10-1. シュークリーム懐柔作戦 ―包まれし甘味は、和解か混沌か―①
◆
《国家連合》本部、中央会議室。
私は、軍人らしく完璧な姿勢を崩さないようにしている。
背筋は伸び、軍服の皺は一つもない。外から見れば、いつもの《光律剣将》ハロルド・グレンフィールドそのものだろう。
だが内臓は違う。
主に胃が。
正確に言えば、会議室に入る前からずっときりきりと痛い。
長卓の向こう、総帥オルガ・ベネディクトの金の義眼が、まっすぐこちらを見ていた。その視線は剣より鋭く、砲撃より重い。
嫌な予感しかしない。
こういう時、人の予感はだいたい当たる。
「中将」
来た。
「以前の“焼きプリン懐柔作戦”は、接触そのものには成功した」
「はっ!」
焼きプリン。
その単語だけで胃が縮む。
あの夕暮れ。あの邸宅。あの化け物たち。あの理解不能なプリン論争。
そして何より――私は、紅茶かコーヒーかの選択で失敗した日の悪夢を、未だに見るような男である。
そんな男が焼きプリンを持って、《問題児》たちに突撃した結果がどうだったかなど、思い出したくもない。
「だが、懐柔には至らなかった」
「……はい、面目ありません」
「よって、再挑戦とする」
予感、的中である。
隣で《爆神槌将》バルムが腕を組み、重々しく頷く。
「今回はプリンでは弱い。より携行性が高く、幸福度の高い甘味が必要だ」
《幻舞刃将》ユリウスが楽しそうに笑った。
「午後三時。人が最も油断する時間ですねぇ♪ ならばシュークリームではどうでしょう♪」
《星導弩将》エルミナは資料を閉じ、淡々と言った。
「……糖分、携帯性、印象形成。最適解です」
やめてほしい。
そんな軽い感じで私の人生を決めないでほしい。
オルガの声が静かに落ちる。
「中将。今度こそ成功しろ」
断れる空気ではない。
私は国家連合の中将であり、逃げるという選択肢を持たない男だった。
「……承知しました」
口にした瞬間、私の中で何かが静かに死んだ。
◆
午後。
シュークリームの名店《月雲堂》。
白い外壁に金文字の看板。柔らかな陽光を受けたその店は、戦場とは無縁の別世界だった。
ガラス越しに見えるショーケースには、整然と並ぶ甘味たち。シュークリーム、エクレア、ミルフィーユ。
甘い香りが漂うだけで、人は少しだけ平和になれるのかもしれない。
……問題児たちは、たぶん無理だが。
私は軍服の襟を整え、自動ドアの前に立つ。
前回、私は学んだ。
選択を恐れてはならない。
二択は敵ではない。
向き合い、選び、受け入れるものだ。
私はもう、以前の私ではない。
そう、自分に言い聞かせて店内に入った。
店員が穏やかに微笑みかけてくる。
「いらっしゃいませ。本日はシュークリームですね?」
私は、一瞬だけ言葉を失った。
まだ何も口にしていない。
店に入ったばかりで、ショーケースを見たわけでもない。
それなのに、なぜ分かった。
軍人として、こういう“説明のつかない察知”には嫌な予感しかない。
「……なぜ、それを?」
思わず問い返すと、店員は少しも表情を変えずに答えた。
「皆さま、だいたいその顔をされますので」
意味が分かるようで、よく分からない。
だが、ここで深く追及するのもどこかおかしい。私は小さく咳払いをして、気を取り直す。
「……ああ。シュークリームを頼みたい」
声はちゃんと出た。
よし、大丈夫だ。
「生クリームのものと、カスタードのものがございます」
私は数秒、意味を理解できなかった。
「……は?」
思わず聞き返してしまう。
シュークリームに、そんな派閥が存在するのか。
いや、待て。
確かに中身は白い。
あれが全部同じものだと思っていたが。
ーー違うのか。
生クリーム。
カスタード。
言われてみれば、聞いたことはある。
ふわりと軽い口溶けの白。
濃く、重く、舌に残る黄。
――つまり、これは。
選択だ。
しかも、ただの選択ではない。
問題児たちの間で派閥を生み、下手をすれば戦争の引き金になり得る、極めて危険な二択。
思考が止まった。
まずい。
これは非常にまずい。
白か、黄か。
選ばなければならない。
脳裏に蘇る。
あの日の外交会議。
ーー紅茶か、コーヒーか。
私はコーヒーを選び、そして国際関係が一つ壊れ、戦争となった。
あれ以来、私は理解している。
食の選択は、戦争を起こす。
「お客様?」
店員の声が遠い。
額に汗がにじむ。
喉が渇く。
膝が少し笑っているのが、自分でもわかった。
まずい。
またここで止まれば、私は成長していないことになる。
国家連合の威信も、私の胃も、すべてが終わる。
その時だった。
「……お客様」
隣から、静かな声がした。
私は、はっと顔を上げた。
いつの間に移動したのだろうか。
先ほどから応対していた店員が、少しだけ首を傾けてこちらを見ていた。
穏やかな笑みは変わらない。
だが、その目だけが妙に静かだった。
まるで最初から、
こちらがこの二択で立ち止まることを知っていたかのように。
「……なぜ、私が迷っていると?」
思わず口にしていた。
軍人として、こういう“見透かされる感覚”には本能的な警戒が走る。
店員は少しも間を置かずに答える。
「皆さま、だいたいここで止まられますので」
また答えになっているようで、答えになっていない。
その曖昧さが、かえって不気味だった。
だが――
「Wクリームという選択肢があります。生クリームとカスタード、両方入っています」
その一言で、私の思考は別の方向へ吹き飛んだ。
「……両方」
「はい。選ばなくても、大丈夫です」
そういえば、この店員。
どこかで見た気がする。
……いや、たぶん見ている。
前にも。
店員は淡く微笑む。
しかし、その言葉は、あまりにも優しかった。
救済、という言葉がこれほど似合う瞬間を私は知らない。
選ばなくていい。
両方でいい。
そんなことが、この世界に許されるのか。
私は少し感動していた。
「……それを、頼む」
「かしこまりました」
箱を受け取る。
《月雲堂》特製、Wクリームシュー。
完璧だ。
生クリーム派も、カスタード派も、これなら満足する。
対立を包摂する第三の選択。
均衡。
調和。
まさしく《国家連合》的発想。
私は勝利を確信していた。
今度こそいける。
今度こそ、あの問題児たちを懐柔できる。
その背を、店員は静かに見送っていた。
「……観測継続」
小さな声は、街の雑音に溶けた。
◆
問題児たちの邸宅へ向かう道は、いつ来ても心臓に悪い。
削られた山。
不自然に広がる荒野。
遠くからでもわかる、常識の通用しない気配。
《国家連合》の中将として数多の戦場を見てきたが、私はこの場所に来るたびに思う。
ここだけ、別の災害指定区域ではないかと。
私は玄関前で深呼吸した。
大丈夫だ。
今日は手土産がある。
しかも完璧なやつだ。
そう自分に言い聞かせた瞬間。
家の中から聞こえた。
「当然、生クリームよ!」
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