第六章 ダルムス動乱 ②
更新が遅くなり申し訳ありません。
いつもと同じ言い訳になりますが、その分ボリュームはあります。
今回投稿した分だけでもいつもの三倍近い量があるのですが。予定していたプロットを消化しきれないまま、結局分割することになってしまいました。
◆◆◆
ダルムス大公国 ライル子爵領 四十無湊
ダルムス大公国を一気に縦断しながら公都を目指す湊たちの旅路は極めて順調だった。
湊たちが現在進行している地点はライル子爵領。位置としては最終目的地である公都まで約半分をほんのわずかに通り過ぎたかなといったあたりだ。
『陸上戦艦『八千代』』の持つ本来のスペックで移動すればダルムス公都まで一日もかからない距離をあえて速度を抑えてのんびりと移動しているわけであるから、この旅路を順調と表現するのは厳密には『決して間違ってはいないが、必ずしも正解というわけでもない』訳である。
それでは何をもって湊が極めて順調と称したのかというと、こうして『ダルムスの公都へ向けてのんびり旅をしつつも最終的にはダルムスの新公王が座す玉座へ向けてへと殴り込みに行く』という現在進行形で進行しているメインイベントの裏で、『ダルムス国内に蔓延る奴隷狩り、亜人狩りを逆に返り討ちにして被害者たちを解放していき、公国内をアンリエスト王国の紋章を掲げながら堂々と闊歩することで湊たちを捕縛せんとするダルムス正規軍からの襲撃を誘いつつ、そのことごとくを殲滅していく』というサブイベントの方が順風満帆に消化されているという意味合いにおいてだ。
その成果が、これまでの……
奴隷狩り+亜人狩り 6件 104名
領軍+ダルムス正規軍 6件 792名
夜盗の集団 2件 36名
その他 15件 295名(+魔物32匹)計37
総勢29件、実に1227名もの目標を蹂躙してきた。大戦果と言ってもいい。
奴隷狩り、亜人狩り、領軍及びダルムス正規軍などからの襲撃は予定通りであったが、中にはご愛敬のように前者3件とは全く関係のない現地産の夜盗の群れなんかも混じっていた。
その他の項目の癖に15件、295名というでかい数字がやたらと悪目立ちしているが、その内15件中の3件が魔物の群れからの襲撃で、残りの12件に関しては捕縛した奴隷狩り、亜人狩り、夜盗などから聞き出した彼らのベースキャンプおよび本拠地、つまり奴隷商たちを襲撃した戦果によるものと、ちょっと街までお邪魔して、彼らが誘拐していた違法奴隷、亜人奴隷を違法な奴隷商から解放するついでにそれごと丸々叩き潰してきた結果である。
都市の中でも盛大に大暴れした結果として、その街を治める領軍やダルムス正規軍などとの戦闘件数も大きく膨れ上がってしまったが、全く反省してはいない。
なお、亜人奴隷の扱いについては、厳密に言うとアンリエストと結んだ条約ではアウトではあっても現行のダルムスの法律だと違法とまでは言えない。
そのため、本来であれば奴隷商が奴隷狩りや亜人狩りなどから亜人奴隷を購入すること自体はダルムス国内の法律に限ってみれば咎めることはできない。
今まで取り締まりに来たダルムス騎士団の側からもその点につては散々に指摘を受けているが、そんなことこちらにとっては今更な主張であった。
そもそも自分たちが襲撃して潰してきた奴隷商たちは、問題の争点である亜人奴隷の有無に関わらず、違法に誘拐されてきた罪のない人々を自分たちの利益のために力ずくで奴隷にしたてあげてきたという悪事を首謀、もしくは悪事と知りながらそれに積極的に加担してきた者であるという揺るがしようのない事実があるからだ。
「我が国を荒らすこの外国の賊共め! 無駄な抵抗はやめて大人しく我らの縄につけ!」
こうして今、過去に何度も繰り返されてきた領軍との争いが、ライル子爵領の領都であるこのデロンでも進行しようとしていた。
問答無用で襲いかかってくることなく事前に投降を呼びかけてくるあたり、ライル子爵領の騎士団長と名乗るこの男は今までの騎士たちより多少なりともマシな人格をしているようであった。
とはいっても、話が通じないという意味では何も変わらなかったが……。
「我々が賊? あなたは一体何を言っているんです? 旅行中だった我々に先に手を出してきたのはこの奴隷商の手の者です。その辺は手下の奴隷狩り共が全て自供しています。我々はその責任を取らせるためその首謀者を捕えただけですが、何か問題でもありますか?」
「賊を捕えるのは我ら騎士団、もしくは衛兵の仕事だ。お前たちにその権利はない」
「そうはおっしゃりますが、残念ながら私はアンリエスト王国の貴族なのですよ。その私を含めた旅の一行を彼らは襲撃したばかりか、捕えて奴隷にしようなどと企んだわけです。そんな奴隷商を返り討ちにしたとして何の問題がありますか? それともダルムス貴族の間には、他国で奴隷狩りに遭った場合、一切の抵抗をせずに大人しく捕縛されろという決まりでもあるのですか? まして己を襲撃した賊を罰せぬまま野放しにしろという決まりがあるとでもいうのですか?」
「そんなことは言わない。しかし、貴殿らに襲われた奴隷商が本当に犯罪に加担したという証拠がないではないか」
「そうだ! 俺たちは無実だ! 奴隷狩り共がでたらめを言っているんだ!」
「こいつらは我らに難癖をつけて襲いかかってきた強盗だ。騎士団はさっさとこいつらを皆殺しにして俺たちを解放してくれ!」
「「「「「「早く解放してくれ!」」」」」」
「…………ほら、彼らもこう言っている」
「なるほど。ウソがばれた場合罪がより重くなりますが、貴方たちの主張は本当にそれでいいのですね?」
湊は自身が捕縛している奴隷商たちに対して、念のために確認を取った。
「当たり前だ。俺たちは法律を順守して正当に奴隷業を営んでいる。誤解を受けやすい業種であることも人々の恨みを買いやすい業種であることも理解しているが、だからといって何でもかんでも我らを悪者にすることはやめていただきたい」
「そうだ、我らは無実だ!」
「早く解放してくれ!」
「「「「「「そうだそうだ!」」」」」」
奴隷商たちから返ってきた答えは全て「否」。
「君らと彼らのどちらの言っていることが正しいのかは我ら騎士団が調査をして判断する故、彼らもこう言っていることだし、ひとまずは解放してやったらどうだ?」
騎士団長の判断を聞いて、奴隷商たちの口元に薄ら笑いが浮かび上がった。
ここはダルムスの国内で、しかも奴隷商たちのお膝元のライル子爵領だ。
他国の貴族に己の悪事を暴かれた時は生きた心地がしなかったが、一旦地元の騎士団に保護されてさえしまえばどうとでも誤魔化しが効くし言い繕うこともできる。
こういう時のために常日頃から領主はじめ役人や騎士団の団員などへ少なくない金をバラまいているのだ。
この場はとにかくゴネてゴネて騎士団の同情を引いて、外国貴族の手から解放という流れまで持っていけば自分たちの勝ちだ。
きっと……奴隷商たちは頭の中でこのような皮算用を立てているに違いない。
「は? 解放? 何を馬鹿なことを言っているんです? そんなことするわけないでしょう?」
だから、騎士団からの提案をきっぱりと突っぱねた湊の言葉を聞いて、彼らは心底驚いた表情を見せた。
亜人狩りや奴隷狩りのことごとくを撃退したばかりか、腕利きの用心棒たちが守る鉄壁なはずの事務所の守りを突破して店主たちの身柄を易々と捕縛してみせた湊たちの実力は、彼らも身を以って知っているはずだ。
とはいえ、今ここにいる湊たちの戦力は総勢10人(※1)にも満たない。
周囲を数百名の騎士団に囲まれたこの状況で、騎士団から出された提案を湊が平然と拒否するはずがないだろう……。
おそらく彼らはそう期待していたに違いない。
「なぜだ? やましいところがないのであれば騎士団で申し開きをすればいいではないか」
「あなた、正気ですか?」
「なに?」
団長の表情に怒気が滲むが、湊は構わずに話を進める。
「彼らの身柄をあなたたち領軍に引き渡させた上で、更に我々の身柄を押さえようとか、思い上がりも甚だしいですよ。白でも平気で黒にしかねないそんな危うい組織に自分たちの身の安全を委ねるなんて、そんな馬鹿なことを勧められてどこの誰が素直に従うというのですか? 冗談でも笑えませんよ」
「危うい組織だと? 貴様、我らライル騎士団を愚弄するのか!」
「愚弄するも何も、我々がダルムス入りしてからこっち、どれだけ奴隷狩りや亜人狩り、盗賊などダルムス人からの襲撃を受けてきたと思っているんです? 少なくとも我がアンリエストや隣国クレッサールではありえない頻度ですよ? はっきり言って異常と言っていい数字です。そしてその数はこのライル子爵領に入ってから増えることはあっても減ることはありませんでした。盗賊や奴隷狩りの摘発は騎士団の仕事ではないのですか? 他国の貴族が当然に出来ていることができていないあなたたちダルムス国の騎士たちは、一体何のために存在しているのですか? 無能なのですか? それとも怠慢者の集まりなのですか? それとも犯罪者と繋がっているのですか? いずれにせよ危うい組織であることには変わらないでしょう。違いますか?」
「ううっ、ぐぬぬ……」
実例を持ち出して糾弾された騎士団長は悔しそうに歯噛みをするものの、反論を返すことがが出来なかった。
どちらが正しいのか判断を下すには、審判を行う者が異なる訴えをする両者に対して公平であることが大前提だ。判定を行うものがどちらかに肩入れした時点でその裁定行為自体が何の意味もないものになり果てる。
あくまでも個人的な意見に過ぎないが、例えば、サッカー。
磨き上げられた芸術的な個人技、練り込まれたチーム戦術とそれを実行に移すチームワーク。チームとそれを応援するサポーターとの強い結びつき。
そして、長い歴史に支えられ改良を繰り返してきた練り込まれたルール。
大変に素晴らしい競技だ。
しかし、このスポーツには重大な欠陥が存在している。
審判の判定に対するチャレンジシステムが存在していないのだ。
VARとチャレンジシステムは両者共に審判の誤審・腐敗を防ぐためのシステムであり、両者揃って運用されることで初めてその本来の実力を発揮するいわば夫婦のような存在である。
それが片方しか実装されていない時点で片手落ちであり、システム自体が機能不全を起こしてエラーが発生してしまうような事態をどうしても防ぎきることはできない。
いくらVARのシステムを整えようが、適用の判断が審判に一認されている以上、その審判が腐敗していたら何の意味もない。
審判の腐敗を防ぎたいのであれば、VARの適用の判断を審判以外が出来るようにならなければ、VARが運用されていたとしても何の意味もないのだ。
『安易にチャレンジを乱発された結果、試合の流れが何度も止められた』
そんなことが起こらないよう、回数制限や失敗した際のペナルティーを設けるなどのルール作りは不可欠だ。
だが、そもそも既存のVARだって試合の流れを明確に止めるものだ。
チャレンジを乱発されたくないならそうされないようなルール作りをきっちりとすればよいのであって、懸念点があるから最初っから採用しないというのは明らかに違う。実際他のスポーツでは出来ていることなのだから。
腐敗しているいないに関わらず、人間が審判を行っている以上誤審というものは必ず発生する。
しかし現状では審判の判断が絶対過ぎて、選手側からその明らかに間違った判定を直接的に訴えて覆す手段が全くない。
試合に及ぼす審判の力が強すぎる。だからこそ腐敗の介入する余地が発生する。
そもそも審判の腐敗なんて、よほど明確な証拠でも出て来ない限りは審判の心の中の問題なのだから『真実の珠』でもない限り証明のしようがない。
誤審だってあるし、審判毎にプレイ強度に対する判断基準も違う。そもそも審判自身の実力差の問題だってある。明確な基準が存在していないからだ。
言い訳の余地が大きい。だからこそ腐敗が横行する。
事実として、ワールドカップのような世界的な大イベントであっても、過去に疑わしい場面が幾つも存在している。
国の代表同士が戦う、世界中の目が集まって多くのカメラで撮影され、アーカイブに証拠動画が永遠に残るような時代ですら完全には腐敗を抑止できていない。
だというのに、違法な奴隷狩りが異常なレベルで横行していて、明らかに奴隷狩りとの癒着が怪しまれるこのライル騎士団に正誤の判断を委ねるなんて、それこそ泥棒に財布を預けるようなものだ。はっきり言ってあり得ない。
「たった数日前に入国した外国勢力である我々が彼らの悪事をこんなに簡単に掴むことができたというのに、国民や領民の心の平穏を守るべき領主や騎士団は高い給料を貰いながらいったい今まで何をやっていたというのです? 怠慢ですか? それとも癒着ですか? 仮にあなたたちにこのまま奴隷商たちを引き渡したとして、明らかな黒であっても目先の金を掴まされた結果白判定してあっさりと釈放してしまう未来が容易に想像できます。いずれにせよあなたたち領軍は犯罪を取り締まるという本来の役割すら果たせていない無能者の集団なのですから、余計な口を挟まず脇にでもすっこんでいてもらいましょうか」
「し、しかし、貴殿たちが無実である証拠だってないではないか」
「証拠? だったら当の本人たちから直接聞いてみればいいではないですか」
「当の本人たちからだと? なにを言っているんだ。彼らはさっきから無実を主張しているんだぞ」
「そうだ! 俺たちは無実だ!」
「早く解放してくれぇ!」
「「「「「「そうだ、そうだ!」」」」」」
『だよなぁ』という白けた空気が周囲を支配する。
泥棒が自分のことを泥棒だと素直に認めるはずがないからだ。
「…………彼らはこう言っているが?」
こんな結果の分かり切った茶番を演じた湊の意図が読めず、騎士団長がおずおずと尋ねてくる。
騎士団長からの問いかけに、湊は黙したまま何も答えなかった。
代わりに右腕を静かに頭上に掲げると、「パチン」と一つ指を鳴らした。
瞬間、捕縛されている奴隷証人たちの足元からまばゆい光が湧き上がった。かと思うと、ぶわぁっと光が広がって次第に一つの魔法陣を形成していった。
まるで血の色のような鮮烈な朱色の魔法陣から、誰の目にも「あればヤバイ」と思えるような漆黒に近い濃い紫色の、いかにも毒々しいオーラが炎のようにゆらゆらと立ち昇っていく。
「な、何を……」
一同が固唾を飲んで見守っている中、紫色の炎に触れた奴隷商たちの服が、一斉に燃え上がった。
「ぎゃぁああああああああああああっ!」
「ああああああ、熱い、熱い、あつい~~~~~~~~」
「誰か、誰か、助けてくれ」
「「「「「うわあぁぁぁぁぁあっ」」」」」」
「お、おい、何をしている。彼らが苦しんでいるじゃないか」
奴隷商たちが苦しそうにのたうち回っているのを見かねてか、騎士団長が湊の行為を静止しようとする。
しかし、一歩を踏み出そうとしたその次の瞬間、不意に自分の喉元にメイド姿の女性から刃が突き付けられていることに気が付いて、彼は瞬時に身体を硬直させた。
「湊様の術式中です。何人たりともそれを邪魔することは許しません。このまま首と胴体を永遠にお別れさせられたくなければ、終わるまでその場で黙って見ていなさい」
「い、いつの間に……ぐっ、わ、分かった……」
騎士団長は、傍目から見ても明らかにそれと分かるくらい激しく動揺していた。
目の前で繰り広げられている闇色の炎に身を焦がされて苦しみのたうち回っている奴隷商たちの異常な光景にもそうだが、恐らくはそれと同等、いやそれ以上に自分に刃を突き付けているメイドの脅威を感じ取ってしまったことで、恐怖を抑えきることができなかったのであろう。
無理もない。
刃を突き付けられるほんの一瞬前には、彼女は確かに湊の後ろに控えていたのだから。
いくら目の前で奴隷商たちが不可思議な炎に焼かれるという異常な光景が繰り広げられていたとしても、いや、それだからこそなおさらに、団長は警戒心を強めていたはずだ。
決して気を抜いていた訳でも警戒を怠っていた訳でもなかった。
なのに、自分の喉元に刃が突き付けられるまで彼女の動きに気付くことすら出来なかった。
それは、つまり両者の間には天と地ほどの実力差があるということだ。
湊の見立てでは、目の前の男は領軍の騎士団長としてなら及第点を出してやってもいい程度の実力はある。
そして軽く話してみた感じだが、彼の言動からは敵対者である湊たちに対しても一定以上の公正さは感じ取れた。少なくとも彼は不正には手を染めてはいないのではないだろうか。
他の領軍の騎士団やダルムス正規軍みたいにアンエストの紋章を掲げていることを理由に攻撃を仕掛けてくることもなかったし、こちらの言い分に耳を傾ける度量も兼ね備えている。人格的には相当に優れた人物といってもいいのかもしれない。
湊たちが起こした騒ぎに対し、部下を引き連れて真っ先に駆けつけてきたことから、やる気も十分なようだ。
いかんせん残念だったのは、信じていた部下たちのおそらく大部分が無能かつ汚職にまみれていて、正しく判断できる正確な情報が彼自身の手元に届いていないのであろうという点だろうか。
だからこれほどに実力があり人格に優れてやる気のあるトップが騎士団長に就いても、この都市の治安は一向によくならない。
組織そのものが既に根腐れを起こしているからだ。
これはなにもダルムスに限ったことではない。
どこの国でも起こりえることだ。
当然だが、湊たちの故郷たる地球の国家でさえこの問題からは逃れることは出来ない。
いずれの世界のケースにおいても組織のトップごと腐敗していることがほとんどだが、仮にそれを何とかしたいと改革・改善を望むトップが現れたとして、その主張がどれほど万人の目に正しいものであったとしても、必ずそれを邪魔しようとする抵抗勢力が現れてくる。
改革を進めようと行動を起こせば、それは必ず誰かの抱える既得権益を犯すことになるからだ。
自分たちの利益を侵害されようとする勢力は、全力でそれに抗う。
仮にそれが自身の損得に直接的に関わらずとも、組織の権益を犯すならば全力でそれに抗う。
何故か?
自分のみならず、後に続く者にも多大な不利益を齎すからだ。
以降、仲間内から永遠に『権益を守り切れなかった無能者』という不名誉なレッテルを張られることになる。
それが嫌だから、全力で抗うのだ。
仮に国民の99%からNOと言われても、組織のために全力で抗う。
理屈ではなく感情で動いているからだ。
自分たちの権益を守るためなら、彼らは限りなく黒に近いグレー、もしくは完全にブラックな手段であろうが平気で実行する。
なまじ権益を保持して肥え太っているだけに、それを脅かさんとする者を追い落とすための実力も手段も保持していて、またそれらを巧妙に隠す手段、もしくはもみ消す方法を確保しているからだ。
Aがいかにもそれっぽく捏造した虚偽の情報を流すことで放火し、Bがそれを更に公の場で煽り散らかして大きく燃え上がらせ、更にCが火事が起こったことを理由に改革者の責任を糾弾する。
大元のAが流した情報が嘘だったと発覚しても誰も責任を取らない。扇動して責任を追及したB、Cなど言うにも及ばずである。
仮に責任追及が発生したとしてもそれを押し付けられるのはせいぜいが下っ端である。
そして、敵は何も分かり易く敵対している者だけではない。
味方や仲間の振りをして近づいて、背後から銃口を突き付ける者だっている。
自分たちの権益を脅かされる者たちは、全力で手段を選ばず、やみくもに改革者の足を引っ張り、追い落とそうと全力であがいてあがいてあがき尽くすのである。
世界的に民度が高いと評判の、それも『真実の珠』という公平で明確な真偽確認手段が存在する帝国ですらその手の不正を完全には駆逐できていない。
現存する『真実の珠』の数が少ないため、あれもこれもと調査することが出来ないためである。
元々この『真実の珠』を増産するためには、円卓第3位椎名麻耶、階位騎士第63位園田千春、そして円卓第14位の四十無湊の3名の固有能力による連携・協力が必要不可欠であった。
しかし、能力者全員に課された呪いを解除するという個人の限界を越えた超絶級の極大魔法を行使した代償として、湊の能力は長らく失われてしまっていた。
この極大魔法は多くの人の命を救ったが、その代わりに『真実の珠』の制作に必要なピースが欠けることになり、帝国としてはこの『真実の珠』を増やしたくても増やすことが出来ないという大きなジレンマをかかえ込むことになる。
こちらの世界に渡って来て黄金竜アリアレインを討伐したことで、偶然ではあるが湊は失われたはずの己の能力を十全に取り戻すことができた。なので今となっては必ずしもその限りではない訳であるが、その代わりに、自由に行き来が出来ない地球とこちらの世界という大きな次元の壁が大きく立ちはだかることになってしまった。
一つが解決すれば別の大きな困難が立ちふさがってくる。
難儀なことではあるが、逆に言えば将来的にその問題さえ解決してしまえば同時に『真実の珠』の問題も解決すると一石二鳥に捉えることも可能なわけである。
この辺は気の持ちようという奴だろう。
騎士団長への正当性の証明に関しても、奴隷商たちに『真実の珠』を使えば審議判定など一発解決だったわけであるが、あれの存在は他国の者にホイホイと明らかにして良いものでないし、なによりこの期に及んでふてぶてしくも虚言で現状を乗り切ろうという奴隷商たちの浅ましさに対して明確な罰を下すという意味あいにおいても、湊は別の手段を使うことにした。
こちらの世界における奴隷制度の根幹をなすシステム、奴隷契約と隷属の首輪。
亜人狩りや奴隷狩りなど、誘拐されて無理矢理隷属を強いられてしまった被害者たちを正規の手段に寄らず強制的に開放してやるため、湊はまずこの呪法の解析を行ったわけであるが、驚いたことにこの呪法の中身にほんの一部だが人族では扱うことが事実上不可能な古代語魔術の技法が使われていることが判明した。
この古代語魔術は脳に極度の負担を強いるため、特殊な脳構造を持ち、かつ精緻複雑極まりない積層型複合魔法陣を己の瞳に焼き付けるという特殊な技法を持つ古人族以外では使用不可能(※2)なとんでもないシロモノであることから、無理矢理術式の開発を強制させられたのか、消極的に賛同し取り組んだ結果なのか、あるいは積極的に開発に関わったのか、いずれにせよこの術式の構築には過去に古人種が何らかの形で関わっていたことが判明した。
ヒト種では古代語魔法を理解することも使用することもできないし、古人種はそもそも下位互換である人語魔術を積極的に覚える必要がない。
この術式を解読するためには、少なくとも古代語魔法・人語魔法両者共に一流といわれるランクで精通することが条件(※3)で、その条件が自然に満たされる確率は限りなく低い(※4)。加えて術式自体が古代語魔法の関与を巧妙に隠す構成になっていたため、長年に渡りこの強制隷属システムの解読が進むことはなかったのだ。
種が分からない限り、術式に定められた正規の方法以外での解除は永遠に不可能。
何らかの偶然によるものではなく、故意にこのような術式を組み上げたのだとすれば、その開発者、もしくはそれを主導した黒幕の抱える闇は果てしなく深いだろう。
いずれにせよ古代語魔法、人語魔術双方共に完全にマスターしてしまっている湊にとって、強制隷属魔術の解析をすることなんて朝飯前であった。
完全に解析できているのだから、当然術式を改変することも改良することも簡単だ。
ここまで説明すれば容易く想像できると思うが、湊が奴隷商たちにかけた魔法はこの世界の強制隷属魔術を一から組みなおした湊オリジナルの強制隷属魔法であり、その魔法を強制的に解除することが出来る者はこの世に湊以外に存在していない。
一体どの部分がオリジナルなのかというと、人語魔術をベースに構築されている既存の隷属魔術に対して、湊の魔法は古代語魔法をベースに人語魔術を複雑精緻に織り込んであり、更には湊の固有能力による魔力吸収機能と、眷属化に付随した『能力』による隷属契約の機能を連動させたことで対象の寿命延長と怪我からの自動修復機能まで再現されている。
術式の分解・解析対策として二つの魔術言語が互いに絡み合ってガッチリ癒着しあうよう複雑巧妙に隠蔽しながら織り込んであり、更には術式の核が隠されている場所は量子コンピューターでも突破できないほどに強固な魔法鍵付きの防壁で守られている。
ちなみにこの術式の行使と解析には魔法とは別系統の超能力である思考分割が必須だ。
なので、仮に人語魔術と古代語魔法をマスターした者が他に存在していたとしても絶対に解読・模倣することはできない。
この術式は、被対象者を隷属させるだけでなく、その前の段階において闇色の炎で身に付けている着衣を全て燃やし尽くす効果が付与されている。
この炎を受けても傷一つなく焼け残るのは、生身の肉体と魔術効果が付与された魔術具だけ。
つまり被術者は素っ裸になった上で魔術具だけを身に纏った状態になる訳であるが、この術を受けた魔道具は燃えこそしないものの、現在進行形で対象の身体を蝕んでいる炎以上の激しい高熱を発し続ける。
そのため、被術者はそのまま継続して魔道具を身に付け続けることなど到底かなわない。
対象者は自身が炎に焼かれている痛みの中で、それがどれほど辛い責め苦の最中であったとしても、必死で己の体に装着された魔術具を投げ捨てる羽目になる。
つまり、どれほど強靭な意思や肉体を持つ者であってもこの術の影響下で魔術具を隠し持つことは不可能であるということだ。
湊の立場からすれば、被術者が魔道具を隠し持つのを防ぐと同時に、この術の結果としてタダで貴重な魔道具が手に入ることもあるというのだから正に一石二鳥の効果である。
着衣を燃やし尽くす闇の炎は高熱であり、衣服が燃え尽きるまで被対象者は猛烈な痛みに苛まれることになる。だが、肌が焼ける痛みはあっても実際には肌が焼けているわけではない。
単純に装備を強制解除させることが目的だからだ。
炎で炙られることに付随してついてくる痛みに関しては、この魔法を受けることになるほどの悪人たちに対する罰、もしくは単なる嫌がらせ行為と言い換えてもいい。
事実、湊の魔法をくらった奴隷商たちは、精神を消耗し尽くしてしかも完全に素っ裸な状態であったが、肉体的には傷一つなく、闇の炎が消え去った今、痛みも消えてピンピンしている状態だった。
唯一の例外といえるのは、魔法を受けた証として彼ら全員の胸部のちょうど心臓のある位置に見るからに凶悪な文様のアザが刻まれており、そこから先ほどの闇の炎とほぼ同じ毒々しい暗紫色のオーラが立ち昇っていることくらいだろうか。
「さて、準備が整いましたね。それでは、五十鈴…………」
「畏まりました」
湊が全てを言い終えるまでもなく、察しの良いメイドは湊の意を汲んで騎士団長に突きつけていた刀を下げて鞘に納めた。そして先ほどまでの剣呑な雰囲気とはうって変わって騎士団長へ向けて優雅な仕草でカーテシーを決めてみせると、しずしずと湊の後ろに控える位置に戻ってくる。
目の前で起こったことが何なのかよく理解しきれずにぽかんと間抜けな表情で呆気に取られている騎士団一行を尻目に、湊はゆっくりと奴隷商たちに向き直ると、一切の感情が籠らない冷徹な声音で静かに告げる。
「汝の生殺与奪の一切の権利を持つ主たる四十無湊の名において命ずる。自死・自傷を禁ず。他者の心身を害する一切の行為を禁ず。許可なき魔術の発動を禁ず。許可なき魔術具の携帯及び使用を禁ず。窃盗を禁ず。逃亡を禁ず。許可なき財産の保有を禁ず。生命の危機以外の他者へ救済を求めることを禁ず。他者へ依頼することを禁ず。他者へ命令することを禁ず。他者との金銭のやり取りを禁ず。他者の思考を誘導することを禁ず。他者を裏切ることを禁ず。我が命に逆らうことを禁ず。我が命を故意に曲解することを禁ず。課せられた命令に対する一切の手抜きを禁ず。いかなる苦痛を受けても正気を手放すことを禁ず。我が詰問に対する沈黙を禁ず。そして最後に、今後一切の虚言を禁ず」
湊が一つ禁止事項を加える度に、胸に刻まれた文様から禍々しいオーラが集まって巨大な針の姿を形成し、それがズブズブと一気に心臓に向かって沈んでいく。何本も、何本も。
最終的には20個近い針によってめった刺しにされたことになる。
針の長さから考えても、外見の怪しさの観点から考えても、明らかにヤバイその針が今頃心臓を串刺しにしているであろうことは誰の目にも明らかだった。
針が心臓に刺さっていく度に、奴隷商たちは揃って断末魔に近い絶叫を上げ、地を這いながら苦しみのたうち回りっている。
あれだけの針が心臓に刺さっても彼らが死んでいないのは、針自体が殺傷を目的にしたものではないからだ。
「お、おい、あれは、大丈夫なものなのか?」
「ご心配なく。命には別状ありません」
「そ、そうなのか? い、いったい、何が起きているんだ?」
「ちょっと彼らには契約魔法で嘘がつけない体になって貰いました。もちろん口が自由に動く以上嘘をつく事自体は可能なんですが、もし彼らが嘘をつくと、先ほど心臓に直接打ち込んだ針が反応して先ほどとは比にならないの激しい苦痛が襲いかかるようになっています」
湊の言葉を聞いて、契約の儀式が済んだことでようやく苦しみから解放されたと安堵の表情を浮かべていた奴隷商たちが揃ったようにぎょっと目を剥いた。
死にも勝るかと思った地獄の苦しみからやっと解放されたというのに、額に溢れ出ているあぶら汗が全く引かない内からそれ以上の責め苦の話をされたのだ。無理もない話である。
「う、嘘だ。騙されるな! そんな魔術があるなんて話、伝説でも聞いたことがない!」
そう反論してきたのは、奴隷商たちではなく騎士団に所属しているであろう魔術師だった。
「貴方たちの使うしょっぱい魔術などではなく、魔法です」
言うと、湊は自分の瞳に刻印された積層型複合魔法陣を起動して見せる。
「そ、それはまさか! 幻の古人種のみに伝わるという……しかし……どこで、どうやって……?」
「どうやっても何も、私の仲間にはその幻の古人種とやらが2名もいますが、何か問題でもありますか?」
湊が合図をすると、湊の後ろに控えている仲間の内のセリネとルシルの両名が深々と被っていたフードを取り去って己の顔を周囲に晒して見せる。
「世にもまれな美貌に、銀色の髪……ま、まさか、本物……なのか?」
「なんて美しさだ。信じられない……」
「しかも、同時に二人もだ……」
予想以上のその容姿に、騎士団員たちからも次々に驚愕と羨望のため息が漏れ始める。
「これで先ほどの魔法の信憑性が増したとは思いますが、百聞は一見に如かずとも言いますし、本当かどうか実際に試してもらったらどうですか? ちなみに、回答し終えるまでは個別に音と視界を遮断していますから、誰かに先に回答させてその結果を見た上で自分の返答を考えようなどというカンニング行為は出来ませんのでご注意ください。また私が課した禁止事項は破れば破った回数に応じて本人を襲う苦痛の量と時間が増していくようになっていますから、その点についてもくれぐれも注意してくださいね。ではここで改めて質問致しますが、あなたたちは違法な奴隷売買に関わっていましたか?」
「あっ……えっ…………」
奴隷商たちは言い淀んだ。
素直に罪を認めても地獄、認めず嘘をついても地獄。
ここで今おそらく彼らの頭には三つの選択肢がある。
一つは、素直に罪を認めて素直にお縄につく事だ。
本人たちは死罪だと思っているだろうが、そう簡単には殺してやらない。最終的には処刑が待っているが、その前に罪に応じた長く過酷な強制労働が待っている。
送られる場所は、湊が新たに支配することになった東方地域の元大雅国領。
資源開発地での刺激的で(?)健康的な(?)肉体労働となる。
少なくとも現地に着くまでは痛い思いをせずに済む一番マシな選択肢といえる。
第二に、嘘をついて罪を認めないこと。
ここで問題になってくるのが、『嘘をついたら痛みが襲う』と告げた湊の言葉の真偽のほどである。
魔法をかけた本人である湊は自分の言葉に100%嘘はないと断言できるのだが、魔法の被対象者である彼らの頭の中では必ずしもそうではない。
彼らに本当のことを言わせるために、湊があえてブラフをかけてきているという可能性も捨てきれないからだ。
もし湊の言葉が単なる脅しだった場合、嘘をついておけばばれなかった罪がばれて人生が終わる。その場合、真実を告げたからこそ破滅を迎えることになってしまうのだ。
また、高いリスクをはらんではいるが、仮にこの第二の選択肢が成功すればその時点で無罪放免である。
チャレンジをする十分すぎるメリットは存在している。
そしてここに「そうであっていて欲しい」という人の性ともいえる強い願望が加味されていくわけだが、これに抗いきることは容易ではない。
だが、もし湊が本当のことを言っていた場合、先ほど以上という信じられない苦痛を味わった上で罪がばれて人生が終わってしまう。
ここでの最大の焦点は、湊がブラフをかけているのかいないのかだ。
事実はともあれ、彼らの脳内では完全に50:50。
量子力学的に表現するなら、実際に箱を開けてみるまで中の猫が生きているのか生きていないのか分からないシュレーディンガーの猫というやつだ。
最後に、第三の選択肢は黙して語らぬ完全なる沈黙である。
実はこれは一番良くない。
湊に課された禁止事項によって確定で苦痛を味わうことになる上に、肝心の嘘をつくのかつかないのかという問題が何一つ解決していないこともあり、強制的にふりだし状態に戻された上で、その次の選択次第では更に苦痛を味わうことにもなりかねないからだ。
回答期限までの短い時間の中、結局のところ、与えられた選択肢の中で実際に奴隷商たちが選んでしまった選択肢は、第3の選択肢である「沈黙」だった。
誰一人として己に与えられた二択に決断を下すことが出来なかったのである。
誰の目にも分かる最悪の選択であった。
単なる優柔不断による決断力不足。
ギリギリまで迷った末の時間切れ。などなど……
色々な理由が考えられるが、恐らく最も可能性が高いのは「奴隷商たちが『湊からの質問に沈黙で応えてはならない』というルールの存在に気付いていなかった結果として、じっくり時間をかけて迷っている内に時間切れを迎えてしまった」といったところだろうか。
「「「「「な、何も選んでないのに、どうして!?」」」」」」
結果的にではあるが、沈黙を選んだことによる罰則により激しい苦痛で散々にのたうち回った後で、奴隷商たちが異口同音に言い放った言葉が何よりもそれを証明していた。
あれほどはっきりと禁止事項を言い渡されていたのにどうしてと思うかもしれないが、あの瞬間、一つ禁止事項を言い渡される度に心臓に魔力の針が突き刺さっていた訳であり、針一本ですら「いっそこのまま殺してくれ!」と思うくらいのとんでもない苦痛に苛まれるというのに、それが次々と、合計で20本近く刺さっていく針の最後から二つ目に言い渡された禁止事項である。その頃にはもう意識が朦朧としていて湊の言葉などまともに聞き取れていなかったとしても決しておかしな話ではない。
その可能性について、湊ははもちろん事前に想定していた。
だからと言って、一回きっちりと説明してやったたことを、相手から聞かれもしないのにあえて説明し直してやるほどには親切ではなかった。
「あー、禁止事項についてきちんと確認してくれていればもう一度丁寧に説明してやったのにナー、聞かれなかったから仕方ないナー」(明後日の方向を見ながら)
……というやつである。
確信犯かと聞かれれば、明確にYES。
団長を含め騎士団の方々はどん引きしていたが、そんな空気などお構いなしに話を進めていく。
先ほどは、選択肢3を経由した後再び二択に戻ると説明した。
しかし、厳密にいえばこれは誤りである。
選択肢3を選んでしまったことで分かることがあるからだ。
選択肢3を選択した結果として明確な「罰」を受けた訳であるから、自分たちの選んだ選択の先に「罰」が待っているという湊の言葉はブラフでなかったことはこの時点で確定している。
選択の先に魔法的「罰」の存在が確定している状態でなお嘘の選択肢を取ることは極めてリスクが高い。
沈黙による罰と虚言の罰が同一の契約魔術上で結ばれたものであるならなおさらだ。
そのことに思い至りさえすれば、正解を導き出すことなど造作もないのであるが……。
結局のところ、あの一瞬で正解にたどり着いた。ないし、辿り着かなかったがとにかく二択勝負に勝って術式による罰の回避に成功した者は奴隷商たちの半数程度に過ぎず、運も頭も悪いもう半数は地獄の苦しみをもう一度味わうはめになった。
この時点で誰の目にも嘘をつくとあの罰が待っていることが確定したため、次のターンでは湊たちに捕縛されていた奴隷商たちは全員が観念して己の罪を素直に認めることとなった。
「…………我々の主張が正しかったことはこれで証明されたはずです。我々は被害者の方々とこの罪人どもを連れてここから去らせていただきますが、よろしいですね?」
「あ、ああ。余計な手間をかけさせて申し訳なかったな」
騎士団長はそう言いながら素直に頭を下げた。
が、話はそう簡単には終わらなかった。
「ちょっと待ちな! まだこちらの要件は終わってねぇ」
その場を立ち去ろうとした湊たちの背中に、不意に声がかかる。
先ほどまで話していた騎士団長のものではない。彼の後ろに控えている騎士団の中から発せられたものだった。
湊は億劫そうな表情で後ろを振り向いた。
「…………何か?」
「何か? じゃねぇよ。まだこっちの要件は終わってねぇって言ってんだ!」
団員の群れの中から一人の男が進み出てくる。
騎士団の鎧こそ身に付けているがそれすらもだらしなく来崩していて、目つきの悪さといい、歩き方といい、下卑た笑みでにやけた表情といい、完全にチンピラのような風貌の男だった。
「おい、ロビオ、何を勝手なことを言っている。下がれ!」
「まあまあ、いいですから、団長はちょっと黙っていてくださいや」
そのふてぶてしい態度は、上官であろう団長の静止を受けても、お構いなしだった。
「よう、アンリエストのお貴族さんよぉ…………」
言いながら、ポケットに手を突っ込んだまま、ややガニ股のチンピラ歩きでゆっくり湊の前まで進み出てくる。
「あんたが連れている古人種の女、いい女じゃねぇか。アンリエストのおぼっちゃんには勿体ねえ上物だ。なあ、二人ともここに置いてけや」
「お、おい、ロビオ。お前、一体何を言っている!」
団長が必死に制止しようとするが、ロビオは上司が伸ばした手を荒々しく振りほどいた。
「団長は黙っていてくださいや。あんたは確かに今のところは俺の上司だが、知っての通り俺の親父はここの領主だ。将来の領主としては、騎士たちを統括する団長には身分差というものをきちんとわきまえていて欲しいものだが、そこんとこあんたはどう思う? 子供が生まれたばかりの状態で一家揃って路頭に迷いたくはねぇだろ?」
「………………っ、お前という男はっ…………!」
隠しきれていない団長の表情の歪みは、湊の見たところ、自分が若造に見下されていることに悔しがっているという意味合いよりも、この領の最大の恥部を他国の貴族に知られてしまった恥辱感によるものの方がより大きいように感じられた。
ただじっとうつむいて肩を震わせているその様は、あまりの恥ずかしさに、一刻も早くこの場から立ち去ってしまいたいといういたたまれなさがぷんぷんと現れている。
こんな馬鹿が現在進行形で自領の顔に泥をべったりと塗りたくっているのだから、無理もない話だ。
湊をして思わず同情してやりたくなってしまうが、当の動く汚点の方はそうは思ってはいないらしく、にやけた表情のまま湊の顔を覗き込むと、次の瞬間にはぱっと破顔する。
「最初から思ってはいたが、あんたも後ろのメイドも古人種の二人に劣らない特上クラスの上玉じゃねぇか。まあ、どんなに整っていても残念ながら男は俺の趣味じゃねぇし一応他国の貴族らしいからな。特別にお前は見逃してやる。だから、その代わりにそのメイドも置いていけ。俺様自らがじっくりと可愛がってやるから心配するなや。なあ、貴族のおぼっちゃんよぉ」
「断るが?」
表情一つ変えずに湊は即答する。
そんな彼を見てロビオは突然、堰を切ったように高笑いを上げた。
「おいおい、勘違いしてんじゃねぇぞ。俺はあんたにお願いをしているじゃねぇ。女どもを差し出せって命令しているんだ」
「命令? 何を根拠にだ?」
「根拠? 根拠ならあるさ。この国の新しい王が国内の亜人は全て奴隷にしろと命令を下したんだからな。お貴族さまの故郷であるアンリエストは亜人奴隷解放を謳う国家だ。そんなあんたが連れている亜人が奴隷なんてことはありえねぇってわけだ。違うか?」
「違わないな。だがそれだと人族であるメイドの五十鈴も差し出せといったこととの整合性が取れてないが? それに先ほど他国の貴族である俺に向かっても女だったら手を出していたような口ぶりだったが、その説明だと理屈が通らないな」
「こんなご時世にダルムスを旅行している呑気なアンリエスト貴族さまは知らないだろうが、間もなくダルムスとアンリエストは戦争になる。とはいっても向こうの王様が少数の兵隊を引き連れただけの隙だらけな状態でのこのここっちに向かってきているらしいから、あっという間に決着はついちまうだろう。どの道ダルムスの属国になる国の貴族なんだ。一匹二匹攫ったところで何の問題にもならないだろうぜ。それに、さっきはそこのお堅い団長の手前、貴族のお前だけは国に帰してやると一応表面くらいは取り繕っておいてやってたが、どの道一人になったところをこっそり部下に攫わせて高級男娼として売っぱらっちまうつもりだったしな」
「ほう。つまりそれは、こちらが勝利したならば、俺がお前を奴隷として売り払ったとしても文句はないということでいいんだよな?」
「はぁ? お前の目はどんな節穴なんだ? 現実が見えてねぇのか? お前たちはたったの7人しかいなくて、周りは全て俺の部下であるライル騎士団数百名によって囲まれている状態なんだぞ。馬鹿でも分かるこの状況が理解できていないとは、やはり無能な亜人たちを重用する国の間抜け貴族なだけはあるってわけだ」
「いや、逆にこの程度の人数しかいなくてどうして俺たちをどうにかできると思うんだ? 目の前にいる敵がどの程度の実力を持っているのか分からないまま大口を叩くとは、ダルムス貴族は揃いも揃って無能なのか? まあ、公王だったおっさんやその娘はまともだったようだが、それらを追い落として勝手に公王を称している男からして想像を絶する愚物なようだからな。それも仕方がないのか」
「貴様、我が国の公王を侮辱するのか?」
「は? お前こそ何を言っているんだ? この国の公王は、公家に伝わる王鍵を用いた儀式を終えた者が名乗ることのできる称号のはずだろう? 今この国の指揮を執っている皇太子はまだその儀式を終えていないのだから、現在のこの国の公王は法的に言えば隠居したとされるおっさんのまま、もしくは空位だ。勝手に皇太子のことを公王と主張しているお前こそ公王を侮辱しているんじゃないのか?」
「ぐっ…………知ったようなことを……」
「いや、そんなルール他国の貴族である俺ですら知っていることだ。この国に住んでいる者なら誰でも知っていることだろ? むしろ何でお前が知らないんだ? 馬鹿だからか?」
「それくらい知ってるわっ!! ちくしょうこのやろう、口だけは達者なようだな。スカしてんじゃねぇぞこの野郎。てめぇは一目見た時から気に入らなかったんだ。そもそもせっかく人が中央に発覚しないようコツコツとここまで違法奴隷の誘拐組織を大きく育ててきたってぇのに、他国の貴族のくせして横から急に顔出ししてきた上に根っこから全て壊滅させやがって。おかげでまた組織を一から作り直さなくきゃいけなくなっちまったじゃねぇか」
騎士団長を筆頭にごく一部の騎士たちは、急に飛び出してきたロビオの罪の告白に唖然とした表情を浮かべていたが、八割以上の騎士たちはそれを聞いても表情一つ変えていないことから、相当騎士団の中の腐敗が進んでいることが察せられた。
「後で改めて暴き出すつもりだった悪事の自白には感謝する。だが、これからのお前には、そこに転がっている奴隷商たちと一緒にひたすら今までの行いを後悔しながら過酷な労働に勤しむだけの長く苦痛だらけで色味のない人生が待っているんだ。組織の再編なんて出来もしない余計な心配をする必要はないだろう」
「小癪な! もういい! 力ずくで分からせてやるまでだ。骨の髄までな! 者ども、かかれ!」
「「「「「「「「「「「応!!」」」」」」」」」」
「お前ら、待て! 国際問題になるぞ! やめるんだ!」
団長は懸命に叫んだが、その呼びかけに応じたのは先ほどのロビオの告白に驚きの表情を見せていた面々だけ。ほとんどの騎士たちはロビオの呼びかけに呼応して剣を抜刀しながら湊たちへと襲いかかってきた。
騎士たちを迎撃するにあたって、未だフードを深くかぶったままだった猫人族のノワール、小人族のロジエ、天狐族の霞の三名もフードを下ろした。
乱戦時の視界確保のためだ。
「おお! こいつらも亜人の女だ!」
「しかも上玉だぞ!」
「ロビオ様ぁ。貴重な古人種とまでは贅沢を言いませんから、残りの女たちは後で俺たちにも回してくださいよぉ?」
「仕方ねぇやつらだな。だが、たまには褒美も必要か。俺が味見して満足からならまあ、いいぞ。ただし大事な商品だからな、値が下がるような傷がつくような遊びはするんじゃねぇぞ!」
「へへっ、分かってますって」
「やったぜ! さすがロビオ様だ! 懐がでかいぜ!」
クズの配下はやはりクズということで、揃いも揃って聞くに堪えない会話を交わしながらただひたすらに数の力を頼りに湊たちの身柄を押さえにくる。
しかし、いかんせん相手が悪すぎた。
ここにいるのは、たったの7人だ。
しかし、ただの7人ではない。
その気になるだけで簡単に一国を陥落とせる7人なのだ。
ダルムス公国の一地方、更にその一部しか支配していないごくごく普通の地方都市に過ぎないライル子爵領が抱える領軍の、さらに三つある騎士団の内の一つでしかない今のロビオの保有戦力で、しかもそれを率ていいるのがちょっと悪知恵が働く程度の悪事以外に大した実績もない才能もない、生まれながらの地位しか持ってない男だとくれば、最初っから勝負にもならない。
戦闘シーンが丸々時短モードで省略されてしまうのも仕方ないないことであった。
「ば、馬鹿な! ごく一部命令に従わなかった奴らがいたとはいえ、我が領の誇る三騎士団の内の特に精鋭揃いの第一騎士団だぞ! それがたった7人を相手に一分持たずに全滅だと?」
ロビオの顔に深い絶望が刻まれる。
数百人いた彼の配下たちは一人残らず真っ赤に染まり上がった大地に倒れ込んでおり、五体満足で立っているのは、彼の命令に反して戦闘に参加しなかったことで湊たちが見逃してやった騎士団長と2、30名ばかりの兵士たち、そして今回の事件の黒幕であるロビオただ一人だけ。
「心配なさらずとも手加減はしてありますから誰一人として死亡者はいないはずです。ですが、彼ら全員、もちろんあえてそこに残してある領主の息子を含めてですが、今後二度と生きてこの地の土を踏むことはないですから、この地で生きていくあなたたちにとっては事実上死んだ存在も同然ですけどね」
隔絶した実力差による一方的な蹂躙劇を見せられた恐怖によって完全に金縛り状態になっている団長と生き残りの兵士たちへ向けて湊は告げると、携帯端末を用いて『八千代』のAI『ちよちゃん』に連絡を取って、保護している被害者たちの強襲揚陸艦二藍へのヘリ輸送が無事完了し次第、護衛として残している仲間と共にこの場所へ向けて急行してくるようにと命じた。
単なる地方都市での話とはいえ、いよいよ『八千代』を都市の中にまで堂々と乗り付ける訳であるが、保護すべき被害者と連行すべき犯罪者たちの数がいよいよ隠し切れないほどに膨れ上がってしまったため、やむを得ない処置であった。
まあ、隠していたものを表に出したからと言って、ダルムス側が今さら『八千代』をどうこうできるものでもないだろうと完全に開き直ったその結果であるともいう。
「さて、お前のお仲間はみな地面におねんねしているわけだが、どうしてお前だけが未だに五体満足でピンピンしていられるのか、分かるか?」
「お、俺が領主の、息子……だから、か?」
「惜しいが、違うな」
「じゃ、じゃあ、なんでだ?」
「お前がこの地方の奴隷狩りと亜人狩りの黒幕だからだ。お前に今までの罪を償わせるのは既に決定事項だ。お前の人生にはこの先一分一秒たりとも安らぎの時間が訪れることはない。だが、その前にお前が築き上げた組織の全容と被害の全容を解き明かしておかなければならない。親父である領主やその他の貴族たち商人たちの関与を含めてな」
「はっ、俺がそんな仲間を売るようなことをぺらぺらと話すはずがねぇだろ」
「いいや。お前は仲間や家族すら売り渡して、何もかもを洗いざらい話してくれるさ」
「見損なうな! お前に俺の何が分かるっていうんだ!」
「お前のこと? そんなこと俺が知るわけがないだろ? だからさっきお前にわざわざ見せてやったんだよ」
「見せてやっただと? 何をだ?」
「………………」
ロビオからの問いには何も答えないまま、湊は黙って右腕を頭上に掲げ、パチンと一つ指を鳴らした。
見覚えのあるその挙動を見て、ロビオの顔色からサーっと血の気が引いていく。
「ま、まさか、それは…………」
呟いた彼の足元に、これまた既視感のある禍々しい魔法陣が広がっていく。
「あっ、あああっ、あああああああああああああああああああああっ!」
傍目にそれとはっきり分かるほど、ロビオはガチガチと歯を打ち鳴らし、ガクガクと足を痙攣させている。
次に何が来るのか、知っているからだ。
なまじ目の前で凄惨な現場を見てしまっているから、余計に恐怖が掻き立てられる。
「ま、待てっ! 待ってくれ! お願いだ。ま、待って……くだ、さい。お願いします。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌…………ぎゃ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁっ」
先ほどの奴隷商たちの姿をそのまんま再生し直したかのように、魔法陣から立ち昇る闇色の炎がロビオを包み込み、着ている衣服を燃やし尽くした。
領主の息子であろうが関係ない。容赦なく裸に剥いていく。
この術式で服や装備を燃やし尽くすのは、胸に刻まれた刻印の存在に誰の目であっても気づくことが出来るようにするためだが、この辺は一部センシティブな問題であるので、女性であれば個室で行うなど一定の配慮を行うことはある(焼かれる痛みの度合いは変わらないが……)。しかし、生憎とロビオはその対象に該当しないので、公共の場で盛大に恥をかいてもらうためにも遠慮なく屋外で行わせてもらった。
「熱い、熱い、熱い、熱い、ああああああああああああああああ!」
ロビオは絶叫しながらも、己の身を焼く炎以上の高熱を発している魔道具の指輪とネックレスを必死の形相で外すと、おもむろに地面に向かって投げ捨てた。
おそらくは高価なものなのだろうが、今後の彼の人生には不要なものなので、被害者への補償のために役立たせてもらうことになる。
これから城に乗り込んで没収することになる彼やその一味の全財産とともに、アンリエストでオークションにかけられることになるであろう。
あくまでも術の前段階に過ぎない今ですら精魂尽き果てた様子を見せているロビオだが、残念ながらここからが本番である。
「頼む! お願いだからそれだけは、どうか、それだけは…………!」
これから自分に待ち受ける洗礼の内容とその凄惨さを既に知っているからか、必死に命乞いをしてくる。が、そんなもの湊の知ったことではない。
「汝の生殺与奪の一切の権利を持つ主たる四十無湊の名において命ずる。自死・自傷を禁ず。他者の心身を害する一切の行為を禁ず。許可なき魔術の発動を禁ず。許可なき魔術具の携帯及び使用を禁ず。窃盗を禁ず。逃亡を禁ず。許可なき財産の保有を禁ず。生命の危機以外に他者へ救済を求めることを禁ず。他者へ依頼することを禁ず。他者へ命令することを禁ず。他者との金銭のやり取りを禁ず。他者の思考を誘導することを禁ず。他者を裏切ることを禁ず。我が命に逆らうことを禁ず。我が命を故意に曲解することを禁ず。課せられた命令に対する一切の手抜きを禁ず。いかなる苦痛を受けても正気を手放すことを禁ず。我が詰問に対する沈黙を禁ず。一切の虚言を禁ず。そして最後に、契約主たる四十無湊が不快に感じる行為の一切を禁ずる」
ちなみに禁止事項の中に「法に反する行為」や「社会通念に反する行為」が含まれていないのは、亜人への不当な扱いや権力者にとって都合の良い死生観など、ファナト・ヤーシスという一人の男により歪められた『偽りの正義観』によって、この世界の法律や常識の至る所が汚染されているからだ。
禁止事項が子細に亘るのも、心臓に刺さる針の数が多い方が罰としての効果が高いという意味合いも含まれてはいるが、逆に言うと、それだけ詳細に設定しないと、社会認識が歪んでいるこの世界では湊の期待する効果を十全に発揮してくれないという世知辛い現実もある。
禁止事項に奴隷商たちの時とは異なり『湊が不快に感じる行為』が追加されているのは、この術式を奴隷商たちの発言の正否判定に利用したからだ。
禁止事項にその条項を残したままだと、仮に奴隷商たちが質問に対して正直に返答していたとしても、その発言に対して湊が『不快を感じてしまった』時点で罰が発動しかねない。その事故を防ぐためにあえてその条項を外していたのだ。
もちろん、違法な奴隷商の方々には、後で改めてこの条項が『懲罰の針』と共に追加されるという過酷な運命が待ち構えている。
ロビオを隷属させた湊は、彼を引き連れてライル子爵の居城に乗り込み、犯罪の証拠やライル家の財産、更には違法な犯罪や脱税などによって得た表に出せない資産まで徹底的に暴き出した。
犯罪組織については父親もその一味の幹部だったため、本人たちの身柄も含め、湊たちが通った後にはもはやぺんぺん草も残らない状態だった。
調査の結果、ライル一族は全員がアウト判定。配下の貴族たちも9割がアウト。奴隷商ではない商人たちも一部アウト。他領の領主や貴族たち、そしてその配下の一部使用人や騎士団員、懇意にしている商人たちも一部アウトという顛末で、周辺一帯がまっ赤っかであった。
不幸中の幸いと言えたのが、屋敷の使用人の8割と、第二、第三騎士団の7割は犯罪に関与していなかったことであろうか。
そして今回の摘発劇の最大の成果といえるのは、ロビオ一味の運営する違法奴隷ネットワークがこの国最大の犯罪組織グループと繋がっていたということである。
おかげで労せずしてその犯罪グループの一部構成員の名前や、知っている限りの隠れ家の情報なども手に入れることが出来た。
ライル子爵邸には更に多くの違法奴隷と亜人奴隷が囚われていたので、彼らを解放しつつライル家から没収した金から十分な見舞金を渡し、さらにライル騎士団を護衛に付けて故郷へと送り届けさせた。家族に売り飛ばされた者、友人に騙された者、悪徳村長に売られた者など、故郷への帰還を希望しないものについてはこちらで保護することとし、保護を求めてくる者についてはアンリエスト、もしくは開発中の東方の新領地へ送り届けて、いずれ向こうで改めて生活の基盤を築かせていくことになる。
そして、いまさらという感じではあるが、ロビオとその父親、そして違法な人身売買に関わった者たちは一人残らず強制労働行きとなる。
そんな彼らの連行先の有力候補が、アンリエスト王国アゼンダ地方。
ほんの数年前まで大雅国と呼ばれる覇権主義国家があった広大な大地である。
元々この地は資源が豊富で、比較的気候も穏やか。同じ大陸東側を大きく占める立地でありながら、その土地の性質は地球における大華国とは全く異なる。
大華国とは異なり領土内に砂漠はほとんどなく、水資源も豊か。かといって都市部が常に大河の氾濫に怯えなくてはならないような煩わしさもない。地球で例えるならどちらかというと合州国が存在するアルメリ大陸の東海岸の方が近いだろう。広大な土地なので東西のみならず南北にも長いこともあり、四季がはっきりしている地域や亜熱帯にかかる南部地域、逆に夏が短くて冬が厳しくて長い北部地域など気候風土も多彩にわたる。
もちろん良いことだけではない。
地震もあるし台風も来る。稀には水害もあるし、さらに極々稀に竜巻だって来る。数年に一度くらいは天候不順による不作などにも襲われる。領土の西側には全領土の四分一を占めるほど巨大な湿地帯と森林地帯の混成地帯があり、世界屈指の多彩な生態系を誇ると同時に、アンリエストにある魔の森奥地に匹敵するレベルの強力な魔物たちが跋扈する大陸屈指の魔境となっている。直接確認したわけではないが、より魔力の濃い奥地には神竜の群れの生息域が存在しているという噂もあるらしい。
湊はこの東方領地をまとめて旧々国名のアゼンダ王国から名を頂いて『アゼンダ地方』と新たに名付けたのだが、この地域は現在急速な発展を遂げている真っ最中だ。
中世から一気に現代へとまではさすがにいかないが、領都周辺においては少なくとも文明開化の音は鳴り終わっているくらいには発展している。
大雅国の征服を受けていた旧アゼンダ王国の民は元々が穏やかで誠実、そして勤勉な民族性を持っていた。そこに湊たちから持ち込まれた先進的な学術や技術、設計図や道具、重機や工作機械などが加わって、とんでもない化学変化が起こっているところだ。
さらに言うなら、この地には『旧大雅兵』という常に健康で数百年でも使い減りのしない、命令には一切逆らわず手抜きが一切できない、給金を払う必要もなくその上で維持費用は最低限の衣食住の確保だけでいいという、とんでもなく使い勝手のよい労働力が数万人単位で存在しているのである。
この手の労働力は幾らいても困らない。
間もなくこのライル子爵領からも大量の増援が向かうことになるだろう。
犯した罪によって刑期の長さは異なるが、帝国法でもアンリエスト法でも他人の人生を踏みにじる人身売買は殺人と並んで特に罪が重い。
被害者が一人なら数十年のお勤めで済むだろう。
しかし、違法奴隷の売買に関わっていた者たちが生み出した被害者が一人や二人なはずがない。
被害者の人数が増えれば増えるほど罪は累積して重くなる。
そして組織の上位の者は自分より下位の者の罪を引き継ぐから、黒幕に近ければ近いほど刑期は長くなる。その場合、かかる刑期は数千年。下手をすればその一桁上の可能性すらもある。
罪を犯すのは簡単だが、償うのは大変なのだ。
当たり前だ。
失われた命は決して戻らない。
命は助かっても取り返しのつかない欠損が残ることもある。
救い出されたからと言って、失われたその分の人生が戻ってくるわけでもない。
肉体自体は無事でも精神に重い傷を残すこともある。
肉体や精神は無事であっても、尊厳を踏みにじられた記憶は永遠に被害者の心に残り続ける。
そんな被害者たちが新たな人生を送るためには、十分な賠償金、仕事、収入、住まいなどの確かな生活基盤と、長い長い心のケア、そして何よりも、生きがいが必要だ。
心の問題や生きがいについては一朝一夕でどうにかできるものではない。
他人がいくら横から口を出したところで心の問題に特効薬は存在しないのだから。
湊たちに出来るのは、せいぜいが被害者たちが安心して新しい生活を始めることが出来るよう手助けをすることくらいだ。
そんな被害者たちを支援するためには、資金が必要だ。
莫大な資金が必要だ。
被害者に必要なのは即金なため、彼らへの補償はアンリエスト側が立て替えて先払いしている。
つまり、加害者たちは、国家が自分に代わって立て替えたお金をコツコツと国家に返済している状態ということだ。
その原資はもちろん彼らの強制労働によって得られた利益からなわけだが、仮に彼らの労働から天引かれる金額を一日1万円相当だと計算すると、一月で約30万円、一年で365万円、十年で3650万円、百年で3億6500万円でしかない。
被害者一人に対する補償にかかる金額が1000万円だとすると、加害者たちが十年働いてやっと三人分強の返済を済ませたに過ぎない。
加害者へ貸し付けた資金を全て回収しきるためには大変な時間が必要だ。
もちろんこれはあくまでも彼らに支払うはずだった給料から天引きする金額であり、彼らの肉体労働が生み出した事業そのものの利益はその比ではないのだが、そこが大きく食いつぶされるようだと話にならない。
ここまでの数字で考えれば分かる通り、上記のやり方では百年二百年単位の長い目で見れば黒字も見込めるだろうが、短期的にはシステム上どう考えても赤字が出てしまう。
加害者という分母に対して被害者という分子があまりにも大きすぎるからだ。
国家運営に赤字を出さないようにするためには、もっと即効性があって、かつ十分な資金源となる方策が必要になってくる。
その問題を解決するのに最も手っ取り早いのが、加害者たちの資産を差し押さえて被害者たちへの救済資金に回してしまうという方法だ。
アンリエスト国内ならそれでいい。
湊の領地となったアゼンダ領も同様だ。
しかしここは他国であるダルムス公国。いくら湊がアンリエストの王であろうが、他国の貴族の領地運営に口出しをすることは出来ない。
そう。普通ならば、だ。
湊は今回のダルムス入りにあたり、ダルムス公国内で亜人奴隷の保護活動を行っていたコルドバ経由でライル子爵領の動きが怪しいという情報をあらかじめ手に入れていた。
つまり、極秘でダルムス入りした湊の第一目標は最初っから違法奴隷売買で莫大な利益を稼ぎ出していたロビオ、そしでその後ろ盾であるライル子爵家だったということだ。
前線部隊である奴隷狩りを殲滅し、さらに直接利益を稼ぎ出す奴隷商たちを派手に潰して回れば、いずれ黒幕であるロビオが動き出すと思っていた。
まさかこうも早く向こうからやってきてくれるとは思っていなかったが、こちら側の人数をあえて7名に絞ったことと、第一騎士団の八割が自分の手下であることから完全に油断していたのだろう。
駆けつけてきた騎士団の中にロビオの姿を見つけた湊は、珍しいもの好きで美人に目がないと評判の彼の前でセリネとルシルの二人にわざと素顔を晒させた。
団長とのやり取りを経て隷属魔法を用いて奴隷商たちの罪を暴いた後、案の定ロビオがその二人に食いついてきた。
あとは簡単。
襲いかかってきたロビオ率いる騎士団を一蹴し、あえて一人だけ残しておいたロビオに隷属魔法をかけて逆らえなくした。そしてこちらの命令に従うしかない状態のロビオを使って領主邸に乗り込んで、犯罪組織の全貌を暴きつつライル家の全資産を強制押収する。
あとは地上戦艦『八千代』をここへ呼び寄せるだけでいい。
これでここはダルムス公国の貴族領でありながら、完全にアンリエスト王国の前線基地になった。
きっちりと制空権が確保されているため、補給の心配もない。
全てが計画通りに進行している。
ライル子爵の資産を本当に根こそぎ没収してしまったので、その様子を横で黙って見ていた館の執事からは「明確な証拠を拝見させていただきましたので我が主に非があることは理解しておりますが、これではどちらが強盗なのか分かりませんな」とチクリ嫌味を言われてしまった。
「世界共通のルールとして、討伐した盗賊団から手に入れたお宝はそれを討伐した者が全て受け取ることになっているはずです。とはいえ、民の生活を護るべき領主一族が凶悪な盗賊団の親玉だったなんて、普通は思いませんしそもそもやらないですからね。こちらはあくまでもルール通りに行動しているだけで、現状は想定外に想定外が重なった結果こうなってしまったというだけなわけですから、仕方がないですよね」
しれっと湊が言い返すと、痛いところを突かれたのか、それ以上執事側から何か言い返してくるようなことはなかった。
ただ残念なことに、そのやり取りだけでこの場が即時に静かになるということもなかった。
「貴様ら自分が何をやっているのか分かっているのか? これは重大な国際問題だぞ!」
「他国の貴族を襲って最初にその国際問題とやらを引き起こしたのは他ならぬお前のバカ息子の方だろ?」
「うるさい! 貴様如きがいきがっていられるのも今のうちだ!」
縛り上げられて身動きの取れないライル子爵は、唯一自由の利く口を懸命に動かし始める。
ピーチクパーチクうるさいが、そんな虚勢を張っていられるのも今の内だけだ。
「勢いで誤魔化してもお前と息子のやらかした悪事は消えないが?」
恫喝されても湊の心は何も動かない。
「我々が行っていたのはお前が言うような奴隷狩りではない。亜人狩りだ! ここは他ならぬダルムス公国だ。我々がそうと決めたらそれが決定事項なのだ。亜人狩りは新たな公王が正式に認めている行為だ。他国の貴族であろうと非難をされるいわれはない。お前が敵に回したのはこの国そのものなのだ。いくら我が領が陥落ちようとも、四方八方全てが我が同胞なのだ。まして貴様はアンリエストの貴族、亜人狩りを解禁した新公王の意図を考えてみれば、それはどこの国を目標にしたものなのかは明らかだ」
「それで? それは既にバカ息子からも聞いている。それで、そのバカ息子は今どうなっている?」
「……………」
湊相手に言葉で脅しても数で脅しても無駄。
そのことを身を以って知っているロビオは、父親に賛同することもなくその傍らで死んだような目をしてぐったりと項垂れている。
「分かっているのか? 亜人狩りを邪魔するお前たちの行動は、この国では犯罪なのだぞ!」
「ダルムス国内だから罪状をもみ消せる? そんなの知ったことじゃない。この国では亜人狩りは認められているから問題がない? 寝言は夢の中だけにしておけよ。そもそもアンリエストがダルムス前公王と結んだのは正式な国際条約だ。お前たちの主張する新公王による亜人奴隷制度解禁は、その条約を正式な手順を踏まないまま自称公王によって事前通告もなしに一方的に破棄した結果のものであり、条約破棄の要件が満たされていない以上、破棄そのものが無効だ。新公王とやらが新たに打ち出した亜人奴隷解禁令もあくまでダルムスの国内法に過ぎない。国内法と国際条約どちらが優先されるべきかは最早明確であり、国際法的にはダルムス側の言い分は一切通用しない。ならばアンリエスト側がダルムス側の言い分を無視したところで咎められる理由はどこにもないだろう?」
事実として、湊たちは都市に侵入して奴隷商を襲撃する際にも領軍やダルムス正規軍と戦闘になる際にも、常に堂々とアンリエストの国旗を掲げてきた。
隠す理由も恥じる理由もどこにもないからだ。
なおもライル侯爵は口やかましく何やら騒ぎ立てていたが、最早この男と論じる意味はない。
そう判断した湊は、黙ったまま静かに右腕を己の頭上に掲げた。
◆◆◆
※1 奴隷商に襲撃をかけたのは湊、五十鈴、ルシル、セリネ、ノワール、ロジエ、霞の7人。
残りのメンバーは、亜人狩りや奴隷狩りから保護した被害者たち(と、ついでに捕縛したまま地面に放置されたままの犯罪者たち)を沖合に停泊している強襲揚陸艦二藍へ収容するための迎えのヘリを待っている状態のため、都市の郊外で目立たぬよう光学迷彩モードで停止している『八千代』及び保護した人たちの安全を守る護衛として残っている。
(※2) 唯一の例外といえるのが湊である。
湊とその兄の綴の二人は、生来思考加速と多重思考という二つの人外ともいえる超能力を持って誕生していた。それに付随した常人とは大きく異なる脳の構造はむしろ古人種に近かった。
それに加えて、たまたま湊と契約した守護神であるルシル・テンペストが、かつてこの世界で神人の一柱として君臨していた古人種の『魔女王』ルシルと、別世界の精神生命体であり最強クラスの守護神でもあるテンペストの両者が融合を果たして一つの存在になったという極めてレアケースなものであったため、古人種にしか使えない積層型複合魔法陣を己の瞳に焼き付ける秘儀を使用することが可能だったという2つの偶然が重なったことで、湊はヒト種でありながら古代語魔法の習得が可能になった。
逆に言うと、そんな湊だからこそルシル・テンペストと契約を結ぶことが出来たということでもある。
ルシルが異常なほど湊に執着するのはこのため。
(※3) 湊が一流とされるレベル以上まで人語魔術に精通することになった理由は、守護神と契約する能力の有無に関わらず、人語魔術であれば一定以上の魔力を持つ地球人でも習得可能ではないかと考えたから。
もちろんその「一定以上の魔力を持つ」という才能を持つこと自体が少数であるが、少なくとも人口における『能力者』の割合よりも多いことは確かで、才能と正しい知識さえあれば帝国人でなくとも習得可能なこともあり、これが世界に広まることで世界からの『能力者』たちへの風当たりが弱くなるのではないかという意味で期待している。
また、人語魔術については、能力者の固有能力に匹敵するほど強大な威力を誇る古代語魔法とは異なり、人語魔術は性能も威力も魔術発動に至るまでの制約の煩雑さも、その全てにおいて古代語魔法に大きく劣る劣化版なため、仮にこれが世界に大きく普及しても帝国にとっては大きな脅威にはならないという判断もある。
ちなみに魔法の性能・威力については、古代語魔法>精霊魔法>人語魔法の順となる。
なお、湊は自分以外の地球出身メンバーにも人語魔術の習得を推奨している。地球帰還後、才能保持者たちに指導する人員は多ければ多いほど良いからである。
(※4) 奴隷商たちが奴隷に隷属魔法をかけることができるのは、それを補助する特殊な魔法具があるからで、その魔法具なしには隷属魔法をかけることも隷属の首輪を製作することも出来ない。
その特殊な魔法具のオリジナルは各王家によって厳重に保管されており、そのオリジナルからしかコピーを作り出すことは出来ない。奴隷商は自らが奴隷商を営むにあたって王家からそのコピー品の貸与を受けることで初めて対象に隷属魔法をかけたり、隷属の首輪の制作を行うことが出来るようになる。
王家から奴隷商の魔道具の貸与を受けるためには資格を取る必要があり、そのため、誰でも思い付きで簡単に奴隷商になれるというものではない。
しかし、一部国家では上層部の腐敗が進むことで資格の取得の難度が下がったり、場合によっては役人に賄賂を渡すことで試験なしで資格を得られることもある。
また、魔道具のオリジナルを用いて王家秘伝の儀式を行うことによって隷属魔術および隷属の首輪いずれの効果も弾くことが出来るようになっており、寝てる間に隷属魔術をかけられたり、意識のない間に首に隷属の首輪をかけられるようなことがあっても大丈夫なようにしている。
当然これは王家の一族だけに極秘で知らされる機密中の機密で、例え王を補佐する宰相であってもその事実を知らされることはない。裏切りを警戒してのことである。




