第一章 囚われの王女と隻眼の青年⑥
「さて、残るはあなたたちのみになったわけですが……」
ヒタヒタと近寄ってくる青年の隻眼で睨みつけられると、ラムセルはあわあわと慌てふためきながら後じさる。
他の兵士たちのように財産を置いて身一つで逃げ出せばまだ命だけは助かる可能性があっただろうに、その状況に至ってさえ財貨に執着するとは愚かしいにもほどがある。
もっとも、この場を逃げおおせたところで今の彼の立場ではあまり明るい未来が待っているとも思えないが……。
カタリナ姫を奪還された状態ではトンガール王国に転がり込むことも出来ない。かといって今さらおめおめとクレッサール王国に帰ることもできない。
無一文の状態でこれでは、もはや社会的には死んだも同然である。
仮にその点がどうにかなったとしても、敵国にカタリナ姫を売った彼をセリネがこのまま見逃すことなどありえないわけで、セリネは地の果てまででも追いかけて、この世に生まれてきたことをその身に後悔させてから命でその罪を贖わせるつもりであった。
なんの後ろ盾もない上、身分意外何のとりえもないラムセルがA級派遣者であるセリネから逃げおおせることなどまず不可能。
――つまり、ラムセルには完全にチェックメイトがかかっているのである。
「ひっ、ひぃぃっ! よ、寄るな。こっちに来るなぁ」
追い詰められ、震える手で剣を握り締めながら必死の形相でわめきたてるラムセル。
おそらく生まれてこのかたまともに剣を握ったこともないのであろう。
へっぴり腰から繰り出されるその剣筋は、横になぎ払われはしたものの、力なくヘロヘロと波打つありさま。
おそらくそれなりの刀工の作であろう、むやみやたらと立派な装飾が施されたその剣は、一振りされるごとに右に左にと持ち主を滑稽に振り回していた。
ラムセル自身にもこのまま剣の勝負に身を任せることに危機感があったのだろう。
この危機を打開しようと必死で辺りに巡らされていた彼の視線。それふとカタリナ姫が閉じ込められている檻の方向へ流れたところでピタリと動きを止めた。
そして次の瞬間、何かを思いついたように彼の顔に喜色が浮かび上がる。
「そっ、そうだ! 姫を盾に、姫を人質にして逃げるぞっ!」
「くっ!」
舌打ちしながらも何とかそれを阻止すべくセリネは駆け出す。
しかし、互いの距離の関係上、どうしてもラムセルの部下の方が目的地に到達するのが早かった。
「おらっ! 早く外に出ろ!」
ラムセルの部下は、姫が閉じ込められている檻の扉に張り付き、素早く鍵を開けると、中にいる姫を引っ張り出すためその肩に手をかける。
「きゃっ」
悲鳴を上げる姫の腕を掴み荒々しく自分の元へ引き寄せると、彼は空いた手に持った剣を姫の喉元に突きつけた。
「貴様ら! 姫を殺されたくなくばその場に武器を捨てろ! そこの古人種の女も少しでも魔法を使うそぶりを見せたら姫の首が落ちるからな! わかってるだろうが、その距離からならお前が魔法を使うよりも俺が姫の首に剣を刺すほうが遥かに早いぞ」
「……っ」
悔しいが、ラムセルの部下の言うとおりだった。
一気に逆転した形勢に、それまで余裕を失って青ざめていたラムセルの表情が一気に精彩を取り戻していく。
「おら、早く武器を捨てないと玉のような姫の肌に傷がついてしまうぞ? いいのか? ん?」
「セリネ、私のことは構いません。どうせこの場で助かったとしても私には明るい未来は待ってはいないのですから。ならばあなただけでも生きなさ……いっ……!」
「うるせえ、てめえは少し黙ってろ!」
人質に取られたカタリナ姫が声を上げるが、ラムセルの部下によって後ろ手に回した関節をねじ上げられ、苦痛にその秀麗な顔を歪ませる。
「銀髪のお嬢さんよう、賢いお前ならどうすればいいかわかってるよなぁ」
「セリ……ネ、だめ…です……」
カタリナ姫は訴えるような瞳を懸命に向けてくるが、残念ながらセリネの中にはいかなる理由があろうとも彼女を見捨てるという選択肢は存在しなかった。
「………………っ!」
古代語魔術の使い手であるセリネは新語魔術師のように杖は持たないため特に捨てる武器はない。そのため、両手を上に上げることで抵抗の意思がないことを示す。
ラムセルの部下の一人が近づいてくる。
その手にはカタリナ姫の魔法を封じている首輪と同じものが握られている。
「ものわかりのいい女は好きだぜ。へへ。幸い姫に勝るとも劣らない上玉だ。殺す前にたっぷりと可愛がってやるからな」
あのラムセルの子飼いの部下だけあって品性の欠片も見当たらない。じろじろと品定めするような下卑た視線を向けられ、セリネは思わず嫌悪感に顔を背けてしまう。
しかし、ラムセルたちの目論見通りに事が進行したのはここまでであった。
「何をしてる。貴様もだ。早く武器を捨てて投降しろ!」
ラムセルはいまだ武器を捨てない黒髪の乱入者たちにも武装を解除するよう命令する。
しかし、彼らの誰としてそれに従おうとする者はいなかった。
考えてみれば当然である。
彼らは自分たちのようにクレッサール王から姫の奪還の依頼を受けた派遣者ではない。彼らには人質の姫と自分の命を秤にかけて姫の命を優先しなければならない理由などどこにも存在しないのだ。
「武器を捨てる? どうして?」
案の定隻眼の青年から疑問の声が投げかけられる。
この反応は予想していなかったのだろう。
「ど、どうしてって、人質がいるのが目に入らないのか? お前たちが助け出そうとしているカタリナ姫だぞ!」
ラムセルは焦ったように声を張り上げる。
しかし、それに対する青年の対応は冷ややかなものだった。
「悪いが、俺の目には人質がいるようには見えないんでね。でだ。仮にいたとしても、いいのか? その人質を殺したらその時点でお前たちの死は確定だ。同じ死を迎えるにも色々な方法があるが、お前ら、楽に死ねると思うなよ?」
青年の静かな迫力にラムセルはわずかにたじろく。
しかし、カタリナ姫が手中にあることが彼の強気を後押ししたのか、あるいはやけっぱちになっただけなのか、ラムセルは覚悟の座った目で部下に指示をだす。
「言ったな! 馬鹿め! そう脅せばこちらが姫に手を出せないと思ったか? だが勘違いもいいところだ。姫は生きてさえいれば十分人質の役目を果たせる。何も五体満足である必要なんてどこにもないんだからな。おい、こうなったら姫の腕の一本でも切り落としてやれ!」
「やっ、やめて! 腕を落とすなら私のを落としてっ!」
「やかましい! やれ! この私に逆らうとどうなるのか教えてくれるわ!」
「はっ!」
残虐極まりない命令にもかかわらず、部下の男は姫の腕を乱暴に掴み上げると、それを切り落とすべく躊躇なく剣を振りかぶる。
そして――。
ニヤついた表情を浮かべて剣を振り上げたその状態のまま、何の前触れもなく男の頭部がぽろりと胴体から転げ落ちた。
「――――――――!!!!」
予想だにしなかったこの展開に、何が起きたのか全く理解が追いつかず、その場にいる全員が思わず息を飲んだ。
「だから最初に言わなかったか? 俺の目には人質なんて見えないと」
隻眼の青年たちを除いて……。
首を失ったまま仁王立ちしている男の胴体からあふれ出した鮮血が、最も近くにいたカタリナ姫の頭ヘと降り注いでいく――かに思われた。
しかし、その寸前で王女の横に忽然とその姿を現したメイドの手が、王女を鮮血が飛び散る範囲外へと優しく引きよせていた。
「い、いつの間に……」
現れては消えるその姿は神出鬼没そのもの。
察するに、彼女は人の認識を阻害する魔法か何かを使い、ずっと傍で姫を守っていたのだろう。
それは即ち、
「もしかして……姫様が人質に取られることが分かっていたの?」
セリネと同様、ラムセルの発した命令を聞いてから彼女の元へと駆けつけようとしたならば、到底あのタイミングに間に合うはずがない。
それはつまり、彼女はラムセルならばそうするだろうと予測した上であらかじめあの場へ移動していたということになる。
そんなセリネの疑問に答えてくれたのは、王女を助け出したメイドではなく、隻眼の青年の方だった。
「兵を失い、追い詰められたこの男が、なりふり構わずここから逃げ延びようとした時にどういう行動を起こすのか、それを考えれば自ずと予想できた答えだからな」
何でもないような口調で言うと、彼はそのままこの死体で埋め尽くされた戦場を、どこか優雅さすら漂うゆっくりとした足取りでラムセルの元まで歩み寄っていく。
「く、来るなっ、来ないでくれっ!」
そして悲鳴を上げ、肥満体をたゆませながら賢明にずり下がるラムセルの目の前に、グイッとその鋭刃を突きつける。
「『生きてさえいれば十分人質の役目を果たせる。何も五体満足である必要なんてどこにもないんだからな。おい、こうなったら姫の腕の一本でも切り落としてやれ!』だったか? つまりお前から情報を引き出すのにも五体満足である必要はない訳だな。で、どこを落とされたい? 右腕か? 左足か?」
「ああ、ああああっ……」
鼻先に冷たい刃を突きつけられ、まるで生まれたての小鹿のように足を震わせていたラムセルは、まるで腰が抜けたかのようにその場にくたりとへたりこむ。
「た、た……頼む。助けてくれ! カネ、金ならいくらでも払う。だから見逃してくれ! この通りだ!」
王女を人質にとることに失敗し、逃げ場がなくなったラムセルはいよいよ観念したのか、開口一番その場でガバッと土下座をすると、地面に激しく頭をこすりつけた。
「あきれた変わり身ね。全く、見苦しい……」
思わず正直な感想が口をついて出てしまう。
だが、そう思ったのはおそらくセリネだけではない。なぜならその場にいた全員が、まるで汚物を見るような目をラムセルに向けていたからだ。
厚顔とはいえさすがにやばい気配を感じ取ったのだろう。ラムセルは慌てたように言葉を続けた。
「あ……わ、私は……命令。そう、命令されて仕方なくですね……」
「仕方なく主君の娘である私をトンガール王国に売り渡したと?」
横合いからそう詰問したのは、さきほどメイドの女性に救出された、セリネと同じく銀色の髪を持つ美しい理知的な瞳を持つ少女――。
クレッサール王国の第四王女、カタリナ・デュ・クレッサールだった。




