第四章 戦争編 ⑩ 同刻 クレッサール・ヘムガール国境地帯(3)
今更といえば今更なのですが、今回は特に血なまぐさい表現が多いですので、それらが苦手な人は読み飛ばすことをお勧めいたします。
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降り注ぐ鉄の雨。
嘶く雷光。
爆ぜる大地。
逃げ惑うヘムガール兵と弾け飛ぶ肉片。
辺り一面に漂う鉄のすえたような香りと、人肉が焼け焦げた不快な臭い。
そして……敵兵の血で視界一面が真紅に染まり上がったまるで冗談か悪夢のような眼前の光景……。
疑う余地は無い。
それは正しくこの世の地獄であった。
クレッサール軍8万、へムガール軍20万で争い、個々の兵の質に勝るクレッサール軍が奮戦したものの、積み重なる疲労によって微妙にヘムガール側に均衡が傾きつつある状況……といったこの戦場に、アンリエスト王ミナト・ヨツナシ率いるたった10人足らずの援軍(おまけは含まず)が来た――。
それだけ、たったそれだけのことで生み出されたのが今ガレスの目の前に広がっている常識外れの光景であった。
「ガ、ガレス様……」
「………………ああ」
呆然とした表情で戦場を見つめる部下の声に、ガレスも心ここにあらずといった上の空の返事を返す。
「祖国の存亡がかかっている此度の戦、我が軍が優勢であることは喜ばしきことなのは分かっております。分かってはおりますが……。こんなことがありえるのでしょうか? いや、こんなことが現実に起こりえて本当に良いのでしょうか? であるならば我々は今まで何のために……」
目から大粒の悔し涙を溢れさせながら、それでも戦場から視線を外すことが出来ず弱々しく己の心情を吐露した腹心の部下。
自軍の優勢に悔し涙する。それはクレッサール軍幹部にあるまじき姿である。しかしそんな彼をガレスは咎めることが出来ない。
ガレス自身、彼と全く同じ気持ちであったからだ。
アンリエストからの援軍――彼らが今まさに戦闘を繰り広げているその戦場は、つい先ほどまでガレスたちクレッサール軍が懸命に、それこそ我が身を削ぎ落とすかのような覚悟と血をもって臨み、故国を守るために文字通り命を捧げ散っていった数多の兵たちによる決死の奮戦によってギリギリのところで支えられていたものであった。
しかし今ガレスたちの目に映っているそれは、自分たちの命がけの戦いが一体なんだったのかと思わせるような一片の慈悲も見られない、これを戦争と呼ぶことすら生ぬるい一方的な虐殺劇であった。
もういっそ夢であるなら早く覚めて欲しい――。
思わずそう現実逃避したくなるほどに、その光景は現実離れしている。
「ミナト・ヨツナシ陛下が仰られた通り、これは確かに騎士の名誉からは程遠い戦いですな」
「そうだな……」
部下からの問いかけにガレスは頷く。
「ここにあるのは悲惨な死か、より凄惨な死か、ただそれだけだ。もっとも……」
吐き捨てるようにガレスは付け加える。
「あの戦闘の真っただ中に武器一つで放り込まれたフェリペの奴は今頃生きた心地がしていないであろうがな。とはいえ、いくら身内であろうが同情してやる気はさらさら湧かないが……」
それは本来、同じ王族であり、母親違いとはいえ実の弟に対して吐き出して良い言葉ではない。
しかし、その場にいる誰一人としてガレスのその言葉を咎めようとする者はいなかった。
それどころか言葉にして発しこそしなかったものの、ほとんどの部下は「ざまぁみろ」と言わんばかりの顔でガレスにキリリとサムズアップしてくる。
それもある意味当然のことか。
――祖国を守りたい。
ただそれだけのために圧倒的多数の待ち構える絶望的な戦場に立ち向かっていったガレスやその部下たち。そんな自分たちにとって、喉から手が出るほど欲しかったのはアンリエストからの援軍である。
それを、よりによってそれを、あろうことか己が謀略のためにクレッサールに引き留めていた元凶が渦中のフェリペなのである。
あの愚か者の行いがなければ今頃幾つの命が失われずに済んでいたか分からない。
弟の過ちは、王族としても、一人の国民としても許される範囲を大きく逸脱している。
その現状を鑑みるに、先ほどの部下たちの冷淡な反応ですらまだ温情に溢れているとさえ言えた。
そんな愚弟は、『決死の覚悟で大軍相手に戦っている味方への援軍を断るお前だ、多勢の敵に囲まれるのが好みなのだろう? いいぜ、望み通りの場所に連れて行ってやるよ。存分に楽しむがいいさ』と凄惨な笑みを浮かべるミナト王の手によってヘムガール軍との戦いの最前線へ力ずくで引きずられていってしまった。
つまるところ、ミナト王がこの戦場に連れてきた直接の配下以外のおまけとはフェリペ一行のことだ。
彼は今腹心の部下十数人に守られながら必死でヘムガール兵と斬り結んでいる。
それも、誰の目にも一目で大将首だと分かるようなトンガール王家由来のけばけばしく下品な金ぴかに光るの服のまま、鎧を着用することすら許されない状態でである。
当然、ヘムガール王国でも敵の大将首を落とせば戦後に高額の報奨金が得られることになっている。首の格によっては貴族に取り立てて貰うことすら夢ではないかもしれない。
そんなところに、いかにも大物であると一目で分かる装いの、それも剣一本持たされただけの満足な戦支度をしていない絶好のカモが、これまた碌な防具を身に着けていない十数名の配下しか連れていないというネギを背負った状態で現れたのだ。
更に言うならば、突如としてヘムガール帝国に降りかかった脅威の大規模攻撃や、圧倒的剣技を誇る単体で一軍に匹敵するほどの恐るべきメイドの襲撃や、正体不明の攻撃をしかけてくる不気味な人形集団の進軍など、自軍を混乱の淵に陥れているそれらの攻撃が不思議とそのカモの周りを避けて起こっている。
そんな状況を考えれば、ヘムガール兵にとってそこへ突撃しないという選択肢こそありえなかった。
仮にもガレスと並んでクレッサール軍の将軍職にいたフェリペ、その剣の技量は並みの兵では到底及ぶものではない。
しかしそれはあくまでも1対1での試合のこと。いくら剣技自慢の彼でも礼儀もなければルールもない戦場の、倒しても倒しても次々と自分目掛けて群がってくる敵兵の前には到底いつもの調子という訳にはいかないようであった。
ならば無理に戦わず背を向けて一直線にガレスたちのいるこの安全地帯まで撤退すれば良いのではないか……と考えたいところだろうが、それを実行に移したフェリペの部下は、彼らの後ろでその戦いぶりを冷徹に見張っていたミナト王配下の手による未知なる攻撃によって一撃で始末されてしまった。
これによって、いくら裏切り者であるとはいえ王家や上級貴族家の一員であることから無碍な扱いはされまいと高をくくっていたフェリペたち一行は、ミナト王が自分たちの態度次第では平気でこの戦場で使い潰すつもりであると気付いてその恐怖に震え上がるとともに、今の自分たちがどんなに絶望的な状況にあろうが絶対に撤退することが許されない立場であるということを骨身に染みて自覚させられたようで、現在はその顔から涙と鼻水を垂れ流しながらも死にもの狂いでヘムガール兵と戦う姿を見せている。
国を裏切り味方に大損害を与えている以上、この場でどれほど戦果を上げようがそれを誇ることさえ許されず、戦場にいる同胞からはただただ白い目を向けられ、王都への帰還後には正式な裁判が待っているという惨めな虜囚――。
逆に返り討ちにあってこの場で命を失おうものなら、誰にも悲しまれないまま惨めに戦場に躯を晒し、斬り取られた首はヘムガール帝国の帝都に晒されて死後もその尊厳を汚され続けることになる。
つまり、どちらにしろ彼らの将来は真っ暗な訳であるが、それでもほんの僅かな可能性が残されているとすれば、とにかくこの戦場で目覚ましい戦果を上げて少しでも王からの覚えを良くし、情状酌量を勝ち取ることくらいであろうか。
とはいえ、もし仮に裏切りの事実がない状態で、フェリペたちの奮戦が今の10倍以上の獅子奮迅ぶりだったとしても、結果的に彼らがこの戦場に及ぼせた影響力はほんの微塵たるものであっただろう。
それだけミナト王とその配下の示した武威は圧倒的であった。
その始まりを告げたのは、天上からの流星による攻撃。
大地の地形さえ変えるその一撃は、ヘムガール軍中央に直撃して激しい爆風とともに一瞬で万を超える命を奪い去るほどのものだった。
しかし、問題はそこではない。
本当に問題にすべきは、それほどの攻撃であってもヘムガール軍にとってはその身に降り掛かる悲劇の始まりに過ぎなかったというその驚愕の事実の方なのである。
事実、最初の一撃だけであったならヘムガール軍がここまで無様に瓦解することはなかっただろう。
真の恐怖は後からやってきた。
ミナト王はゆっくりと最前線まで歩み出る。
彼は暫しの間戦場を睥睨すると、不意に何かを撃ち払うような仕草で右腕を横に凪いだ。
次の瞬間、彼の体から信じられないほどの強大な魔力が立ち昇る。
離れて見ているだけのガレスでも肌にビリビリと感じるほどの膨大な魔力の奔流。
そして、天空にガレスが今まで見たこともないような巨大な魔方陣が幾つも浮かび上がる。
「な、なんなんだあの魔力は! あんなの噂に聞くナトーヤの使徒だってあの魔方陣一つ維持できるかどうか……。だというのに、あれほどの数を同時に起動してかつ平然と制御しきるとは……。それにこんな巨大で複雑な魔方陣、私は見たことがない。あの魔方陣を構築している魔法式も我々の使う新語魔術のものとは明らかに違う。そう、あれは、あれではまるで……」
ガレス配下の筆頭魔術師ライナス・クラストンは、ミナト王の作り出した巨大魔方陣を見るなり呆然とした表情でぶつぶつと独り言を呟いていた。
だが、途中まで言いかけたところで不意に何かを思いついたのかハッとその顔を上げる。
「……もっ、もしやあれは、古人種のみが操れるという古代語魔法? しかしっ、ミナト王がどうしてそれを……!」
ライナスがそう叫び終えたか否か、そんな刹那のタイミングで巨大な魔方陣から荒れ狂う雷撃が、まるで集中豪雨のように幾筋も連なりながらヘムガール陣めがけ逃げ場なく降り注いだ。
魔方陣直下にいたほとんどの者は、感電を飛び越えて一瞬で体が消し飛びその存在がなかったことになり、かろうじてその事態を免れた運の良かった者も、少し風が吹けばそのまま風化して消滅してしまいそうなくらいに危うい黒焦げに炭化した状態の無残な躯を晒していた。
そう、何の気ない軽い仕草で放たれたそれは、魔方陣一つにつき万の命を瞬時に滅し去っていたのだ。
その信じられない威力の超魔法が発動された後に生き残ることができたヘムガール兵はかろうじて3万ほど。
戦争が始まった時点で20万いたヘムガール帝国の大軍が、今やたったの3万人足らずしか残っていない。
いや、あれだけ出鱈目な攻撃の前によくも3万もの人間が生き残れたと素直に感心する方がより正しき感想であろうか。
あれだけの攻撃を放ちながら湊は未だ平気な顔でぴんぴんしている。
本当にあって欲しくないことなのだが、彼のその様子を見る限り、あのとてつもない規模と威力の攻撃魔法ですら片手間に放ったものなのではないかという疑念さえガレスの中に燻っている。
その事実に気づいてしまった瞬間からガレスは、自身の体の芯から湧き起ってくる恐怖による体の震えを抑えることが出来ていない。
己に敵対する者に対する一片の容赦もないその姿勢とあり得ない威力の超絶魔法。
この先アンリエストを裏切るようなことがあれば同盟国たるクレッサール王国にもその牙は容赦なく降りかかってくる……。
何があろうと絶対に裏切ってはならない存在……それは確かにこの世に存在していた。
その事実をしかと他の王家の者に伝え残さなければならない。
それがこの戦場に立ち会ったガレスが得た教訓であり、義務であった。
「お、王子! あれをっ!」
「……どうした? なにをそんなに慌てている?」
ここでこの戦争が終われば良かった。そうであったならどれほど幸せであったことだろうか。
しかし、ヘムガール軍の地獄(それとガレスの胃痛)はまだ終わってはいなかった。
ババババババババババババババババッ
まるで巨大な虫が羽ばたいているような異様な音が突如として戦場に響き渡る。
「な、なんだ? 鋼の……虫?」
「いや、あれは確かへりこぷたぁという乗り物の筈だ。直接見るのは初めてだが、父上からあの乗り物について聞いたことがある。何でも2羽根タイプのへりこぷたぁは飛竜とほぼ同等の飛行速度で空を飛び回り、飛竜よりもはるかに多くの人員や物資を一度に遠くまで輸送することが可能なのだとか」
ガレスは父親譲りの知識を部下に披露する。
「多くの人員を輸送ですと? それではあれは……」
「ああ、おそらく運んできたのであろうよ。アンリエストの戦力を」
そう言っている内にも、飛んでいるその飛行物体からパラパラとヒト型の姿をした何物かが次々と飛び出し、空中で大きな布製の傘のようなものを広げながら滑るように地面目掛けて舞い降りて来る。
「あれはヒト? いや、人形なのか?」
緑と茶色が斑に入り乱れた不可思議な柄の服を着用したそれは、初め人間かとも思ったが、目を凝らしてよく見てみるとほとんど唯一といっていいほど外に露出したその顔の部分が目も鼻も口もない完全なるのっぺらぼうであることが分かる。
それの意味するところはつまり……。
「ぱっと見でも百以上……。ということはつまり、アンリエストにはあの数を一度に制御出来る異常なレベルの人形遣いがいるということですな」
「懸命に考えまいと努力していたところだというのに……まあ、そういうことになるのだろう」
もはや驚く感情さえ麻痺してきてしまったらしき部下の的確な分析に、ガレスも不本意ながらも同意する。
つまりそれは、アンリエスト軍の持つ異常さがあの桁外れの強さを持つ青年王のものだけではないということを意味している。
幾条もの列をなして空を滑空してきたその人形たちは、地面に降り立ちその傘のような布を脱ぎ捨てると、見たこともないような不思議な形状をした杖を抱えながらヘムガール帝国軍と接する最前線めがけて整列しはじめる。
一糸乱れぬその整然とした動きは、一軍の将たるガレスをして思わず目を奪われてしまうほど見事なものであった。
とはいえ、未だ残っているヘムガール兵はおよそ3万。
(いくら魔道人形とはいえたった百体程度。それで一体何ができるというのか。とはいえ、敵兵の数は今やクレッサール軍の数を大きく下回っている。であるならば満身創痍の状態の自分たちでも負けることはあるまい……)などと計算いたガレスたちだったが、その予想ですらもあっさりと裏切られることになる。
タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタッ
最前線にまるで何かで計ったかのように等間隔で整列した魔道人形たちは、突撃してくるヘムガール兵に向けて手にした杖を構えると、一斉に炎弾の魔法を撃ち放った。
放たれたその炎弾は、前を走る兵を盾ごと貫いてそのまま後ろの兵にまで到達する。
脅威の威力と貫通力。
その上恐るべきことに無詠唱。
何より極めつけは、その威力を維持したまま短い間隔で立て続けに数十発も連射することが可能だという点。
あんなのを相手にしなければならないヘムガール兵たちには敵ながら同情を禁じ得ない。
上官からの命令によって強制されているとはいえ、前線に立つ彼らが手にしている槍を人形に届かせるためには密度の濃い弾幕の中を突き抜けて来なければならないのだ。
何の対策もなく闇雲に突撃させるのはどう考えても悪手。
どうにも敵指揮官の戦術には開戦当時からどれだけ味方に犠牲が出ようとも最終的に勝利すればそれでよいと考える傾向が随所に見られ、それを基に推理するなら、現在の闇雲な突撃命令はあえて魔力を消費させることで人形のエネルギー切れを待っているのではないのかと推測できる。
それはそれで確かに有効な戦術の一つではあろう。
しかし、そうだとしても、本当にあれに魔力切れがあるのか? もしあったとして、それとヘムガール軍の全滅、一体どちらの方が早いのか? という疑問が湧き立つ。
しかも、ガレスの予感ではどうにも後者くさい。
もうしそうであった場合、今突撃している兵たちは完全に無駄死にである。
「非情な将の配下たる兵の何とも哀しきことよ」
しみじみとガレスは憐みの視線を向ける。
とはいえ、通常ならば無茶な命令だけ出して後ろでふんぞり返っているであろう渦中のヘムガール将軍はじめ上級将校たち。
遠い後方にいるガレスにはあずかり知らぬことであったが、時同じくして彼らは、自身の命を脅かさんとする恐るべき脅威の前に阿鼻叫喚としていたらしい。
そんな状態へと彼らを追い詰めたのは、こんな戦場にいるのがいぶかしく感じるほど粛々とした佇まいの一人のメイドであった。
「失礼致します」
よほどの名家に仕えているのか、こんな戦場にあっても一切取り乱すことがなく、それどころかむしろ気品や優雅ささえ感じられる超一流の立ち居振る舞いで、彼女はヘムガール軍本陣に正面から堂々と足をを踏み入れてきた。
誰もが声を失って彼女の挙措に見とれている中、彼ら幹部たちの心の中を占めていたのは『これほど美しく可憐なメイドを己が下に仕えさせている果報者の糞野郎は一体どこのどいつだ?』という見当外れの嫉妬心であった。
「メイド、貴様どこの家の者だ?」
そう問うたのは公爵家の次男坊で、問いかけたその理由はここに足を踏み入れてきた彼女の存在を訝しんだからではなく、彼女の雇い主次第では帝国でも最上位に近い家格を誇る実家の力を使ってでもこの美しいメイドを我が物にしてやろうという下種極まりない下心の現れであった。
「これは、自己紹介が遅れてしまい大変申し訳ございません。私は魔法帝国神無・渋谷公爵肆十無湊様に仕える使用人、館林五十鈴と申します。どうぞよしなに」
スカートの端をつかみ、優雅に一礼しながら告げる彼女。
「魔法帝国? カムナ? ……なんだそれは?」
予想していた答えと違ったのか、一様に首を傾げる幹部たち。
「あっ、失礼いたしました。我が主はこちらの世界ではこう呼ばれているのでしたね。アンリエスト王国国王ミナト・ヨツナシ……と」
「なっ、貴様! 敵国の手の者かっ!」
言い直した五十鈴の言葉を聞いて、ハッと顔を上げると、幹部たちは素早く武器を構えながら彼女から距離を取る。
「貴様、ここへ何しに来た? 命乞いか?」
「ならば私のところに来い。妾で良ければ命の保証はしてやるぞ」
「いや、私のところに」
「いやいや私が……」
なにやら勝手に言い争い始めた男たちをまるでゴミを見るような冷ややかな視線で見つめながら、五十鈴はそれでも慇懃な姿勢を崩さずに言葉を続ける。
「申し訳ございませんが、私は理想の体現たる現在の主に身も心も捧げた身。あなた方の如き下賤な輩の誘いに軽々しく応じるような尻の軽い売女たちと同一化されるのははたはた迷惑な話でございます」
「なっ! 無礼な! では、貴様はこの場へのこのこと何の用事でやってきたと言うのだ!」
「もちろん、皆様のお命を頂戴しに」
言い終えると、彼女は素早く異空間に収納された一振りの刀を召喚し、己の眼前に構えるとゆっくりとした仕草でそれを抜いていく。
漆黒の刀身から発せられる膨大な魔力の波動がまるで炎のように青白く揺らめくそれは、紛れもない魔剣。
それも、誰の目にも明らかな国宝級の逸品であった。
「ふざけるな! ヘムガール貴族たる我らがたかが女中如きに後れを取ると思うてかっ! ひっ捕らえた後でその体慰み者にしてくれ……んdmshtぁっ?」
言いながら飛びかかってきたその男は、背後から五十鈴の身体を抱きしめて拘束した……と思ったその瞬間、自身の視界がぐるんと後方に1回転し、通常では鏡なしで見ることが出来ない己の背中を直に見るという世界でも有数な貴重な体験をした後、本人はそうと気付かないままあっけなくその生涯を閉じた。
「くっ、首がっ、ひぃぃぃぃぃぐぁっhsr……」
真っ赤な鮮血を吹き出しながら倒れる仲間の首無し死体をみて悲鳴を上げた男も、恐怖の表情を張り付けたまま永遠に自分の胴体との別れを告げる。
「くっ、太刀筋が全く捕えられん。この女手練れだ。気を付け……がっ……」
「て、敵襲だ! であえ、であgsrぐふっ……」
仲間に警告を発した男、本陣の外に自分たちの危機を伝えた男、いすれも油断していた訳ではないのに真正面から一合も打ち合うことなく一瞬でその首を斬り落とされてしまう。
それは、つまり両者の技量差が隔絶しているということ。
「いくら腕が立とうと所詮は一人、みんなで囲め! 囲んで一斉にこぅgまおえddれぐぁ……」
「そんな馬鹿nらgふぇkfぉ……」
「ば、馬鹿な! あのディロン伯爵まで、ひっ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
五十鈴の背後から囲みに入っていた男二人の首が同時に落ちたことで、天幕の中にいた幹部たちの恐怖は頂点に達した。
殊にメイドを囲めと指示を出していたディロン伯爵はヘムガールでも有数の名の知れた剣士で、そんな彼でもまともに打ち合うことが出来なかったという現実は、彼ら幹部たちの恐怖をより増幅させるのに一役買うことになる。
美女を我が物にするだとか嬲り者にするだとか、そういうものは命があってこそ意味があるのであって、いくら心惹かれるからといえど彼女に執着して他の幹部たちと同様首を飛ばされてしまっては何の意味もない。
結果として、生き残っている男たちが選択したのは『背を向けて一目散に逃げ出す』ことであった。
そんな彼らのその判断は、ある一面で正しく、そしてある一面では正しくなかった。
なぜか?
絶対的な差で技量が劣っている以上、選択肢として逃げることを選ぶのは間違いなく正しいことである。
ただそれが正解と断言できないのは、現実問題として、そんな彼らの逃げ足で本当に五十鈴から逃れきることが出来るのか? という懸念である。
こうしてヘムガール軍上層部はたった一人のメイド――館林五十鈴との命がけの追いかけっこによって絶望の淵まで追い詰められた。
彼女は敵陣たるヘムガール陣にあって、主たる肆十無湊が放った恐るべき大魔法や人形兵の吐き出す炎弾の雨の中を平然と掻い潜り、将軍もしくは軍幹部と思しき身なりの良い者たちを重点的に狙い斬って斬って斬りまくった。
結果として、彼女の魔手から逃げ延びることができたのは、移動において自前の服とその替えが汚れてしまい、たまたま部下に借りた地味な服を着ていたった一人の幹部だけであった。
僅かな時間で敵軍の総大将を含む実に大小100以上もの首級を挙げるという恐るべき戦果を達成したそのメイドが、息一つ切らさず、返り血一つ浴びず平然とした姿で戻ってきたのをまのあたりにしたガレスたちは『この女、この女だけは何があっても敵に回してはならない!』と、首元に何かヒンヤリとしたモノを感じて背中から冷たい汗をダラダラ流しながら、強く、強く己の心にその誓いを刻み込むことになる。
こうしてミナト王や人形兵によって既に手足のことごとくと体の大半を失っていたヘムガール軍という巨大な怪物は、その状態から更に五十鈴によって司令部たる頭部まで斬り落とされ、もはや群としての体裁すら整えることが叶わず、実にあっけなく瓦解し敗走に転じてしまった。
こうして逃げ延びていく敗走軍にミナト王の魔法によって更に一度強烈な追い打ちがかけられた後、満足に食料も持たないまま強力な魔物が跋扈する深い深い山々を抜けていったヘムガール軍の生き残りの内、後日何とか人里まで辿り着くことができた者は結局のところ全てをかき集めても300名にも満たない数であったという。
彼ら敗残兵たちはみな一様に餓死寸前にまで痩せ細り、物乞いと見間違わんばかりのボロを身に纏った姿で、疲れきったその顔からは一切の笑顔が失われ、何か世にも恐ろしいものをまのあたりにしてきたかのごとく互いに身を寄せ合い、ギョロギョロとした目で常に周囲を警戒しながらガタガタと体を震え上がらせていたらしい。
当初は大量の敗残兵がやってくるということで、彼らが野盗化して村に襲い掛かってくることを大いに警戒していた村人たちだったが、実際にやってきた彼らは完全に心の牙を折り取られ、暴れる気力さえも奪われ尽くした抜け殻のような状態であった。
自分たちの懸念が杞憂だったことに安堵したのもつかの間、今度は力尽きたように次々とその場に崩れ落ちていく彼ら敗残兵たちのあまりの衰弱っぷりに、村人たちはとりあえずの対処としての食料の調達と傷の介抱などにてんてこまいになることになる。
そしてようやく容体が安定してきた彼ら生き残りの口からクレッサール王国との国境での戦争で何があったのかを聞きだした国家の役人や村人たちは、当初はそのあまりに常識からかけ離れた彼らの話に気が狂ったのではないかと疑いのまなざしを向けることになるのだが、生存者たち皆が皆まるで口をそろえたように全く同じ証言を繰り返したことや、狂っていない証拠として戦争の話以外では常人と全く変わらない言動を行っていること、逃げ帰ってきた時の彼らの極限状況ともいえる切迫感、そして何よりも、事実として20万人以上が出兵していったにもかかわらず、帰還を果たした者が彼らの後一人も現れていないという厳然たる事実により、徐々に彼らの証言が事実であったという認識が広がっていく。
そして彼らが恐怖に顔を歪ませながら涙ながらに語ったその話は、人々の口を伝い、瞬く間にヘムガール帝国全土へと拡散していくこととなる。
なお、この戦争でミナト王はじめガレスたちクレッサール王国軍は敵軍の捕虜を一切取ることはなかったので、この戦争におけるヘムガール軍20万人の中の生存者はその300人足らずで全てということになる。
そのあまりに徹底した殲滅ぶりにヘムガール帝国内部からは非難の声が上がったが、正規兵であろうがなかろうがクレッサール王国国内に雪崩れこんだならば、彼らは手当たり次第に街や村を襲い、略奪や暴行、強姦を繰り返し、国民たちを次々と虐殺または奴隷化して、最後には王都を陥落させてクレッサール王国そのものを滅亡させる気満々であったのだからガレスから言わせればそれは自業自得以外の何者でもなかった。
後から文句を言うくらいなら始めから攻めて来なければよかったのだ。
19万を上回るというとんでもない数の死者たちの中にはもちろん正規兵だけでなく国や領主から無理やり召集された農民兵たちも多数存在していた。
そんな彼らがこぞって未帰還となったことで、この後ヘムガール帝国の農業生産率と国力は目に見えて低下することになる。
そしてその影響は、廻り廻ってヘムガール帝国からの食料輸入に頼りきっていたトンガール王国の台所事情を直撃することになり、元々食料自給率が低かったことに加え、自身の国でもアンリエストとの戦争に農民兵を多数送り出し、結果として彼らの大多数が未帰還であったことも重なって、この冬から数年間トンガール王国内では大量の餓死者が発生したという。
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なお、余談ではあるが、この戦争の生き残りが伝えた話が元になり、ヘムガール帝国内ではこの後大の大人でさえ泣いて逃げ出す「恐怖の首切りメイド」という怪談が大流行することになる。
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