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死ねない少女は、もう死にたくない  作者: トウロウ
第1章: 洞穴の底から
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第18話: 覚悟と決意

「……あれ?」

 

 『スライムの間』に辿りついたサヨの頭に疑問符が浮かぶ。いつもならぶよぶよと不快な音を立てながら広間を我が物顔で占拠している化物が居るはずなのだが、どこにも見当たらない。

 

 イレギュラーな状況に警戒心を滲ませつつ中に入り、慎重にクリアリングしていく。よもや知性を得て不意打ちすべく息をひそめているのかと思ったが、そうでもない。

 心当たりはなくもないが、それでも普段と違うだけで心臓に悪い。どくどく跳ねる心臓を落ち着かせながら、積み上げられたこの場所に対する負の信頼に辟易した。

 

「ま、好都合ではあるか」

 

 死んでやるもんか、と威勢よく啖呵を切ったはいいもののサヨはあの直前に死亡している。そのためあの老人の化物と相まみえる準備は万全でも、復活したスライムでつまづく可能性は十分あった。行動は単純だし、やるべきことも明確だが最終的には反射神経との勝負なのだ。油断しなくとも普通に死ねる。

 石柱も出現していないし、不埒な第三者が倒したというわけでもあるまい。一通り確認して迷宮につながる通路を覗き込む。

 

「……ここもか」

 

 あの長ったらしく陰鬱な通路、ここからでは一切の光さえ捉えられなかったそこには優しい光が差し込んでいて、よくよく見れば迷宮の石畳っぽい床が奥に見えた。通路というよりはトンネルと表現すべき長さに変っている。こんなことが可能なら『スライムの間』までの道中も短縮してくれたら嬉しいのだが。

 

 とにかく、状況は好転している。怯えの残った性根をなんとか叩き伏せ、頬を張って気合いを入れる。一歩踏み出し、暗闇に身を投じたサヨをすぐに柔らかな光が捉えてくれた。

 一分にも満たない移動、辿り着いた迷宮はいつもと変わらず無感情な石造りの壁と冷め切った空気で迎えてくれ、しかしいつもとは様子が違う。

 

「まっすぐ……何もしてないのに」

 

 これまでに何度かあった、迷宮の機能不全。感情を表出させなければそうなるとは分かっていたが、今のサヨは特段対策をしていないはずだ。現に胸中にはいろんな感情でぐるぐるしていて、蛮勇も、恐慌も、何もかもがぐちゃぐちゃになって溶けあっていた。

 

 準備ができていないサヨに、万全の状態で待ち構える迷宮。きっとこれもいい変化だ、とチョーカーに触れ、勇気を貸してもらう。

 

「……大丈夫」

 

 目を伏せ、ぐっと手に力を込める。深呼吸をして、よし行くぞと意気込み前に向き直ったところで、暗闇に慣れた目が捉えた、またも現れた変化に驚いて全身を跳ねさせた。

 

 禿頭の、怪物だ。

 サヨよりずっと高い位置から見下ろしてくるその顔の醜悪さは変わらず、縫い付けられた瞼の奥からじっとサヨを見つめているのが分かる。気分と心地の悪いそれを一身に受け止め、想定外の状況に毒づく。

 

「――最っ悪……!」

 

 音はしなかった。となればずっとそこで待っていたのだろうか。予想では出会うことがないだろうと決めつけていたが、見事にその逆を行ってくれた迷宮の性格の良さに拍手を送りたい。

 ばっと後ろに飛び退き、素早くホルスターからスマートを引き抜く。怪物の動向から目を離さないままスライドを少し後退させ、弾がしっかり込められていることを確認してからグリップを握り直し、いつでも回避行動を取れるよう重心を低くして照準を――。

 

「……?」

 

 だが、怪物は動かない。普段ならここまで余裕を与えてしまえば腕の一本や二本切り捨てられているところだ。なんとなくの攻撃の癖が分かってきたため初撃はそこそこの確率で躱せるが、そもそも攻撃してこないが故の無傷はこれまでにない。

 

 銃を向けられても何のアクションも起こさない怪物は、静かにサヨを見据えていて、今までの無常さが嘘のように佇むばかり。そこには、一片の戦う意思すら見いだせなかった。

 すっとスマートを下ろし、一歩先に進む。ぼんやりと怪物の全体像が浮かび上がってきて、相も変わらず自然の摂理を無視した造形に顔をしかめそうになる。幾度となくサヨを切り裂いてきた鋭い爪、執拗にサヨを踏みつぶしてきたおぞましい3対の脚。その全てがサヨに向けられず、ただ悠然と立ち尽くしていた。

 

 あの時と、同じだ。

 

「……ねえ」

 

 震える心を叱咤して声を絞り出す。今までなら化物と会話なんて馬鹿げた試みだと一笑に付していたが、あの時感じた知性が本物なら、きっと。

 一瞬の沈黙。早まったかと焦るサヨを尻目に、老人の顔がぐにゃりと歪んだ。

 

 あのときの嘲笑とは違う、どこか輝かしいものを見るような顔で。

 

「見事だ」

 

 投げかけられた言葉が予想外でたじろいでしまう。そんなサヨには構わず、化物は訥々(とつとつ)と独り言のように言葉を紡ぐ。

 

「自ら困難な道を歩むか」

「――」

推重(すいちょう)を、 恭敬(きょうけい)を。我は扉となり、汝の行く末を見明(みあか)らめよう」

 

 やたらと仰々しい言い回しで敬愛を囁く化物。その敬意がどこに向けられているのか分からず、理解できない。

 

「ねえ。あなたは、何者なの?」

 

 ずっと膨れ上がっていた疑問。サヨを幾度となく死へ誘い、こうして尊重の意を示す二面性のある化物は、果たしてサヨに何を望む立場なのか。得られた回答次第では、サヨがここに立っている理由だって分かる気がして。

 

「我は試練。我は道標。苦難を与え強きを挫き、屈託を抱えた弱きを助く者」

「いまいちピンとこないんだけど」

「左様か」

 

 サヨの実直な物言いにくつくつと笑う化物は――否、老人は、この場において理解しがたい存在になり得なくなっていた。物言いはアレだがちゃんと会話が成立していることに感動すら覚える。しかし、

 

「私は、認められたって感じ? いまいち実感がないんだけど」

 

 そう、サヨは特段何もしていない。せいぜい迷宮のからくりをなんとなく暴いた程度で、老人を打ち倒す力を得てもいなければ、知恵も絞り切れていない。もっかい死なない範囲で試行錯誤するぞと意気込んだはなから終わりっぽい雰囲気を湛えられて居心地が悪いのだ。

 

「己を偽るな、弱き只人よ。汝は既に帰趨を決した」

「きす……何?」

「結論を得た、とも換言できよう」

 

 恭しく、礼をするようにその蜘蛛の身体を折りたたんで、言う。

 

「汝は死ねぬ。死なぬと決めた。趨勢は厳しく、故に決断は気高く冠絶している」

「……それだけでよかったの?」

 

 思わず得られた答えにぽっかりと口を開ける。なるほど、この老人に殺され続けながらも死なないと決意する……確かに難しく意地の悪い解答だ。しかしこの老人を打倒するよりずっと簡単そうな気がする。唖然とするサヨに「いいや」と老人が否定し、

 

「不可能なのだよ。死を踰越(ゆえつ)せし者は、その命すら用脚として秤に乗せる。乗せてしまう。汝とて例外ではなかった」

「……それは」

 

 それは、間違っていない。この地獄を抜け出すためには死を積み上げるしかないと、諦めに似た境地に至っていた自覚はある。その考えを増長させていたのはきっと死んでも死なない状況そのものというより――。

 

「リスポーン時の平静……?」

「概ね首肯しよう。この場は安寧を許さず、しかして寂寞(せきばく)をも与えぬ。故に窮策を膳立した」

「窮策……抜け道。それってもしかしなくてもあの宝珠の……?」

 

 いつか手に入れた『贖いの宝珠』とやらと、それを用いた研究の効果。文面から推測するに、復活時に取り乱すようになるというあからさまなデバフ効果が得られるものだろう。

 そこまで考えて、とある考えに行き着く。残酷で、しかし納得感のある答え。

 

「……あれで平静を消して、いっぺん死んでから……盛大に取り乱して、心の底から死にたくないって思わせるのが正攻法?」

 

 サヨの言葉に老人が鷹揚(おうよう)に頷き、思いっきり溜め息をついてしまう。なんとまぁ性格の悪い迷宮だろうか。一体全体何のためにそんなことを強要しているのだろう。

 

「明解だ。その身に不死を宿し、人非ざる宿命を背負い、しかし只人に身を(やつ)す。それこそ真なる死の超越であり、試練の目的であり、本懐だ。人はみな、汝のように緊褌(きんこん)のみで死を畏れることはできないのだよ」

「心読まないでよ。まぁ、納得は……うん、納得はするよ。あれ私も解放しちゃったんだけど、無意味だったってこと?」

 

 こんな効果だしどうせここを乗り越えるのに必要だろうな、という諦めに近い気持ちで解放したものだが、改めて明かされたとんでもない必要性に閉口する。しかし老人の話を信じる限り、最初から認められてたっぽいサヨには無用の長物どころかとんでもないデバフを背負っただけになる。戦々恐々とするサヨに老人は無い首を振り、

 

駁論(ばくろん)しよう。此度の試練には照応せず、されど扉を潜りし汝の(しん)に関わるだろう」

「……その言い回し疲れるからやめられない? 理解に一拍必要なんだけど」

「済まぬな。久方ぶりの歓談に弁舌が冴えて止まぬのだ」

 

 要するに今は使わないけどいつか役に立つよ、ということだろう。半分くらい意味が汲み取れない持って回った言い方に文句を垂れ、忍び笑いをする老人にあっさり受け流される。

 

「ま、大体分かったよ。あとは……私が結局どこにいるかとか連れてこられた理由とか経緯とかどうやってとか、聞いても?」

「無窮の疑問に惻隠(そくいん)の情は示そう。敢えて直答するならば、汝が手ずから遍く疑事を氷解せしめることこそ全ての理由となろう」

「そりゃ答えられないよねー。どう見たって()()()側だもんね。日本語喋ってるし」

 

 ついでにぽろっと全ての答えを教えてくれないかと一応聞いてみたが、すげなく受け流されてしまった。まあ明らかに主催者サイドの老人がこうして色々話してくれるだけでも手掛かりにはなる。

 

「じゃ……結局私は帰れるの?」

 

 種々の疑問で隠した本命の質問を、何とか心を落ち着かせながら発する。畢竟、サヨにとっては帰宅さえできればその他の事はおしなべて些事だ。だけど様々なことを経験したサヨは、そんな些細なことがとんでもなく難しい問題になりつつあることを察している。何の望みもないのなら、サヨは――。

 

「――然り、だ」

「――っ!」

「道程には筆舌に尽くしがたい苦難が待ち、汝を桎梏(しっこく)する暗澹(あんたん)に――」

「本当!? 帰れる……帰る方法があるってことだよね!?」

 

 ぺらぺらと喋る老人を遮り、身を乗り出して問い直す。

 

 それはサヨを生かし、縛る希望だ。それが分かっただけで、この瞬間に至るまでの全てに色が付き、意味が花咲く。

 

「じゃあその方法を……いや、取っ掛かりだけでも!」

「鎮めよ。元より……ふむ。時宜にかなった問いだ、惜しいが(これ)をもって欣幸(きんこう)のひとときを締めくくろう」

 

 逸るサヨを巨大な爪で制して、思わず固まる様子に頷く老人が、異例の対談を終わらせるべく口を開いた。

 

「希望を示し者よ。宝珠を蒐集し、己が糧にせよ」

 

「――。宝珠、っていうのは……あれと同じような?」

 

 予想外の手掛かりに思わず口を挟んでしまう。確かに『贖いの宝珠』なんてキーアイテム然とした名前だが、まさかサヨの帰還に関わるほどの物だとは思いもしなかった。

 

「似て非なるものだ。されどその解釈で構わぬ」

 

 サヨに伸ばしたままだった爪を引き上げ、そのまま自らの――老人の首の付け根にぴたと添え、言う。

 

「我は此れより扉となり、汝を外界へと連れ出すだろう」

「外界……外の、世界」

 

「先ずは『枢機卿』に相見えよ。過渡は混沌として渦巻き、汝を逃がさぬだろう。汝は幾度も死に相対し、決意は赤い徒花となり散るだろう」

「――」

 

 だが、と前置き、ぐっと首元の爪に力を入れた。老人の顔を支えていた棒が切れ、ねじれて、黒い液体が滴る。

 

「なっ――」

「かねて死を恐れよ。自今(じこん)死を畏れよ。さすれば扉は、記憶さえも咫尺(しせき)にあろう」

 

 命の誕生を祈るように、言祝ぐように、語る。

 

「汝、サヨ。我は心より汝の苦難を祈っている」

 

 その言葉をきっかけにして、老人の爪が自らを害すべく振るわれた。切られ、支えをなくした顔が自由落下し、黒い液体をまき散らしながら回転する。ぐちゃ、と湿った音を鳴らして地面と衝突したそれは既に生気をなくしており、遅れて取り残された巨大な蜘蛛の体躯がよたよたと後ずさる。まさしく虫のような生命力で蠢いていた身体もすぐに力が抜け、完全に沈黙した。間もなくその全てが砂のように崩れ始め、数秒後には死体は跡形もなくなり、ただ黒い灰の山が残された。

 

 呆然としながら一部始終を眺めていたサヨの目が異変を捉える。老人の巨躯で遮られていた通路の奥、そこは壁になっており、中央には――。

 

「扉、だ」

 

 灰色の木で構築された扉は石造りの迷宮にあっては異質で、直感的に出口だと理解できた。

 

「まさか文字通りだとは思わなかったけど……」

 

 まだ聞きたいことはあったし、なんとも後味が悪いが、これで迷宮はクリアといったところか。身体は相いれない化物のものとはいえ、直前まで会話をしていた相手が死んだことに幾ばくかの寂寥感を覚え、それはきっと良い感情だと自らに言い聞かせる。死体を見慣れ、無感動になるよりはずっといい。

 

 これまで無数の死を与えてきたはずの残骸に複雑な胸中のまま手を合わせ、深呼吸をする。戦いは一切なく、消耗はしていない。老人の話を理解するために使った脳の疲労が著しいが、まあ十分何とかなる範囲だ。であれば、進むべきだろう。老人が示した外界とやらに。

 

 「死にたくないなぁ……」

 

 思わず口を突いて出た言葉に失笑して、なるほど今までの自分は人間離れしていたわけだ、と納得する。こんな簡単な感情すら持たせてくれない迷宮にだって責任の一端はあるが。

 

 希望は示された。変える方法も、きっと消えた記憶を取り戻す手段もこの外にあるはずだ。

 

 『枢機卿』とやらの不穏な固有名詞や、明言された避けられない死などに同じくらい大きな絶望も抱えながら、その重みをあえて良しとしてドアノブに手を掛ける。

 ぐっと力を込めて手前に引くと、扉の隙間から青白い光が漏れた。外の光だ。

 

「大丈夫」

 

 やれることを、真摯に。

 空いた片手でチョーカーに触れ、決意を研ぎ澄ませる。そして目を瞑り、力強く扉を引き開け、その身を『外界』へと投じた。

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