第ニ章 世界で最も新しき国②
心の芯に突き刺さる凛としたその声は、血気に逸った兵士たちの意識をも一瞬で支配して、爆発寸前だった彼らの動きを瞬く間に落ち着かせることに成功する。
先ほどまでの熱気が嘘であったかのように、謁見の間がシーンと静まり返った。
そんな中、皆の視線を一身に集めながらしずしずと謁見の間に入ってきたのは、未成熟の幼さすら僅かに残した一人の美少女。
彼女こそ他ならぬアレス四世の娘であり、そして今回の騒動の原因の一端ともいえる第四王女のカタリナであった。
「ひ、姫様――。しかし、平民ごときに王の間で好き放題されては……」
一度振り上げた拳を下ろすのは貴族のプライドが許さないのだろう。グラードがやや非難がましい口調でカタリナを諌める。
「おやめなさいと私は言いましたよ。これはあなたのために言っているのです。今は納得できないかもしれませんが、とりあえず兵を下がらせなさい」
命令されて、グラードはしぶしぶとではあるが兵に下がるよう命じる。
「さて……」
カタリナはそう呟くとゆっくりと隻眼の青年の元へ歩み寄っていく。そして――
「この度は卑劣なるトンガールから我が身を救出していただきありがとうございました。そして此度の配下の度重なる無礼、このわたくしカタリナ・デュ・クレッサールが国を代表してお詫びいたします。どうかお許しくださいませ」
彼女はおもむろに青年へと歩み寄ると、その細くシミ一つない美しい指でドレスの端をちょんと摘み、ゆっくり、そして深々とその頭を下げた。
「ひっ、姫様っ!」
「どうして姫がそのようなことを!」
カタリナのその仕草を目にした家臣たちがとたんにざわめきはじめる。
彼女が青年に示した態度、それは明らかに同格以上と認めた相手にするそれに他ならかったからだ。
「おだまりなさい!」
彼女の行為を諌めるため思い思いの言葉を口にしている貴族たちを、しかしカタリナはたった一言で黙らせてしまう。
「グラード、あなたは先ほど湊様が父上に頭を下げないのを無礼だといいましたが、では、あなたは私たち王族が他国へ赴いた際、その国の王へいちいち頭を垂れ、臣下の礼をとってご機嫌を伺うことをよしとするのですか?」
「…………は?」
カタリナの言っている意味が分からずに軍務卿はぽかんと間抜けな表情で口を開いた。
「もう一度聞きます。あなたは私たち王族が他国へ伺った際、その国の王へ頭を垂れてご機嫌を伺うことをよしとするのですか?」
「――いいえ。そのようなことは決して……」
「ならば、どうして彼にそれを求めるのです?」
「……といいますと?」
「こちらのお方は母国である『魔法帝国神無』に六人しか存在しない公爵の一人でいらっしゃいます。それもただの公爵ではなく、第三位の帝位継承権までお持ちになられている事実上の皇族。湊様はれっきとした一国の王族として扱われるべき方なのですよ」
それはつまり……王族であるカタリナと目の前の青年が同格の存在であるということだ。
もちろんいくらミナト・ヨツナシが上位の帝位継承権を持つと言えど一国の王たるアレスと完全に同格ということはあり得ない。とはいえ、彼の立場として必要以上にこちら側へ媚びへつらう必要もまたないということ。
「湊殿は私に頭を垂れる必要がそもそもない。むしろほぼ同格の存在として恩人に礼を尽くし頭を下げねばならないのは娘を助けて貰った私やカタリナの方……というわけだな」
言葉にして再確認することで、それまで胸に痞えていたモヤモヤとしたものがすっかり影を潜めていく。
チラリと娘の方に視線を流すと、それに気づいたのかカタリナも小さく頷き返してくる。
(どうやら、今のところは対応を誤ってはいないようであるな……)
安堵交じりのため息を一つ漏らす。
国境に張り付いているヘムガール軍に対する対応策を練るための会議がおしたため、カタリナが戻ってからこの謁見の間に客人を迎えるまでに僅かな時間しかなかった。そのため、アレスはこの青年についての十分な情報を娘から得ることが出来ていなかった。
たった一つアレス四世が事前にカタリナから聞くことができたのは、
「心してください。他の者ならいざ知らず、もしもお父様がミナト・ヨツナシ様に対しての対応を誤った場合……最悪、国が滅びます」
……という物々しい忠告だけだった。
まさかと思いつつこの謁見の間にやってきたアレス。
しかし、実際に会ってみると、娘の言う通り「危険な男だ」と長年王として培った勘が彼を一目見たその瞬間からしきりに警告を発してくる。
だが、そのような不確かなものだけでカタリナの言葉を全て鵜呑みにしてしまうわけにもいかない。
そのため、アレスは血気盛んそうな配下をある程度泳がせつつ、慎重に彼等の様子を見守っていたのであるが……。
そこで垣間見た配下の暴走とそれをあっさりと排除した彼の配下の実力。
剣をそれなりにたしなみ、その実力はこの国でも十指に入るとまで言われるアレス。
その自分の目をもってしても、あのメイドが臣下の男を殴った時のその動き。いや、彼女が動き出したその瞬間すらも捉えることができなかった。
彼女のその身のこなしを目の当たりにしたことで、少なくとも「彼らがたったの数人で万を超えるトンガール軍を蹴散らした」という、カタリナや奪還作戦に参加した派遣者たちのもたらした信じがたい報告が決して嘘や大げさな表現でなかったことが理解できた。
いや、嫌が上にも理解させられてしまった。
ポーカーフェイスを装い、その実めまぐるしく思考を巡らせながらも、アレスは慎重に事のなりゆきを見守っていかなければならないと判断する。
「それと……先ほど軍務卿が平民とののしられた彼女ですが……」
カタリナの独演は終わらない。
もはやこの場の空気は完全に彼女に支配されてしまっていた。
カタリナはチラリと悪戯っぽい視線をグラードに向けると、涼しい顔でとどめの一撃を撃ち放つ。
「湊様個人に仕えているのであのような使用人のごとき格好をされていますが、彼女は母国においては侯爵の爵位を持つ大貴族家の当主だそうです。人を見かけだけで判断しないほうがいいですよ?」
「なっ……」
軍務卿が思わず絶句してしまったのも無理はない。
侯爵となると伯爵である軍務卿よりも爵位は上。
――つまりそれは、この場合著しく礼を逸し、その罪で罰せられなければならないのはむしろ彼の方であるということを意味するからである。
殴り飛ばされたクラントック男爵に関しては言うに及ばずである。
「それで、あなたはこの不始末に対してどう責任を取るおつもりなのですか?」
「あっ……あうっ……」
カタリナに詰問されて、冷や汗を流しながら一歩二歩と後じさるグラード。
身分の差を振りかざして青年たちを糾弾していたはずが、それが完全なブーメランとなって自らの身に跳ね返って来たのだから彼としても逃げ場がない。
今からどのような言い訳をしようが、皆の耳に空々しく響くことになるのは最早明らかである。
窮地に立たされ孤立無援とも思われたグラード。
そんな彼に救いの手が伸ばされたのは、追い詰められた彼が膝から床に崩れ落ちようとした正にその瞬間だった。
「――まあ、待ちたまえよ」
すっかり狼狽しきってしまっている家臣の群れの奥から、どこか他人を揶揄している響きさえ漂わせる男の声で横槍が入る。
それを聞いた瞬間、アレスは思わず「またやっかいな奴が来おった」と心の中で重いため息を吐く。
声の主を視認せずともその口調で誰であるのか大よそ予想できていたからだ。
そもそも王族であるカタリナに対しそのようなぞんざいな口調で横槍を入れられる男など、王国の名だたる家臣が集ったこの場ですら限られている。
具体的に言うのなら、王である自分とアレスの息子たるこの国の王子たちである。
とはいえ、次男のガレスは現在この王都には居合わせていないので、この場合声の主は第一王子か第三王子のいずれかのもので間違いない。
そして、親たる自分をして耳障りに感じる、常に他人を見下すこんな不快な口調の持ち主に該当するのはたった一人しか存在していない。
「グラード卿の失態はまあ置いておいてだ。カタリナ、確かに君の主張は正論だ。しかし、それは本当に神無という国家がこの世に存在していればの話だろう?」
進み出てそう意見を挟んだのは装飾過多ともいえるど派手な衣装に身を包んだ金髪の美丈夫。
この王都に二人いる息子、その内の第一王子である長男アレックスの方だった。
「僕はこの世界の地理に関してはそれなりの知識を蓄えているつもりだけど、そんな名の国があるなどという話を、現在の地理学どころか歴史書の片隅、果ては空想の物語においてすら聞いたことがない。仮に彼らがその主張を押し通すのであれば、まず彼ら自身がそれが実在することを証明すべきではないのかな? 最も、本当にそれが出来ればの話だけれども……ね」
嫌味さえ交えた彼の主張に、この場にいる貴族の大半からも次々と賛同の声があがる。
(やれやれ。王子たる者、もう少し別の言いようもあるであろうに……)
自分の息子のことながら思わずため息が出る。
アレックスは重度の屁理屈屋であり、また皮肉屋でもある。
そんな彼の頭でっかちな主張に、今までアレスはさんざん辟易させられてきたものだ。
とはいえ、この場の意見に限ってみるなら、言い方に多少の問題はあるものの彼の主張は決して的外れなものではなくむしろ正論そのもの。
「……であるな」
アレスはひとまず同意を示すため、重々しく頷いてみせる。
アレックスの一手により、完全に攻守が入れ替わる。
その場の空気は完全に変わった。
一同の視線がもう一方の当事者である隻眼の青年――肆十無湊に集まる。
彼は苦笑混じりに小さく肩をすくめてみせる。
「もちろんそれを証明するのはやぶさかではないです。もっとも……その説明をする前に問答無用で襲い掛かってきたのはそちらの方なんですけどね」
自分が追い詰められていることなど欠片も気にしていないように彼は涼しい顔を見せると、皮肉さえ交えてチクリと反撃してくる。
「ですが問われたとあらば勿論自らの身の証を立てるに是非はありません。それを信じる信じないはそちらの勝手ですが……」
そう前置きした彼の口から語られた話は、清濁渦巻く権謀術数の世界に長く身を置いたアレスにとってすらにわかには信じ難いものであった。
まず、彼らが自分たちが住まうこの世界とは全く異なる「地球」という異世界からこちらの世界に渡ってきた存在であること。
あちらの世界ではごく一部の例外を除いて魔力を操る術を持つものは存在せず、その代わりにこちらでほとんど研究が進んでいない科学という学問が発達していて、人の手によって造られた空飛ぶ乗り物や海深くに潜る乗り物、陸上を馬よりも早く走れる乗り物など都市間を行き来するための様々な技術が発達し、都市にはこの王都スディナルで最も高いとされる王城の尖塔と比してすら数十倍もの高さを誇る建築物が建ち並び、その中にはごくまれに雲の上にまで届くほどのものもある……と。
この青年――ミナト・ヨツナシ――の治めるシブヤという街は帝国の中でも最も発達した街の一つで、面積はクレッサール王国の数千分の一しかないのにもかかわらず、その経済規模はおそらくこちらの世界の全ての国を合わせたものよりも遥かに上回るものであろうことなどなど……。
彼の口から発せられたそれらの話は、アレスが生まれてから今までに培ってきた常識に対して真正面から喧嘩を売りつけるような荒唐無稽なものばかりであった。




