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第三章 内政編 ① 正直者の奴隷商 後編

 大変申し訳ありません。お待たせいたしました。

 「どっ、奴隷売買許可証? どうしてこのようなものが?」


 書面を持った手をワナワナと震わせながら、コルドバは湧き上がる疑問を思わず口に出してしまう。


 自分が今まで見たことも聞いたこともないような高級な紙――おそらくこれだけで金貨数十枚はくだるまい――が使用されている以上、これが自分を謀るための嘘であるという可能性は恐らく、ない。


 そんな貴重なものを使ってまで自分を欺いたところで、目の前の青年に何の得もないどころか損が嵩むだけであるからだ。

 しかし、逆にこれが本物であると仮定すると、今度は腑に落ちない点が湧いてくる。


 そもそもこの国の新しい王はわざわざ奴隷の保有禁止を打ち出すくらいなのだから、奴隷制度に対して相当な忌避感を持っているはずである。

 であるのに奴隷商である自分にわざわざ奴隷売買許可証を渡すという行為、それ自体が既に大いなる矛盾を孕んでいる。

 そもそも奴隷制度を排除したいのであれば、自分のような奴隷商は真っ先に追放されてしかるべき存在であって、あのような布告を発した後に奴隷の売買を許可するような書面を渡してしまっては、あの布告自体が形骸化して何の意味もなくなってしまうような状態にもなりかねない。

 

 (駄目だ。どう考えても分からない!)


 こんなものをわざわざ自分に渡してよこした目の前の青年の意図を図りかねて、そのあまりの不気味さと不可解さにコルドバは嫌な汗が頬を伝っているのを拭うことすら忘れてしまっていた。


 青年への対応に窮してしまったコルドバに救いの手を差し伸べてくれたのは、またしても後ろに控えるメイドの女性だった。


 「そのようなものを突然渡されて不安なお気持ちを抱かれるのは無理もありません。ですが、私たちにはコルドバ様を貶めようとするような裏の意図などは一切ございません。ですのでどうか安心してお受け取りくださいませ」


 「裏の意図がない? それでは、私に今までどおり奴隷商としての商売を許可する……と、額面どおり受け取ってよろしいということですか?」


 恐る恐る問い返すと、メイドの女性は小さく笑顔を浮かべて、


 「はい。そう受け取っていただいて結構です」


 思いがけないほどにあっさりと彼女はコルドバの言葉を肯定した。


 「そうですか……」


 頷きながらも、コルドバはまだ緊張を解いてはいない。

 なぜならば、根本的な問題は実のところ何一つとして解決していないからだ。


 「……私のような者にこのような格別の配慮を賜り感謝の言葉もございません。ですが、先日発せられた布告を見る限りこの国の新たな王は奴隷制度の存続を望んでおられぬ様子。であるならば、この書面は王の意に反するものということになりはしないでしょうか?」

 

 「……なりませんね」


 「は?」


 「ですから、なりません」


 コルドバの質問に答えたのはメイドではなく青年の方だったが、あまりにもきっぱりと断定されたので、コルドバは思わず自分の耳を疑って反射的に問い返してしまった。


 「……どうしてと伺ってもよろしいでしょうか?」


 「もちろん、構いませんよ」


 そう言って悪戯そうにニコリと笑った青年のその表情を見て、コルドバは思わず腰が引けてしまいそうになる。しかしそんな彼の様子などお構いなしに青年の説明が始まる。


 「まず最初にお話しておかなければならないのは、先日発せられた布告とその奴隷売買許可証は互いに矛盾する存在ではないということです」


 「…………は? 矛盾しない、ですか?」


 大口を開けてそう返した己の表情は周りから見たらさぞかし無様であったろうな……と後になって反省したものだが、少なくてもその時のコルドバにはそんなことを気にしている心の余裕など微塵たりともありはしなかった。

 だがそれも仕方がないこと。


 奴隷の保有、売買が禁止された先日の布告と、奴隷の売買が許可される手元の書面。

 それらが何の矛盾もなく共存するなどと言われたところで、素直に「はい、そうですか」と返せる者が果たして何人いるだろうか。

 少なくともコルドバには無理な所業であった。


 「はい、矛盾しません。いいですか? まず第一に、先日発せられた布告では一般奴隷の所有や売買は禁止されていますが、犯罪奴隷の場合はその限りではないとされています。犯罪奴隷の制度が残る以上、その奴隷を管理する者は必ず必要になってくるということです」


 「…………あっ」


 青年の言葉で初めてその事実に思い至ったコルドバは、つい声を漏らしてしまう。


 「人道や人権うんぬんはひとまず横に置いておくとして、我々の世界にあるような刑務所のような犯罪者収容施設がないこの世界において、罪を犯した者がその罪の重さに応じて奴隷落ちするという制度はある意味合理的であり、また必然であるといえます」


 青年の言う「ケイムショ」というのが何を指すのかはさっぱり分からなかったが、犯罪者が奴隷に落ちるという制度自体はどうやら肯定的に受け止められているのは間違いないようであった。


 そしていかに優れた都市であろうと「完全に犯罪がなくなるようなことは絶対にない」というその性質上、一般奴隷の所有や売買が禁止されていたとしても最低限の奴隷商の存在は都市にとって必要不可欠であるという彼のその言い分は、確かに正論であった。


 扱うのが犯罪奴隷のみとなると、以前みたいに一つの都市に六軒もの奴隷商が共存するようなことはもはや不可能であろう。だが、すくなくても現在のアンリエストにおいては自分のところ以外の五軒が過去の不正が発覚して既に取り潰されてしまった状態であることを考えると、一定の需要を満たす供給源としての店一軒というのはかなり適正な数値であるといえよう。

 

 つまりは、必要悪。


 決して人道的に褒められたものではないが、社会を構成する歯車の一つとして奴隷制度はある意味で必要とされている。

 それはコルドバが今まで奴隷商を続けてくるにあたって、自分自身を納得させるため己に言い訳してきた内容そのものである。

 しかし、だからこそコルドバは青年に聞き返さなければならなかった。


 「失礼ですが、あなたは先ほど私に「あなたは決して私の提案を断ることはない」と断言なさいましたよね?」


 「ええ、そういいましたが、それが何か?」


 「あなたは私がこの書面をそっくりそのままお返しする。要するに、私がこのまま奴隷商を廃業するという決断を選ぶとはお考えにはならなかったのですか?」


 コルドバにとっての唯一の手に職である奴隷商の仕事を失うということは、自分のみならず被扶養者である家族や店の従業員にとっても明日の生活の糧が失われることであり、その先に待ち受けるのは生活していくための多大な困難である。

 しかし、もはやこの国で奴隷商の仕事を行うことは不可能であると絶望の淵に沈んだその瞬間、コルドバの心の内の決して少なからぬ割合で「もう奴隷商を続けなくてもいいんだ」という開放感が襲ってきたこともまた事実なのである。


 仕事は仕事と非情に割り切れる者ならばいざ知らず、コルドバのような一種のお人よしが続けていくには奴隷商という仕事は精神的にきつ過ぎる。

 つまり、今の段階でもコルドバが「この機会をもって奴隷商を引退する」という結論に至る可能性は決して少なくない可能性で存在しているのだ。


 しかし、目の前の青年は自分が彼の誘いを断ることは決してないと断言した……。


 (さて、どうしたものか……)


 こうして本人ですら決めかねている己の進退を、どうして他人に過ぎないこの青年が一方的に断言できるというのか。

 そう言いきれるだけの根拠があるというならば、逆にコルドバの方が聞いてみたいくらいであった。


 「ええ、思いませんでしたね。というか、その質問をぶつけられた今の状態でなお、私はあなたが私の提案を断ることはないと断言できます」


 「ど、どうしてですか?」


 「なぜならば、あなたがこの仕事を続けることによって、これから多くの人が救われることになるからです。あ、一つ付け加えておきますが、これは決して例えとか比喩とかそういう曖昧なものではありませんよ。これからまず間違いなく起こるであろう純然たる事実としてです」


 「私が奴隷商を続けることによって、人が救われる?」


 ますますもって意味が分からない。

 確かに善良で優しい主に購入された奴隷が幸せな人生を送るというケースはあるかもしれない。しかし、そんなものは奴隷全体のほんの数パーセントに過ぎない。

 奴隷として購入された者のほとんどは物理的精神的自由を奪われたまま望まざる人生を強要されることになる。

 であるのに、そんな彼らが救われるとは一体どういうことなのか?


 「そう難しく考える必要はありませんよ」


 隻眼に涼やかなまなざしを乗せて青年は言う。


 「私が奴隷商としてのあなたに望むことは二つ。一つは犯罪奴隷の売買。これは今まで通りと思ってもらって結構。そしてもう一つ。我々があなたにわざわざ特別な奴隷売買許可証を与えてまで行って欲しいと望む重要業務。それこそが――亜人奴隷の買い付け――になります」


 「亜人奴隷の買い付け? ……ですが、王の布告によってこの国では一般奴隷の売買は禁止になったはずでは?」


 「ええ、確かにその通りです。ですが、誰がこの国での奴隷の買い付けといいましたか?」


 「…………は?」


 「あなたが奴隷を買い付けるのはこの国の中ではありません。あなたやその部下たちにはこれから周辺諸国を巡っていただいて、その地で理不尽に奴隷に落とされてしまった亜人たちを大量に買い付けて貰います。その上で彼らを無事にこの国へと連れてきて貰い、国に売って戴く――それがこれから先の奴隷商としてのあなたの主たる業務になります」


 「それでは、私が買い付けてこの国に連れてきた奴隷たちは……」


 「ええ、開放されてこの国の公共事業の労働力となっていただきます。無論奴隷の購入には元手がかかりますから一時的に国が借金の肩代わりをするという形になり即座に自由放免というわけにはいきません。ですが、ある程度の金額は国策として免除する予定ですし、借金分を天引きされた上でも人並に生活していくのには十分な賃金はきちんと保証されるはずです。つまり、あなたが奴隷商として仕入先から購入する奴隷の値段を値切れば値切るほど彼らの借金状態からの開放が早まるわけですね」


 青年の説明を聞いていく内に、コルドバは己の心臓が徐々に高鳴っていくの感じていた。

 今まで望まず続けてきた仕事に、新たな可能性を見た気がしたからだ。


 「どうです? やる気が出てきましたか?」


 「…………それはもう!」


 勢い良くコルドバは頷いた。

 彼の言うとおりだった。

 これならば、奴隷商でありながら人の役に立てる仕事であるならば――自分が彼からの提案を断るはずがない。

 と同時に、奴隷商である自分が、奴隷商であったからこそ他人の役に立つ仕事を行うことが出来る……。

 そのことに無性に誇らしい気持ちを感じていた。

 それまで意に沿わぬ仕事を続けてきた鬱屈が一気に吹き飛んでしまいそうなほどに。


 こんな晴れ晴れとした気分は本当に久しぶりであった。


 「それではこの仕事を請けていただけるということでよろしいですか?」


 「もちろんです!」


 青年の問いにコルドバは二つ返事で快諾の意を示した。


 「それでは……五十鈴」


 青年の合図で後ろに控えていたメイドが進み出てきて、ジャラリと大量の金貨が詰まった袋を店のカウンターの上に置いた。

 

 「これは支度金の一部です。依頼する業務の内容上現状のあなたの店の規模では対応しきれないでしょうから、その資金で店舗拡大の準備をお願いします。追加の人員に関しては先日開放した奴隷の中から読み書き計算が出来るものを中心によこすように手配しますので、到着したら早速教育を始めてください。奴隷の購入費用に関しては後日部下から別途に届けさせます。あと、奴隷を購入した後は贅沢をさせる必要はありませんが、清潔な服と寝床、そして栄養のある食事を三食必ず提供してあげてください。もちろんその費用に関しては王宮に請求していただいて結構です。それと道中の護衛ですが、先日知り合ったA・Bランクの派遣者たちとこちらで専属契約を結んでありますから彼らを必ず伴うようにしてください」


 「はっ、はい!」


 「購入する奴隷は基本的には他国で迫害されている亜人たちになりますが、ヒト種であっても理不尽な迫害を受けた結果奴隷落ちした者や他人から陥れられた結果奴隷となった者など特段の理由がある者に関してはあなたの権限で保護していただいても構いません。また保護する奴隷の人数に関しても制限は設けません。資金に関しては前領主ラムセルがトンガールに持ち逃げしようとした財産を接収したものに加え、今回の布告に違反した者たちから没収した資産などがふんだんにありますから心配しなくとも大丈夫です」


 「……か、かしこまりました」


 差し出された金額と、派遣者の中でもトップといっていい位置に存在するA・Bランクの者たちを、奴隷たちの護衛という普通ならば敬遠されがちな仕事に雇い入れるその豪胆さにコルドバはやや唖然とするが、それでも心に灯ったやる気の炎は微塵たりとも揺らがない。


 「あとついでに、奴隷購入のために回った先々で奴隷の身分でなくとも困窮している亜人や迫害されている亜人などがいたらこの国への移住を勧めておいてください。悪いようにはしません」


 「了解いたしました」


 この後両者は奴隷買い付けのための外国を巡る当面の日程やルートの予定などを軽く打ち合わせて、この日はいったん解散となった。


 余談であるが、この話を持ってきた隻眼の青年こそがこの国の新しい王であったというその驚愕の事実にコルドバがようやく気付いて、死人のように顔を真っ青に染め上げながらひきつけを起こしそうになるのは、この日から数えて三日後のことである。



 ◆◆◆



 ……とまあ、この少々可愛そうなオチとともに奴隷商人コルドバの話は瞬く間に国中外へと広がっていった。


 オチに使われた笑い話にはセリネも少々コルドバに対して気の毒に思う気持ちがなかったわけでもないが、それを耳にした人々がそれを面白おかしく話すことによってアンリエストに君臨する新しい王が本気で亜人たちをヒト種と同列に扱い、奴隷制度を廃止するつもりなのだという事実が広く伝播するのに一役買った訳であるから、彼のその尊い犠牲は決して無駄なものではなかった筈である。


 事実、その効果は如実に現れ、各地で迫害されたり貧しい生活を余儀なくされていた亜人たちがこぞってこの新しい国家を目指して移動をはじめ、魔の森に逃げ延びていた亜人たちもそれに合流することでアンリエストの地はあっという間にその人口を増やし、かつての西方の覇者であった頃の勢いを急速に取り戻しつつある。

 目に見えるレベルで町並みが刻々と変化していく様はまさに壮観。

 そんな歴史的出来事の中に自分たちがいることに国民の誰もが誇らしく感じているようである。


 もちろん良いことばかりではない。

 人口の急激な増加による人々の諍いや混乱は当然ながら避けることはできない。

 しかし、それでも以前のアンリエストに染み付いた絶望まみれのよどんだ空気よりは何倍もましであった。


 「おっ、あそこにいるのはコルドバさんにゃ!」


 噂をすればなんとやら、ノワールの指差す方角に視線をやると、そこにいたのは確かに奴隷商のコルドバであった。

 一仕事終えた後なのだろうか、部下を引き連れて歩いているその表情にはどこか満足げな色が伺える。


 と、向こうもこちらに気がついたようで、慌てたようにこちらへと駆け寄ってくる。

 あまりにも突然駆け出したので、一緒にいた部下たちの方がなにやらあたふたしてしまっている。


 「セリネ様、ノワール様、お久しぶりでございます」


 目の前まで駆け寄ってくると、彼は二人に向けて深々と頭を下げてくる。

 彼とは湊からの依頼で何度か身の回りの護衛の任務についた経緯から既に顔見知りではあったが、それにしても今や事実上の王家御用達の商人としてアンリエスト中から注目を浴びている有力商人の一人とは思えないほどの腰の低さであった。


 「お久しぶりだにゃ」


 「コルドバさんお久しぶりです。あと以前からお願いしています通りそんなに畏まらないでください」


 「いえ、しかし……」


 「確かにこの国の王妃であるカタリナ様は私の従姉妹ですが、それでも私が平民なことには変わりはないのですから」


 「それは、まあそうなのでしょうが……」


 言いつつも納得はしていない様子。

 とはいえ、彼の腰が低いのはなにもセリネが王族と血縁関係にあるからというだけではないらい。セリネが知る限りノワールや他の派遣者たちから始まり他の商人たちや彼のお店の従業員に至るまで、彼が上から目線で他人と話している姿を一度たりとも見たことがない。


 おそらくはこれが彼の性分なのだろう。


 個人的にはその柔らかい人当たりは好ましく感じるが、商人として厳しい競争を勝ち抜いていくのにそれで本当に大丈夫なのかと傍から見ていて少々不安になってしまう。

 そんなセリネの心配をよそに、彼はすっかり賑やかになった大通りを見回して嬉しそうに話し始める。


 「この街も私がちょっと隣国へ行って来た間に随分と活気が出てきましたなあ」


 「そうですね。目に見えて空き家も減ってきてますし、市場の人出も以前とは見違えるほどですね」


 「人口が増えただけじゃなく、以前は「二級市民とはいえ所詮は亜人」と差別されて引きこもりがちだった亜人たちが積極的に表にでるようになったおかげでもあるにゃ」


 「それと、やはりあの黄金竜が討伐されたという知らせ。あれが常に死の危険に晒されていたこの街の空気を一変させたと私は感じました」


 セリネが言うと、コルドバも大きく頷いてそれに同意する。


 「他国の商人たちの間でもそれは話題になっていますよ。なにしろこのアンリエストは国々を結ぶ交通の要衝にして資源豊かな鉱山と広大で肥沃な大地を抱えているわけですから。ただ黄金竜という目の上のタンコブがいたせいでその開発を進めることが出来なかったというだけで……」


 「国としての立地のポテンシャルに他国の商人たちも注目しているということかにゃ?」


 「ええ、そうですね。人も集まる。物資も集まる。そして何より……」


 「他国に比べて税が安い」


 「ええ、それです」


 セリネの指摘にコルドバは破顔する。


 「国王陛下の定められた税率は他国のそれよりもおよそ二割は低い。農民に至っては畑から採れた収穫量の四割を納めるだけでいいという話ですから、そりゃあ人も集まって来るって話ですよね」


 「他の国は大体六公四民だからにゃあ。収穫量の二割も多く受け取っていいとにゃれば余程の飢饉に見舞われない限りは飢えることはにゃいだろうし、余った分は市場に売りに出せばその分懐も潤う。いいことづくめだにゃ」


 ノワールの言う通り、周辺諸国の大体の国王や領主が採用しているのが領主に六割を納めて残りの四割を農民自身の取り分とする六公四民である。中には七公三民などという暴政を引く領主もいないではないが、そんなことを軽々しく行おうものならたちまち反乱がおこってしまう。農民が収穫量の三割しか手元に受け取れないというのはつまりはそういうレベルなのである。

 一方でアンリエスト王国は四公六民。商人たちへの税も他国に比べて割安とあればこの国に人が集まらない理由がない。


 「しかも、この四公六民も、人口の増加とそれによる税収の増大がある段階まで達成されれば、将来的には三公七民になることが約束されていますからね」


 「さらにお得だにゃぁ」


 「ミナト王の施政は本当に素晴らしいです。ところで、農業といえば、彼らには驚かされましたな……」


 「彼らというと、ゴブリン族のことですか?」


 「ええ、そうです。今までは話し合いの通じない不倶戴天の敵とばかり思っていたのに、あれほどまでに親切で、根気良く、そして農業の才能にあふれた種族だとは思っておりませんでした」


 「まあ、農業の才能については当のゴブリン族自体も気付いてなかったみたいだからにゃあ……」


 今でこそ妖魔族に分類されているが、あの見た目に反して彼らは元々エルフなどと同じ妖精族出身であり、植物を取り扱う才能に長けていた。

 しかし、個体としてはそれほど強くない彼らは種族争いに負け、農耕を行うような特定の領土を得ることも出来ず、結果として種族の特性に合わない狩猟の生活を余儀なくされてしまっていたらしい。


 そもそもはあまり攻撃的な種ではなかったのだが、ヒト種をはじめとする他の種族が自分たちの姿を見ると問答無用で襲い掛かってくるため、やむなく彼らも自衛のためにヒトを見ると攻撃するようになったのだという。


 つまり、ゴブリンが話し合いも通じない攻撃的で野蛮な種族だというのはヒト種の偏見に基づく全くの誤解だったのである。


 この国の王――肆十無湊が亜人や奴隷の解放の次に行ったのが、亜人たちや、個々人の特性や才能を生かした職業の割り振りであった。


 長らく狩猟生活を送ってきたゴブリン族に農業を勧めたのもその一環である。


 結果、一月という短期間で数百年も手入れのされていない荒れ果てたかつての農作地が、みるみる立派な畑として蘇っていったのである。

 もちろんこれはゴブリン族だけにいえる話ではない。


 生粋の戦士であるリザードマンは兵士に。


 土の妖精族であるドワーフは炭鉱の工夫や武器やアクセサリーなどの職人に。


 知能が高く知識欲の旺盛な鬼族は医者や研究職に。


 トロルやサイクロプスなどの巨人族はそのヒト種の数倍もある怪力を生かした力仕事や土木建築などの方面で活躍を見せ。


 オーク族はその見かけとは裏腹に意外にも器用な手先を生かして織物や編物、そして料理の方面で才能を発揮し。


 ミノタウロスはゴブリンと同じく農業の方面と、彫刻などの芸術方面で意外な能力を見せた。


 猫人族のノワールに代表される獣人族はそのベースとなった獣の種類によって特性は異なるものの、万遍ない方面でその高いポテンシャルを見せつけ。


 森エルフ、地下エルフ(別名闇エルフ)、海エルフ(別名マーメイド)などに代表される妖精族はそれぞれが得意とする地形特性を生かした技とヒト種には使えない強力な精霊魔法を駆使してその種族としての存在感をアピールした。


 この他にも猫妖精《ケット・シー》・犬妖精《クー・シー》など様々な種族がその才能を活かして活躍しているが、そんな亜人たちの中でも、殊更に異彩を放っているのが蟲人族である。


 二足歩行をした虫の姿をした彼らは、古くより人々から忌み嫌われ、迫害され、結果人の手の及ばない魔の森の奥にひっそりと集落を作って生活していた。

 そのため街でその姿をみかけることはまずありえず、ヒト種の中ではおとぎ話の中だけに登場する架空の種族であるとまで言われていたくらいである。

 虫の姿をした亜人である彼らは、犬や猫、熊、羊など様々な細かい部族に枝分かれする獣人族と同じように、蟷螂人、蜘蛛人、甲虫人、飛蝗人、蜻蛉人のように多様な部族に分かれている。


 しかし、長らく魔の森の奥で生活してきたということからも分かる通り、彼ら全てに共通するのは「強い」という事実である。


 そんな彼らの中でも群を抜いた実力を誇るのが下半身は蜘蛛、上半身は美しい女性の姿である蜘蛛人《アラクネ》族であり、特にその族長であるウルミラは単体戦闘力では蟲人族どころか全亜人種の中でも恐らく最強クラス。


 いや、それどころか、世界に9人(種族)しかいない『超越者』である彼女に対抗できるのは、同じ超越者たる残り8名(種族)かナトーヤ神の使徒たちくらいしかいないであろう。


 ちなみに、かつてはここに同格の存在として『魔』属性を司るセリネたち古人族の代表『魔女王』が存在していたのだが、遥か昔にナトーヤ神と相打ちになって世界から消えて以来何故か後継者が現れなかったため、その座は完全に失われてしまった。


 ちなみに9人(種族)の超越者の内古竜族と王鯱族、巨人族、あと島亀だけは個人を指さず、その種族全体を指している。

 これはその種の個々全てが神獣としてふさわしい力を有しているからである。


 なお、先日肆十無湊が討伐した黄金竜《アリアレイン》が属する神竜族は、超越種たる古竜種の更に上に君臨する最強種で、有史どころか神話の時代よりかの神竜種を打ち倒すことが出来たとされているのは肆十無湊とナトーヤ神の二人だけである。


 ……と、少々話が横にそれてしまったが、神人を有する蟲人族は個々が非常に強力な戦士であり、個々の実力では優れた力を見せる亜人たちの中でもその力は群を抜いている。

 また、蜘蛛人族に代表される一部の種はエルフや鬼族に勝るとも劣らない精霊魔術さえも行使し、独自に発達させた薬学や繊維学、医学などを元に優れた才能を発揮して見せている。


 このように、今まで亜人たちが個々の種族としてバラバラに発展させてきた技術や能力を、共通して発揮できる場所を作ってやることで、現在のアンリエストは都市としての規模だけでなくその質も大きく進歩させている。


 しかも、今の状態が限界ではなく、その伸びしろはまだたくさん残されている状態なのだ。


 そしてそして、そこへ更に湊たちが祖国から持ってきたというセリネたちには全く未知の技術が加わってくるのである。


 結果、アンリエストの街には他の国では見ることのない様々な品物が溢れ返り、運よくこの地に訪れた商人たちはこぞってそれらの品物を買い集めて他国へと渡っていく。


 「税率が安い上にここでしか手に入らない貴重な品々がたくさんあることから他国の商人たちがこぞってこの都市を目指しているという話ですからねぇ」


 「亜人たちの作るもので他国で一番手に入りやすいのは恐らくドワーフ族の作る高品質な武器や防具でしょうけれど、それすら貴重品で滅多に手に入るものではないですから」


 「そうだにゃ。セリネの言う通りAランクの派遣者であるあたしですらこれを手に入れるのに一年もかかったにゃん」


 言うと、ノワールは愛剣を掲げてみせる。


 「ドワーフ製の武器ですらこの状態ですからね。これが例えば蜘蛛人《アラクネ》族製の織物だったりすると一体いくらになることやら。考えるのも恐ろしいですな」


 「そんなものはいかなる国の宝物庫にも納められていないでしょうからねぇ」


 「強欲で有名なヘムガール皇帝やトンガール王がハンカチ噛みしめて悔しがる様が目に浮かぶようだにゃん」


 「ああ、それは……」


 「本当にありそうで怖いですね」


 「だにゃあ!」


 思わずノワールやコルドバと顔を見合わせて思わず苦笑してしまう。


 この場は互いに軽く笑い話にしながら別れたが、全く面識のない他国の一派遣者にも指摘されるくらい己の欲望に忠実なその二国の王が、他者の儲け話を横で指を咥えて眺めているだけで我慢できるはずもなく、先立てのクレッサール王国への干渉のほとぼりが冷めるころを見計らってじわじわと動きだすことになるのだが、それはもう少し先の話になる。



 ◆◆◆

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