110話 隠し事をしたくないから
「それでは、明日の班行動中の僕たちの動きなのですが……」
一応の肩書きとして、明日の自主学習経路についての説明をしてもらう。
班行動の際に非常事態が発生したら、先生たちに携帯電話で連絡を取ること。いくつかのチェックポイントには固定の先生たちもいるけど、移動中のトラブルも想定できる。
移動監視役としての長谷川先生と行動を共にしている私たちは、状況によってはその場で見学を切り上げて現場に急行しなければならない可能性もあると。
「……そういうこともあり得るわけですが、二人ともいいですね?」
千景ちゃんと二人で頷いた。
私たちの移動順序は本当にオーソドックスなモデルコースそのもの。
ホテルを出てから出島遺跡へ向かい、資料館や現物を見学。オランダ坂や歴史博物館などを巡りながら最後にグラバー園と大浦天主堂を回って戻ってくる。
路面電車を使い、また途中でお昼ご飯なども自分たちで考えなければならない。移動と見学の時間を合わせて概ね5時間ほどのコースだ。
「明日は歩きます。あまり予想はしたくありませんが、救護班の出番になることも考えられます。しっかり休んでおいてくださいね?」
「分かりました」
「あの……」
「先生……?」
突然、先生が立ち上がって扉の所で耳をすませている。
しばらくして扉を少し開け、廊下の様子を伺って戻ってきた。
「どうやら、またお客が来ていたようですが、中で打合せをしていたのを聞いて立ち去ったようです。さて、邪魔が入らないうちに始めましょうか……」
昨年の夏休みに見た先生のキャリーケースから、大切そうに封筒を取り出した。
「橘さん、ここから先のことは卒業式まで他言無用ですよ?」
「まったく、信用ないですね?!」
「その逆です。松本さんから橘さんにも同席してもらいたいと提案されたんです」
そう。千景ちゃんにだけは話しておきたい。一番の親友に隠し事はしたくないと私から同席を提案した。
「花菜……」
「千景ちゃんにはね……。いろいろ助けてもらってるから。本当のこと、ちゃんと話しておきたくて」
先生がテーブルの上に1枚の紙を広げた。
「わぁ……」
千景ちゃんが小さな声を上げ、私は横でゴクリとつばを飲みこむ。
広げられた用紙の一番上に書かれている文字、これの本物を見たことがある高校生は少ないだろう。
『婚姻届』という1枚の味気ない紙だけど、いろんな人の想いが詰まっている。
長谷川啓太、先生の名前はもちろん、私のお母さんが居なくなってしまったから、私の保護者代理となっている珠実園の代表者として健さん、母親代わりの茜音先生。珠実園の公認弁護士である、原田佳織さんの署名と事務所公印も押してある。
そして、婚姻の証人として長谷川先生のお父さんと、驚いたことにあの小島結花先生がサインをしてくれていた。
書類の完成を待つように、私の名前の部分だけが最後の空白で残されていたんだ。




