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68 もう止まることはない

 いつものように大勢の注目を浴びながら、正門付近に立っていたよだかさん。綺麗な鉱石じみた琥珀糖を食べるその姿はひどく幻想的で美しい。たとえ背景が薄暗い曇り空と落書きやひびなどで荒れた雰囲気のある学校の門だろうと、彼一人の存在は荒んだ背景すらも自身の魅力に取り込んでしまうのだから。離れたところから携帯端末で彼を撮影する人が昨日よりも増えている。この時間帯になると必ず現れるよだかさんのため、一眼レフカメラと三脚を用意している人までいた。

「どうも。お待たせしました」

「処女らしくねえ痕だな。どうした、その手」

 目敏い。よだかさんはすぐぼくの掌にある痕に気づいた。串山先生の鞭で打たれたそこは箸やペンを持てないほどひどいものではないが、まだじくじくとした痛みが続いていた。赤いミミズ腫れになっている。しかし処女らしくないとはどういうことなのだろうか。

「担任から愛の鞭をいただいただけです」

「ふうん。お前そういう嗜好が」

「ありませんからね」

 変な誤解を生みそうだった。ぼくはよだかさんの横を歩きながら話題を変える。

「自習中、コラットが接触してきましたよ。軽く話をしただけですけど」

「あっそ」

 たったそれだけ言って、琥珀糖が入っていた透明の袋をぱかりと開けた口の上で逆さにする。全て咀嚼し、嚥下したところで指を舐めた。そんなよだかさんの仕草に下校中の女子数人が黄色い声を上げて興奮した様子で走り去る。

「十二月になってもよだかさんはいつもその喪服姿なんですね」

「なんだいきなり」

「いえ、夏には涼しそうな格好もしてたのになと思いまして。……コートとか何か羽織らないんですか? 見てるこっちが寒いですよ」

 白皙の美貌を誇るよだかさんの鼻はほんの少し赤い。乾燥注意報をものともせず瑞々しい唇からは白い息が吐き出される。身体はちゃんと寒さを感じているのだろう。

「まだ北極よりは寒くねえだろ」

「比較する場所がおかしいです」

「さっき一仕事終えたところなんだ。今のお前が制服姿でいることと変わらねえよ」

「コートくらいなら着てもいいと思いますけどね」

 いつものようにとりとめのない雑談を交わしていると、いきなりよだかさんが違う道を歩き始めた。ぼくがそのことについて質問するよりも先に彼は言う。

「今日はこのまま寄るところあるからお前もついてこい」

「どこですか?」

「徳川」

 真っ先に思いついたものは江戸時代の幕府。しかし、とうの昔に大政奉還されたのだから現代に幕府などあるわけがない。あったら問題だ。

 記憶の中にある徳川幕府を思い出しながらぼくはよだかさんについていった。辿り着いたのは三途川町にある商店街の一角。雑居ビルのエレベーターに乗り込む。どうやら徳川とは単なる店名だったらしい。当たり前だ。こんなところに幕府などあるわけがない。携帯端末で調べてみたところ、広島を中心に店舗網を持つお好み焼きチェーン店。それならば何故こうも広島より東京にありそうな名前をつけたのだろうか。

 じゅうじゅうと食材の焼かれる音が聞こえていた。どこの席でも客が自らテーブルに埋め込まれた鉄板でお好み焼きを作っている。そういうスタイルの店らしい。よだかさんと一緒に奥の座敷席まで行くと、そこには土竜さんと八雲さんが向き合って座っていた。なんだか最近は彼らが犬猿の仲だということを忘れてしまいそうになる。土竜さんはベロア素材らしいアイボリーのカットソーに黒いカーゴパンツという、相変わらず落ち着いた色合いで統一した服。目つきの悪さを除けば男前だ。八雲さんは珍しく白衣姿ではなく、暖かそうなニットの白いタートルネックにフレンチベージュのスキニーパンツ。ますます中学生のように見えるが、口には出さないでおこう。二人ともそれぞれオリーブ色のモッズコート、濃紺のピーコートを上着として持っていた。やっぱりよだかさんがおかしいんだよな、とぼくは一人頷く。これが一般的な普通の冬服だ。よだかさんが黙って土竜さんの隣に座ったため、必然的にぼくは八雲さんの隣に座った。

「はい。この中から選びなさい」

 いきなり八雲さんから渡されたのは江戸の地図――らしきものが表紙に描かれたお品書き。とりあえず開いてみると、徳川十五代将軍がずらりと並んでいる。正しくは将軍の名前をつけられたお好み焼きだが。

「俺、家継公する」

「家定公」

「私は家光公。愛織はどうする?」

「あ、えっと……家康公で」

 三人が豚肉だけでなくチーズや青唐辛子やホタテが入っているものを選ぶ中、ぼくは無難に豚肉だけのものにした。初めての店で冒険する気は起きない。それぞれお好み焼きと飲み物を注文し、店員が去ったところでぼくは三人に訊ねた。

「それで、どうしてこの四人で集まったんです」

 まさかただお好み焼きを食べるためだけに集まったわけじゃないのだろう。

「そろそろお前が決めてる頃だろうと思ってな」

 そう言ってよだかさんはシニカルな笑みを浮かべる。やっぱりこの人には何もかもお見通しのようだ。もっとも、読心術が使えるよだかさんを相手に隠し事なんてできない。ぼくは三人の視線を感じながら深呼吸を一つする。

「クリスマス・イヴの夜、空亡町の《デッドエンドリームランド》で」

「…………」

「…………」

「…………」

「ぼくは今年中に全て清算します。もう、逃げませんから」

 空亡町はぼくの住む揺籃町と大差ないほど普通に見える町だ。路上で見かける血糊も弾痕も少ない。だが、そこで起きる事件はとにかく凶悪性に特化していて当然のように死者や行方不明者が出る。そのせいか、あの町は人を凶悪にさせる空気で満ちていると考えられているらしい。あくまで都市伝説だが。そして空亡町に存在する《デッドエンドリームランド》はかつて大盛況していた遊園地――が閉園した後そのまま残っている廃墟だ。何故取り壊されていないのかまではわからない。杏落市は廃校、廃工場、廃病院と言った無人の建物で溢れているのだから、取り壊されない理由なんて考え始めたらきりがない。それでも遊園地規模で原型を保っているものは《デッドエンドリームランド》くらいだろう。

 三人は特に目立つ反応を見せなかった。誰も何も言わない。周囲の客が談笑しながらお好み焼きを焼く音ばかりが耳につく中、やってきた店員から飲み物を受け取る。よだかさんはクリームソーダ、土竜さんはアイスコーヒー、八雲さんは生ビール、ぼくはオレンジジュース。乾杯などすることなく、それぞれ口をつけた。その後会話が再開されたのは全員分のお好み焼きの具材が運ばれてきてからだった。

「さっき清算するって言ってたが、お前は兄に勝つつもりでいるのか?」

 よだかさんが豚肉を鉄板に広げながら訊ねる。先に豚肉を焼き、その傍ら残りの具材を細いスプーンみたいなものでぐちゃぐちゃにかき混ぜてから焼く。特別決まりなんてないのかもしれないが少なくともよだかさん達はこうして食べているらしい。ぼくは彼らに倣いながら受け応える。

「勝てるかどうかはわかりません。だって相手、あの兄さんですから」

「愛織にとって兄がどれだけ偉大な存在なのか知らねえけど」

 ぼくの動体視力では追い切れないほどに異常な速さで――しかし決して中身を飛び散らすことなく――具材をかき混ぜつつ、よだかさんは言った。

「お前の中でそいつは俺よりも強い存在か」

「え……」

「どうなんだ?」

 真紅の瞳が真っ直ぐぼくを見ている。そのまま脳髄まで射通すほどの、鋭い眼光。

「どうって、そんなの、よだかさんの方が強いに決まってますよ。大体あなた規格外じゃないですか。不死身で、壁だって垂直に走るくせに」

「天井だって走れるぜ」

 思わずぼくは土竜さんと八雲さんを見た。二人はぼくと目が合うなり「本当だぞ」と言うように神妙な面持ちで頷く。やっぱり規格外だ、よだかさん。ぼくと同じ人類だなんて信じたくない。嘘でもいいから実は生身の人間ではなくよくできた高性能アンドロイドだ、なんて言ってくれないだろうか。

「俺に勝てなくても兄には勝てるだろ、お前なら」

「……よだかさんは本当にぼくを過大評価しますね」

 お好み焼きの具材を円形になるよう鉄板の上で広げていく。ちゃんと配慮すれば四人同時に焼き始めても鉄板のスペースが足りないことにはならない。いくらか焦げ始めていた豚肉を具材の上に並べて、あとは片面がほどよく焼けるまで様子見だ。

「何にせよ、お前が勝つためには私達の協力が必要なんだろう」

「はい。いくつかの準備を手伝ってください」

「出世払いの額がどんどん膨れ上がるのう、愛織」

「精々僕が死ぬことで踏み倒されないように手助けお願いします」

 そう半分本気、半分冗談で言ってみたが兄さんのことだ。ぼくを殺すことは決してしないだろう。前に本人が言っていたように、自殺しようとすれば手足を切り落とされ、舌を噛もうとすれば歯を全て抜かれ、食事を拒むなら管から流し込まれ、息を止めるなら生命維持装置に繋がれる。そうしてぼくは兄さんの傍で、兄さんに愛されながら、兄さんが死ぬまで生かされ続けるんだ。二度と杏落市に戻れず、この罪深い人達と会うこともできなくなる。それは嫌だ。だからぼくはどうすれば最善なのか考えて、考えて、考えて、考えた。

「なんだか吹っ切れた顔してるな」

 人工的な緑色をした炭酸飲料に浮かぶバニラアイス。雪玉みたいなそれを赤い舌で艶めかしく舐めながら、よだかさんはくつくつ笑った。きっと彼は、ぼくが次に何を言おうとしているのかわかっている。だからこそ笑うのだろう。構わない。誰に笑われようと、怒られようと、悲しまれようと、これはぼく自身が決めたことなのだから。

「兄さんはぼくが殺します」

 

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