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 この春、ブライダル産業からの依頼で、CMなどに使うための”結婚をイメージした曲”を作ることになった。


 普段、作詞の大部分は俺がしていて、一部SAKUも担っている。作曲はMASAがメインで、RYOも時々作る。

 作詞の二人ともが独身で、”結婚”の曲か。

「独身二人は、結婚の意思とか、あんの?」

 打ち合わせか、雑談かわからない状態で、YUKIが訊いてくる。

「オレは、今の彼女とは付き合いが浅いし、保留かな」

 というのが、SAKU。

「JINは? 美紗ちゃんと、もうかなり長いだろ?」

「同棲までしているんだから、籍も入れてしまえよ」

 RYOが話を振ってきて、SAKUがそれに乗る。自分から話が離れたと思って、SAKUの野郎。RYOも去年結婚したから、調子に乗ってるな。

「ノーコメント」

 ── 同棲じゃなくって、同居なんだがな。そもそもまだ、恋人でもないのに、いきなり籍なんか入れられるか。いつかは、入籍して完全に俺のものにしたいとは思っているが。

「女には、タイムリミットがあるぞ。子供生むことも考えてやれよ」

 思わぬ事実を突きつけたのは、MASAだった。

 今度の誕生日で出会ったときの俺の年になる美紗。

 ── このまま美紗を朽ちるまで飼い殺す気か、俺は。


 緩やかで心地よい二人の時間は、無限でないことを思い出した。


「で、詞のほうだけどよ」

 RYOが仕切りなおす。

「JINは今回どうする? ”英語と、日本語両方で”という依頼だけど」

「二曲という意味で良いのか?メロディーも変えて?」

「ああ。曲はMASAと俺で分担する」

 曲のほうは、すでに話が付いていたらしく、MASAがうなずく。

 さっきまでの雑談に半分意識が残っていた俺は、美紗を心の片隅に置いたまま考えていた。

 ── 詞を通して、想いを伝えることはできるだろうか。

 ── ストレートな言葉は、美紗の感性に弾かれて、逆効果になるか?

 頭の中に、美紗の英語のノートのイメージがよぎる

 ── 英語のほうが、一生懸命意味を捕らえようとしてくれそうな気がする

「英語だけで。日本語は、SAKUに任せる」



 詞を練ろうとして、思考は美紗へ、結婚へと流れていく。


 美紗と俺はお互い一番近くに居る異性だろう。

 美紗の二十代の後半を俺は独占してきた。男よけの指輪をつけさせ、周りには同棲と思わせて囲い込み。

 ── ずるいよな。好きだの一言も言わないままで。そばに居てくれる美紗に甘えて。

 そして、俺自身の欲の声もする。

 ── そろそろ、我慢の限界だろ。自分のものにしてもいい頃じゃないか?


 関係をはっきりさせる潮時かもしれない。

 俺には、美紗しかいないのだから。




 歌詞を考えるときは、ネタ帳に書き貯めた言葉を組み合わせたりしながら作ることが多い。

 だが、今回は使わない。

 今の言葉でしか美紗には届かない。届けられない。

 美紗の感性は、きっと使いまわしは受け付けない。


 美紗への手紙を書く。

 詞のベースにするので、英語で。

 今まで温め育ててきた想いと、俺の望む未来について。

 俺の中にある言葉を総動員して、何度も読み直し、書き直した。

 納得のいく手紙を書けたと思った。詞の材料で終わらせるのが惜しいほど。

 歌詞に落とすときには、ここから推敲が入る。

 ニュアンスの変わる言葉も出てくるし、削られる言葉もある。


 この手紙の気持ち、そのままを美紗に届けたい。

 ── 曲ができたら、これも見せよう。そして、思いを伝えよう。

 きちんと便箋に清書した。



 曲が二つとも出来上がり、レコーディングが始まった。


 日本語のほうは口の悪いSAKUからは想像のできない、言葉の心地よい詞だった。

 『保留』といいつつ、あいつも何か思うところがあるのかもしれない。

 美紗がリクエストしてくる曲たちと雰囲気が似ていて、気に入りそうだった。

 ── どっちの曲も、気に入ってくれるといいな。



 レコーディングの少し前から咽喉に違和感があった。表現のしづらい感覚なので誰にも言わなかった。

 咽喉のせいか、”美紗に届けたい”と肩に力が入りすぎているのか。

 英語も日本語も、すっきりと歌えない。歌えている気がしない。

 周りのOKがあっても、自分自身が納得いかず何度もやり直しをした。

 俺の全力で歌わないと、こんな歌では美紗をつかめない。



「お前、咽喉どうした?」

 そんなことを数日繰り返しているうちに、RYOに気づかれた。

「聞いていて、おかしいか?」

「なんだか、今日は伸びが悪い。もしかして前から自覚があったのか?」

「すっきりと歌えない感じは少し前からあった。今日は少し出にくい」

 『今日はもう休め』というRYOの命令で、帰宅した。



 家に帰ると、風呂上りらしい美紗はパジャマでうたた寝をしていた。

 加湿器のそばでキーを下げて短めの歌を歌ってみる。

 咽喉の不調をスタジオの乾燥のせいにしたくて。

 それから、いつものように美紗を癒したくて。


 美紗の目が開いた。

 何か言いたげに口が動いたが、声にならないまま眠ってしまった。

 歌う間、美紗の寝顔を眺めていた。

 加湿器から離れると、咽喉の違和感が強くなる。

 ── まずいな。長く話すと声の異常に気づかれるかもしれない。

 美紗を『風邪を引く』と起こし、部屋に行かせた。


 明日も咽喉がこのままだったら、ばれるかもしれない。

 だが、仕事に行く美紗に『行ってらっしゃい』くらいは言いたい。


 美紗が仕事に行くときに起こしてくれるようメモを書いて俺も部屋に入った。



 ノックの音で目が覚めた。

 美紗がドアを開ける。

「仁さん、朝よ。起きて」

「      」



  声 が。

  出 な い。


 冷たいものが背中を走った。

 まるで氷の手でなでられたようだった。



「仁さん? 起きてる?」

 入ってこようとする美紗にとっさに手を振って、起きていることをアピールした。

「私、もう行くけど、二度寝しないでね」

 ドアが閉まる音がした。



 ── どうしよう?

 ── どうすればいい?

 ── どうするべきだ?



 顔を覚えられない美紗。

 声の出ない俺は、()と判ってもらえるのか。


 感覚の異質な美紗。

 出るようになった声が変わっていたら、嫌悪感を抱かないだろうか。



 美紗を、



 美紗は、 



 美紗の、



 美紗と、



 美紗に、



 美紗へ。



 ── だめだ。このままそばには、居られない。

 ── 彼女を傷つけてしまう前に、どこかへ消えないと。



 部屋から出ると、朝食が用意されていた。

 ここから出たら味わえなくなる手料理を、舌に、目に、体中に、忘れないように刻み込むつもりで食べる。


 最後にお茶を飲みながら考える。

 ── 俺が居なくなった後、彼女はどうなるだろう。

 何もなかったように、いつもの生活を続ける?

 ”儀式”をして、立ち直る?


 それとも


  こ  わ  れ  る ?


 それはそれで、いいのかもな。心が壊れた者と声の出ない者がふたりっきり。


 ── 俺自身も壊れかけているのかもしれない。



 理性を呼び戻して、食事の後片付けをした。

 いつもは洗いかごに伏せておく皿も、ふきんでふいて片付ける。

 そして、掃除をした。

 清めるように。三年分の感謝をこめていつもより丁寧に。


 掃除機をかけていて、彼女のCDラックが目に入る。今までの俺たちのCDの全てを眺める。

 ── 声は出るようになるのか。

 ── 声が出るようになったら、帰ってきてもいいだろうか。

 転機となった、バラードのセルフカバーを手に取る。

 彼女との出会いが作らせた、それを拝借することにした。


 アリアドネの糸のように、ここへ帰る道しるべにするために。


 書き置きを残すべきか、悩む。

 余計に悲しませそうで、書くのを躊躇った。


 代わりに、歌詞を作るときに書いた手紙を残すことにした。

 訳したものだと脳内再生される声が酷に思えて、原文のままにする。

 置き場所はあの”儀式”の本。

 ”平然とする”のでなく、”壊れる”のでもなく、”儀式をする程度に傷を受ける”に賭けた。

 今の俺の状態と、”許してもらえるなら、治れば帰ってくる”の言葉を付け足す。

 そして英語を読む気力がなかったときの保険に、追伸で日本語を書き加える。


  PS.英語の苦手なお前にはどうかと思ったけど、あえて英語で書きました。

     きっと、いつものように一言ずつ辞書で引きながら

     丁寧に読んでくれると思う。

     食事を疎かにしないで。

     何日かかってもいいからゆっくり読んで欲しい。




 一人残す彼女に一番心配なこと。

 俺の期待。


 そんなものを織り込んで。


 ここへ戻ってくる為のアリアドネの糸を結ぶ気持ちで彼女への手紙を本に挟む。

 最初で最後のラブレターを。



 最低限必要な、身の回りのものを手にして靴を履く。


 ドアを開ける。



 もう一度あける日がくることを祈って



 俺は


 鍵をかけた。




 END.

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