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33 ドレスアップ

 髪を引っ張られたり捩じられたりするのはともかく、肌の上を筆やらペンやらが走っていく心地は決していいものではない。化粧など慣れていないうえ、自分が動かしているのではないのだから当たり前だ。ぼくは拳を強く握りしめ、目を閉じて耐えていた。

「そんな拷問受けてるみたいに化粧される奴、初めて見たぞ」

 苦笑交じりの声が聞こえた後で、かちゃかちゃという物音が止んだ。

「はい終わり。目、開けろ」

 言われた通りに目をそっと開ける。手渡された鏡に映し出されたぼくの肌は、透き通るような色白になっていた。しかし頬は淡い桃色だ。睫毛が長くカールした目元はブラウン系で光沢があるアイシャドウ、唇は口紅で下品さを感じない程度の赤色に染まっている。三つ編みを解かれた髪は高いところで編み込まれ、余ったものは右側に流している。青色や白色の花をモチーフにした髪飾りがその存在感を主張していた。

 何よりも目を引いたのは、縫合痕がなくなっていることだ。傷痕を隠す化粧の技術があることは知っていたが、こうも自然に消えてしまうとは予想以上だった。よだかさんはテープやらコンシーラーやらを使い、ドレスから露出する部位全ての縫合痕を見事消してしまった。なんだか自分の身体なのに違和感がある。

「はは。やっぱり女はちょっと化粧しただけでも化けるよな」

「それ、褒めてるんですか?」

「不満か。じゃあ《すごく綺麗だ》って耳元で囁いてやろう」

「やめてください。今日が命日になりかねないですから」

 現在、八月八日の午後八時過ぎ。ぼくは黒喰請負事務所のソファーに腰掛け、テーブルに直接座ったよだかさんと向き合っていた。髪型や化粧を崩すことなく脱げるように、着ているのはワイシャツとショートのデニムパンツだ。テーブルには様々な化粧道具がたくさん並んでいる。

「ならさっさと手を出せ。次はマニキュアだ」

「え、そこまでしないといけないんですか……?」

「当たり前だろ。いいか、愛織。お前はこれから雲林院霧華が付き添う人間として相応しい格好をしなきゃいけねえんだよ。上流階級の場に出る女なら、目一杯着飾るのが普通だ。本当なら鑢やバッファーやシャイナーも使って徹底的に形から整えたいところだが、妥協してマニキュアだけにしてやる」

 よだかさんはぼくの爪をアルコールを含ませた脱脂綿で拭い、ベースコートを塗ってから薄桃色のマニキュア塗料を手に取った。蓋についてある刷毛で塗り、小さなストーンを配置してトップコートで仕上げをする。十枚の爪を完成させるのにかかった時間は長くなかったが、一気に指先が華やかになった気分だ。

「ありがとうございました」

「ドレスはもう一人で着れるよな」

「はい」

「じゃあ、俺もあっちの部屋で支度する。着替え終わったら言えよ」

「わかりました」

 化粧品を手にしたよだかさんが私室に消えていき、ぼくは振り返った。飾り戸棚のすぐ近くに黒いドレスバッグが置かれている。ファスナーを開け、三つ折りを開くとあの海のようなグラデーションのドレスが現れた。このドレスは化粧と髪型のセットが先でも構わない着方だった。収納ポケットにはアクセサリーとパーティーバッグが入っている。ぼくは事務所の扉に鍵がかかっていることを念のため確認し、服を脱いだ。ヌードベージュのストッキングを履き、あらかじめ身に着けていたビスチェの上からドレスを着ていく。靴はここ数日の間に必死で履き慣らしておいた、ヒールがそれほど高くない黒のパンプスだ。最後にアクセサリーとして黒い生地の上に本物のダイヤモンドが輝くチョーカーを首に巻き、真珠のブレスレットを両手首に通した。

「…………よし」

 この部屋に冷房が効いていなかったら、今頃汗だくになっていただろう。そんな心持ちで無事一人で着替え終えたことに安堵する。

「よだかさん。終わりましたよ」

 私室の扉をノックして声をかけた。耳を澄ませると板一枚の向こうからごそごそと衣擦れのような物音が聞こえてくる。

「事務机の電話から土竜に連絡入れてくれ」

「はい」

 ぼくは事務机の回転ダイヤル式電話機の受話器を取り、土竜さんの携帯端末に繋げた。三コールの音が響いた後で、気怠そうな声が聞こえてきた。

『よだかか?』

「あ、ぼくです。愛織」

『ああ。もう準備できたんか』

「よだかさんはまだ着替えてる最中ですけど、多分もうすぐだと思います」

『じゃあ今からそっちに行くけえ』

「よろしくお願いします」

 受話器を戻し、窓にかかっていたカーテンを少しだけ開ける。そこから夜の街並みを眺めていると扉の開く音がした。振り返った瞬間、くらっと意識が遠のいた。そのまま気絶してしまいそうな衝撃をなんとか堪える。

「う、あ……」

 漆黒のドレスにケープとオペラグローブを纏うよだかさんの姿は、それでも決して暗い印象など与えない。ハーフアップとなっている黒髪のウィッグには白い羽根と花の髪飾りがよく目立つ。赤みの強いアイシャドウとボルドー寄りの口紅も白皙との対比で強調されていた。夜空から降ってきた天使――いや、堕天使とでも言えばいいのだろうか。とにかく言葉では上手く言い表せないほど、ドレスに収まり切らない麗しさを振り撒いていた。

 心臓を鷲掴みにされたかのようだ。どくんどくん、と心臓が壊れたように激しく脈打つ。息が苦しい。目は無意識のうちに瞬きを惜しみ、彼を映そうと躍起になっていた。目の前にいる女装した殺人鬼こそ、今この世で一番美しい生き物なのではないかと本気で思ってしまう。

「おい。何泣きそうな顔してんだ、お前」

 よだかさんに言われて、ぼくは自分の鼻につんとした痛みがあることに気づいた。女装したよだかさんの、これまでとは違う美しさに中てられてしまったらしい。いけない。泣いたら化粧が崩れてしまう。落ち着け。落ち着くんだ、ぼく。

「――――よだかさんが」

「俺が?」

「すごく、綺麗で……」

「それはどうも、ありがとう。嬉しいわ」

 よだかさんは声をがらりと変えて、そう言った。鼻にかかったような、比較的高い女の声。どうやらそれが雲林院霧華の声らしい。これなら男だとそう簡単にはばれないだろう。そこそこの大きさをした胸も違和感がない。

「あ、でも本当に大丈夫なんですか? その部屋に入れたまま出かけて」

 ぼくが訊ねるとよだかさんは無言で私室の扉を開ける。中に一歩足を踏み入れると、悪趣味な映画じみた光景があった。床に直接座る四人の女性が全員片足に枷を嵌められ、そこから伸びた鎖が天蓋つきベッドの柱に何重にも結びつけられているのだ。南京錠までしてある。四人の顔色はここに連れてこられたときから蒼白で、すっかり怯えているようだ。

 一人は資料に載っていた写真と違うが、それでも上品な美しい顔立ちをしている黒いドレスの女性――雲林院霧華。何度も美容整形を繰り返したらしいその顔は確かに綺麗だが、杏落市にいるぼくから見ればそこらを歩いている程度の顔だ。よだかさんの美貌には足元どころか足の裏にも及ばない。残りの三人はまだ七、八歳くらいにしか見えない小柄で可愛らしい少女達だ。黒髪のシニヨン、茶髪のセミロング、金髪のポニーテールと髪型やその色はばらばらだったが、彼女達はまるで制服のようにチューブトップとハーレムパンツ、そしてベアフットサンダルという異国情緒の溢れる格好で統一されていた。

「別にお前らは殺すつもりねえんだから、そんなびくびくするなよ」

 よだかさんは地声に戻して四人に話しかける。彼女達がこの黒喰請負事務所に拉致されてきたのは、約一時間ほど前だ。ぼくは現場を見ていないが、よだかさんは以前話していた計画通りに上手く事を進めたらしい。今、ビルの前ではトランクに運転手や護衛の死体を入れた車が停められているのだろう。

「飲み物も食べ物も用意したし、その鎖の長さなら風呂まで入れる。ただし電話はここに置いていないうえ、窓は開かないようにしてあるから助けを求めるのは無理。暇なら四人仲良くベッドで眠っててもいいんだぜ。俺達の仕事が終わればすぐに解放してやる」

「あ、あなた何が狙いなのっ?」

 初めて雲林院霧華が声を上げた。ついさっきよだかさんが出した声と全く同じだ。この殺人鬼は声帯模写まで簡単にできるらしい。

 ふと思ったが、彼女達はよだかさんが女装する様子をどんな気持ちで見ていたのだろうか。まともに直視なんてできなかったかもしれない。色んな意味で。

「どうせ雲林院家の資産が目当てなんでしょう? だったら早く私の父に連絡すればいいじゃない。一億や二億ならすぐ用意できるわ」

「俺のこの姿を見て察しろよ。頭の弱い女だな」

 怯えが興奮に変わった様子の雲林院霧華によだかさんは肩を竦める。

「お前がそこのガキ三人を買い取った倶楽部に、ちょっと用があるだけだ。見ての通り俺は何の後ろ盾もない零細企業の所長だから、お前に成り代わらせてもらう」

「っ、な……そんなことできるわけが――」

 これ以上話は無用だと言わんばかりに扉を閉め、よだかさんは黒いパーティーバッグにメタリックな銀色のカードを入れた。雲林院霧華の名前と八桁の数字が記されているそれは、きっとドッグ倶楽部の会員であることを証明するものだろう。

「よだかさん。何か、いい香りがしますね」

「ああ、霧華はチューベローズの香水を愛用してるからな。お前もつけろ」

 そう言ってよだかさんはバッグの中に入っていた小さなアトマイザーを取り出し、ぼくの項と手首に軽く香水を吹きかけた。甘く熟した葡萄に近い香りがふわっと鼻をつく。改めて持ち物や計画について確認していると事務所の扉がノックされた。ぼくが扉を開けると、そこにはいつもと全く違った雰囲気の土竜さんが立っていた。向こうも同じようなことを思ったのか、ぼくを見下ろす目が妙に見開いている。

「……格好いいですね」

「は?」

「人のこと言えないですけど、土竜さんっていつもはラフな格好してるので、すごく新鮮な感じがします。スーツ、よく似合ってますよ」

 今の土竜さんは黒いスーツを着ている。運転手は倶楽部内に入るわけではないのだから、服装はなんでもいいはずだ。もしかしたら土竜さん、形から入るタイプなのかもしれない。サックスブルーのシャツにネイビーのネクタイを締め、黒い革靴を履いている。両手にはいかにも運転士が着けるような白い手袋。髪だけはいつものままだったが、普段の彼を知っているぼくからすれば軽く感動してしまうほどに珍しい服装と言える。

 なんだか、いいものを見れた気分だ。そう思っていると土竜さんはぼくの後方、よだかさんに視線を向けていた。気絶する気配がないのはさすがと言うべきか。

「…………よだか。お前、こんな素直で可愛い助手を四月から独り占めしとったんか」

「羨ましいだろ」

「ずるいのう。今度俺にも貸せ」

「俺の知ってる土竜は女子高生が趣味じゃなかったはずだが」

「そうやってすぐ性的なものに結びつけるのやめえや阿呆。助手にしたら仕事が捗りそうって前々から思っとったんじゃ」

「愛織がいいって言ったらな」

「ぼくは構いませんよ。それより早く行きましょう」

 ビルから出たすぐのところに大きな車が一台、停まっていた。高級感はないが、上流階級の人間が謂わばお忍びで行くのだからこれくらいがいいのだろう。雲林院霧華が使う車椅子は三列目、一番後ろの座席に折り畳まれてあった。

「本当の運転手は?」

「護衛と一緒に殺して二人ともトランクの中」

「トランク以外は汚しとらんじゃろうな」

「血の匂いすらねえよ。どっちも首を折って殺したんだから」

 土竜さんが運転席に座り、後部座席にぼくとよだかさんが並んで座る。よだかさんほどではないが土竜さんの運転は速く、乱暴だった。真っ暗な海の気配はあっという間に遠ざかり、次第にネオンや街灯で彩られた景色が窓の外を通り過ぎていく。段々と棺桶町に近づいているのがわかった。土竜さんもよだかさんも何も喋らず、音楽もラジオもかけていないから走行音くらいしか聞こえない。

「棺桶町じゃ」

 土竜さんがぽつりと言って、ぼくは窓の外を見た。派手な色をした背の高い建物――漫画喫茶、ネットカフェ、飲食店、居酒屋、風俗店、パチンコ店、カラオケ店、ホテルが立ち並んでいる。全ての店舗が自らの存在感を頑張って主張しているようで、とにかく看板でいっぱいだ。もう午後十時になるが、まだまだ人通りが多い。怪しげな客引きの姿も見える。華やかだが、その分姦しい歓楽街だ。東京にいたときも訪れたことはなかったが、歌舞伎町をもう少しこぢんまりとさせるとこんな感じなのかもしれない。

 車が停まったのは賑やかな中央から逸れた、比較的静かな場所にあるナイトクラブ付近の駐車場だった。《ライカンスロープ》と赤いネオンサインで店名が記されたそのナイトクラブは、規模が大きいもののあまり外観は綺麗じゃない。店がある場所も相まって、それほど客足が多そうな印象はなかった。

「あ……」

 すぐ近くに駐車してあったワゴン車から二人組の男女が降りて、ナイトクラブ《ライカンスロープ》の中に入っていった。二人が乗っていた車の運転席には人の姿が見えた。よく見ると駐車されていた車の大半には運転手が残っている。

「よだかさん。ドッグ倶楽部って、あのナイトクラブなんですか?」

「ええ、そうよ」

 突然よだかさんが声帯模写をしたため、ぎょっとしてしまった。

 ぼくはドッグ倶楽部がどのような構造になっているのか全く知らない。よだかさんは当然土竜さんに調べさせた情報で記憶しているはずだが、ぼくには教えてくれなかった。曰く「一見として訪れた人間はやたらと行動を見張られるから、倶楽部内の構造は知らない方がいい」とのこと。確かにその通りかもしれない。

「車から降りたら絶対に私のことをよだかさんなんて呼んでは駄目。私のことは霧華さんとだけ呼びなさい。あとは物腰も口調もいつも通りでいいのだから、無理にお嬢様ぶらなくて結構よ。いいわね、あい

「はい。霧華さん」

 愛花という偽名はよだかさんが考えてくれたものだ。これからぼくはよだかさんを霧華さんと呼び、愛織ではなく愛花と呼ばれて返事をしなければならない。

 先に運転席から降りていた土竜さんが車椅子を用意した。後部座席の扉を開け、よだかさんを車椅子に恭しく乗せる。電動車椅子だからぼくが操作する必要はなく、よだかさん自身が動かすと言っていた。ぼくはよだかさんの後に車から降り、土竜さんが一礼して運転席に戻ったのを確認して《ライカンスロープ》に向かった。


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