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 昨日から数分前まで、心は冷え冷えとしていた。

 幼い時の辛い記憶まで浮かんでいたのに、ロイヤルボックスという言葉の威力は凄まじい。

 生きて積んだ記憶が、幼い時の辛い記憶を心の奥底に沈めてくれた。


「ところで、明日の演目は何ですか?」

「演目……?」

「えっと、明日からは……?」


 あれ? この二人は、演目を知らずに招待する、一緒に行こうと誘ってくれていたようだ。あぁ~、二人で出かける口実が欲しいだけかな?

 でも、陛下とその側近だからいつも一緒なのでは?

 でもでも、セスはいつも屋敷にいる。セスは、側近を辞したの?


「明日からの演目は、冬の定番バレエ『花のワルツ』でございます」とヨハンが告げた。

 冬の定番の花のワルツって、私でも知っているあの有名な冬の定番バレエ?

 楽しみだ、異世界ではどんな衣装や振付けになっているの? 全くの別物かもしれないけれど、バレエが楽しみ。


「「そうそう、冬の定番だよ」」


 この二人は、大丈夫だろうか? 内乱の騒ぎで、文化・芸術を楽しむ余裕が無かったのか? 


 その時、ヨハンが宰相の来訪を告げた。


「陛下、宰相閣下が……」

「分かった、そろそろ失礼するよ。ローズ嬢、明日劇場で」


 私はその場で静かに頭を下げ、陛下とセスは玄関ホールへと消えていった。



 ※



 私は、ローズをダイニングルームに残し、陛下を玄関まで案内する。

 昨夜、私は王立劇場の天覧上演に側近として同席できない旨を陛下に伝え、快諾をもらっていた。


 陛下が、ローズを王立劇場に招待するという、一手に驚いた。それ以上にローズが楽しそうに笑った事が嬉しい。

 問題は、ローズが多くの人に認知されてしまうことだ。


「ローズ嬢が、招待に応じてくれた」


 ダイニングルームから廊下に出ると陛下は嬉しそうに言った。


「陛下ありがとうございます、ローズがあんなに喜ぶなんて」

「ローズ嬢が、私に向かって笑ってくれたぞっ」

「陛下、あれは私に向けて笑ったのです」

「違う」

「違いません」


「ローズ嬢は、ラムセスだけでなく使用人の全てを味方にしているようだな」

「ローズは、人を引き付ける魅力があります。

 自分から話しかけるような社交的な面は見られないのですが、そこにいるだけで目が離せないというか、周囲が放っておかないのです。

 陛下もあのローズの独特の雰囲気に目が離せず、食事中もローズばかり見ていたではありませんか」

「そうだな、食事マナーに限らず流れるような所作が美しく見惚れるよ。わが国のマナーと違う部分もあるが、それがより高貴さを醸し出している」


「なによりもローズ嬢の視線の先が気になった」

「……視線の先ですか?」

「ローズ嬢は何を見ているのだろう、何が見えているのだろうと気になる……」


 陛下は、ローズの視線の先に言及した。


 そういえば、ローズは伏し目がちだ、いや視線を合わせないようにしている。

 いやちがう、ローズと目が合うことはよくある、その瞬間にやさしい春風の気配が心を包む、しかしそれに浸ろうとすると、すぐにそっと視線を逸らされてしまう、まさに気まぐれな春風だ。


 ローズと見つめ合いたい、ローズの瞳に私だけを映して欲しい……。


「ラムセス、明日はローズ嬢の警護に当たってくれ。私の事は気にするな」

「始めからそのつもりです」

「ははっ、そうか。

 どうやってもローズ嬢は目立つ、重要な社交の場の一つである王立劇場にラムセスと頻繁に出没したら大変な騒ぎになる。そこでだ、あえて初日に王室とフォード家の関係者であり尊重すべき対象と周知すべきだ。ローズ嬢への変な接触も減ると判断した」

「はい、同意いたします」


「ローズ嬢が王室専用門・通路・控室を使えるようにしておく」

「陛下、ご配慮いただきありがとうございます」

「私が、ローズ嬢をエスコートしたいが明日はやめておこう」

「明日だけではなく、ずっとおやめください」


「陛下、昨夜の取り決めどおり、ローズをフォード家ゆかりの者として高位貴族としての扱いでよろしいですね」

「そうだな。そして、とある帝国の高貴な血筋でもあり、非公式にフォンテ国に留学前調査にきている。昨夜のシナリオどおりに進めよう」


 非公式だからこそローズが、我がフォード家に滞在し身分立場を明かさなくても問題はないという筋書きだ。


 社交の場にローズを連れ出すのは早いと思ったが、遅かれ早かれ避けられないのならば、最高の形でプレデビューさせたい。


 ローズが王立劇場通いを望んだら、王都の屋敷に移ろう。

 ローズが疲れて熱を出さないように、王立劇場近くの屋敷にしようか? 少し高台にある屋敷にしようか?

 ローズの喉の事もある、ローズはどちらが好きだろうか?



 外へつながる扉の先には、宰相のラロール卿がいた。


「陛下、フォード卿、どうぞ王宮の執務室にお戻りください」

「ああ宰相、私は戻るがラムセスは戻らないぞ」

「フォード卿も、一度お戻りください。フォード卿不在で進まない案件が溜まっております」

「ラロール卿、出仕時の二倍の書類が毎日運び込まれても遅滞なく処理しております。陛下の命で出仕を停止しているわけで……」


 いや、陛下の命がなくてもローズの側を離れるわけにはいかない。

 まだまだローズは不安定だ。

 今朝だって、強い動揺をみせた。


「でしたら陛下、陛下だけでも執務から逃げるのはおやめください。

 フォード卿、今日の書類は先ほど執事の方にお預けしましたので、よろしくお願いします。

 陛下、お仕事です。早く馬車へ!」


 宰相によって陛下は王宮へ連行された。


 馬車がみえなくなると「旦那様、お嬢様がメイドを連れて書物庫に向かわれました」とハンスが告げた。

 私は、すぐ書物庫に向かった。



 書物庫でローズは書架を眺めては、次の書架に目を動かしていた。


「ローズ、何を探していますか?」

「明日の花のワルツの予習をしたくて……」

「その系統の書物は無いかもしれません」

「そうですか、では明日を楽しみにします」


「ローズ、王都に住みたいですか?」

「セス様は、本当は王都住まいですか?」

「かつての私は、ほとんど王宮で寝泊まりしていました。時々、職場放棄したくなると王都に隣接するこの領地の屋敷に戻っていました。

 王都には、親から譲り受けた屋敷があります。いつでも使えるように管理するものを配置しています。劇場通いをするなら王都の屋敷の方が便利かもしれません。今度、案内します」

「……ありがとうございます」



 サリが書物庫に息を切らして入ってきた。


「旦那様こちらでしたか、明日のお嬢様のドレスを決めたいのですが」

「わかったサリ。ローズ、部屋へ戻ろう」

「はい、セス様」


 ローズの手をとり、ローズの部屋へ向かった。



 ※



 私は、セスに手を取られ部屋まで戻ってきた。

 部屋に入ると、ドレスを纏った二体のトルソーが目に入った。


 黒のシルクタフタ素材のオフショルダーのAラインのドレス。

 黒とネイビーのシルクシフォン素材のアメリカンスリーブのプリンセスラインのドレス。


 凄い、これは映画祭のレッドカーペットで女優さんが纏うドレス、いやそれ以上だ。

 これって、比較的身長の高い大人が着るべきでは?

 視界の先ではセスとサリが話し合っている。


「ローズ、どちらが好みですか?」

「どちらも素晴らしいですね……」

「まず、着てみましょう。旦那様は廊下でお待ちください」


 こちらの世界に召喚されてから、着替えはサリやメイドが手伝ってくれていた。カギホックだらけで自分だったら買わないような服もあったが、それでも頑張れば一人でも脱ぎ着できるものだった。


 このドレスは今までとは違う、本当のドレスだ。一人では着られない、限られた階級の人達が着るドレスだ。緊張する、気分が上がる。

 


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