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41 殺し屋

 目が覚めてすぐ手足が動かないことに気づいた。場所は変わらず、キャンピングカーの中らしい。ブルーシートが敷かれたソファーの上で仰向けになっている。両膝は正座するように折られ、右足首と右手首、左足首と左手首がそれぞれ冷たい手錠で繋がれていた。きっとこれは玩具なんかじゃない本物だ。

「おはよう、黒猫ちゃん」

 首を持ち上げるように動かすと、扉近くの椅子にオツベルさんが座っていた。携帯端末を見ていた彼は立ち上がり、ソファーの傍で膝をつける。

「オツベルさん……」

「色々と聞きたいことがあるんだろ。いいぜ、言ってみろよ」

「あの砂糖かミルクに何かを盛っていたんですね」

 ぼくはまだテーブルの上に出しっぱなしのシュガーポットとミルクピッチャーを見た。オツベルさんは大きく首肯する。

「砂糖に睡眠薬をな。そのまま舐めたら味で気づくだろうけど、珈琲に混ぜればよほどの相手じゃない限り誤魔化せる」

「…………」

「黒猫ちゃんが実は俺様に対して結構用心してるのは、すぐわかったよ。一緒に歩くときは絶対俺様の前に立たない。必ず横一線か、一歩後ろを歩いていた。あれは俺様を背後に立たせないよう、死角に入れさせないようにしてたんだろ。それに何があっても対処しやすいように、なるべく俺様の手元から目を離さなかった。昨日食事をしたときだってそうだ。オツベルさんが同じ皿から取って、飲み込んだところを見てから黒猫ちゃんも同じものを食べた。杏仁豆腐と胡麻団子は運ばれてきたとき、ウェイターから直接受け取って自分の近くに置いたよな。表向きにはかなり親しみを感じて信頼してるような接し方だったけど、黒猫ちゃんは俺様にすごく用心してた」

「そんなの、当たり前じゃないですか」

 よだかさんや八雲さんに通じるものがあると思ったのは事実だ。だからこそ、ぼくは用心した。何しろ、殺人鬼と闇医者に似ている部分があるのだから。きっとオツベルさんはただの旅行者なんかじゃない。ぼくはそう考えた。

「でも最後の最後で気を抜いたな。珈琲を淹れるところはじっくり見て、同じサイフォンから注がれたカップを先に選んで、俺様が飲んだのを確認して口をつけた。でも、砂糖とミルクの違和感に気づくのは眠気を感じてからだっただろ」

 その通りだ。まさか珈琲ではなく、一般的には共に出されておかしくない砂糖に薬を盛られているとは予想できなかった。迂闊だった。つい昨日オツベルさんが珈琲に砂糖もミルクも入れないと言っていたばかりなのに。今となっては臍を噛むしかない。

「あなたは、一体何者なんですか?」

 オツベルさんは先ほどから見ている携帯端末から視線を上げ、ぼくと目を合わせた。

「俺様は白鳴オツベル。金と猫が大好きな、殺し屋だ」

「こ……」

 殺し屋。ヒットマン。人を殺すことで金を受け取る職業。この前見た映画の登場人物と同じ。殺人鬼が最も嫌う存在。杏落市でも隠れて仕事をしている。様々な情報が頭の中で飛び交い、そして一つの答えが下りてくる。

「ぼくを殺す仕事で杏落市に来た、ってことですか」

「正解。随分と冷静だな黒猫ちゃん」

 ここの女子高生って皆そんな感じなのかよ、と笑うオツベルさん。ぼくは質問を続けた。

「なら、何故眠ってる間に殺さなかったんです。そうすれば起きてるときよりも抵抗されることなく確実に殺せたはずなのに」

「今回の依頼はただ殺すだけじゃ駄目なんだよ」

 まるで独り言のようにオツベルさんは言った。どこか腑に落ちないという、ぼくと同じ考えを持っているような表情で見下ろしてくる。

「黒猫ちゃんを殺すよう依頼してきた奴は、報酬を上乗せするからって条件を三つもつけてきたんだ。一つ、哀逆愛織とある程度交流を経て親しくなっておくこと。二つ、殺す時刻は正午を過ぎてから。三つ、殺した後は首を切り落として依頼者に渡すこと。オツベルさんは運び屋じゃねえのにな。……あ、あと最後に《この依頼内容を本人に話してもいい》なんてことも言われた」

 そこで一旦言葉を区切り、溜め息をついてから彼は続ける。

「こんなの前代未聞だぜ。なあ黒猫ちゃん。ただでさえ堅気の女子高生が標的にされるなんて珍しいことなのに、一体何をしたらこんな依頼が殺し屋に来るんだ?」

「さあ……。杏落市に来てから、本当に色々なことがありましたからね」

「正確な金額はマネージャーから口止めされてるから言えないけど、ちょっと有名な政治家一人を殺すときと大差ない報酬が前払いされてるんだぜ。いくら俺様がこの業界で売れっ子だからって――護衛もいなければ後ろ盾もない、ちょっと毛色が違うだけの高校生相手に支払われる額じゃないだろ」

 ぼくの中で候補に挙がったのは、あのドッグ倶楽部の生き延びた関係者だ。彼らはぼくやよだかさんに恨みを持っていて、金払いもいいはずだ。殺し屋に依頼してもおかしくはない。それでも確証は持てず、ぼくはオツベルさんに訊ねた。

「誰が依頼したのかは、教えてくれますか?」

「さすがに無理だな。ただ、依頼に来た奴は黒猫ちゃんを殺してほしいと思ってる人物じゃない。あれは多分雇われた代理だ。俺様の豊富な経験から言えるのはそれくらい」

「そう、ですか……」

「ん。もうそろそろ時間か」

 一旦ソファーから離れ、すぐにまた戻ってきた彼の右手にはもうすっかり見慣れたものが握られていた。真っ黒な色をした銃。オートマチック式拳銃だ。

「銃殺のとき本当は口に突っ込んで撃つ方が楽なんだけど、頭部は傷つけるなって言われてるから心臓にする。でも安心しろよ。なるべく苦しまないように一発で殺してやるから」

 オツベルさんの口調はまるで変わらない。初めて会ったとき、一緒に映画を見に行ったとき、公園で話したとき、中華料理店で食事をしたとき、そして殺し屋であることを明かした今も全部同じだ。きっと彼は今までぼくに演技を見せていたわけじゃないのだろう。喋り方も性格も表情も態度も、全てありのままでぼくに近づいた。

「ここまで無駄な抵抗をせずに大人しかった奴も珍しいぜ。人としても標的としても最高の好印象だ。これでもし黒猫ちゃんが年上だったら、お姉様好きな俺様はきっと惚れてたよ。他に何か言いたいこととか訊きたいことはない?」

 ぼくは目を閉じて考えた。言いたいことも訊きたいことも、まだまだある。しかしそれをどうしても口にしたいかどうかと問われれば、否だ。目を開けるとオツベルさんが真っ直ぐぼくを見下ろし、待ってくれている。不思議なことに怖いとは感じない。

「いいえ。特にありません」

 そっか、と言ってオツベルさんはスライドを引いた。銃口を胸の真ん中――そこに心臓があると思われる位置にぐりっと押し当てられて、少しだけ痛む。

「すげえ楽しかったよ。色々と相手してくれてありがとな、黒猫ちゃん」

 ばんっ、と。

 大きな音が鳴った。しかしそれは火薬が炸裂する銃声などではなく、オツベルさんの後方から突如として聞こえた全く別の音だった。互いを見つめていたぼくとオツベルさんが音の正体を確認しようとしたとき、それより先に何かがぼく達の間で光ったように見えた――と同時に銃口の硬い感触が消えた。直後ぼくの胸にどさりと落ちたものがある。

「あ」

「あ」

 まるで球体関節人形の部品が外れたかのようだった。オツベルさんの、右手首。引き金に指をかけたままのそれが腕から離れて、拳銃ごとぼくの胸に落ちていた。恐ろしいほどに滑らかな赤い断面がこちらを向いている。

「っ、う……」

 殺し屋のオツベルさんは悲鳴を上げなかった。呻き声も噛み殺し、身体ごと背後を振り返る。ぼくから彼の顔は見えなくなったが、ひゅっ、と息を呑む気配は感じた。無理もない。何しろ、どんなに綺麗な純白だろうと純黒には適わない。そう知らしめるような、地獄さながらに黒い殺人鬼がシニカルな笑みを浮かべて存在していたのだから。

 オツベルさんがどんな攻撃をよだかさんに仕掛けようとしたのか、わからない。彼が左腕を上げたとき、瞬きを終える頃には白いレインコートを羽織った身体がばらばらに断割されていた。達磨落としでも崩したかのように頭が、胸が、腹が、肩が、腕が、手が、指が、脚が、足が、次々と規則正しく輪切り状になって床に飛び散る。ぼくの目には、鮮血が一拍遅れて噴き出したように見えた。

「お前、何あっさり殺されそうになってんだよ」

 よだかさんは呆れたような声色で言った。ぼくを小馬鹿にするときと変わらない口調だが、それでも今の彼はいつもと違う。上手く説明できないのがもどかしいくらい違うのだ。簡単に言えば、怖い。よだかさんが現れた瞬間キャンピングカーの室温が少しだけ下がったように感じた。さっきから肌がぞわぞわとしている。これは、殺気だ。純度百パーセントと言っていい殺意。殺人鬼であるよだかさんの真骨頂。

「こいつは殺し屋だろ」

「あ……っ、は……い」

 ぼくの喉から絞り出すような細い声が出た瞬間、よだかさんの左足がオツベルさんの頭部に伸びた。そのまま頭蓋をピンヒールで踏みつけるつもりかと思ったが、その予想は少し外れた。よだかさんはつま先をオツベルさんの口腔にねじ込むなり、そのまま踏み抜いた。顎の骨と肉と歯が一緒に砕ける嫌な音が響いて、ぼくは思わずよだかさんの右手に目を逸らした。

 依頼者から預けられた日本刀が握られている。比較的研いで日が浅いらしいからと、十日に一度の頻度でよだかさんが丹念に手入れしていたものだ。日本刀は切れ味がいい刃物として世界でも有名だと聞いたことがある。そんな立派な武器を殺人鬼に持たせたら、それこそ鬼に金棒だ。磨かれた刀身には血が全くついていない。

「大丈夫かよ。愛織」

 すうっ、とそれまで感じていたよだかさんの殺気が消えた。まるで最初からそんなものなどなかったかのように全く感じられない。ぼくの口からは自然と溜め息が出た。

「大丈夫ですよ。助けてくれてありがとうございます。でも……その日本刀、秘密裏に預かる依頼だったのにいいんですか?」

「それがつい二時間前に例の依頼者がまた来て、今度は秘密裏にこの日本刀を処分してくれなんて言ってきたんだ。だから今さらこれで人を殺そうが関係ねえよ」

「結局その日本刀にはどういう事情があったんでしょうね」

「さあな」

 よだかさんはぼくの手足を拘束する手錠を素手で引き千切り、放り投げた。そしてテーブルの上にあるシュガーポットに手を伸ばし、スプーン一杯の砂糖をぱくっと口に入れる。

「……トリアゾラムが入ってるじゃねえか、これ」

 トリアゾラム。確か超短期作用型の睡眠導入剤がそんな名前だったと思う。ぼくは手首を撫でながら身を起こした。

「すみません。砂糖に盛られてるとは思わず、珈琲に入れて飲んでしまいました」

「ふうん」

 よだかさんはなんでもないように頷いて、自分が引き剥がすようにして開けた扉から外に出ていく。これから日本刀を処分しに行くのかもしれない。しかし、鞘から抜き出された日本刀を持っている姿は、どう考えても秘密裏の行動にはならないだろう。ぼくは少し迷って惨殺死体に黙祷を捧げてから、よだかさんの後を追った。

「さよなら、オツベルさん」


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