第七章 遺跡の幻影 教会の銃声
フリオの額に血管が浮き上がる。
彼は怒りに震えていた。
裏切り者の一味、そいつ等を一網打尽にする機会がやって来た、ハズだった。
「どぉう、なってんだよ!これは、よおぉぉ!!」
踏み込んだ部屋には3人、裏口に1人、裏切り者どもがコト切れて転がっていた。
フリオはなんとか気を取り直し「マントを探せ!」と手下に命じ、彼自身も辺りをひっくり返し、月のマントを探した。
床に転がる死体をのけた時、キラリと光る物が目に入る。
見覚えのある物だった・・・デュポンのライター・・・
ボスのリカルド・バレラが神父に与えたライターだ。
怒りに全身の血が一気に沸き立った。
「あの坊主!!!」
倒れたテーブル蹴り上げる。
フリオの形相に怯える手下たち。
「トランキーロ(落ち着け)・・フリオ」
「あああッ!!!」
フリオは銃を手下に向ける。
「落ち着けだと!馬鹿言ってんじゃねぇゾ!!」
手下の額に銃をグイグイと押し付ける。目が正気を逸している。
両手を上げ、泣き出しそうな部下の頬を思いっきり張り倒した。
――ウグッ!!
理不尽な仕打ちに、息を飲む手下たち。
くそったれ、なぜ思い至らなかったのか!?歯軋りする。
教会に所属していない神父などいるわけがないのだ。
バレラが生まれる子の洗礼のために、神父を探しているのを聞きつけたどこぞのカルテルが送り込んで来たに違いない。
どこのカルテルだと血が登った頭で思いを巡らす。
エル・カルニことリカルド・バレラに恨みを持つ相手・・・思い当たる顔が多すぎる。
まんまとやられた・・・
フリオはデュポンのライターを強く握りしめ「ただではおかねぇ・・・」絞り出すように呪いの言葉を吐いた。
「教会だ!」
フリオは手下を急かして、部屋を後にする。
パウロ・ガウェインが宿にしているセント・アンジェリカ教会へと車を向かわせた。
ーーーーーーー
月明かりに照らされて、遺跡が浮かび上がる。
昨日の晩とは違い、遺跡の前に車は一台もなかった。
パウロは遺跡の入口まで来ると、脇にかけてあるカンテラに手を伸ばす。
カンテラをフックから外し、ライターで火を点けようと胸のポケットを探った。
――チッ
パウロは舌打ちした。ライターを何処かで落としてしまったみたいだ。
どうしたものか思いあぐねていると、ローラから借りたペンライトをまだ返していないことに気がついた。
ズボンのポケットからペンライトを取り出して、中を照らす。
昨晩とは打って変わって、静かな闇がそこにはあった。
奥へと進み、スロープを降りる。
昨日、自分が散々打ちのめされた場所に出た。
昨晩の記憶は、明々と燃える松明と半狂乱の男たちの姿だけだ、あらためて、この洞穴を見渡してみる。
上から下、右から左へとペンライトの細い光を壁に這わせていく。
壁には、どこか禍々しさを覚える古代のレリーフが刻まれていた。
そのレリーフの一つに目が留まる。
エスペランサが手にしていたあの布にそっくりなものを纏ったマスクマンの姿があった。
レリーフの前に立ち、しげしげと眺める。
間違いない、エスペランサが手にしていたものと同じ文様が刻まれている。
その時――
「月のマントを取り戻せ」
野太い声が、洞穴に響いた。
ハッと振り向き、パウロは声の主を探して、辺りを見渡す。
青白く浮かび上がる影がある。
ペンライト向けると影は薄く淡くなってしまった。
パウロはペンライトの明かり外す。
先程まで照らしていた場所に、青白く輝く影が現れた。
パウロは眼の前で起こっていることが信じられず、ただ立ち尽くす。
青白い影は、マスクマンだった。
両腕を組んで胸を反らして立っている。
混乱が収まらないパウロ。
マスクマンは腕を解いて、腰に置き胸を反らす。
ポーズを変えた?何のため?ますます、混乱が深まるパウロ。
マスクマンは左足を前に出して、膝の上に右手を置くとパウロを覗き込むように腰を屈めた。
「おのれに呼ばれて、ここへ来たと言うのに、我に何も聞かぬのか?聞きたいことがあるのであろう?時間はないぞ」
そう呼びかけられて、パウロは我に返った。
「あなたは・・・フェニックス・へメロなのですか?」
自然と口調が丁寧になる。
「フェニックス・へメロとは、我のこの世での影の名じゃ・・・」
マスクマンはそう言うと、一度、パウロに背を向けて、左腕を腰に当てたまま、振り向くようにして右腕の上腕二頭筋を怒張させ、言った。
「我はクアウトリ・ピリ・・・魂の解放者である」
「昨日、焼印された・・・胸の烙印の意味は?」
「我、クアウトリ・ピリの魂の依代、魂の解放の代行者たる証じゃ」
「意味がわからない」
「わかる必要はない。その時に、努めを果たせ」
パウロは二度、三度頭を振る。全く理解が追いつかない。
「もうよいのか・・・挑戦者が待っておるので、我は戻るぞ」
影は揺らぎ始め、輪郭がぼやけ始める。
「待って、待ってくれ・・・女たちの力になって欲しい、男たちを説得して女たちとともにたちあがるよう言って欲しい」
「月のマスクを取り戻せ、されば望みは叶えられん・・・」
青白い影は、それだけ言うとフッと消えた。
暗闇に取り残されたパウロ。
ペンライトを四方に向けるが、何者もいない。
夢でも見ていたのか、自分の身の上に起こったが信じられない。
訳が分からない・・・深い溜め息を吐く。
そう、夢でも見ていたのだ、と自分に言い聞かせ、教会に戻ろうと一歩踏み出した時、足先に何かを引っ掛けた感覚があった。
ペンライトを当てる。
杖のようなものが落ちている・・・烙印の柄だった。
そして、烙印の先の地面が掘り返され、文字が印されていた。
――月のマントを取り戻せ
パウロはゴクリと唾を飲み込んだ。
ーーーーーーー
窪みにタイヤを跳ね上げ、フリオの車列がセント・アンジェリカ教会の門をくぐる。
脇に停められた赤いカブにフリオの目が留まった。
――やつはいる!
2台の大型SUVが教会の前に並んで止まった。
ヘッドライトに照らされてライフルを構えるローラの姿が浮かび上がった。
フリオはサイド・ブレーキを引くギュッという音を聞きながら、助手席のドアを開ける。
震えながらこちらに銃を向けている女の健気さに、思わず笑みが漏れる。
続いて手下たちが武装して車を降りた。全員で八人。
「何者だい!?あんたら」
かすれた声でローラが叫ぶ。
フリオは落ち着けとローラに両手をかざして見せ、一歩踏み出した。
――ダーン!
銃声が響いた。
フリオが振り向くと、自分が乗ってきた車のサイドミラーが飛び散っていた。
――ダーン!
再度、銃声が響いた。
ローラがフリオの手下に胸を撃ち抜かれて崩れ落ちる。
ローラの目が悲しそうに歪む、次の瞬間、口から血が溢れ出した。
フリオは手下の半数を裏手に回らせ、残りを引き連れて教会の中へと侵入した。
手下と共に四方に銃を向けながら教会の奥へと進む。
聖堂の中央までやってくると、フリオは痺れを切らしたように手にしたマシンガンで辺りを掃射した。
――ダダダダッ!ダダダダッ!
銃弾が壁を穿ち、祭壇が弾け飛ぶ。
――ダダダダ!
フリオが全弾を撃ち尽くすと、聖堂に再び静寂が訪れる。
聖堂手前の廊下では、女たちが頭を抱えて伏せていた。
エスペランサは、ローラの発砲音を聞くと、女たちに武器を取らせたものの、展開までの時間がなかった。
エスペランサは、震えながら伏せている女たちを見る。
とても戦える状態ではない。「訓練が足りない」「命があるうちに降伏しろ」パウロの言葉を苦々しく思い出す。
――どうする!?どうしたらいい!?
エスペランサは自問する。
すると「出てこいやぁ〜、パウロ・ガウェイィィン!!!」と聖堂の男が叫んだ。
―侵入者たちの目的は、わたしたちじゃない!?
エスペランサは自分たちの襲撃がバレてカルテルが乗り込んできたと思い込んでいた。
違うのか?
「パ・ウ・ロ・ガ・ウェ・イ・ン!!!」再度、男が叫ぶ。
男はパウロに拘っている。
自分たちはターゲットではない!?かもしれない・・・
「パウロ・ガウェインって誰のことよ」
エスペランサは賭けに出る。
パウロと自分たちを切り離し、女たちの身の安全を図る。
「ふざけんなッ!とぼけてんじゃねぇーぞ!神父だよ!神父!」
「神父なら・・・散歩に出かけて戻ってないわ・・・」
少し考えるような間があった。
「おい、女・・・」
「交渉だ、顔を見ながら話をしようじゃねぇか、あっ?」
「そうね・・・」
エスペランサは男にそう返事をすると、伏せながら成り行きを見守っている女たちに大丈夫だと笑顔を見せて、立ち上がった。
聖堂の入口にエスペランサがライフルを構えて姿を現す。
「ずいぶん派手な化粧してんだな」とフリオがエスペランサのタトゥーを笑う。
「お陰様で」と皮肉を込めてエスペランサが答える。
フリオはその言葉に反応しない。エスペランサとカルテルの経緯を知らないのか、エスペランサのような仕打ちを受けたものが多すぎて個々を区別できないのか、多分、後者だろうとエスペランサは思う。
「で、神父はここを宿にしてるんだな」
「そうよ」
「今、どこにいる?」
「さっき言ったでしょ?散歩に出たって」
「あいつは何者だ?」
「神父よ」
「知ってることを全部話せ、あいつは何者だ?」
「神父で、故郷のペルーにバイクで帰るって言ってたわ・・・」
「一晩で帰るはずだったけど・・・用事ができたからって・・・しばらく泊まるって話よ」
「他には?」
「昔、軍隊にいたって・・・そんな話・・・」
軍隊と聞いて大きく頷く、フリオ。
パウロはどこかのカルテルに雇われたヒットマンに違いない、フリオの疑念は確信へと変わる。
裏口から侵入してきた手下の影が見え、エスペランサが舌打ちする。
「武器は捨てなくていい・・・ゆっくり中に入ってこい」
フリオが余裕を見せて言う。
「抵抗しなきゃ、命は保証してやるよ」
エスペランサが中へ進む。その後ろに――二十人近い女たちが、ぎこちなく銃を構えて続いた。
「……多いな」
フリオの顔に、わずかに焦りが浮かぶが、すぐに消える。
「落ち着いて」
エスペランサが女たちにささやく。「銃口は逸らさないで…」
エスペランサは、エスペランサで極度の緊張状態にある女たちが暴発することを恐れていた。
かといって、この拮抗状態を解く術を思いつけない。
「そう気張るなよ・・・あんたら、あの男を庇う義理なんてねぇんだろ」
「そうね、あの神父が死のうが生きようが興味ないわ」
「なら、俺達は敵じゃねぇ・・・そうだろ?」
「まあ、リラックスしなって・・・おれは、そうさせてもらうぜ」
フリオがスマートフォンを取り出し、何かを打ち込んだ。
「送信っと」
ポケットにしまう。
静寂が戻る。女たちの息遣いが重く響く。
膠着した状態のまま時間が過ぎていく。
どのくらい経ったのか・・・構えたライフルの重みが増していくように感じる。
その時――
スマートフォンの着信が聖堂内に響き渡った。
その音に、一瞬、全員の身体が硬直した。
――バンッ!
銃声。フアナの指が引き金を引いていた。彼女は目を見開いたまま動かない。
そのフアナに、いや女たちに向けて、弾丸が飛んできた。
女たちも応戦する。
「撃つのをヤメろ!!!」
フリオが叫ぶ。
エスペランサがフアナに目をやった隙を、フリオは見逃さなかった。
彼女に飛びかかり、後ろから羽交い締めにした。
銃口がエスペランサの頭に銃が突きつけられている。
「わたしごと撃って!早く!」
エスペランサが叫ぶ。
「黙れ!」フリオが叫ぶ。
女たちは銃爪に指をかけたまま、動かない。
フリオのポケットでスマートフォンが鳴り続けている。
手下にスマートフォンに出るよう命じる。
スマートフォンがフリオの耳にあてられる。
バレラの怒声が鼓膜を打つ。
「フェニックスが!フェニックス・へメロが生きてるじゃねぇか!!!」
「……は?」
「何してやがる!今すぐ戻って来い!!」
通話は一方的に切れた。
「クソが!」フリオがエスペランサの後頭部に肘を叩き込む。
彼女が崩れ落ちる。
「今日のところは退いてやる」
フリオは女たちに告げる。
「エル・カルニの屋敷に神父を連れてこい。
来なけりゃ――この女の命はねぇぞ!」