っておくことを考える親だって、いないわけじゃないだろう? 俺たちのやってることは、それらとどう違うっていうんだ?」
反論、できなかった。
それとこれとはまったく別の問題だ、と思いはするものの、肝心の言葉が出てこない。
竜樹と凪。この二人は『世界』の未来を本気で案じている。
なんとかしたいと思うその気持ちは決して悪いものではないし、『叶えられなかった夢』と称することもできるだろう。
なら、二人はただ単に、その『夢』を和樹に託そうとしているだけ、と受け取れなくもない。
しかし、やはり違うのだ。
託すモノの重みが違う。
本人になにひとつ教えることなく託すというのも、やはり違う。
なにより、『夢』を叶えてもらうためとはいえ、そのために課した問題が大きすぎるし、そもそもそれは、親が課すべきものでもない。
『夢』を叶えてもらうというのは、信じて待つということ。
自分たちの敷いたレールに沿って生きるように強制すべきではないし、まして、見えないところから誘導するなんてもっての他だ。
やはり、この二人は間違っている。
まどかは、より強くそう思う。
だから、一言だけ言葉を絞りだすことができた。
「子供というものは、自分にメリットがあるから育てるというものではないでしょう……!」
「――もちろん、そのとおりよ」
凪からまさかの肯定が返ってきて、まどかは目を白黒させる。
「私は、いえ、もちろん竜樹だって、和樹のことは愛している。だから瞳ちゃんがいなくなったときには、優菜を与えた。同性も欲しいかもしれないと思って、そのあとには光一も与えた」
「与え、た……?」
その言い方は、まるで。
優菜や光一を、ひとりの人間として認めていないかのような。
いや、それだけではなく。
「ちょっと、待ってください……。光一さんのほうはまだしも、優菜さんは両親が亡くなったことでこの家にやってきたはず。ということは、まさか……」
この二人は、優菜を和樹の『義妹』とするためだけに、彼女の両親を亡き者にしたのでは。
そんな疑念が、まどかの中で膨れあがった。
だが、それはないとばかりに、竜樹がパタパタと手を振る。
「優菜の両親――藤代夫妻は、俺と凪、共通の友人だぞ? 仲良し四人組ってやつだ。そんな二人の死を、なんで俺たちが望まなきゃいけない?」
「それは、確かに……」
「和樹の義妹は優菜じゃないといけなかった、とかいう事情があったんならまだしも、実際にはそんな必要性はなかった。あの二人の死は、本当にただの不幸な事故だよ」
その物言いには引っかかるところがあったが、それでもまどかは無言でうなずいた。
「それにな、二人は確かにあの事故で命を落としたが、その死だってまるっきり無意味ってわけじゃない。事実、あの事故によって『西園寺雫』が『完成』したんだから。
あの娘を世界のために役立てることで、俺たちはあの二人の死を意味あるものにしてみせる。無駄な犠牲だったなんて、絶対誰にも言わせない」
その言葉には、力があった。
『意志』という名の力が。
大切な人を失っても、その事実から逃げることなく、歩み続けようと決意した者のみが持つ力が。
だが、それでも悲しみや辛さはあるのだろう。
見れば、凪はなにかを堪えるように強く目を閉じていた。
その物言いや口調から『冷たい人間』だとしか思ってなかったが、どうやらそれだけの女性というわけでもないらしい。
しばしの間をおき、凪は目を開いた。
湯気の立っている紅茶に口をつけ、ティーカップをテーブルに置く。
そして、彼女の射抜くような瞳が、まどかに向いた。
「――私たちは和樹のために養女をとって、光一という同居人を用意した。和樹を愛しく思っていたから。瞳ちゃんがいなくなったことで、あの子が見ていられないほど辛そうにしていたから。
もちろん、『年長者』となった和樹が精神的に成長してくれるんじゃないかっていう期待もあったけれど。そう、他人を支えるための予行練習になるんじゃないか、とね」
「なんで、そこまで……」
「この世界をどれだけ佳くできるかは、すべて和樹の成長にかかってるから。
それは、とても嬉しくて、名誉なことだわ。だって、私たちの愛の結晶が、多くの人に必要とされるんだもの。それが嬉しくないはずがない。協力を拒むなんてこと、するはずない」
凪の言う愛は、どこか歪んでいる。
それに彼女の言い回しには、なにか違和感を覚えもした。
なぜ、『私たちの愛の結晶が、多くの人に必要とされる』と断言できるのだろう。
普通は『必要とされると言われた』とか言うものだ。
その言い方では、まるで和樹は、この世に生を受ける前から――
「気づいた? 和樹はね、『力』や才能があったから選ばれたんじゃないの。『道』を開いて『本質の柱』に辿りついた人に、『和樹』という名前をつけるようにと、そうすれば『和樹』という生命体は、『世界』を導いていくことができるようになると言われたのよ。
『真名』、というそうなのだけどね、それをつけることで、過去世で得た経験を始めとした、様々な潜在能力を十全に引きだすことができるようになるんですって。
『黒き魂』を制御できるのか、なんていうのは愚問。だって、和樹はその成長の果てに、『本質の柱』にさえ辿りつくことができるようになるというのだから」
そういう、ことらしい。
それが、瀬川和樹。
世界を――いわば、『救う』ために『造られた』存在。
凪の言葉を、竜樹が継ぐ。
「『和樹』という『真名』には、『平和を守る大樹』という意味があるらしい。その太い幹でもって多くの人を支え、助ける存在。平和をもたらし、それを大地に根づかせる存在。
もちろん、現実に和樹がそうなるまでには、多くの過酷や困難、絶望、悲劇があるだろう。今日のことも、そのひとつ。もちろん、和樹や犠牲となった人間たちには、悪いと思っている」
どうやら、竜樹のほうはまだまともな考えを持っているようだった。
友人とも呼べる竜樹が、少しではあっても罪悪感も抱いていると、また、平然と息子を谷底に突き落としているわけではないと知り、まどかは少しだけ安堵する。
「けど、この世界にとっては必要なことなんだ。罪悪感に押し潰されそうになろうとも、引き返すことなんかできやしない。――ようやく、『黒き魂』の覚醒が成ったんだから」
『黒き魂』。
それをまるで『世界の希望』であるかのように言われ、とうとうまどかの感情が爆発した。
「そこが一番の問題です! いいですか!? 『黒き魂』とは『呪い』なんです! 人類の『悪性の具現』なんです! そんなものが……この世にあってはならないものが、世界を救う力になんてなるはずがありません!!」
「いや、『黒き魂』は『無色の力』だ。力の源は『負の感情』かもしれないが、それでも制御さえちゃんとできれば、必ず人の役に立ってくれる。
それに、どれだけ反抗しても、まどかに和樹は殺せない。俺と凪が殺させない。そもそも、『殺そう』なんて考え自体、もうまどかの中にはないはずだ」
「そんなことは――」
「仮にあったとしても、同じことだ。魂の回収命令は、あと数日で間違いなく取り消される」
「間違いなく? 根拠もないのに、よくそう言えたものですね?」
「根拠ならあるさ。スペリオル聖教会には、俺たちの仲間が潜り込んでいる。そのほぼ全員が、それぞれ親交のある穏健派の人間と結託して、数日前から『瀬川和樹は殺すべきではない』と唱えているんだ」
「なっ……!?」
「しかも、それだけじゃない。聖教会の『十二使徒』の『智天使』が、サラ・クリスタンヴァルに掛け合うとも言っていた。魂の回収命令が撤回されるのは、もう時間の問題だぞ?」
「…………」
そこまで根回しされていては、もはやまどかに打つ手はなかった。
仮に命令の撤回前にやろうとしても、竜樹が『殺させない』と言っているのだ。彼らに阻まれ、失敗に終わるのは目に見えている。
だからまどかは、せめて一矢くらいは報いてやろうと、二階に続く階段があるほうへと目をやった。
「……お話を総合するに、優菜さんと光一さんは、和樹さんのために用意した道具、ということなんですよね? それ、あの三人が知ったらどうなると思います?
私から言うつもりはありませんが、もし、あのあたりから優菜さんと光一さんが聞き耳を立てていれば、さぞや面白いことになるでしょうね?」
言葉を選び、表情を陰険そうにみえるよう歪め。
聖教会から派遣されてきた死神少女は、不敵にそう言い放った。
それに竜樹が「やれやれ」と首を横に振る。
「らしくもなく意地の悪いことを……。問題ないさ、和樹たちなら俺と凪を外敵と認識して、より結束を強めてくれるだろう。
それに、聞き耳を立ててるなんてことも絶対にない。今晩の夕食、最後に出した紅茶にちょっとだけ睡眠薬を入れておいた。今夜、こういう話になるかもしれないと予想してね。
いまごろは優菜も光一も、ぐっすりすやすや夢の中さ」
まどかは思わず絶句してしまった。
まさか、そんなことをしていようとは。
冗談であってほしかったが、竜樹の目には本気の色が宿っている。
その瞳を見返していて、ふと、気づいた。
先ほど竜樹が口にした言葉を、思いだした。
――もちろん、和樹や犠牲となった人間たちには、悪いと思っている。
犠牲となった人間。
それは言うまでもなく、秋葉のことだ。
今回の事件で命を落とすこととなった、十四歳の少女のことだ。
だが、この件で犠牲となった人間は、秋葉ひとり。
なら、なぜ竜樹は、『犠牲となった人間たち』と複数形で言ったのか――。
「……もしかして、和樹さんを成長させるための道具は、優菜さんや光一さん、秋葉さんだけではないのではないですか? 今回の件の前に和樹さんと出会い、彼の成長を促した人物。いえ、それどころか、これから和樹さんと出会うであろう人間のことまで……」
「――そのとおりだ」
苦々しく微笑して、竜樹はそう断言した。
その断言は、肯定したくない事実を肯定するときにのみ彼が使うもの。
完敗だった。
いや、そもそも勝負をしていたのかすら怪しかったが、まどかの主観では完敗だった。
論破など、一度たりともできなかったのだから。
自分がどれだけ反論しようとも、竜樹と凪は小揺るぎもしなかったのだから。
もう、まどかから言えることは、なにもない。
竜樹に対して勘ぐりたいところは多々あったが、きっと、どれも上手くはぐらかされるか、やり込められてしまうことだろう。
だからまどかは、ただ思うだけにした。
――和樹さん、これからは大変になりますよ。あなたが想像しているよりも、ずっと。
だって、あなたが敵に回しているのは、このお二人で。
あなたの物語は、きっと、まだ始まったばっかりで。
そしてあなたは、世界の命運なんてものを、知らず託されているんですから。
と――。
――『序章 少年はまだ幻想の中』―― 閉幕
『序章』の最終話こと『エピローグ2』はこんな形となりました。
和樹たちの出番はまったくありませんでしたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
これにて『序章』は本当に終了。はい、完結とはいえませんが、ひとまず終了です。
本日、『この詩、歌うようにして届けたい』に同時投稿した『いつかきっと』というイメージソングみたいな詩と合わせて楽しんでいただければ嬉しく思います。
そして、次は『第一章』ではなく『序章外伝』を予定しております。
では、また次回。




