第ニ章 世界で最も新しき国
忙しくて更新が遅れてしまいました。
――クレッサール王国王都スディナル。
ここは、かつて西方一帯を支配した大帝国、アンリエスト帝国第二の都市であった。
アンリエスト帝国が滅亡した当時、ここを治めていたのは最後のアンリエスト皇帝エドワルドの従兄弟フェリクス。
その血は脈々と子孫によって受け継がれ、今のクレッサール王家へと繋がっている。
「たとえ傍流であったとしてもアンリエスト帝国帝室の血を受け継いでいる――」
これこそが、一部の研究者たち間でクレッサール王国こそがアンリエスト帝国を継承した正統な国家だと言われるゆえんである。
そのような歴史ある由緒正しい王家に連なる現在のクレッサール王アレス四世は、駄目元で送り出した派遣者たちが自分の愛娘の救出に成功したという知らせを聞くなり玉座から飛び上がらんばかりに喜色を浮かべた。
しかし、そんな歓喜もつかの間のこと。
現在の彼は突如として目の前にふって沸いてきた「とある問題」に対し大いに頭を悩ませていた。
「して、そなたは今回の働きの報酬として我がクレッサール王国東部地方の統治権をよこせと、そう申してると捉えて間違いないか?」
アレス四世が問いただすと、とたんに控えている家臣たちがザワつき始める。
多くの臣下は王である自分の面前で大声を出すことは憚られるようでじっと怒りに耐えている様子だったが、それでも我慢し切れなかった数人が「無礼な!」とか「一体何様のつもりなのだ!」などと客人に向かって罵声を飛ばしはじめた。
こうして一部の者たちの枷が外れると、それまで黙していた貴族たちの中からも彼らの意見に同意を示す者がちらほらと現れ出す。
しかし罵声を上げているだけでは現状は何も改善しない。
「静かにせよ」
アレスがそう言いながらサッと右手を差し上げると、まるで降り続いた豪雨が突然降り止んだかの如くその場がシーンと静まり返る。
「して、もう一度尋ねよう。そなたは今回の働きの報酬として我がクレッサール王国東部地方の統治権をよこせと、そう申してると捉えて間違いないか?」
「――いいえ、それは違います」
応じたのは自らをミナト・ヨツナシと名乗った氷のような美貌を持つ隻眼の青年。
彼は落ち着いた、しかしよく通る声でアレスの問いに答えると、静かに首を横に振った。
その返答に、それまで怒り一色に染め上げられていた家臣たちの表情が一瞬にして安堵のそれに変わる。
しかし、残念ながらそれが許されたのはほんの僅かな時間であった。
「私は統治権を戴きたいと申し上げた訳ではありません。私はクレッサールの東部そのものを貴国から貰い受けたいと申し上げたのです」
「――なっ!」
返ってきたのは予想の遥か斜め上をいく回答。
あまりのことに吃驚仰天してその場に居合わせた者は一様に目を見開く。
青年の慇懃ではあるが無礼極まりないその主張に、アレス四世は思わずクラリと眩暈を起こしたような錯覚に襲われてしまう。
臣下の手前、かろうじて表面上は平静を保つことにどうにか成功したものの、そうでなかったとしたら思わず声を上げて取り乱すくらいはしていたかもしれない。
それほどまでに青年の突きつけてきた要求は過大なものであった。
――クレッサールの東部そのものを貴国から貰い受けたい
青年が発したその言葉の意味することはただ一つ。
アレスはコホンと一回咳払いをすると、貴族たちからの呪い殺さんばかりの視線を正面から受け止めてなお涼しげな表情を崩さない恐るべき胆力を持つその青年の隻眼を真正面から見つめて質問を続ける。
「……つまり、貴公は諸侯の一人として我がクレッサールに遣えたいということではなく、自らが王となりてアンリエストの地に新しい国を興すと、そう申しておるのか?」
あまりに荒唐無稽な青年の要求に、その場に列する貴族たちの一部からは怒りを通り越して失笑すら漏れるありさま。
しかし……。
「さすが陛下。おっしゃる通りです。話が早くて助かりますね」
ぬけぬけと発せられた青年のその言葉に、彼らの表情がにやけた表情のまま瞬間的に凍りついた。
「我が祖国たる魔法帝国神無にアンリエスト地方を割譲していただき、私がその地を治める王となること。それを陛下にこの場で認めていただきたい。そうお願い申し上げています」
すっかり凍りついた場の雰囲気にいささかの影響も受けることなく、青年ははっきりそう言い切った。
「………………」
何たる傲慢。何たる強欲。
あまりに欲深きその要求に思わず唖然としてしまい、瞬間的に怒りさえ忘れて誰一人として言葉を発することもできない。
すっかり静まり返ってしまった謁見の間に、ピリピリとした重苦しい緊張感だけが満たされていく。
まるで何もなかったかのように平然としているのは青年とおそらくは彼の子飼いの部下と思われる黒髪の男女三人のみであった。
一方で気の毒なのは、今回の救出作戦で功績があったということで一緒にこの場に呼ばれ、この青年の不遜な態度によってその累が自分たちにも及ぶのではないかと顔を真っ青にして震え上がっている派遣者たちである。
無論アレスは娘の危機を文字通り命懸けで救ってくれた恩人ともいえる彼らをその程度のことで罰する心づもりなど始めっからない。
しかし、自分のそのような心内など彼らには知る由もないこと。
まるで絶望の淵に立たされているかのような彼らの怯えようも、ある意味仕方のないことなのかもしれなかった。
事実、立ち並ぶ自分の臣下たちは目の前の青年の発言によって完全に頭に血が昇ってしまっていて、無実の派遣者たちすら巻き添えにして今にも爆発しそうな状況である。
そしてなまじ歴戦の腕利き揃いであるがばかりにその殺気をより敏感に感じ取ってしまい、ますます縮み上がってしまう憐れな派遣者たち。
そのようなキリキリと張り詰めた空気の中、ついに一人の重鎮の忍耐力が我慢の限界を迎えてしまう。
真っ先に動きを見せたのは、王国を支える三本柱の一角、軍務卿を務めるグラード・ガルガントであった。
「ふっ、ふっ、ふっ……ふざけるな!!!」
派遣者たちはその怒声に反応し、すくんだように肩を震わせる。
「万の兵から姫様を救出した。それに対する貴様らの功績は認めよう。それは確かに認めよう。だが、その手柄を盾に領地の割譲を要求して王になろうなどという妄言、そんな戯言をこちらが受け入れられるはずがなかろうが!」
「おや、だめですか」
「きっ、決まっておろう! そんなことでいちいち独立を認めていたら今頃世界は有象無象の国だらけになっておるわ!」
家臣の中でも上位者であるクラードが怒りを露にしたことで、他の臣下たちからもそれに追従して「そうだそうだ」「ふざけるのもいい加減にしろ」などと罵声が上がり始める。
「そもそもだ。要求以前の問題として、王の面前であるのにどうして貴様は膝をついて礼を尽くさぬのだ? 無礼にもほどがあろう!」
今はまだ様子見を決め込む段階で軽々しく怒りを顕にすべきでないと考えているアレスであったが、少なくともこれに関しては軍務卿と同意見であった。
驕るつもりはないが、仮にも自分は一国の王である。
この謁見の間において最上位者であるアレスの許しがあるまで床に膝を突いて頭を垂れるのは、王に目通りする者にとって最低限の作法なのである。
いくら娘の命の恩人とてそれが免除されることなどあり得ない。
逆にそれを易々と許してしまうようでは、アレス個人はもとより国としての沽券にも関わってくる。
おそらく青年とてそれが分からぬほど愚かではない。
事実、後ろに控えている彼の部下をはじめ、他の派遣者たちはみな自分の面前で膝をついて頭を垂れている。
なのにこの肆十無湊と名乗るこの男だけは、この謁見の間に入った時から一度も頭を下げるそぶりを見せようとはせず、その傲慢たる態度を以って悪びれることも恥じ入ることもない。
本来ならばとっくに不敬罪で投獄されていなければおかしいくらいなのだ。
アレスとて、この謁見の間に入る前に耳元で娘から囁かれた助言さえなければとっくにその決断を下していたはずである。
青年の見せる不遜な態度。
そして娘から与えられた助言。
併せて考えると、軽々しく投獄を指示する軽挙に出るべきではないとの結論にアレスは達する。
少なくとも、今はまだ。
だが、この場に立ち並ぶ臣下たちがそんなアレスの思惑など知る由もない。
従って、彼らはこの青年がこの謁見の間に通された時より今までずっと、積もり積もったその怒りをじっと心の内に溜め込み続けている状態なのだ。
我慢に我慢を重ねてきたクラードの防波堤がここで決壊したとして、それを咎めようとするものなど誰一人としてこの場に存在しなかった。
むしろこの状況で武力に訴えず怒声のみで済ませた彼は、まだまだ理性的だったともいえる。
だからこそ、次に青年の口から発せられた言葉は、怒りを必死で抑えている貴族たちの忍耐力を土台から崩し去る決定的な一言だった。
「無礼? どうしてです? この国の国民でも家臣でもない私が王の前に膝をつかなくてはならない理由など一つもないはずですが? それをさせるだけの何かをこの国は私にしてくれたとでも言うのですか? というよりむしろこの場合、道義的に考えて頭を下げるべきなのはむしろ陛下の側なのでは?」
「だっ、黙れっ! 陛下の御前であるから我慢しておったが、貴様のその不遜極まりない態度。もはや看過できぬ!」
あまりに無礼な物言いに流石に堪忍袋の尾が切れたのか、一人の青年貴族が臣下の列から進み出てきた。
彼の名はクラントック男爵。
若手貴族の中でも特に武勇に優れると評判の有望株である。
クラントック男爵はアレスが呼び止める間すらない勢いで隻眼の青年に向かって一直線に詰め寄る。その勢いは戦場のそれと遜色なく、彼の目的が平和的な話し合いなどでないことは傍目に明らかであった。
しかし、そんな彼の動きは、素早く間に立ち塞がった一人の人物によって阻まれる。
クラントック男爵の進路を妨害したのは小柄な黒髪の女性。
しかもその女性が身に着けているのは城の使用人が着用するがごとき制服――いわゆるメイド服であった。
「どけ、下郎が! 貴様のような卑しい身分の者が我が道を遮ってよいはずがない! どかぬとあらば女子供とて容赦はせぬぞこの無礼者めらぐべしゅらべうっ!」
罵声を浴びせながら感情に任せて腰の得物に手をやったクラントック男爵。
しかし、残念ながら彼がそれを脳裏に思い描いた通り颯爽と抜き放つことは叶わなかった。
クラントックの指先が剣の柄に触れたその次の瞬間、メイドの細腕によって顔面に拳撃――いわゆる左ストレートを叩き込まれてしまう。
そのまま大きく宙を舞いながら後方へ吹き飛んだかと思うと、彼は自分の意思に寄らず先刻まで自身が並んでいた貴族たちの列まで強制的に送り返されてしまった。
これにはアレス四世も驚きを隠せない。
特に強くもなさそうな可憐な女性の一撃で人一人が軽く宙を舞って吹き飛ぶなど、少なくともアレスの知っている常識には存在していない。
今まで王として数々の腕自慢による武闘を目の当たりにしてきたが、そんなアレスをしてこのようなふざけた光景にお目にかかったのは生まれてこの方初めての経験であった。
しかも、それを為したのが戦闘とは縁遠い細腕のメイドだというのだから驚きは更に倍増だ。
一方で殴られたクラントック男爵はというと、かろうじて息はあるのは分かるものの、殴られた鼻血まみれの顔面は、おそらく鼻骨が完全に砕けてしまっている上に元の面影がないほどぱんぱんに腫れ上がっている。
あれでは今すぐ宮廷癒術士の回復魔法を受けたとしても当分は元の顔には戻らないかもしれない。
王である自分の許しを得ず勝手に先走った結果であるのである意味では自業自得――。
……とはいえ、伊達男として社交界で鳴らしたクラントック男爵にとっては何とも気の毒な話ではある。
「貴様、はむかうか!」
怒りに任せて声を張り上げたのはアレスの真横に控えるグラード。
この国の軍事を司る軍務卿である彼は、クラントック男爵の直接の上司でもあった。
目の前で可愛い部下が無残な姿にされて激高した彼は、顔を怒りで真っ赤に染め上げながら腰の剣を抜く。
互いの持つ戦力を冷静に推し量っていたアレスとは裏腹に、彼もこの一件ですっかり頭に血が昇ってしまっている。
「敵襲だ! 出会え! 出会えっ!」
彼はアレスの判断を仰ぐことなく傍で控えていた近衛兵たちに向き直ると、素早く攻撃の指示を飛ばした。
それと同時に、隠れていた守備兵たちも謁見の間に雪崩れ込むように飛び込んでくる。
彼等は既に抜刀していて、グラードの号令でいつでも青年たちを斬りつけられる状態にある。
両者は正に一触即発――。
(ふむ。もう少し彼らの力量を観察したかったのだが、ここらが潮時か……)
「やめん……『おやめなさい!』」
暴走寸前の配下をいさめようとしたアレス四世だったが、それは不意に横合いから差し込まれた声に先を越されてしまう。
「無礼なのはあなたがたの方です。控えなさい、軍務卿」
謁見の間に一人の少女の声が響き渡った。