145話 「松本花菜」という隠し玉
「い、いいの? 負けちゃっても……」
突然そんな大役の代理を務めてくれと指名されたって、自信なんかあるわけない。
現在トップの3組はリードを守りきるために、一番の俊足を用意しているのは間違いない。
その人選は誰だって納得がいくと思う。
学校内でその正反対の立ち位置にいる私を同じ走者順にもっていくなんて、みんなが予想する結果はきっと同じ。
勝つための作戦とはとても信じられないのが普通の反応だよ。
それに私が恥をかくことには慣れているけれど、この勝負の結果が少なくとも3年間語られることになる。私は覚悟できるけれど、内田くんの作戦というのも残ってしまう。
こんな一か八かの大勝負。毎年の体力テストの結果だってみんな知ってる。私の名前が出ること自体が普通じゃないのに。
「みんな落ち着いて聞いてくれ。俺はヤケクソから松本を出して負けようなんて思っていない。それは松本にも失礼だ。本気で勝ちに行く。他のチームも『文芸部の松本』が出ることで驚くだろうし油断もするだろう。これも心理戦だ」
「内田くん……」
どうして? そんなに自信たっぷりで私のことをアンカーに指名できるの? 普段の私を知っていればそんなことは選択肢に出てくるはずもないし、もし私を出すしかないとしても、せめて順番を入れ替えて最低限でのダメージで済む程度の作戦になるはずなのに……。
まさか……! そんなことって……。
「小学の頃、うちの学年に足だけは男子にも負けない女子がいた。そいつがいるときは、追いかけられて捕まっちまうから女子をからかうことはできなかった。毎年のリレーも常連だった。俺が引っ越してから、そいつは中学に入ると走らなくなったって聞いた。でも今日、久しぶりにその走りを見た。やっぱり昔と変わらなく速かった」
内田くんは私を見つめた。
「また走れるようになったんだな。バトンパスした最初のコーナーでインコースを攻めすぎるな。昔と同じで松本は外からの攻めでいい。松本が失敗するときはだいたいコーナーでのインコース攻めでの接触だ。直線で松本がスピードに乗れば十分戦える」
そのとおり……。あの頃の私を知っている。同じ小学校にいた内田くんだ。
「松本花菜は、あの頃から男子みんなの憧れだったんだからな。いつも運動会の徒競走やリレーで松本に勝てる男子はいなかった」
「うぅ……」
反論できない私と、顔が赤い内田くん。そんなこと聞いたことなかったよぉ。
「花菜、一度テーピングするから裸足になって。あたしも花菜の全力って見たことない。そんなに凄いの?」
「千景ちゃん……」
そうだよね。中学になってからは全力疾走なんて怖くてとてもできなかった。
私が走ることをやめて5年と半年……。
確かに去年からリハビリと称して鍛えてはきた。
でもそれはあくまで日常生活のためだもの。こんなリレーのアンカーだなんて、一番の大勝負にぶっつけ本番で耐えられるのか、自分でも分からない。
「頼むぜ」「花菜ファイト」「文化祭に続いて豪快な隠し玉だな」
どうやら内田くんの力説が想像以上に効いたらしい。
そんなみんなに肩や背中を叩かれて、私に拒否権はなくなったみたいだよね。
走者順番変更と同時にエントリー変更という手続きを経て私の名前はアンカーとして確定してしまった。




