32.
「……前職でお世話になりまして」
嘘はつかない方が良い。それは起業して5年、身に染みている。
しかし、詳しく言わない方が良いこともあることも、身に染みている。
「そうですか」
立木部長はそう言って言葉を切る。僕の心臓の音がうるさい。
これでいいのか? なにか良くなかったか?
沈黙に耐えられなくなる直前、立木部長が口を開いてくれたので、心から安堵した。
「すこし、問題になっているんです。この間の件がね。原が気がついたという事になっているけれど、君のところの若い子が、いろいろやってたのは、私が見てましたから」
「はい」
わざとらしくポインターを動かす高城を思い出す。あれはやりすぎた。恥ずかしい……
「あれについて確認したら、書類のミスで、支払いが続いていた事が発覚した。いくつかの会社が、たまたま書類上のミスをしている。指摘すればすぐに誤りを認めて全額返金してきた。……最初から、対応も決まってたみたいにね。もう取引することもないだろうが、そこまでだ」
「はい」
「調査はしたが、緒方君がやったという証拠は出てこなかった。たまたま、緒方君発案のチームの一つだった、というだけ。こちらもいろいろあってね、事件にはしないし、緒方君の会社にも伝えてない。担当は外れてもらったけどね」
立木部長は静かに杯を傾けた。なにか、言えないものを飲み込んだように見えた。
緒方さんも発覚したことには気が付いただろうが、自分からは言わないだろう。決定的な証拠がなければ有耶無耶にできる。コンサル会社の中で、また違う仕事にアサインされるだけだ。
事件の顛末を語った立木部長は、静かに僕を見た。
「実は、聞いていたんですよ。緒方君から。瀬川君は自分が育てた、腹心の部下なのだと」
「……はい」
電話口でもわざとらしく大声で僕の名前を呼んでいた。現場でも会うたびに親しげにされた。そう吹聴していた事は想像に難くない。しかも、育てた、というのは本当のことだ。腹心の、というのは訂正したいが。
「君が関与している可能性を、否定しきれない」
「……」
僕は何と言ったらいいかわからずうつむいた。
でしょうね、というわけにもいかない。違うんですと言ったところで意味はない。
返答に困っていると、立木部長はつづけた。
「君のところの、あの面白い若い子。あの子にあれを言わせたのは君の思惑?」
「いえ、あれは、あいつが勝手に」
つい。
つい、否定してしまった。だって、あの態度を僕の教育の賜物だとは思われたくなくて。
いや、馬鹿か僕は!
意味を考えれば、これを否定したらダメだろ! あれを、僕が言わせたという事にすれば、僕が緒方さんを告発した形に出来るのだから。
「あ、いえ、その。高城は……まだ、入社して日が浅く、社会人経験も乏しく……教育が行き届かず、」
くっそ、どう言えばいいんだ!
そうです、と、言ったら、あの下手なプレゼンと中学生のような態度をわざとやらせたことになる! それは、なんというか、……恥ずかしい!!
「あははは! そうか。勝手にね!」
しどろもどろになっていると、立木部長は声をあげて笑った。
「あの子、入社してどのくらいなの。前職は」
「昨年の6月なので……もうすぐ10カ月です。うちに入る前は、フリーランスだったようで」
「へー、それであんなに堂々として。一生懸命だし、素直そうだし、いい子を採れたね。ああいうのはうちには来ないから、羨ましいよ」
「は、……はい。ありがとうございます」
高城を褒められて、図らずも嬉しくなる。そうだ。あいつは大当たりで、期待の新人だから。
「うちも、新卒ばかりではなくて、もっとポテンシャル採用をやるべきなんですよ。学歴にこだわらず、経歴にもこだわらず」
立木部長はそう言うが、やったとしても、こんなちゃんとした会社に、高城みたいなのは応募しないだろう。したとしても、一次面接、いや書類で落ちる。志望動機に「youtubeで社長が面白かったので」と書くやつだぞ。
勿論、お世辞だと言うことは分かっている。でも嬉しかった。高城は、こういう人にも認められるやつなのだ。
僕が喜んでいるのが伝わったのだろうか。立木部長がふと体を揺らして、目を細めた。
「あんなよくできた若い子に、あんなに懐かれる瀬川君は、白だね」
「どういうことでしょう」
何もしていないし、当然白なのだが。今ので何を判断したのだろう。
「本当のところはどっちでもいいんです。実はね、緒方君を重用してた役員が、あなたが主犯なのではないかと言い出した。部下に恨まれて売られたんじゃないかってね」
「……え?」
間抜けな声を出してしまった。
「最近の若い子、何するかわからないからねえ」
……しかしそれは、全く考えていなかったな……
高城に売られる、裏切られる、というのは想像もしていなかった。考えてみれば確かに、嫌いな上司の悪事を暴くシーンに、見えないこともない。
僕が緒方さんに協力して何か悪さをしていて、それを気づいた高城が僕を告発するために、偉い人の前で悪事をつまびらかにする。あの時僕は、高城から目を逸らしていた。高城の態度が恥ずかしかったからだが、後ろめたいところがあった、とも見えるかもしれない。
立木部長は身体をゆするようにして笑った。
「でもね。あの場で見てた私には、そうは思えなかった。あの子は本当にあなたのために動いているように見えた。君、なんだか、子供に懐かれた保育士さんみたいだったもの」
「……」
評価が、中学生でもなかった。保育園児だった。
「よし。決めた。堂々としててください。……これからもよろしく」
そう言って立木部長は少し力を抜いて背中を丸めた。
+
そうして万博の仕事は無事に終わり、僕たちは大きな取引先を得た。
その後しばらくして、僕の元に、立木部長が役員に就任したという知らせが届いた。
それが関係しているのかは僕には知るすべもないが、緒方さんからの連絡は途絶え、僕は悪夢を見る頻度が減った。
そして、僕たちは自分の会社に帰ってきた。社内政治などやっている暇もない、小さな小さな会社(家)に。




