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第五章 大雅国攻略戦 ① 逆侵攻

 前話である『ep.77 閑話 第一の使徒』で、皆本敏也が異世界に渡ってきた時期をすっかり書き忘れていたのですが、『ep.67 第二章 出陣準備』において湊が説明していた『不確定情報ではあるが上位使徒たちの中でも序列に変化が出たらしい』というこの情報が正に敏也のことを指しています。


 したがって、時系列的には雪乃姫がアンリエストに到達した時点で既に敏也はこちらの世界に呼び出されていたということになります。



 ーー大雅軍天竺国攻略部隊所属 周岳信(しゅうがくしん)中尉

 



 何か凄く嫌な予感がしていた。


 明確な根拠はない。


 だが、周は自身の胸の奥から込み上げてくるような気持ち悪いモヤモヤ感に、言いようのない焦燥感に駆られてしまう。

 こういう時の勘は嫌と言うほどによく当たる。

 長年の経験から周はそのことを誰よりもよく理解していたからだ。


 とはいえ、当たるとはいえどもこれはあくまでも予感であって予言ではない。


 根拠だけでなく明確な指針もないため、大抵の場合はろくでもない結果が出てから「ああ、これのことだったのか」と思う程度でしかない。

 結果が出てから意味が分かることの方が多いので、確度が高いからといって役に立つのかと言われると正直微妙なところがある。


 そんな周の現状はというと、母国大雅国がしかける異世界国家への侵略戦争に鋭意参加中である。


 こちらの世界ではほとんど発達していない科学の力による近代兵器の恩恵もあり、大雅国の天竺国攻略部隊は現在破竹の勢いで快進撃を続けている。

 実際あともう少しで天竺国の首都に手がかかるというところまで敵を追いつめているのだ。


 順風満帆と言ってもいい。


 しかし、だからこそ逆に、どんな落とし穴が待っているのか見当もつかない。


 青天の霹靂。

 いつだって凶事は直滑降で突然に襲い掛かってくる。


 この時の周は、まだ自分に何が起こるのかを知らないまま、やたらと不安を掻き立ててくる他に表現しようのないどんよりとした憂鬱感にただひたすらに悩まされ続けていた。




 ◆◆◆




 このままいけばあと二月か三月、どんなに遅くとも一年以内には敵の首都を陥落させ、城に籠る敵将・王族をことごとく亡き者にして、天竺国を完全に滅亡させて我々の支配下に置くことが出来る。


 ――そのはずだったのだ。


 にも関わらず、突然本国から発せられた謎の全軍撤退命令によって、せっかく支配下に置いて植民地化を進めていた数々の都市を放棄してまでして、天竺国との国境ラインまで退却するはめになってしまった。


 撤退する目的地として本部から指示された白台平原までの道のりは、今から最速で準備した上で、さらに期限までの一週間を無理に無理を押して昼夜問わずの強行軍を決行したとしてもギリギリ間に合うか間に合わないかという最悪の場所にある。


 指令本部のお偉いさんが何を考えてこんな無茶苦茶な日程を指示してきたのか、皆目見当もつかない。

 正直なところ、頭がおかしいんじゃないかとすら思う。


 仲間の流した大量の血の結果、やっとのことで手に入れたこの利権を、ここにきてどうして無条件で手放さなければならないのか。


 どうしてもこの命令に納得がいかない周は激しく上官に詰め寄ったのだが、自分を懸命になだめている当の上官自身の表情も明らかに冴えていない様子を見て、彼も決してこの命令に納得出来てはいないのだろうなと察して思わずトーンダウンしてしまう。

 

 軍最高位の将軍クラスか、下手したらそのさらに上にいる大臣、宰相、下手すれば国王からの勅命なのかもしれない。

 少なくとも方面軍の司令官程度では絶対に逆らえない。逆らってはならない。それくらいの上から降りてきた命令ということなのだ。

 

 とはいえ、地図上で戦場を眺めているお偉いさん方には、ここから目的地にまでの距離は理解できていても、目的地へ到着するまでには幾つも山を越えなければならない現場の状況がまるで見えていないのは明らかだった。


 ほぼ着の身着のままに近いような状態で逃げるように異世界に渡ってきたことで、それまで地道に蓄積されていた技術のほとんどが途絶えてしまった。

 精密な地図を作る技術もまたその一つである。


 精密地図の作成に必要不可欠な人工衛星やカメラ、GPSなどの精密機器は作ろうと思って一朝一夕でできるものではないし、そもそもそれらはさらに製作難度の高いロケットを用いて宇宙へ打ち上げることが前提の技術だ。

 このまま順調に技術開発が進んだとしても、実用化できるようになるまでに数十年はかかってしまうだろう。

 

 今大雅国の首脳部が手にしている地図は、地形こそそこそこ正確と呼んでも差し支えはないものではあるが、いかんせん等高線がない。

 そこにあるのが森なのか山なのかすらはっきり分からないのだ。


 仮にそこに山があると知識では分かっていても、その山がどれくらい高いのかが分からない。


 なにより、外の世界からやってきた自分たちには、この世界での経験や基本知識が根本的に足りていない。

 そんな状態で本部のお偉いさんが指揮している作戦は、文字通りの机上の空論でしかないのだ。


 司令官が明かしてくれた本部からの指示は、『この撤退指示が届いた時点で生存している者は無駄に命を粗末にさせることなく必ず目的地まで撤退させること。負った負傷の結果やむなく死亡してしまった場合においても、必ずその亡骸を目的地まで届けよ』という、極めて情深く、ありがたいながらも大変に迷惑なものであった。


 この命令により、周たちは自分の身一つだけでさえも指定された日時までに目的地まで撤退するのが精一杯というこの無茶苦茶な日程下で、一人では歩けない、下手すれば意識すらない重傷者、果てはもはや息すらしていない死者でさえも一緒に連れて帰らなければならない事態に陥ってしまったからだ。


 当たり前のことだが、ここは戦場で、敵である天竺国の兵たちは決して弱兵というわけではなかった。


 近代兵器というアドバンテージがあればこそここまで戦線を押し上げることが出来たが、天竺軍の地の利を生かしたゲリラ戦法と大雅国にとって未知な技術である魔術の存在によってかなりの苦戦を強いられているところであり、楽な戦場と呼べるところなど一か所たりとも存在していなかった。

 

 大局的には勝利できているとはいえ、連戦続きのこちらも満身創痍。

 程度の大小こそあれ負傷者だらけの状態である。

 というか、むしろ負傷していない者の方が少ないくらいだ。


 周自身、戦闘自体には大きな支障こそないものの、敵が放った魔法によって軽く左腕を炙られてしまっている。

 結果、巻かれた包帯の下は酷く爛れってしまっていて、力が入らないというほどではないが、動かすたびに鈍い痛みが走るという始末である。


 とはいえ、これでも怪我人の中では程度が軽い方なのだ。


 自力で歩くことが出来て、武器を構えて戦うことができる。

 それだけみても自分はまだまだ恵まれた方だと言っていい。

 

 しかし、自分自身はこの程度の怪我であるとはいえ、他の負傷者を連れて指定された日時までに目標地点まで撤退しなければならないことを考えると、気分が重くなってしまう。

 お偉いさんの発案であろうからあまり大きな声では言えないが、無理無茶無謀の三拍子揃った本当にどうしようもない命令である。

 正直、無能もいい加減にしてほしいものだ。


 的中してもちっとも嬉しくはないのだが、最近モヤモヤしていた嫌な予感の正体はどうやらこれのようだった。

 無能な上官からの無茶な命令。

 自分自身にはなんの落ち度もない上に予測も回避も不可能ときている。

 これは配下にとってはある種の天災と言っても過言ではない。


 だが、生憎と自分がいるのは軍隊で、上官の命令は絶対である。

 無理だろうが無茶であろうが、道理の方を引っ込ませて押し通るしかないのだ。

 そして、この状況でなによりも恐ろしいのは、こんな頭がおかしいとしか思えない命令を平然と出してくるようないかれた人物に、自分の命令をこなせなかった部下たちに対して寛大な処分で済ませてくれるような人格者であることを期待することなど到底不可能であるという事実である。

 自分の命が秤に乗っていない限りにおいて、どんな非情な命令でも部下に対して平然と要求する。

 それが大雅国の上層部だ。


 さきほど自分が突っかかった時の上官の表情や態度からみても、明らかに自分と同種の抵抗を上に試みて突っぱねられている時のものだった。

 わが軍の上層部は、最初っから現場の意見など聞く耳も意思も持っていないということだ。


 つまり、それが意味するところは、このミッションは何があろうと絶対に完遂しなければならない類のものであるということ。

 失敗など絶対に許されない。


 文字通り決死の強行軍というべきこの異常な命令を遂行するためには、一週間歩き続けるための体力を賄えるだけの十分な栄養が必要だ。

 それはつまり、一週間自分の命を食いつなげるだけの食料を運ばなくてはならないということだ。


 本来であれば後方の基地でその都度補給出来ればそれが一番良い選択肢であろう。

 しかし、本当にそれは現実的に考えて自分たちが選ぶべき最善の選択肢であろうか?


 最前線たる自分たちにこんな理不尽な命令が出ているくらいだ。後方の補給地にも同様の命令が出ている可能性は極めて高い。


 彼らも持てる量には限界があるであろうから、撤退した際持ち切れなかった物資は残していく可能性は高い。

 そこまではいい。

 だが、問題はそこではない。


 この場合の一番の懸念点は、『それまで自分たちを支配していた部隊がいなくなったのを見た現地人たちが、果たしてそれらの物資を周たちの部隊が到着するまでの間、一切の手を付けずにそのまま放置しておいてくれるであろうか?』ということだ。


 周たち大雅軍は、支配下に置いた天竺国の民から命を奪い、富を奪い、女を奪い、そして食料を奪った。

 地球にいたころは倫理的に許されなかったあらゆる悪事を働いた。

 弱肉強食であるこの世界では、強者である限りあらゆることが許される。


 大雅軍が好き放題贅沢をしているそのツケは、当然ながら支配下に置かれた天竺国の民が払うことになる。 


 敵国人の不幸であるため自分たちはこれまで一顧だにしなかったが、彼らの生活はおそらく生きていくだけでもギリギリ。

 道端で餓死者の死体を見ることも珍しくはなかったことから、実際のところ相当に困窮していたはずである。


 そんな彼らが、もぬけの殻になった基地にある大雅軍の物資を目の前にして、理性を保ったまま手を出さないようなことが本当にあり得るのだろうか?


 ――否。


 あるはずがない。


 奪われた物資の全てを即座に消費し尽くすことは不可能であろうから、補給地に着いた時に再び現地人から奪い返してしまうという方法も取れなくはない。

 しかし、残念ながら今回はその案は採用出来ない。


 強行軍の日程がギチギチ過ぎて、現地人と戦って物資を取り戻している時間すらないからだ。


 つまりそれは、周たちがこの基地から『自分が飢えないようにするために、自身の一週間分の食料を持っていかないといけない』ということを意味する。

 それも、自らは動けない重傷者たちの分も含めてだ。


 それに加え、技術の漏洩を防ぐ観点からも、銃器や弾薬などは天竺国に鹵獲されるようなことがないよう、この基地にあるその全てを回収して持ち帰らないとならない。

 怪我人や重傷者もいるから薬や医療器具も最低限は持っていく必要がある。


 要するに、武器弾薬と食料・医薬品以外の日常品や贅沢品などは、文字通り必要最低限の量しか持って帰ることは出来ないということだ。

 もはや戦利品だの現地で攫ってきた女だのとのんきに言っていられる状況ではなくなってしまったのである。


 しかし、中には食料の代わりに略奪したお宝を荷に詰めているような愚か者もちらほらと存在している。


 何度注意しても耳を貸さないので、途中で飢えに苦しめばよいと心の中で切り捨てる。

 彼らの食料が完全に尽きるころには皆の食料だって残り少なくなっている状態だ。幾ら金を積まれてもお宝を差し出されても命には代えられない。食料を出してくれる者など誰一人としていやしないであろう。


 目の前の金に目がくらんで現実が見えていない馬鹿どもは、せいぜい後悔しながら後生大事にお宝を胸に抱いたまま死んでいけば良い。

 そう心の中で罵りながら周は一人黙々と荷詰めを進めていった。

 


 

 ◆◆◆




 予想通りと言うべきか、目標地点である白台平原までの道のりは極めて過酷なものだった。

 いや、はたして過酷などというたった一言で言い表しても良いものなのだろうか。


 課せられた期限内にここまでたどり着くことができたのは本当に奇跡に近い。


 なにせ進軍するときは三週間かけた道のりを、帰りはたったの一週間で駆け抜けなければならなかったのだ。

 それも、動けない重傷者を交代交代で運びながらである。


 果たしてというか、案の定お宝組は過酷な行軍の中で次々と脱落していった。

 兵士として積んできた過酷な訓練とか、今までに潜り抜けてきた戦場の数であるとか、そんなものは何の意味も持たない。

 どんなに金を積み上げようが、どんなに武器弾薬を抱え込もうが、金や銃弾がパンに化けるわけでもない。


 目先の金に目がくらんだ。

 たったそれだけのことで、歴戦の兵士が次々と倒れていく。


 必死に鍛え上げたその肉体も、空腹の前には何の役にも立たなかった。

 彼らは、少しずつ足取りが遅くなっていって、そして周たちの進軍速度についてこれなくなって次々と脱落していった。

 

 撤退を始めた最初っから食料がなかったわけでもないので、もしかしたら脱落したその場所で襲い来る空腹にのたうち回りながらもまだかろうじて息はしているかもしれない。

 まぁ、救助がない時点でもはや死んだも同然ではあるのだが。

 餓死というのは大変に苦しい死に方だ。

 今頃は自分の愚かな選択を骨の髄から後悔していることだろう。


 もっとも、周からすればそんな身勝手な奴らのことなど知ったこっちゃない話である。

 死者に鞭打つようだが、むしろざまあみろとすら思っている。


 なにしろ、奴らが周の忠告を素直に受け入れてくれていれば、重傷者たちをここまで運んでくる際の負担が大幅に軽減されていた筈なのだ。

 この一週間、ほとんど満足に睡眠もとることもままならない状態で常に歩きっ通し。

 しかも常に自分と仲間の武器と食料か、もしくは自力で歩くことのできない重傷者たちを背負ってである。

 

 そんな極限状態の中、無理に無理を重ねながら山を幾つも越えてここまでやってきた。

 肉体なんかはとうの昔に限界を超えている。

 ただただ魂を削り落とすかのような強い精神力と、命令をこなさないとどんな恐ろしい罰が待っているか分からないという、ただひたすらに不幸な未来を回避したいという恐怖に背を押され続けることだけでこの苦難を乗り越えたのだ。


 任務を完遂した今、精も根も尽き果てて満足に立つことすらままならない今の自分を、いったい誰が責めることが出来ようか。

 そして、無責任に脱落していった奴らのことを悪し様に貶す自分をいったい誰が咎めることが出来るというのか。

 

 上からの命令は『撤退指示が届いた時点で生存している者は、無駄に命を粗末にさせることなく必ず目的地まで撤退させよ。負った負傷の結果やむなく死亡してしまった場合に於ても、必ずその亡骸を目的地まで届けよ』というものだ。

 

 離脱段階でまだ風前の灯火ではあったもののとりあえずまだ息をしていた脱落者たちは、死者ではなく軍から逃げ出した逃亡兵として扱われる。

 撤退を開始した際には多少の怪我こそあれ少なくとも行軍には支障がない状態だった者が、周たちの目の前で死んだわけでもないのにいきなりいなくなってしまったのだからそう断定せざるを得ない。


 周たちは上からの命令通り、重傷者を含む生存者と、行軍中に目の前で死んでいった兵たちの死体をふくめ、全員で白台平原へと辿り着いた。

 少なくとも公式の記録ではそうなっている。


 ただし、逃亡したことで自動的に軍籍を剥奪された者らに関してはその限りではない。 


 かなり際どいグレー判定ではあるものの、上から課せられた逆らえぬ命令と、目の前にある不本意な現実との板挟みを強引に解決する力技として、そう判断するのがふさわしいだろうと決定された。

 かなり無理筋なつじつま合わせだが、周たちとしても自らは動くことができない重傷者と、正規の理由で悔しくも死んでいった同胞の亡骸を運ぶので手いっぱいで、自己都合による空腹で脱落していったやつらの世話までする余力などどこにも残されていなかったのだから仕方がない。


 結果として彼らには逃亡兵という汚名を押し付ける形にはなってしまったが、そこはそれ。人の忠告を無視した愚かさの代償だと思って諦めてもらうしかないだろう。


 ともあれ、ギリギリではあったが何とか期限内に目的地に着くことが出来た。


 どうしてか分からないが、例の嫌な予感の兆候であるモヤモヤ感がまだ消えていない気がするのだが、もしかしたら度重なる睡眠不足と疲労が原因の体調不良によるものなのかもしれないと思いなおした。


 もう地獄は終わったのだ。

 一度寝ればきっとスッキリとしているに違いない。

 

 「これで、やっと。やっと……一週間ぶりにゆっくり寝ることが出来る……」


 「眠くて頭がガンガンするが、しかしそれよりも何か食うものを……」


 「飯だ、腹減った」


 「もう一歩たりとも動けねぇ。ここでいいからもう寝ちまおうか……」


 「酒だ酒だ!」


 「飲んで食って寝て、そのあとは女だ!」


 長くつらい苦行を終えた解放感とでも言うのだろうか。

 他の兵たちもみな、自分の心の赴くままに抑圧され続けたストレスの発散口を探していた。


 食欲と睡眠欲。

 極限まで制限されていた人間の三大欲求の内の二つをようやく満たすことが出来るのだから、ごく当然のことかもしれない。


 誰もがこの久々に満喫する自由に浮かれていた。

 それについては周も例外ではない。

 どんな不本意な形であろうが戦場から帰ってきたのだ。常に張っていた気が緩んでしまうのは仕方がないことだろう。


 そしてそんな自分たちの心の隙を嘲笑うかのように、それは起こった。


 次の瞬間!


 『ドドーン!』と、まるで目の前に雷が落ちたかのような激しい音と閃光に埋め尽くされ、そして不意に周の視界いっぱいに激しい炎の柱が立ち昇る。


 「ぐ、ぐわぁっ」


 何が起こったのかも分からないまま、不意に襲い来る強烈な爆風にあおられてなすすべなく十メートル近くも吹き飛ばされた。

 衝撃であちこち体を打ち付けられたこともあり体の節々が激しい痛みを放っている。


 痛みを我慢しながらも何とか上半身を起こすと、目視によって体の状態を確認する。

 直撃を受けなかったこともあってか、幸い致命的と言える傷は負ってはいないようだった。


 「い、一体、何が起こったんだ……?」


 落雷でもあったのか? それとも保管している弾薬が暴発でもしたというのか?


 そんな疑問を抱く周を嘲弄(ちょうろう)するかのように、大雅軍の陣内、それも先ほどとは全く違う場所から再び先ほどと同じような炎が立ち昇った。


 不意打ちの初撃、そして少し間を置いた次撃。

 そしてそれを皮切りにして、自分たちが構えている陣の内側からまるで連鎖しているかのごとく立て続けに爆発が起こり始める。


 ここに至って、周は理解する。いや、させられた。


 「これは自然現象や弾薬の暴発などではない。何者かによる明確な攻撃だ!」


 そう悟りはしたものの、では、一体いずれの組織による攻撃なのか? という疑問が残る。


 一番怪しいのはつい先日まで戦闘を繰り広げていた天竺国の奴らだ。


 しかし、陣を構えているここは既に大雅国の勢力圏内で、撤退するにあたって追手がなかったことも確認している。

 事実、撤退中に彼らからの攻撃は一切受けていない。


 もし彼らが我々を追撃したいのなら、目的地に着いて身軽になった今ではなく、負傷者や重い荷物を背負って満足な戦闘態勢がとれなかった移動中の方がよっぽど効果的であったはずだ。

 あえてこのタイミングで攻撃を仕掛ける意味が分からない。


 それに、天竺国の攻撃にしては一つ不可解なことがある。


 周の知っている天竺国の魔法は、世間の共通認識であるいわゆるファイアボールのように遠距離から炎の弾が飛んでくるような類のもので、今自分たちを襲っているような地面が突然爆発するようなものではなかったはずなのだ。


 もちろん周が知らないだけでそういう魔法も存在しているのかもしれない。

 だが、あらかじめ設置しておいたとかそういうことならばともかく、遠距離から何の前触れもなくそんなことをすることが可能であるならば、どうして今までの戦いで彼らが使ってこなかったのか、その理由が説明できなかった。

 

 「……ん? あらかじめ……設…置……?」


 自身の思考の中にどこか引っかかるものを感じたその瞬間、周の脳裏に一つの疑念が浮かび上がってきた。


 「まさか……いや、そんなことあるはずが……」


 自身が至った最悪の予想に、周の顔からは一気に血の気が失われていってしまう。


 「天竺国が陥落する寸前での撤退という不可解なタイミング。往路で三週間かけた道のりを一週間で踏破しろという無茶な日程。極限日程にも関わらず、撤退にあたって動けない重傷者どころか息をしていない遺体まで持ち帰れという達成困難な命令。そして何より指定された目標地点に()()()()()設置してあったかのような爆発現象……」


 冷静に考えてみれば、おかしなことばかりだった。


 「なにより、戦場における爆発現象は何も敵の魔法によるものだけとは限らない……」


 自分たちはそれと同じ現象を起こせる物をよく知っている。

 人の手で、科学の力によって作り出された破壊兵器……。

 そう、爆弾である。


 幾つもある不可解な点。


 それらの点と点とを繋ぎ合わせると、自ずと一つの可能性が見えてくる。

 それも、周たちにとっては最悪の可能性だ。


 「まさか……」


 周は体を震わせながら、絞り出すかのように独白する。


 「まさか、まさか、本国の奴らはここで俺たちを始末するつもりなのか……?」


 考えたくはない。

 しかし、そうとしか考えられない。


 頭がおかしいとしか思えない無茶な日程も、その上で更に重傷者と遺体まで担いで運んでこいという異常な指示も……。

 

 全てはこの場で周たちが満足に抵抗することができぬよう気力と体力を限界以上まで奪い尽くすため。


 そう考えると全ての筋が通るのだ。


 事実、爆風による衝撃を受けていなかったとしても、もはや周には銃を構えるどころか満足に腕を持ち上げる力すら残されてはいない。

 ここに詰めている大多数の兵たちも同じ状況であろう。

 いくらここに何万の兵が詰めていようが、戦えないのであればただの烏合の衆に過ぎない。


 おそらくこの一連の爆発が止んだら、生き残りを討伐するための部隊が突入してくるに違いない。


 つまり、周たちは大雅国の上層部に完全にしてやられたという訳だ。


 

 『飛鳥尽きて良弓蔵われ、狡兎死して走狗煮らる』



 飛んでいる鳥がいなくなれば良弓は蔵にしまわれてしまい、すばしっこいうさぎを追っていた猟犬もうさぎがことごとく死んでいなくなれば用済みになって煮て食べられてしまう。

 必要な時は重宝されるが邪魔になるとあっさりと処分されてしまうという意味の故事である。


 「侵略戦争の終わりが見えた今、上層部にとってもはや俺たちは不要な戦闘力を持った邪魔者でしかないということか。はは……」


 どこか諦めを含んだような自嘲に口元が歪む。


 「しかし、もう少しというところまで来ているとはいえ、まだ天竺国は完全に落ちた訳ではない。征服が済んでしまえば支配者たちにとって強力な力を持つ(われわれ)が邪魔になるという気持ちは分からないでもない。だが今のタイミングでどうして俺らを始末する必要がある? 明らかにタイミングが早すぎるだろう。いったい奴らは何を考えているんだ?」


 周の抱いた疑問。

 返ってくるはずのないその独り言の答えは、意外なところから返ってきた。


 「それは、この風景を描いている人があなたが想定している人物とは異なるからではないですか?」


 背後から突然聞こえた、この場にふさわしくない女性の声。


 「――っ!」 


 反射的に振り向く。が、思わず次に続く言葉を失ってしまう。


 周の目に飛び込んできたのは、軍人たちしかいないはずのこの場に全くそぐわないメイド服姿の女性だったからだ。


 年の頃は十代後半から二十代の前半。

 濃紺を基調としたヴィクトリア調のクラシカルなメイド服を着用し、長めの髪をアップにまとめて清潔感を強調している。

 容姿も姿勢もびっくりするほどに整っているが、かけている眼鏡の下の双眸は氷のように冷たい光を放っている。


 ただ、そこまでなら周もこの場に先に到着していた部隊のお偉いさんの誰かが地元から連れてきていた、もしくは現地から攫ってきていた少女なのではないかと考えることもできたであろう。

 しかし、その手に握られている物があまりにも物騒だった。

 

 「そ、それは……ニホントウ?」


 大雅の東の海の向こうにある国に、まるで昔の日本を彷彿とさせるサムライがいる国が存在するという話は知っている。

 今頃は大雅国の別部隊によって征服されている頃だろうから、そこから連れてこられてメイドにされた可能性は十分にある。

 だが、それであっても彼女が日本刀を持っていることの意味が説明つかない。


 メイドにしたとしても相手は元々敵国人であった被征服民。

 明らかに武器となる刃物を、いつ寝首を搔いてくるか分からない相手にどうして持たせる必要があるのというのか。

 どこのまぬけがそんな馬鹿なことをしてくれやがったのか。


 周の胸中に殺意にも似た怒りが立ち昇っていく。

 しかし、次の瞬間、彼は思わぬ冷や水をぶっかけられてしまうことになる。


 「いいえ。大変よく似ておりますので見間違えられても仕方がないとは思いますが、これは日本刀ではなく神無刀と呼ばれるものです」


 「そうか、神無刀か。ならば見分けがつかなくても仕方がないな…………」


 思わず同意して話を流しかけてしまうが、言い終えたその瞬間、聞き捨てならない言葉を聞いた周は思わずギョッと目を剥いてしまう。


 「か、神無刀……神無だと? なぜここでその国の名が出てくるのだ?」


 ダラダラと、額から嫌な汗が垂れ落ちる。


 神無国、それは大雅の軍人にとっては恐怖の象徴である。

 もはやトラウマになっていると言っても過言ではない。

 この場で最も聞くはずのない、聞いてはならない国の名前を聞いて、周は思わず身震えを起こした。


 神無刀は帝国の誇る魔法科学の結晶であり、その製法は帝国の最高機密と言われている。

 何とかしてそれを手に入れようと、各国は過去に何度も何度も帝国に対して交渉を試みたという話だ。

 中には兆を超える金額を提示した国もあったようだが、交渉が成功したという話は一度も聞いたことがない。


 唯一の例外と言えるのが帝国からフランツ共和国の能力者に譲渡されたとされるものであるが、確かそれは刀ではなく弓だったはずである。


 帝国から最新鋭の能力者専用戦闘機『轟炎』と『燈火』を盗み出して合州国に亡命したという五名の上位能力者の話は有名だが、そんな彼らですら神無刀は所持していなかったという話だ。


 つまり、過去にただの一振りたりとて神無刀が帝国から流出したという事実は存在していないのだ。


 もちろんそれは周たちがまだ地球にいた時点での知識ではあるので、考えづらい話ではあるが、その後に帝国の方針が変わった可能性も完全には否定することはできない。


 しかし、今ここで問題にすべきは神無刀の存在そのものではない。

 神無の国名を冠した品物をこちらの世界で目にしたという事実そのものなのである。


 「どうしてここで神無(その)の名が出てくる? 貴様、一体何者だ?」


 「名乗り遅れて申し訳ございません」

 

 周からの強い詰問を受けると、そのメイドは刀を持っていない方の手でスカートの裾を軽くつまみ、優雅な仕草でカーテシーをしてみせてから名乗りを上げる。


 「私は西方にございますアンリエスト王国のメイド長を務めさせていただいております館林五十鈴と申します。どうかお見知りおきのほどよろしくお願いいたします」


 「アンリエスト王国だと? そんなところのメイドがどうしてこんなところにいる? それにどうしてその刀を持っている?」


 そこまで問いかけたところで、周はある事実に気が付いて、ハッと顔を上げた。


 「いや、それよりもどうしてその西方の国のメイドとやらがさっきから俺と()()()()()()()()()()()()()んだ?」


 周が疑念の視線を向けたその瞬間、太陽の光がメイドがかけている眼鏡のレンズに反射して、その下の双眸を覆い隠した。


 「お気づきになられましたか……」


 表情一つ、声色一つ変えず、淡々とメイドが答える。


 「大変手前味噌な話ではございますが、私の趣味は様々な国の語学を習得することでございまして、きちんと読み書き会話できるものだけでも西方で主に公用語として使用されているアンリエスト語を始めとして、大陸中央で主に使われているガンダル語、奥羽国で使われているヒノモト語、貴国の言語である大華語。その他にもフランツ語やエイングランド語、イスパーニャ語、ドイチェ語、ロクシア語などもろもろ19言語、日常生活における軽い挨拶程度でしたら更にその倍は操ることが可能です」


 「フランツそれにエイングランドだと? どうしてそこにこの世界に存在しない国であるそれらの名前が出てくるのだ?」


 「どうしてだと思われますか?」


 「……………………」


 「実はわたくしには所属している国家がもう一つございます。そしてその国は、貴方様方も良くご存じの国家です。なにしろお隣さんでございましたから。もっとも、良き隣人であったとは正直言い難い関係性ではございましたけれども」


 「よく知っている、お隣さん……」


 思わず反芻してしまう。

 周の中でじわじわと嫌な予感が大きさを増していく。


 自分の勘が珍しく正解を教えてくれている。


 『これは、駄目なやつだ。何もかもをかなぐり捨てて一刻も早くここから逃げ出してしまえ』と。


 しかし、あいにくと今の自分は度重なる疲労で精根尽き果てた状態。

 万全な状態ですら逃げおおせることは難しいというのに、このありさまではもはやどうすることもできない。


 「改めまして、わたくしは貴方様の出身国である大華国とは海を隔てたお隣の国である魔法帝国神無におきまして、陛下より階位騎士第99位の座と帝国侯爵位を授かっております館林五十鈴と申します。そして……」


 彼女が周たちにとっての死の宣告ともいえる己の所属を告げたところで、陣内で立て続けに起こっていた爆発がぴたりと治まった。

 激しい爆発を潜り抜けて生き残った兵たちは思わずほっと息を吐いているようだ。

 だが、この中で周だけが知っている。

 自分たちを襲うであろう真の危機はこれから起こるのだと。


 「あちらの方々は、あなた方大雅国によって散々にちょっかいをかけられて大変に迷惑を被っていた、はるばる海を渡って奥羽国からお礼参りをするためにいらしたサムライの皆様です」


 五十鈴に言われてハッとする。


 いつの間に現れたのか、気づいた時には陣地をぐるりと見知らぬ風貌の兵士たちによって包囲されていた。

 トラディショナルな着物と甲冑らしきものを身にまとっている彼らの姿は、確かにかつて映画で見たジャパニーズサムライに酷似している。


 しかしそんな彼らが手にしているのは武士の魂である刀ではなく、周たち大雅兵が常に手にしているものと何ら遜色ないレベルの突撃銃。

 ロクシア製AK47に酷似したそれは、明らかに同胞が持っていたものを鹵獲したものである。


 それが意味するところはつまり……。


 「奥羽国へ侵攻した部隊は敗北したということなのか?」

 

 「はい」


 淡々とした口調で五十鈴が応じる。


 「天竺国へ侵攻していたはずの貴方方がこれから敗北するのと同じようにです。あなた方を爆弾の巣であるここへ誘い出したところから、満身創痍である今のあなた方の状態に至るまで、全ては私の主の掌の上で踊らされていただけの出来事ということです」


 「お前の主だと?」


 「はい。帝国最重要拠点である渋谷の支配を任されている帝国六大公爵家の一角にして、帝国最強能力者集団十四円卓の一人にも数えられている帝国屈指の実力者。四十無湊公爵――それがわたくしの敬愛する主の名です」


 「よ、よつな――は?」


 今一瞬、聞き捨てならない名前を聞いた。


 四十無湊――。

 地球に住んでいる者でその名を知らぬものはほとんどいないであろう。


 テレビ局がライブ中継している目の前で史上初めて行われた帝国最強の円卓同士の歴史的な死闘、その勝者の名前であるからだ。

 そんな彼は、その容姿が飛びぬけて優れていることもあって、世界で最も有名な能力者の一人であると言っても過言ではない。


 しかし、その名前は、この場で最も聞きたくない。いや、聞いてはならない名前であった。


 「四十無湊だとっ! まさか、まさかそいつは帝国で起こったクーデターで皆本清十郎を討った男のことじゃないよな? 同姓同名の別の人物だよな? 頼むから違うと言ってくれ!」


 「残念ながら……そのまさかです」


 あっさりと告げられた最悪の事実に、目の前が真っ暗になってしまう。


 「こちらの世界に逃げた我々を追ってきたというわけか。しかし、階位騎士辺りならまだ分かるが、まさか円卓までもがこちらに来ているとは……。なんということだ…………」

 

 あまりの絶望感に、力が入らないながらも懸命に立ち上がろうとしていた体から最後の力が抜け落ち、がっくりとその場に膝をついてしまう。

 肉体的にも限界であったが、それにも増して心が折れていた。


 「無駄な抵抗はお勧めできません。降伏する意思があるならば全ての武装を解除して手を頭の上にあげたままその場にうつ伏せに転がりなさい。命は保証します」


 『抵抗スルナ、降伏スルナラ命ホショウ。武器捨テテウツ伏セ寝ロ、手ハ頭のウエ。抵抗スレバ殺ス』


 五十鈴が告げたのと全く同じ内容のセリフを、陣内に突入してきたサムライたちも片言の大華語で口々に叫びまわっている。


 周を含めて大多数の兵たちは諦めて即座に降伏を選択した。

 体を蝕む疲労が限界をとうに超えていて、いまさら無駄に抵抗したとて、結果は見えているからだ。


 中には諦めが悪く武器を構えて抵抗しようとするような勇者もいるにはいたが、サムライたちにあっさりと攻撃を躱された上で反撃を受けるか武器を持つ利き腕を刀でさっくりと切り落とされるかしてしまい、無駄に痛い思いをするだけだった。



 「ああそうか。あのデスロードでも消えることのなかった嫌な予感が示していたのは、最初からこのことだったのか……」



 結果が出て、初めてそれを理解する

 当初から感じていた通り。嫌な予感は、考えうる最悪の形で的中してしまった。




 ◆◆◆



 とりあえず更新を優先しました。誤字などの修正は後日いたします。



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