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42 文化祭(前編)

 十月三十一日。

 杏落高校文化祭の二日目は見事な秋晴れを迎えた。

 お化け屋敷は一年四組の教室ではなく、室内の扉で繋がっている技術室と技術準備室の二部屋で作られた。元々設置されている木製の机をスタッフエリアの区切りに使い、持ち運びが難しい機械はそのままにして怖がらせるための小道具を仕掛けてある。

 ダック・アップルは串山先生が許可を出したものの、あの後職員会議の対象となってしまったらしい。林檎の費用が高くなるうえ衛生上の問題もあるからという理由で、結局本物の林檎は使わずレプリカを使うことになった。これは技術準備室の外で行われる。ぼくは午前十一時から十二時までの間に仮装して受付を担当し、それ以外の仕事はチラシ配りや段ボール製の看板を持って校内やグラウンドを歩くだけでいい。百太郎くんも同じだ。

「それじゃあ二人とも。宣伝、よろしくね」

 秋ちゃんに差し出されたチラシの束を百太郎くんに渡し、看板はぼくが持つことにする。きっと恰好いい百太郎くんに配らせた方がチラシも受け取ってもらえるだろう。九時半から文化祭が始まり、ぼくと百太郎くんは模擬店が立ち並ぶグラウンドに出た。

「いい天気になったよな。昨日はあんなに荒れてたのに」

「そうだね。水溜まりもほとんど残ってなくてよかったよ」

 昨日は体育館でのステージ発表だけだったからよかったものの、本当にひどい天気だった。朝から大雨注意報になるほどの土砂降りで、昼からは雷も鳴っていた。ダンス部、合唱部、吹奏楽部、演劇部の見事な発表を楽しんでいるときも、強い雨音や雷鳴が外から聞こえていた。それでも散々雨が降った後の晴天はいつもより空が澄んで見える。

「それにしても意外だな」

「何が?」

「きみもだけど、不良生徒がちゃんと文化祭に参加してること」

 一年四組の生徒は今日、珍しく全員が出席している。それは他のクラスや学年も変わらないようで、やっぱり不良と言えども文化祭は楽しみたいと思っているのだろうか。

「ああ。多分今日は常善の不良も来るだろうからな」

「なんだって」

「三日前、常善学園が学園祭やってたの知ってるか? だから俺とキンと、あと十人くらいで行ったんだよ。高等部の敷地内で……あとはめーちゃんの想像に任せるけど、とりあえずあっちの不良が怒り狂うくらいのことをしたわけ」

「…………つまり、仕返しに来る人達を迎え撃つために?」

 百太郎くんは悪そうな笑みを浮かべ、頷いた。

「平日に文化祭やるのは他校とのトラブルを避けるためらしいけど、意味ねえよ。俺達みたいな奴は気にせず学校をさぼってでも喧嘩しに行くんだから。いくら硬派な常善でも顔面に泥投げつけられて無視はできないだろ」

「頼むからこの文化祭、台無しにしないでよ。できれば荒らされる前に捩じ伏せて」

「めーちゃんも言うようになったよな」

 すでにかなりの列を成している焼き鳥、豚汁、フライドポテトなどの温かい食べ物を売る模擬店の間を進みながら「一年四組のお化け屋敷、四階です」と適当に宣伝する。百太郎くんは若い女性ばかりに話しかけてはチラシを渡していった。さりげなく連絡先の交換もしているが、ちゃんと仕事をしているのだから何も言えない。とりあえず彼が宣伝していればある程度の客は来そうだ。

「ん……?」

 人混みの向こうに二年三組が開いているチョコバナナの模擬店が見えて、ぼくは足を止めた。会計を済ませた一人の客が、割り箸に刺さったチョコバナナを四本受け取っているところだった。客は後ろを向いているため顔は見えない。それでもはっきりと目につく。十センチほどの高さがある、黒いピンヒールの靴は。

「どうした、めーちゃん。いきなり立ち止まって」

「百太郎くん。あっち宣伝しに行こう」

「あっち? 戻るのかよ」

「いいから」

 訝しそうな百太郎くんの左手首を掴み、ぼくは踵を返す。しかし十歩も進まないうちに背後から襟首を掴まれて息が詰まった。

「そんなに急いで歩かなくてもいいだろ」

 鼓膜を撫で回す艶やかな声に背筋がぞくりと震えた。ぼくと同時に振り返った百太郎くんは目の前に立つ相手――よだかさんを見て、魂を抜かれたような顔になっている。

 正統派とは決して言えない、王道ではなく邪道を往く美青年。その顔立ちは、妙花風と表現してようやく均衡が取れるくらいに美し過ぎる。人類が今まで接してきた美しいもの全てを詰め込んだ宝石箱のようだ。黒いピンヒールは相変わらずだが、上下真っ黒な喪服ではない。ワインレッドのVネックシャツに黒いテーラードジャケットを羽織り、下はフレンチベージュのチノパンツという私服だった。革紐に通された金のリングが胸元で光っている。カジュアルファッションよりも綺麗で清潔感のある格好だ。

「何故ここにいるんですか」

「お前が通ってる高校の文化祭なんだ。来るに決まってるだろ。……へえ、お化け屋敷か。せっかくだからあとで行って」

「やめてください」

 よだかさんが言い終わるよりも先にぼくは拒否した。

「あなたが入ってきたら逆にお化け役の子が悲鳴を上げてしまいます。それにもしその子達が気絶したら、ぼく達みたいな本来お化け役じゃない生徒が代理をしないといけなくなるじゃないですか。お願いですからよだかさんは絶対にうちのお化け屋敷、来ないでくださいね。駄目です、絶対。出入り禁止」

「お前、カリギュラ効果って知ってるか?」

「知ってますけどやめてください」

「久々に愛織の上司虐めかよ……。わかったわかった、そんなに言うなら行かねえよ。他にも回ってみたい模擬店がたくさんあるからな」

 よだかさんはチョコバナナを食べながらクレープの模擬店に向かっていった。列に並んで順番が来る頃には、四本のチョコバナナを食べ終えているかもしれない。隣を見ると、まだ百太郎くんがぼんやりと呆けている。

「大丈夫か、百太郎くん」

「あ……ああ。うん」

 ぼくの声に反応したものの、まるで夢から覚めたばかりのような顔をしている。ぎゅっと目を閉じて、こめかみを押え、首を軽く横に振った。

「今のって、終業式の日に来てた人だよな。めーちゃんが好きな人って、あの人だったのか。一筋縄じゃいかなそうな男に見えたけど……頑張れよ」

「ありがとう。じゃあ、そろそろ宣伝係を交代してもらおうか」

「そうだな……ん?」

 百太郎くんが振り向いた先には、彼の裾を掴む楪くんがいた。ワイシャツに黒いケープを羽織り、その襟には翼を模したラペルピン。サスペンダーをつけたダークグレーの半ズボンで、黒と白のボーダー柄の靴下はソックスガーターで留められている。彼だけを見ると上品な家柄のご令息だが、その後ろに控えている堅気とは思えない男五人の存在感が強い。きっと護衛役として同伴しているやくざだろう。

「こいつってめーちゃんのストーカーだろ。よく校門の前で待ち伏せして、何も言わずに写真撮りながら下校中ついてきたガキ」

 百太郎くんは柩木組のやくざに怖気づく様子もなく、そう言ってのけた。

「楪くん。今日は学校あるんじゃないの?」

「初めてサボタージュしました」

「あ、そう……」

「わざわざ文化祭にまで来たのか。それで、俺に何か用かよ」

 楪くんは百太郎くんの裾から手を離し、彼が持っているチラシを黙って指差した。相変わらず楪くんはぼくと身内以外にほとんど口を利かない。

「そこにいる後ろの人達と来てくれるのか? お化け屋敷に入るんだったらついでにダック・アップルにも参加しろよ。仮にもやくざの跡継ぎならこういう場所でどんどん金落としていけよな、チビ」

 チラシを受け取った楪くんはぺこりとお辞儀をして、刺青や不自然な傷跡のある五人を従えたまま真っ直ぐ校舎に向かった。

「百太郎くん、柩木組相手によくあんな口を利けるね」

「相手はまだ小学生だろ。それに柩木組みたいな昔から存在してる本物の任侠なら、一般人の高校生がちょっと無礼を働いたってリンチしたり海に沈めたりはしねえよ。あのチビも俺のことなんて全然気にしていなかったみたいだしな」

 そのとき野外ステージが特設されているテニスコート付近で歓声が上がった。どうやら最初のパフォーマンスが始まったらしい。食べ歩きをしていた人達がその歓声につられて次々と野外ステージの方向へ向かっていく。

「そのうちもっと増えるだろうから、早いうちに行っとくべきかもな」

「ああ……むくろちゃんが来るんだっけ」

 今回の野外ステージ、その四番目に特別ゲストとしてむくろちゃんが出演することになっている。杏落市のローカルアイドルだからなのか、昨年から市内にある高校の文化祭に出演するようになったらしい。しかし過激なファンが押しかけてトラブルになることもあるため教師陣は大変そうだ。

 ぼくと百太郎くんは校舎に戻って宣伝係を交代してもらい、琴太郎先輩のクラス――二年四組の模擬店に行った。売っているのはアメリカンドッグだ。琴太郎先輩はすぐぼく達に気づいて手を振ってくれた。よく見ると彼は何人かの女性にアメリカンドッグを渡すとき、連絡先を素早く交換しているようだった。兄弟そろってやることは同じ。

「いらっしゃい、めーちゃん。来てくれてありがとな。ケチャップとマスタードは?」

「どちらも同じ量で」

「百太郎もそれでいいよな」

「ああ」

 琴太郎先輩はケチャップとマスタードのディスペンサーを手に、それぞれ波打つようにアメリカンドッグの上にかけた。

「俺もここ交代したら一年四組のお化け屋敷、女子連れて行くよ」

「ありがとうございます。どうせなら大人数で来てくださいね」

 出来立てで熱いアメリカンドッグはまだ口に入れられない。ぼくと百太郎くんは模擬店を離れ、野外ステージに向かった。すでに設置されていたパイプ椅子は埋まっていたため、適当な場所に立つ。今は二番目の三人組の美人が色違いのワンピース姿で踊っているところだった。ダンス部かと思ったが、有志の人達らしい。

 いい温度に冷めたアメリカンドッグを食べているうちに、三番目の軽音楽部が演奏を始めた。ボーカル兼ギター、ベース、ドラム、キーボードの四人編成で女子はボーカル兼ギターの一人だけ。全員髪を染めていたり、メッシュを入れていたり、派手な服装を着てアクセサリーもたくさん纏っている。

「串と袋、捨ててこようか」

「いいのか?」

「うん。こういうの持ったままって気になるから、ついでに」

「サンキュ。じゃあよろしく」

 ぼくはアメリカンドッグの串と袋を持って人混みを抜けた。近くにあるごみ捨て場に行くと、一つの箱は早くもごみで溢れている。近くに落ちたまま放置されている袋やプラスチック容器を拾い、まだ空いている方のごみ箱に突っ込んだ。水道で手を洗い、野外ステージに戻っている途中で急に人々のざわめきが激しくなった。

「あれってむくろちゃんじゃない?」

「えっ、どこどこ?」

「本物だ」

「すげえ可愛い」

「今日はメイドさんみたいな恰好だね」

「握手してもらえるんかな」

 どうやらもうじき出番のむくろちゃんがすぐ近くに来ているらしい。ぼくが人だかりを突っ切るようにして野外ステージに向かおうとしたそのとき、不意にざわめきの中から鈴を転がすような声が聞こえた。

「愛織ちゃん? 愛織ちゃんよね?」

 思わず足を止めて振り返ると、可憐な美少女が真っ直ぐ走ってきた。赤と白を基調としたピナフォア、白いオーバーニーソックス、靴は茶色のメリージェーンといういかにもなロリータファッション。プラチナブロンドは赤いリボンでツインテールに結ばれ、頭にはホワイトブリムが飾られている。ハードカバーの古本に描かれた御伽噺の世界からそのまま抜け出してきたような、どこか幻想的な魅力が感じられた。

「やっぱり愛織ちゃん! 久しぶりじゃねえ。元気にしとった?」

「え、あ、うん……。久しぶり、むくろちゃん」

「杏落高校って言っとったし、ここでなら会えると思ったんよ」

 笑顔でぼくの手を握るむくろちゃんに、周囲がさらにざわめいた気がする。ああ、視線がとても痛い。アイドルに向けられる沸き立った視線とは別の、険悪な刺々しい視線は物語っている。お前のような小娘の分際で何故我らがむくろちゃんに話しかけられ、おまけに手を握られていやがるんだ、と。昔ヶ原兄弟と一緒にいるときもこれと似たような視線を何度も感じて、今では慣れてしまった。しかしアイドルのファンから向けられる視線は、偶像崇拝している対象を横取りされた信者の恨みを感じてなかなかに恐ろしい。

「あ、あの。むくろちゃん」

「今日はぜひ歌うところを見てほしいんよ。だって愛織ちゃん、まだうちの歌とか聴いたことないんじゃろ?」

 ぼくの言葉を遮って悪意のない笑顔で喋り続ける彼女の背後から、長身で体格のいい男が現れた。七三分けした黒髪、黒いスーツ、黒いサングラスという恰好は典型的なSPじみている。懐に銃を隠し持っていそうな雰囲気の彼は、落ち着き払った声で言った。

「むくろさん。そろそろ準備なさってください。そちらの方は誰です?」

「あっ、まだ話しとらんかったっけ。哀逆愛織ちゃん。以前オフの日にファンから逃げとったんじゃけど、愛織ちゃんが着とった服交換してくれたけえ助かったんよ」

「服を交換……?」

 男が聞き返し、周囲のざわめきはまた一つの波が押し寄せたように大きくなった。これが針の筵に座る心地なのだろうか。一刻も早くこの場を離れたい。

「それはいつの出来事ですか?」

「七月の終わり頃じゃったよ」

「何故そのようなことを早く報告なさらないのですか、むくろさん」

「うぅ……ごめんって」

「哀逆さん」

「え、はい。なんでしょう」

 むくろちゃんの手が離れ、こっそり離れようとしたが呼び止められてしまった。

「その節は大変ご迷惑をおかけしました。そして、助けていただいたこと大変感謝申し上げます。改めてお詫びの品を贈らせていただきたいのですが――」

「いえ全然気にしないでください。服を交換しただけでそんな大層なことしてないですし、むくろちゃんの服はぼくのより絶対高かったはずです。だからそんなお詫びの品なんて受け取れません。失礼します」

 早口で言い切ってぼくは野外ステージの人混みに突っ込んだ。百太郎くんの後ろ姿を見つけ出し、駆け寄ると「どうかした?」と訊かれた。ここでむくろちゃんとのことを話せばまた周りの人から反感を買ってしまうかもしれない。

「なんでもないよ」

 ぼくはそう言ってステージ上で荒れ狂うように演奏する軽音楽部に目を向けた。しばらくすると演奏は終わり、いよいよむくろちゃんの出演時間となった。本人は楽器を演奏できないため、軽音楽部の生徒がそのまま残って彼女と一緒にステージ発表するらしい。むくろちゃんがステージに上がると熱狂的な歓声が上がって、百太郎くんが苦笑した。

「さすがは人気のロコドル、すげえな」

「この熱にはついていけない……」

「どうする? 気分悪くなりそうなら一旦離れるか?」

「いや、一曲は聴くよ。せっかくだからね」

 むくろちゃんが歌う一曲目はしっとりとしたバラードだった。先ほどの軽音楽部が演奏していたのはテンションの高いものが多かったせいか、耳に心地いい。男女の切ない恋愛をイメージして作られた歌詞で、すぐにデュエットソングだとわかった。しかしむくろちゃんは女性パートの歌詞を愛嬌のある可愛らしい女声で歌っていたかと思うと、男性パートの歌詞に入った途端がらりと声を変えた。どこか色っぽい落ち着いた男声で歌ったかと思うと、また女声に戻す。これが彼女のパフォーマンスなのだろう。実際に聴いてみると、その技術が本当にすごいとよくわかる。二曲目はハロウィンをモチーフにした曲だった。明るいがどこか中毒性のある不思議な歌詞で、むくろちゃんは歌いながら次から次へと声を変えていった。溌剌とした幼い子供の声、爽やかな少年っぽい声、艶やかな大人の女性らしさを感じる声、低くて渋い男性の声、そして彼女自身の可憐な少女の声。しかも歌いながら踊っているのだから、むくろちゃんの体力はどうなっているのだろうか。

「結局最後まで聴いちゃったな」

「うん。むくろちゃんの歌は昼休みに放送部がよく流してたから知ってはいたけど……実際に歌ってるところを見たのは初めてで、すごかったよ。月並みな感想しか言えないけど、感動した。見てよかったって思う」

 百太郎くんは頷き、ふと左手首の腕時計を見た。途端に顔色を変える。

「やばい。もう受付交代の時間になる」

「え」

 二人そろってむくろちゃんの歌を聴くのに夢中で時間を忘れてしまっていたらしい。ぼく達は密集地と化した野外ステージ付近から抜け出て、大急ぎで校舎に向かった。


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