第9話 わかってくれるだろサラヴェリーナⅡ
「まあ、見捨ててお前ひとりで逃げるっていうなら試してみてもいいけどな。 預言してみな? お前はこれからどうなる?」
「……私の預言は……女神様からの神託によって得るもの……視たいと思って、視えるものでは……」
「いまは無理ってことか? じゃあ、なおさら俺に委ねたほうがいい。想像してみろ、見捨てた四人の影がつきまとう人生……お前に耐えられるか? 俺だってお前みたいに美人で、か弱い女に誰かの死の責任なんて負わせたくない。悪いようにはしないさ、わかってくれるだろサラヴェリーナ」
「だめ……そんな……」
首筋から鎖骨、胸元へと指を這わせる。かすかに漏れる吐息、手袋越しでも伝わる熱と鼓動の激しさ。自分の命だけじゃなく四人の女子供の命まで天秤に載せられたゆるやかな脅しの最中だってことを除いても、こいつ、たぶんめちゃくちゃチョロい。体から堕とせるタイプ。サキュバスがどうとか生まれながらのアバズレだとか言われてたのは、ただの侮辱的な比喩ってわけでもないらしい。なら話は早い。肌から、耳から、目から、じっくりと甘ったるい毒を注ぎ込んで、俺を拒むことへの疑念と俺を受け入れるための理由を造りだしてやればいい。
「いいものもある、ほら」
ベルトの金具に引っ掛けていた銀製のチョーカーを手に取って、これ見よがしにサラヴェリーナの眼前に掲げた。古来から、男が女に贈る装飾品の意味は無言の宣言。所有の証、支配、マーキング、誰に属しているかを暗に示す目印。受け入れさせる悦びと、受け入れる悦びを芽吹かせる官能の種。月明りを浴びて銀の鱗粉を撒き散らすようにきらきらと輝くそれを見て、紫水晶の瞳がとろけていく。こいつの元来の性質に由来する抗いがたいなにかが、理性の縁をじわじわと侵食していく。
「あっ……」
チョーカーの輪の切れ目を首筋にあてがい、押し進めた。拒まない。こいつはもう、俺のものにされる現実に心のどこかで折り合いをつけはじめている。生唾を飲んだ喉がわずかに上下して、抵抗もなく首の付け根に三日月形の銀色が収まった。
「ああっ……!」
「!」
途端に、夜の闇が一瞬だけ赤く脈動した。チョーカーが溶岩めいたオレンジ色に光り、じゅっ、と肉の焼ける音がする。サラヴェリーナが短い悲鳴をあげて胸に縋りついてきた。鉄、焦げた砂糖、硫黄、腐りかけの果実、複雑に混ざりあった重く甘い奇妙な匂いが鼻をかすめる。
「あつ……い……っ! いや……! 外して……!」
「待て、動くな、いま――!?」
……どうなってる。髪をかきわけてうなじを確認すると、三日月型だったチョーカーが綺麗な輪になって閉じていた。外そうにも継ぎ目が見当たらない、指を差し込む隙間もない。どうにか爪の先だけでも引っ掛けられないか奮闘しているあいだにも、オレンジは輝白色に変わり、どんどん温度が上がっていく。
「あああああっ――!!」
ほとんど絶叫に近い声をあげてサラヴェリーナの体から力が抜けた。うしろに倒れこんだ体を抱きとめ、呼吸をたしかめる。ぐったりとはしているが意識はあった、のけぞった頭を俺の腕に預けてかすかに呻いている。問題はその下――あらわになった首元。
「……冗談だろ……」
あったはずのチョーカーが消えていた。代わりに、肉の奥まで刻み込まれたような深紅の紋様が焼きついている。呼吸に合わせ、それはかすかな光を発しながら脈打っていた。




