第二十一話 少女の告白
「か、かず……せんぱ……?」
僕の腕の中から、弱々しい声が聞こえてきた。
まるで、起こったことを受け入れられないかのような、そんな響きを持った声。
それが、どうしようもなく僕の胸を打つ。
「かず、き……せ、んぱい……」
――どうして。
一言も言葉を発せないまま、そんな言葉だけが、頭の中で渦を巻いていた。
……どうして。
どうして、どうして……。
どうして、どうして、どうして……!
『和樹先輩』。
それは、秋葉が今日までずっと言おうとしてて、でも言えずにいた、きっと、口にするのにとても勇気がいる言葉。
その理由はわからない僕だけど。
そもそも、なんで僕なんかの名前を口にするのに、そこまでの勇気が必要になるのかも、わからない僕だけど。
それでも、秋葉にとっては、勇気を振り絞らなきゃ口にできない言葉なんだってことだけは……僕は、ちゃんと知っていた。
だから、報われてほしかった。
秋葉が勇気を振り絞って口にしてくれたんだ。
僕は、それに、絶対に……報いたかった。
頭では、ちゃんと……そう思ってる、のに……。
言葉が、出なかった。
どうやっても、出なかった。出せなかった。
ただの一言で、いいはずなのに。
なんでもいいから、ただ一言、『ああ』でも『うん』でも発してあげれば。
それだけで、彼女の頑張りは報われる……はずなのに。
それがないと、報われない。
それができないと、報いることなんてできない。
そう、わかってはいるのに……。
「よかったぁ……」
そう言って、彼女が笑った。
「やっと、言えた……」
小さくつぶやいて、秋葉は笑った。
「……こんなに、簡単なこと、だったんだ……。あは、なんで、もっと早く……ううん、そんな後悔は、どうでもよくて……」
弱々しく首を横に振って、それでも彼女は微笑み続けていた。
なにひとつ、報われてなんかいないはずなのに。
なにひとつ、嬉しいことなんてないはずなのに。
だって、彼女は。
その胸に赤い短刀が刺さり、いますぐにも命の灯火が消えてしまいそうになっている、彼女は。
なにひとつ、僕から言葉を返してもらえて……いないんだから。
「……せ、んぱい……。わた、し……ずっと、せんぱいのことが……すき、でした……。いつも、やさしい……かずきせんぱ、いの……こと、が……」
その言葉が、胸に鋭く突き刺さる。
好意を持ってくれてるんだろうとは、思ってた。
友人以上の感情を寄せてくれてるんじゃないかって、思っては、いた。
そう、それくらいは……気づけて、いたんだ。
でも、信じられなかった。
僕なんかに、恋愛感情を抱いてくれる人の存在が。
いるはずがないと、思ってたんだ。
自分に恋愛感情を抱いてくれる人間なんて。
あっていいはずがないと、思ってたんだ。
こんなどす黒い心を持っている人間が、誰かに恋心を抱かれることなんて。
あるいは、それは『黒き魂』の影響――僕の抱いた、ただの錯覚なのかもしれないけれど。
それでも、怖いという感情は……確かに、あった。
期待してもらったあと、がっかりされるのが、怖かった。
好きになって失敗したと、そう言われるかもしれないのが、怖かった。
いや、そもそも。
恋愛感情抜きであっても、他人に好きになってもらうということが、怖くて怖くて仕方なかった。
今度はいつ裏切られるんだろうって、知らず知らずのうちに、思ってしまって……。
そうして、本心ではなにひとつ信じられなくなってしまい。
こうしていま、僕は。
僕に初めて恋心を抱いてくれた少女を、失おうとしている――。
……どうして、こうなったんだ。
誰が、悪かったんだ。
なにが、悪かったんだ。
そればかりが、頭の中を駆け巡る。
――やめろ。
――その問いは、危険かつ、無意味だ。
そう理性は訴えてくるけど、それでも思考を止めることなんて、できやしない。
ギリギリのギリギリまで、告白する勇気を持てなかった秋葉が悪かったのか。
いや、それは違うはずだ。
彼女はなにも悪くない。
なんだかんだで、僕を半ば拘束していた優菜が悪かったのか。
いや、それも違うはずだ。
彼女はなにも悪くない。
なら、光一や司が悪かったのか。
そんなわけがない。
自分と秋葉の関係において、あの二人はきっと無関係だ。
じゃあ、僕を殺しに来たまどかが、悪かったのか。
それは……少しは、あるかもしれない。
でも、彼女は僕を守るために戦ってくれたじゃないか。
だったら、悪いのは灼騎士か。
だって、もうそれくらいしか思い当たる人物はいないじゃないか。
でも、なんで彼はここ数日間、僕を放置していたんだろう。
それに彼は、『『抹殺指令』などといいながら、実際には殺してはいけない』なんてことも言っていた。
そう、あいつには、僕を殺すつもりなんて最初からなかった。
きっと、根は善人なんだ。
けど、だったら。
だったら、一体、誰が悪かったっていうんだろう。
誰のせいで、こうなったっていうんだろう……。
――もう、やめろ……!
ああ、うん。
もう、やめよう。
こうやって目を逸らしてばかりいるのは、もう、やめよう……。
――それ以上、思考を進めるな……!
ひとりだけ、いるんだ。
悪かった人間が。
こんな事態を、引き起こした人間が。
そう、『元凶』が――。
――やめろっ……!
言うまでもなく、それは僕だ。
『瀬川和樹』という、この事件の中心人物。
昨日、嫌われるのを恐れて秋葉を突き放すという選択ができなかった、この、僕だ……。
そもそも、僕がいなければ、まどかは僕を殺しになんてこなかった。
僕がいなければ、灼騎士は僕を殺しになんてこなかった。
僕がいなければ、秋葉も別の誰かを好きになって、いまよりもずっと幸せな最期を迎えられたに違いない。
僕さえ、いなければ――
「せん、ぱい……」
その言葉に、彼女の胸から流れる血に、思考が止まる。
……痛い。
彼女に告白されてから、ずっと胸の奥がズキズキと痛んで、仕方がない。
それでも、いまは彼女の声が聞きたかった。
自分なんかのことを好きだと言ってくれた秋葉。
その声を、いつまでも聞いていたかった。
もう目の焦点さえ合ってないかもしれないのに、彼女は恐ろしいほど穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「せんぱいは……、ともだちつくるの、にがてって……、ゆうなちゃん、いって、ました……」
苦手なんじゃない。
嫌いなんだ。
嫌なんだ。
別れのときが、きてしまうのが……!
「……だか、ら……わたし、それ、きいて……おもったん、です……。ともだちが、だめなら……、ともだちじゃ、なくて……、かのじょに……って……」
呆れるほどに前向きな、彼女の言葉。
あんまりにも秋葉らしくて、こんなときだっていうのに苦笑が漏れた。
「だから、せんぱい……。わたしが……しぬまでで、いいです……。わたしと……つきあっ、て……、……きいてくれて、いますか……? せん、ぱい……?」
言葉は、出せなかった。
だって、口を開けば、それは絶対に涙混じりのものになってしまう。
そんなの、秋葉を心配させるか、悲しませるかのどちらかにしか、ならないだろうから。
だから、秋葉の身体をアスファルトの地面にそっと横たえ。
彼女の冷たい右手を、両手で強く握り締めた。
そうして、強くうなずく。
何度も、何度も。
無言で、何度も、強くうなずく。
それに秋葉はもう一度、
「よかったぁ……」
と、微笑んで。
身体からはどんどん熱が失われていってるっていうのに、それでもなお、微笑んで。
これからも続いていくはずだった、彼女の人生。
そこで得るはずだった幸福をすべて手に入れたかのように、心底嬉しそうに、微笑んで……。
「……じゃあ、わたしと、せんぱいは……、きょうから、かれしと、かのじょ……ですね……。……せんぱいが、わたしの……かれしで、わたしは……せんぱいの、かのじょ……。そうぞう、したら……がくえん、いくの……ちょっと、はずかしくなって、きちゃいました……」
退屈で平和な、なんでもない日常。
それが、明日からも変わることなくずっと続いてゆく。
そう信じてでもいるかのように、秋葉は穏やかに、けれど細く息を吐く。
「……でも、それ、いじょうに……たのし、み……で、す……」
そして、その言葉を、最期に。
秋葉は……初めてできた、僕の彼女は。
静かに、本当に静かに。
息を、引き取った。
安らかな顔。
幸せそうな表情。
できることなら、永遠にこのまま留めておきたい。
そんなふうに思わせる表情のまま、秋葉は。
晴れ渡った空の下で、とてもとても幸せそうに、十四年の生を……終えたのだった――。
そんな少女を前にして、けれど涙は流れない。
きっと、心が凍りついたからだ。
変に冷静な頭で、どうしていればこの悲劇を回避できたんだろう、なんてことを考える。
そして、そう時間もかからずに、思考の矛先は再び自分へと向いた。
僕さえいなければ――きっと、こんな結末にはならなかった。
僕が、いたから。
自分が、いたから。
なら……なら、こんな自分なんて、もう要らない。
『瀬川和樹』なんて人格、『黒き魂』にでも『呑まれ』て消えてしまえ――!




