5月17日
五月十七日 晴れ
今日もライラに起こされた。先日までの目覚めの良さはどこへやら。胃がもたれているようで体が重い。昨日はジムで汗を流したというのに。
「今朝はおかゆになさったらいかがですか?」
「おかゆを出してもらえるの?」
「大丈夫ですよ。頼めば作ってくれます。結構いらっしゃるんですよ。特に日本の方。私が予約を入れておきますね」
そう言われると、自分も一般的な日本人だったかと、安心したような、悲しいような、微妙な想いにとらわれてしまう。気持ちはわかるのだ、気持ちは。出されたものは全て平らげてしまうという。
……ひょっとして、昨日の夜の胸のモヤモヤは……。
「今日はダンス教室がありますよ。人気の教室です。いかがですか? 身体も動かせますし、参加してみては?」
ライラの勧めに我に返った私は、断りを入れた。大体、相手がいないし。
「お相手の役ならちゃんと務めてくれる人がいますよ」
彼女にはテレパシー能力が? や、顔に出ていたのかも。あるいは声に出てしまっていたとか。
「考えておくよ」
格好よく言ったつもりだが、身体も頭も起きてない状態ではイマイチだったはず。
彼女は紅茶を入れていつもの笑顔で出て行った。
「よい一日を」
朝食のおかゆを食べにメインデッキに行く。
「渡辺さん? こちらはロイヤルスイートの方限定のロビーですよ」
ハッとすると、船長が目の前にいた。
「は? ロイヤルスイート?」
「ええ」
「あ、これは失礼。朝食をとりにデッキに行くはずだったんですけど……」
「迷われたのですね? よくあることです」
船長に笑われた。
「ご一緒しましょう」
そう言って、肩を押され、エレベーターに乗った。
どうやら本格的に寝ぼけていたらしい。方向どころか、階すら違うのに間違えるなんて。
「五日経ちましたが、不都合な点などございませんか?」
「全くありませんね。客室係には迷惑をかけてるかもしれませんけど」
「きっと、楽しんでいると思いまよ。クルーは海好き、船好き、人好きが揃っていますから」
トップの人間にもかかわらず、親しみがグッと迫ってくる感じだ。良いことなのか、悪いことなのか。日本のセールスマンみたいな感じ?
「明日は香港ですよ。丸一日遊べます。上陸されるんですか?」
「ええ。飲茶を楽しみにしてたので」
「それはいいですね」
「乗客のみなさんが下船するのでは、受付も大変でしょうね」
「いいえ。上陸するのは三分の二くらいじゃないですかね。ああ、ボーディングパスを忘れないでくださいね」
「出航時間に遅れたらどうなります?」
「置いて行きます」
船長はきっぱりと言った。
「さぁ、こちらから行けますよ」
デッキへの近道を、肩を並べながら歩いた。思ったより背が高いなと思う。
「大丈夫です。日本人で遅れた方はいらっしゃいませんから」
私が先ほどの質問に、不安を感じているのかと思ったのか、そんな言葉をかける。
「なるほど。なら、私も大丈夫というわけですね」
笑顔で会話をする。おっさん二人で。絵的に華がないだろうなと、関係のないことを思った。
身体に優しい朝食後、昼前の太陽を楽しんでいる、このデッキの下。メインプールで、あのスワン会長が泳いでいる。
彼のメタボな体型は隠しきれないし、周りの人々が遠慮がちに距離を置いているので、違和感がありまくり。
彼を知らない者はいないという言葉は本当のようだ。
一人きりで泳いでいる彼は気持ちよさそうにしている。はてさて、楽しいものなのか。
八十七歳という年齢には見えないが、誰かそばにいた方がいいのではないか? 大会社の会長だぞ? 奥方は亡くなられているけど、常に男の秘書がいると聞いたことがある。彼はどこだ?
ま、私が気にしててもしょうがない。実物を見られただけで珍体験だ。
夜は相も変わらず、なぜか気の合ったメンバーで食卓を囲んだ。ワインを奢るチャンスに恵まれ、ワインスチュアートと相談の結果、フルーティな甘さの際立つ赤ワインにした。女性陣にとても好評が良く、オトコマエな株が上がったと思う。
星が空を埋め尽くす頃には、彼女を見に行った。習慣になってきた。
いずれと言わず、すぐに会えた。彼女は同じようにデッキチェアーに寝そべっていた。声をかけようか迷ったが、やはり止めておいた。意気地がないと取ってもらっても結構。男ならわかるだろうが、そういう空気があるんだ。うん。
それにしても今日は、干されたシーツのように過ごした。
明日は香港上陸。
特に変わったことなし。いい一日だった。