104話 預かった1枚のメモ
「しかし、橘は相当ショックだったんだなぁ」
「まぁ、私は内心ヒヤヒヤして、あとは笑ってましたけどね。結果的に千景ちゃんには感謝です」
時間はもう夜の9時を回っている。
珠実園でお仕事をしている途中、先生から帰りが遅くなってしまうという連絡をもらっていていた。急なことだったけど夕食を食べさせてもらえて、先生の分のお弁当まで詰めてもらった。あとはお迎えが来るまで茜音先生のお手伝いをしていたの。
学校であった例のくじ引きの顛末を珠実園の職員室で披露すると、みんなお腹を抱えて大笑い。
「花菜ちゃんやったじゃん!」
「そういうのも強運に入るよね」
口々に言ってくれるのは、私と先生の関係をみんなも知ってくれているから。
年明けから私は珠実園でのお手伝いを済ませたあと、長谷川先生と二人で決めたあの部屋に帰ることが多くなった。
私の外泊は、社会復帰訓練との名目になっているから、珠実園のお部屋も残っている。
それだけ遅くなってしまうなら、こちらでも構わなかったし、先生が集中したいであろう試験の問題作りや採点、成績づけの時は、まだ家族ではない第三者だからと珠実園に泊まることも多かったからね。
「花菜ちゃんはどうするの? もうあちらのご両親にはご挨拶してきたんでしょ?」
養護の千夏先生も私と先生の進捗には興味津々のようだった。
「はい。誕生日まで待たなくて、いつでもいいと仰っていただけました」
クリスマスの日に約束したとおり、年末年始を先生の実家で過ごさせてもらった。
もちろん初対面じゃないし、あのお母さんの一件以来の再会だったけど、まだ子どもだったあの当時とは関係が変化している。
友達の娘という関係から長谷川家の長男のお嫁さんにしていただけるか。それも両親を亡くした孤児という立場での試験だと自分の中で決めて同行させてもらった。
「花菜ちゃん、本当にこの啓太でいいのかい?」
そんな心配は杞憂に終わって、緊張していた私を先生のご両親は暖かく迎えてくれた。
「はい。お母さんにもそれが一番安心してもらえると思いますし、私も啓太さん以外となど考えたこともなかったので……」
「いやー、今どき初恋同士なんて珍しいわねぇ。啓太、花菜ちゃんを幸せにしてあげるのよ?」
「今さら言われなくたって……」
「二人とも悪いことは何もしていないのだから、自分たちで決めなさい。協力はできる限りしてあげるから。花菜ちゃんも不安なことはないからね」
「はい……、ありがとう……ございます。ご迷惑おかけします」
「花菜ちゃんなら迷惑なんてこと本当にないから、心配しないで。今度からいつでも家族としていらっしゃい」
そんな事実上のお許しをもらったあとの2年生を終えての春休み期間は修学旅行が待っている。
同行する班決めのくじ引きで先生目当ての子がいっぱいいるのは予想できた。
何も知らない千景ちゃんには悪かったけれど、彼女の強運に救われた。「救護班がなに?」というのが私の心の声だもん。
「ところで松本……、俺の記憶が間違っていないなら、誕生日は4月3日だったよな?」
本当は名前呼びしても良いことになっているのだけれど、制服姿の時は誤解されないように名字で呼ばれている。
「はい、そうです。あ、修学旅行の間ですね。とうとう……18歳ですよ」
「やっぱり記憶違いじゃなかったよな」
「春休み中だから、いつも一人でしたけどね……。先生?」
隣を歩いている先生がスマートフォンのカレンダーを確認している。
「そうだな……。途中も市役所に近いな……。この日ならどう動こうが目立たないし……」
「先生、どうしたんですか?」
ひとりごとを呟いている先生。
「悪い。修学旅行の持ち物なんだが、松本にだけ追加をお願いしてもいいか? 軽い物だから。ただ、これこそ誰にも内密に頼む」
先生はそう言って、私に小さなメモを渡してくれたんだよ。




