第31話 かぐわしい死の香りⅡ
「出ていくって……、いま、すぐ? 待って、だめよ、村の人たちに危険を知らせないと……」
「自分の立場を考えろよ。歓迎されてないうえに不吉な預言なんてしてみろ。ろくなことになんねえぞ、賭けてもいい。……ったく、俺のズボンはどこだよ? そのへんにねえか?」
毛布とシーツを捲り上げても見当たらない。舌打ちしながらベッドの周りをうろつく。鍵やらスマホやら脱いだ服やら、出かける直前に限って消えるのはどこの世界でも同じなのか。
「それなら、あなたから警告するのは? 半魔の私の言葉は聞いてくれなくても、あなたの言葉ならきっと――」
「俺だってよそ者だろ。いつ起こるかもわかんねえ夢の話なんかしたって相手にされねえよ。そんなに伝えたきゃ書き置きでも残しとけって。誰かは読むだろ、明日の朝まで生きてれば」
「そんな……」
唇を噛んで、サラヴェリーナが窓の外を見つめる。危うい仕草だ。次の瞬間には外の酔っ払いどもに向かって「みんな逃げて、ここは危険よ」なんて叫び出しかねない。
「余計なこと考えるなよサラヴェリーナ。誰かに話して、もしもお前に妙な疑いでもかかってみろ。俺は自分のものを取り返すためにそいつを殺すぞ。わかってんだろうな」
「私のせいで誰かが死ぬと言いたいの? よくもそんなこと……」
「試してみるか? 俺はべつに力づくで止めてるわけじゃない。 行きたきゃ行けよ。行って話してみろ」
サラヴェリーナを包む空気が尖っていくのを肌で感じる。怒りと怯えが一度大きく膨張して、そしてすぐに引っ込んだ。理解したんだろう。俺が嘘を言っていないことも、自分が選べる立場にいないことも。お優しいことだ。
「……っ、わかったわ。誰にも、言わないから……」
「それでいい。黙って消えるのがお互いのため。じゃ、この話は終わりだ。さっさと支度し――」
「そこよ、あなたの服。枕の下」
苦々しい顔でサラヴェリーナが自分の枕の下を指さした。ぐるりとベッドを回って、言われたとおり枕を持ち上げてみる。ない。
「なんだよ、どこにも――」
文句を言おうと顔を上げるより早く、サラヴェリーナが動いていた。俺のそばをすり抜け、扉の横にかけてあった外套をひっつかむ。
「せめてあの木の様子だけでもたしかめさせて!絶対に誰とも話さない! すぐ戻る! あなたは荷物をまとめててね!」
「あっ、お前……!」
言いたいことだけ言って扉を閉められた。慌ただしく廊下を駆ける足音が遠ざかっていく。
「くそっ。どれくらい離れていいかもわかんねえのに、バカなのかあいつは……」
手当たり次第に毛布やシーツを剥ぎ取り、床に這いつくばってようやくベッドの下でクシャクシャに丸まっているズボンを見つけた。下着姿で女を追いかけまわすことは避けられたが、こうもやすやすと出し抜かれてはご主人様としての面目が丸潰れだ。急いでズボンを履いてブーツに足を突っ込んだのとほぼ同時に、外からかすかなベルの音が聞こえてきた。玄関扉のベルだ。もう外に出やがったのか。窓から通りを見下ろすと、フードを被ったサラヴェリーナの後ろ姿が広場へ続く闇へ消えていく。それから――
「ああ……?」
走り去るその背中を追うように、複数の男が声を掛け合いながらあとをついて行く。偶然か、機会を伺っていたのかはわからない。遊びか本気かも、どうでもいい。重要なのはただ、確実に、明確に、サラヴェリーナを、俺のもの|に狙いをつけ、卑しい手を伸ばそうとしている点だ。口の端が吊り上がるのを感じた。上等だ。殺してやる。気付けば窓枠を蹴って飛び降りていた。
着地とともに転がりつま先から腕、肩へと衝撃を受け流す。侵入、逃走、隠密行動――殺しの成功率を上げるためにパリまで行って体得したパルクールを、この身体は驚くほど素直に受け入れ使いこなしてくれる。
「ひいっ! な、なんらぁ!?」
背後でなにかが割れる音がした。振り返るとみすぼらしい老人が腰を抜かして目を丸くしている。鼻が真っ赤で呂律の回っていない、絵に書いたような酔いどれだ。
「おどろかせて悪いな爺さん。……あんたいいもん持ってんな。それくれよ」
「あ? これかあ? いいけろよぉ、割れちまったぞぉ」
老人から受け取った割れた酒瓶を、吊るされたランプの光にかざす。即席の凶器としては上出来。鋭利な切っ先と滴り落ちる血にも似た葡萄色の液体。かぐわしい死の香り。ああ、今夜も愉しい夜になりそうだ。




