第一章 囚われの王女と隻眼の青年⑤
(これは……もう強さの次元が違う!)
そう肌身にしみて感じ取った瞬間、思わずセリネは身震いした。
自分やノワールはどうなってしまうのだろうかと底の見えない不安に駆られてしまったからだ。
彼らに今ここで自分たちを害そうという意思がないことは分かる。
瀕死のノワールに治療を施そうとしてくれていることも理解している。
だが、その親切心が今この場だけのことなのか、それとも将来に渡ってずっと続くことなのか、全く先が見えないことが恐怖心を掻き立てる。
ほんの僅か彼らと接した感じでは自分たちに悪意をもって接しようとしているような人物とは思えない。それに事実として自分もノワールも絶体絶命の窮地から救ってもらっていることもある。
だからといって安易に心を許すことも出来ない。
セリネやノワールが今こうしてトンガール軍と鉾を交えているのは、カタリナ姫を救出することが目的なのである。
しかし、彼らの目的が必ずしも自分たちとは同じとは限らない。
彼らの正体が、そしてその目的が見えないため、どうしても湧き上がる不安を拭うことが出来ない。
なにしろ相手は圧倒的強者。いまさら自分たちが何を抵抗したところで全く意味がないことは理解できる。今の自分たちは完全にまな板の上の鯉なのである。
だからこそ、余計に恐怖心を掻き立てられてしまう。
そうこうしていると、先ほど通り過ぎていった空飛ぶ船が再び舞い戻ってきた。
トンガール軍から一斉に弓が射掛けられるが、その漆黒の外壁はそのことごとくを跳ね返してしまい、見たところその表面には傷一つついていない。
それどころか、お返しとばかりにその船は先端部分からパパパパパッと立て続けに火を吐き出した。
突き出た棒状の円筒形の棒がまるで自分の意思を持っているかのように兵たちの方角に向き、そこから無数の火の弾を放っているのだ。
それは先ほどの銀髪の少女が使っていた武器と同種のものだと思われたが、あちらは一度に撃ち出される火の数が少ない代わりに狙いが精密で、逆にこちらの方は連射性に優れる代わりに狙いの方はやや大雑把であるという印象を受ける。
だがいくら狙いが粗かろうとも、それはトンガール弓兵のつける狙いよりは正確なレベルであるし、仮にそうでなくても適当に投げた石でも必ず誰かに当たるくらい多くの兵たちがひしめいている現状において、それは外す方が逆に難しい。
敵は大軍でいることが逆に仇となっている状況だった。
いくら憎むべき敵とはいえこういう言い方は不謹慎なのかもしれないが、トンガール兵たちはその空飛ぶ船の攻撃を受けて面白いようにバタバタと倒れていく。船から吐き出されたあの火は、あんなに無造作に攻撃をばら撒いているのにもかかわらず一つ一つが致命的な威力を持っているのだ。
一般的に「戦争は数が多い方が有利」だといわれているし、実際セリネもそうだと信じて疑っていなかったが、目の前に広がる光景はその概念を大きく覆すものだった。
そこまで考えて、いや……とセリネは思い直す。
これはこれで先ほどの例えにしっかりと当てはまっているのかもしれない。
ラムセルは兵の数を頼みに個々の実力に勝る自分たちを押し切ろうとしたのに対して、この空飛ぶ船は吐き出す火の数で圧倒しているだけだ。
仮にトンガール兵が一度に一万の兵に槍を構えさせたところで、あの船が一瞬で火を二万発吐き出せば単純にその手数の差は倍ということになる。
もちろん戦場には常にどんなイレギュラーがあるのか分かったものではないので、単純に今思い浮かべた構図が成り立つ訳ではないだろう。
だが、少なくてもこの戦場に限ればその論理が効果的に働いていることは、頭上にあの空飛ぶ船が浮かんでいる自分たちの周りから、まるで小波が引いていくかのように兵たちが一斉に姿を消したことからも明らかだった。
「今から彼女をあのヘリに乗せて私たちの本拠地に運ばせてもらうわ」
自らを医者と名乗った白衣の女性は、ノワールの身体をセリネが今まで見たこともない不思議な手触りの布で手際よく包みながらそう言った。
「あれに乗せるって、どうやって?」
不安げにセリネは尋ね返す。
空に浮かんでいるからいいものの、あの大きさの物体が降りてくる余裕のあるスペースなどこの狭い街道には存在しないからだ。
「見てれば分かるわ」
白衣の女性が悪戯そうに笑った瞬間、上空に浮かんでいるあの船からなにやら布の塊みたいなものが放り出された。
地面に落ちたその布は四本のロープで上空の船と繋がっているようだった。
敵が周囲から逃走したことで手の空いたメイドの女性と二人で白衣の女性はその布を広げ、まるで担架のような袋状になった部分にノワールの身体を乗せ、布に備え付けられたベルトでしっかりとその身体を固定していく。
「まっ、まさか……」
これから彼女たちが行うだろう無謀な行為の意図に気がついて、セリネはかすれたようなうめき声を漏らす。
「そう、そのまさかよ」
白衣の女性が宣言したちょうどその時、上空の船の方でノワールの包まれた布に繋がるロープを巻き上げはじめた。
ノワールの身体がゆっくりとゆっくりと吊り上げられていく。
そんな彼女の身体めがけ、チャンスとばかりにトンガール軍の方から弓矢が射掛けられる。
親友の命の危機にセリネは思わずヒヤリとしたが、それらは全て隻眼の青年が起動したであろう魔法術式によって瞬く間に撃墜されていく。
しかも、彼の使うその魔法は……。
「まさかっ、古代語魔法? 古人種でもないのに?!」
敵方から飛来する数多の矢を次から次へと撃ち落していくその発動の早さと精密性、そして術式構成はまぎれもなく古代語魔法のもの。だが……、
「そんな……。あんな術式、私は知らない……」
『宵闇の魔女』と呼ばれる自分をして見たことも聞いたこともない未知の術式。それをあの青年はさも当然そうな顔で扱っている。
しかも、術式の緻密性と術式展開の速さは明らかに自分のそれを上回っていた。
(いったいどういうこと?)
次から次へと襲ってくる驚きに、セリネの頭はすっかり混乱してしまっていた。
そして、それは近接攻撃でも遠距離攻撃でも持てる手を全て封じられてしまったトンガール軍も同様。いやそれ以上に恐慌をきたしているようで、中には、
「あの黒髪! 悪魔だっ! 魔女が悪魔を召喚したぞーっ!」
「悪魔、悪魔だーっ! 神の敵に人間ごときが適うわけねぇ。早く逃げろっ!」
などと叫び出す者すら出る始末。
指揮官であるラムセルの制止も聞かず、蜘蛛の子を散らすようにちりぢりに逃げ出し始めていた。
「それにしても、私が彼らを召喚したなんて……」
どうにもトンガール兵の中では彼らを呼び出したのは自分ということになっているみたいなのだが、セリネからすればそれは買い被りもいいところである。
こんな戦闘力を持った連中を自由に呼び出せるのなら、この作戦が始まる前の段階でとっくに呼び出している。
そうすれば派遣者の仲間にだってあんなに犠牲がでることもなかったであろう。
そうこうしているうちにノワールの身体は無事船の中に収容が完了し、隻眼の青年たちが保護したらしき負傷したセリネの仲間の派遣者たちも同じように回収していく。そしてそれらの作業が終了するのを見届けると、白衣の女性は同じく浮かんでいる船から降ろされた縄梯子を登ってスルスルとその中に入っていった。
そこまではいいのだが……。
「――えっ? どうして……?」
ノワールがつつがなく船に乗れたことにセリネはひとまず安堵したのだが、その船はよりによって自分をここに置いたままこの場を立ち去ってしまった。
あまりに予想外なその展開に焦りを隠せず、思わずセリネは声を張り上げてしまう。
「彼女たちの容態は緊急性が求められていたから一足先に俺たちの母船に収容させてもらった。後できちんと君も彼女の元へ連れて行ってやるから心配はいらない」
不安そうなセリネの様子を見てか、青年がノワールが自分を置いて運ばれて行った理由を説明してくれる。
「それになにより……君には成し遂げなければならない任務が残っているんだろう?」
言われて、セリネはハッと顔を起こした。
相棒の命の危機に気をとられて失念しかけていたが、青年の言うとおり、自分にはまだカタリナ姫を救出するという命と引き換えにしてでも成し遂げなければならない任務が残っていたのだった。
とはいえ、
「ま、この様子なら目的の遂行もさほど難しくはないだろうがな」
青年が呟いた通り、空から降りてきたほんの十人にも満たない黒髪の集団によって戦場はすっかり掌握されてしまっていて、今となっては彼らに正面きって立ち向かおうとする剛の者などほとんと残っていない。
逃げるのに少しでも身を軽くするためか、その場には武器や防具、食料など重さのかさばる荷物がそっくりそのまま捨て置かれてしまっていて、そのことが青年たちの存在がいかにトンガール兵に恐怖を与えていたのかを如実に物語っていた。
捨て置かれていたといえば、それはカタリナ姫が入っている檻が乗せられた荷台も例外ではない。
おそらく正規軍の、それも精鋭部隊が守っていたであろう檻の周辺ですら今やほとんど兵は残っていない状態だった。
「こらっ、貴様ら逃げるな! 戦え! 戦って私と私の財産を守れぇーっ!」
この状況下でなおこの場に残っていたのは、ラムセルとその家族、そしてその子飼いの部下たちだけ。
クレッサールを捨ててトンガールに亡命するのに、おそらく運べる限りの財産を持ち出して来てしまっているため、それを残してこの場から逃げるに逃げられない状況なのだろう。
命の危機に立たされているこの状況でも、まだ財産のことを優先に考えているとは、なんとも業の深い男である。