第八章 太陽のマスクと月のマント②
「どうなってんだよっ!!!あっ!フリオよ!!」
エル・カルニことリカルド・バレラの顔が怒りで赤黒く染まり、指に挟んだ葉巻が、押し潰される。
月のマントを奪い返すはずが、まんまと出し抜かれた。それも二度だ。
あのマントがどれだけ重要かフリオには分かってないのだ。
「なあぁ、フリオよ!どう、落とし前とんだよ!エッ!」
「いや・・・エル・カルニ、それどころじゃねぇんだ」
「てめぇえええは、やっぱり何も分かっちゃねぇええな、アツ!!!」
バレラが両耳を掴み、引き千切らんばかりに揺さぶる。
フリオは歯を食いしばりながら、懐からライターを差し出した。
バレラの手が止まる。
「こりゃぁぁ、俺が神父にやったデュポンじゃねぇか・・・」
「えええ、それが奴らのアジトに落ちてました」
痛みを堪えてフリオが言う。
「ほぉ」とライターを手にして、バレラが言う。
「どこの回し者だ?ユカタンか?ゲレロんとこか?DEA(アメリカ痲薬取締局)か?どこだ?」
「いや、さすがにDEAが神父のフリはないでえしょう、どこぞのカルテのやつで決定だと思います。しかも、軍にいたって話です」
「で、神父は?」
「居場所は掴めてませんが、セント・アンジェリカ教会を拠点にしてます。尼どもには脅しをかけてあります」
「弱ぇな、そのシナリオは……」
フリオが意識がまだ戻らないエスペランサを指さした。
「教会の女どものリーダーです。神父と引き換えだと伝えてます」
「よし……絶対に町から出すな、街道の辻に犬を置け。手下達に酒は飲ますな。神父は生け捕りだ──月のマントの在り処を吐かせて、ゆっくり殺す」
そう言うと、バレラは新しい葉巻にデュポンで火を点けた。
ーーーーーーー
町の中心部に差し掛かると、バンは急に減速した。
通りに人が溢れ、踊り騒いでいる。
「祭りか?」パウロが呟く。
「ルチャでしょ」とカロリーナが答える。
「フェニックス・へメロが勝って騒いでるんでしょ」
パウロは窓から身を乗り出し、叫んだ。
「へメロ!フェニックス・へメロ!」
群衆の中に双頭の鷲の烙印を持つ男を見つける。
パウロはその肩を掴み寄せ、耳元で叫ぶ。
「へメロに伝えろ!パウロ・ガウェインが月のマントを取り戻し、エル・カルニの屋敷に向かっていると!」
次々と人を捕まえ、同じ言葉を繰り返す。
あと一人と思ったところで、車が勢いを増した。
人混みを抜けたのだ。
ーーーーーーー
一台の古ぼけたピックアップ・トラックが西の丘を登っていく。
乗っているのは、パウロが町に来る時に立ち寄った牧場主のフアンだ。
フアンが、一人の粗末な夕食を終えた時、パタンと二階から物音がした。
フアンは階段を登り、娘フアナの部屋の前に立つ。
「父さんたちが、そんなんだから・・・」
出ていく時にフアナが口にした言葉が胸を突く。
フアナの部屋の扉をそっと開け、中に入る。
締めてあったはずの窓が開き、風が吹き込んできる。
フアンはおかしなこともあるものだと、窓を閉め、カーテンを引き直す。
部屋を見渡す。フアナが出ていって、まだ、一週間にもならない。
――戻ってこいとは思わない。ただ、幸せであればそれでいい。
なのに、よりによってセント・アンジェリカ教会などと。
フアンはため息を吐く。
その時、化粧台の鏡に、フアナの面影が映ったような気がした。
「フアナ…?」
化粧台を覗き込む。
映っているのは年老いた自分の姿。
フアンの口から先程よりも大きなため息が漏れた。
すると、スーッと水滴が落ちるくらいのスピードで鏡の表面に筋が入る。
次の瞬間、爆ぜるように鏡が割れた。
フアナの身に何かあったに違いない。
フアンは居ても立ってもいられなくなり、セント・アンジェリカ教会へとやってきたのだった。
教会の前に、車をのろのろと乗り入れる。
とても静かだ。静かすぎる。
胸騒ぎを覚えて、ダッシュボードから護身用の銃を取り出す。
教会の扉を開けると中は惨憺たる有り様だった。
聖堂の床に、並べられた遺体・・・・
フアンの鼓動が高まる。
どうかフアナが無事でありますように・・・どうか、どうか・・・
願いは叶わなかった。叶うことはなかった。
一番端に変わり果てたフアナの姿があった。
フアンはよろよろとフアナに歩み寄り、傍らに膝をついた。
娘の頬を撫でる。
冷たく固くなった娘の遺体を優しく抱き起こす。
「…っぐ、あ゛ぁ゛…」嗚咽が洩れる。
「父さんたちが、そんなだから・・・」
フアナの声が胸を抉る。
どれほど泣いただろうか。
やがてフアンはフアナを床に寝かせ、立ち上がった。
銃を握る手が熱い。
「エル・カルニィィ!!!」
ーーーーーーー
バンは町を抜け、リカルド・バレラの屋敷へと続く一本道に差しかかった。
「ここで止めろ」
まだ屋敷が見えない地点で、パウロは命じた。
「武器を持て。茂みに隠れろ」
女たちは音もなく車を降りる。
前方からエンジン音。
数台のバイクがヘッドライトを揺らしながら近づいてきた。
十メートル先で停止。
人数も装備も闇にまぎれてわからない。
――どう出る?
パウロが息を殺す。
その肩をカロリーナが叩いた。
彼女が指さす先、来た道の向こうにヘッドライトと松明の列。
パウロはへメロがやって来たと直感する。
バイクの一団がざわつき、引き返そうとした瞬間――
ヒュゥゥゥッ!
頭上を風切音が走る。
直後、ドンッと着弾。
ドカッ、ボグッ、倒れる音。悲鳴。
闇夜を裂くように声が響いた。
「いるのだろう、パウロ・ガウェイン!我に続け!」
フェニックス・へメロの声だ。間違いない。
パウロは女たちに後から来る連中との合流を指示し、倒れたバイクに飛び乗った。
フルスロットル。闇を裂き、へメロを追う。
やがて追いつくと、へメロはバイクのシートに飛び乗った。
「そのまま全速だ!」
屋敷が闇に浮かび上がる。門は固く閉ざされていた。
「止めろ!!」
急ブレーキ。
フロントフォークが大きく沈む。
その反動を利用してへメロが宙に飛び出した。
クロス・チョップの姿勢で矢のように門に向けて飛んでいくへメロ。
彼の体が発光し、加速する。
ドッガァアアアン!!!
凄まじい音と共に鉄門扉が弾き飛ばされた。
土煙の中、身を屈め三点着地したフェニックス・へメロの姿が浮かび上がった。