第三章 内政編 ② 技術者たち-6
大通りから一本横に伸びる暗く細い路地。
その入り口に一人の少女が立っていた。
年の頃はおそらく12、3歳。
同年代の少女たちに比べてかなり細身で発育が遅いが、かといってただちに生命の危機を感じさせるほどやせ細っている訳でもない。
およそ貴族でも入手に苦しむようなきめ細やかな高級生地でできたメイド服に身を包んだ彼女は、首から下げた高そうなペンダントをぎゅっと握りしめながらじっと路地の物陰を見つめている。
「あれからまだ一か月しかたってないのね。色々なことがありすぎてなんだかもう随分と昔のことみたいだけど……」
感慨深く述懐する。
そう、本当に色々なことがあったのだ。
シーリンが己が命を懸けて道連れにしようとして、そして突然第三者からの介入によって未遂に終わってしまった両親の敵への復讐。
その時シーリンの頭をよぎったのは、助けられたことに対する感謝ではなく、自分の復讐を邪魔されたことに対する青年への怨嗟だった。
死の淵に瀕しもはやまともに動くことすらままならないあの時、シーリンが己の復讐を完遂させるためには、公衆の場で両親の仇たちの手によって自分が殺される必要があった。
いくら虎人族の男たちが外道とはいえ、自分の死なくしてあの状況で問える罪は強盗だけである。
強盗未遂では仇二人が課せられる刑罰はせいぜいが犯罪奴隷落ちまで。しかしその程度の罰ではシーリンの両親の命を奪った罪とは到底釣り合わない。
自分を助けてくれた青年がその勢いで虎人族二人を斬り捨ててくれれば結果良しとして納得もできたかもしれないが、下手に殺してしまえば今度は青年自身が殺人者として問われることにもなりかねないため、彼がそこまでしてくれることはないだろうことがシーリンには痛いほど分かっていた。
もちろんこれは正当防衛が認められるケースである。
しかし、新しくこの国の支配者となった新王の意によってその態度が大幅に改善されたと評判になってはいるものの、前領主から引き続いて雇われた憲兵たちの中にはまだまだ自分の手柄のために平気で無実の人間を犯罪者に仕立て上げたり、金次第で犯罪を見逃したりするような下種がいまだに存在している。
それもまた厳然たる事実なのだ。
そんなリスクを抱えた状況で、あえて敵の命を奪ってまでして正当防衛を主張する理由が青年にあろう筈がない。
自分の両親の命を、そして自分の半身を奪った男たち。
命には命を。
両親を死に追いやったあの二人には何としても命をもってその罪を償わせないといけない。
身も心も弱りきり今にも暗闇に意識を持っていかれそうなその状態で、シーリンはほとんど執念だけでその意識を留めていた。
案の定虎族の男二人組は命を取られることなく憲兵に連れていかれることになってしまった。
だが、小便を垂れ流して絶望的な表情を浮かべたあの男たちの無様極まりない姿を見て、ざまあみろと溜飲を下げる気持ちがあったのは唯一の救いであったろうか。
腐敗した憲兵に連れていかれてしまえばあの二人はまた開放されてしまうかもしれない。
そしてその懸念は、騒ぎを聞きつけて駆けつけた憲兵の態度の悪さによってにわかに現実味を増した。
――そう思っていた矢先、それまで横柄な態度をとっていた憲兵たちが突然顔を青ざめさせながらその場にひざまづいた。
「???」
突然豹変した彼らの態度、その意味が分からずシーリンの頭は混乱した。
弱り切って死を間近に控えた自分の頭がいよいよおかしくなってしまったのかと思わず疑ってしまったくらいだ。
しかし、憲兵たちの態度が急に変わったその理由はすぐに判明した。
自分を助けてくれた隻眼の青年、彼こそがクレッサール王女を前領主の手から救い出し、そしてこのアンリエストに新しい国を建てた新たな王、肆十無湊その人であったのだ。
こうなると話は変わってくる。
詰所に引っ立てられていったとはいえ、この国の王に直接剣を向けたあの男どもが無事に解放されるなどもはやあり得ないことからだ。
良くても事情聴取ののち公開処刑。悪ければいっそ楽な死を望むほどの拷問を受けたのちの反逆者として無残な処刑。
どのみち死をまぬがれることはないであろう。
――つまり、意図せずして自分の復讐は既に完了していたのである。
その事実に気付いた瞬間、執念だけで持ちこたえていた自分の緊張の糸がぷっつりと千切れたのが分かった。
鮮やかだった景色が急に色を失い、目に映る物の輪郭も急激にぼやけてその形を失っていき、ついさっきまではっきりとしていた思考能力も、徐々にではあるが確実に失われていく――。
(ああ、これで私はもう、死ぬのかも……しれ、ない……)
両親とじいやの面影を思い浮かべながらそんなことを考えていたその時のシーリンは、耳の端でまるで大きな鳥がせわしなく羽ばたいているようなパタバタバタという雑音と、何者かの手によって体が宙吊りにされるような不思議な浮遊感に包まれながら、完全に暗闇へとその意識を溶かしていった。
◆◆◆
次に目を覚ました時、開いた瞼に映ったのは一面の白だった。
部屋……いや、それが本当に部屋といっていいものなのかも分からない。
壁床天井、今自分が寝ているベッドや布団に至るまで全てがシミ一つない純白の空間。
それだけではない。
自分が横たわっているベッドは信じられないくらいに柔らかく弾力に富んでいて、体にかけられている布団は人の手によるものとは思えないほどきめ細やかで、汚れ一つ見当たらず、何よりまるで雲のように軽く柔らかい。
シーリンの持っている常識からあまりに逸脱したその光景に「ああ、死んだらこんなところに来るんだ……」と思わず自分の死を確信してしまったくらいだ。
そこでふと自分の身体の異変に気が付く。
「なに、これ……?」
自分の左手の甲に何か妙に弾力性のある変な管が繋がれていた。
気持ち悪くなってシーリンは反射的にそれを外そうとする。
「それを外しては駄目だよ」
そこで突然、第三者によってやんわりとした声がかけられた。
まさかこの場に自分以外の人がいるとは思っていなかったのでシーリンは口から心臓が飛び出しそうなくらいに驚いたが、あまりにもショックが大きすぎて逆に悲鳴を上げてわめきたてるような醜態を演じずに済んだのは不幸中の幸いであろうか。
慌てて声のする方へと振り返り声の主を確認する。
その視線の先には、目元に見たこともない不思議な二つの輪っかが着いた飾りを身に付け、仕立ての良さそうな服の上から更に裾の長い真っ白な上着を羽織るという奇抜な恰好をした若い女性がいた。
「私の名は羽間黒子。医者だ。心配しなくていい」
「……イシャ?」
言っている意味が分からなくて思わず首を傾げると、
「ああ、医者じゃ通じないのか。えーと、何ていえばいいんだ? 私は君たちで言うところの薬師? 治癒術師? 回復魔法使い? まあ、そんなもんだ。君は長いこと食事をとってなくて栄養失調……いや、体が弱りきっている状態だったからここで治療させて貰っていたという訳だ」
「……治療?」
「そう、つまりは弱りきっている君の身体を元の元気な状態に戻そうとしているわけだね」
「元の、元気な状態……ですか……」
鸚鵡返しに呟きながら、シーリンはついつい己の左腕に視線をやってしまう。
そこには気を失う前と変わらず炎によって醜く焼け爛れた皮膚があった。
「申し訳ない。悪いが私の能力ではその状態になってしまった君の皮膚を元に戻してやることは出来ないんだ」
シーリンの視線を追ったのだろう。申し訳なさそうな表情で黒子は言った。
「本国の天才治癒能力者藤井京子氏ならばそれくらいの怪我なら一瞬で治してしまえるんだろうが……全く、自分の力不足が悔しいよ」
おそらく何気なく言ったであろうその言葉。
この世にはこの状態の自分を一瞬で元通り出来るほどの力を持つ者がいて、しかし自分の手の届く場所にはいない。
今の姿になってから二年。
元には戻らないと既に諦めている。
どんなに夢見てもそれは叶わない夢なのだと分かっている。
……とはいえ、何と残酷な一言なのだろうか。
「うっ、ううっ……」
知らず知らずの内に涙が目から溢れてくる。
我慢しようと頑張っても、溢れてくる。
「私の不用意な一言が君を傷つけたようだ。申し訳ない。許してくれ」
自分の失言に気が付いた黒子が申し訳なさそうに深々と頭を下げる。
「いいえ、すいません。私の方こそ命を助けていただいたのに勝手に泣き出してしまって……」
小さくしゃくりあげながら、それでもシーリンは顔を上げて黒子に微笑んで見せる。
完全な強がりだ。笑みだってぎごちない。
だが、泣きわめいて彼女に当たり散らしたところで自分の傷が元に戻る訳ではないのだ。
それくらいのことは、今のシーリンだって理解できる。
「……君は、強いな」
唇を必死にかみしめて感情を押し殺しているシーリンを見て黒子はそっと頭を撫でてくれる。
どれくらい時間がたっただろうか。
黒子は辛抱強く荒れ立つシーリンのこころの波が穏やかな凪ぎに変わるまで待っていてくれた。
「もう大丈夫かな?」
彼女の問いかけにシーリンはコクリと小さく頷く。
「よし。では、これからの君の治療についての話をしよう」
言うと、彼女はニッコリと微笑みかけてくる。
「いいかい? 今の君は長いことちゃんとした食事を摂ってなかったせいでいきなり普通の食事を食べてしまうと逆に体調が悪化してしまう状態だ。だからまず、君にはこれから数日間かけて消化の良いものから初めて徐々に普通の食事が取れるように慣れていってもらう」
「はい」
難しいことはわからないが、何となく彼女の言いたいことは理解できる。
「普通の食事が摂れるようになったら、今度は食事でバランス良く栄養を取りながら二週間かけて普通に立って歩けるように訓練してもらう」
「……はい」
「更にその次の一週間で体重を健康を維持できる最低限の状態を目標に戻しつつ軽い運動――この場合軽く跳んだり走ったりすることだね――が出来るようになって貰う」
「はい」
「そして、そこまで順調にクリアしてある程度の体力を取り戻せたら……」
そこで黒子はいったん言葉を止めて、シーリンに向かってニヤリと笑って見せる。
「君のその左半身を綺麗に元通りにする手術を行おう」
「………………は?」
シーリンは呆けた顔で聞き返した。
彼女の言った「シュジュツ」というのがどういうものなのかは良く分からない。
ただ、彼女が自分の左半身を元に戻すというニュアンスのことを言ったということだけは理解できた。
「どういう、ことです……か?」
改めて問い直す。
「どういうことと言うと?」
「さっきあなたは自分の力では私の傷を直すことが出来ないと確かにおっしゃったはず……」
「うん、確かに言った。だけど正確にはちょっと違う。さっき私は『悪いが私の能力ではその状態になってしまった君の皮膚を元に戻してやることは出来ない』と言ったんだ。確かに私の持つ治癒能力では君の傷を元に戻してやることは出来ない。だが、私の磨いてきた外科技術ならばその限りではない」
黒子の説明によると、彼女たちの国には元々魔法というものは存在せず、ガガクやイガクという別の技術によって病気や怪我の治療を行っているようである。そして、そのイガク、その中でも特にゲカと呼ばれる分野の治療では彼女に叶う者はいないのだという。
要するに、彼女は自分のことを魔法を使わないで怪我を直す名人だと言っているのだ。
「その手術っていうのはね、簡単に言うと君のその爛れた皮膚をメスという刃物で一度切り取って、そこに傷のない綺麗な皮膚を貼り付ける作業のことなんだ。ああ、もちろん刃物で切り取るといっても危険なことはないし、刃物で皮膚を切っても痛くないように麻酔を使わせてもらう。要するに君が寝ている間にちゃっちゃとやっちゃうから全然痛くないよってことだね」
「……でも、皮膚を刃物で切り取るって、そんなことをして大丈夫なんですか?」
「まあ、根本的に手術っていうのがどういうものなのか知らない君が不安に思うのは当然だとは思うけどね。例えばさ、こう指先を刃物でちょっと切っちゃったとする。そしたらぱっくりと傷口が開いて血が流れ出てくるよね? だけどよっぽど傷が深くない限りその傷口同士がまた元通りにくっついちゃう。要するにそれをもっと大規模にやろうってことさ。今の火傷して爛れた皮膚を切って捨てて、そこに綺麗な皮膚を貼り付けて元通り繋がるのを待ちましょうと。それに貼り付ける皮膚も君自身の細胞から培養したものだから拒絶反応の心配もないし……って、こう言っても分からないか。まあともかく、結果から言うと君は元の姿に戻ることができる。もっと喜んでいいよ」
「……本当ですか?」
「ああ、誓って嘘じゃない」
黒子の言葉にシーリンの顔に思わす喜色が浮かぶ。が、すぐにまた沈み返ってしまう。
「でも……私にはお礼に支払えるお金が、ありません」
一瞬両親の形見の宝石を渡せば良いのではないかという考えが頭をよぎったが、それでもやはりあれを手放すことだけは出来ないと思いなおした。
その宝石は今もシーリンの首にかかっている。だから自分の治療を行ったこの女性がその存在を知らない筈がない。
おそらくさっき話した治療の話もこの宝石を代金として差し出すことが前提で話が進んでいるのだろう。そうシーリンは推測した。
「君にあらためて代金を払ってもらう必要はない」
首を横に振りながら黒子は言った。
「申し訳ありませんが、この宝石は……」
「いや、その宝石を貰う必要もない」
治療を断ろうとしたシーリンのその言葉を遮るように、黒子は治療の報酬はいらないと再度告げてきた。
「えっ? どっ、どうして?」
これほどの火傷を元に戻す治療が無報酬で行われるわけがない。そんなことは痛いほど身に染みている。シーリンは思わずその場で身構えた。
そんな彼女の様子をみた黒子は「うーん」と暫し自らの頭の中で考えをまとめる仕草を見せて、それからゆっくりとした口調で説明を始めてくれる。
「まずだ。君からその宝石を奪おうとしていたという屑二人組。近々反逆者として公開処刑されるって話だからざまぁみろだけれども、湊様の指示であいつらを詰所で徹底的に絞り上げた結果、余罪が出てくるわ出てくるわ。特に同じ屑である前の領主と共謀していたらしくてね、あちらはあちらでクレッサール王国でこってり締め上げられた上での処刑が決まっているんだけど、向こうからの情報と合わせるとね、当時行った彼らの悪事が今の時点でもかなり判明してきているんだよ。まあ、ウチには真実の珠があるからね、どんな些細な嘘だった見逃さないって寸法さ」
なるほど、とシーリンは頷く。
表面上は淡々と事実を受け入れた彼女だが、内心は違う。
(お父さん、お母さん、そしてじいや……。やったよ、私は、やったよ!)
おそらくそうなるだろうとは思っていたが、黒子の口からはっきりとあの三人が処刑されると明言されたことで改めてシーリンは自分の復讐が完了したのだということを実感し、心の中でしみじみとそれを噛みしめていた。
「それでね、君を保護したと同時に私たちは君の身元を調べた訳だけど、そうしたら面白いことが分かったのさ。いや、面白いなんていったら君に失礼だったな、すまない。この通り謝罪する。でだ。君がその大けがを負った事件、それの黒幕が実はこのアンリエストの前の領主だった男で、その手先としてあの事件を実行したゴロツキの一味の中にあのクズ二人組もいたってワケさ」
「そうですか。なるほど……」
「……ふうん、この話を聞いても驚かないんだね。湊様の言う通り、やっぱり君はあの二人が犯人だと気づいていたと……」
「どっ、どうしてそれを?」
誰にも明かしてない事実をズバリ言い当てられて、シーリンは今度こそ動揺を隠せず黒子に問い返した。
「私はあの現場にいなかったからまた聞きでしかないんだけど、湊様があの場にタイミングよく駆けつけることが出来たのはあの二人組とは明らかに違う。小さな、だけど明確な意思を持った殺意を感じ取ったかららしいんだよ。でね、その手の殺意っていうのは被害者が物盗り相手に抱くそれとは明確に種類が違うらしくて、まあ私にはその違いはさっぱり分からないのだけど……。とにかく湊様が言うには少なくとも君の方にはあの殺意を発するだけの何か明確な理由があるのかもしれない……とまあ、そんなところかな?」
何故か質問で返されてしまったが、湊様――おそらくこの国の新しい王のことだろう――が予測したことは完全に正鵠を射ていた。
「でね、前の領主がゴロツキを使って君の実家を襲わせた事件なんだけど、おそらく君も予測している通りもう一人黒幕がいてね。そいつがトンガール王国系商会のアンリエスト支店店長をやってる奴なんだけど。証拠が出た時点で即座に店員を拘束して店舗を封鎖、犯罪に関わった者を罰した上でその資産を全て没収しちゃったってわけ。当然だけど没収した資産はその被害の額に応じて被害者たちに返還されるから……」
「私の治療費はその資金から出ている……と?」
「まあ、そういうことになるね。もちろん受け取り主である君が望めばだけれども」
「それじゃあ、それじゃあ……!」
シーリンは期待の籠った目で黒子を見つめる。
「私は、元の姿に……戻れるんです、か?」
問いかけている最中にも、既に目頭が熱くなっている。
「もう、無理だって。叶わない夢だって、諦めていたのに……」
「ああ、君は元の姿に戻れる。君は元の姿に戻って、今までの分も幸せになっていいんだ」
幸せになってもいい――。
もう自分には一生縁がないと思っていたその言葉を聞いた瞬間、シーリンの心の堤防が一気に決壊した。
「うっ、ううっ……うぁぁぁぁあ」
先ほどの耐え忍んだ嗚咽とは明らかに違う、胸に閊えていた黒いモヤが綺麗に吹き飛んだかのように脈動を始めたその感情の息吹は、シーリンにとって今までの苦しみから解放されたいわば第二の産声であった。
◆◆◆
残りは明日投稿します。




