表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/32

06 選任手続期日3 宣誓

別室に移動した後、改めて裁判長から裁判員や補充裁判員に選ばれたことを告げられ、裁判員の職務について裁判長から説明を受ける。


その内容は、次のようなものだった。


「皆さんには、この事件の裁判員、あるいは補充裁判員を務めていただくことになります。来週から、私たち裁判官3人と一緒に裁判の職務を行うことになります。よろしくお願いします。」


裁判長と、両側の裁判官2人が頭を下げた。


両側の裁判官は、裁判長からみて右側にいるのが右陪席、左側にいるのが左陪席というらしい。一般的には、右陪席の方が先輩で、左陪席の方が後輩なのだという。


右大臣と左大臣だと日が昇る東側に位置する左大臣の方が位が上だった気がするけど、裁判所では右の方が偉いようだ。西洋流に、右に出る者はいない、ということだろうか。


裁判長は続ける。


「皆さんに裁判員として職務に当たっていただくにあたって、予め知っておいていただきたいことがあります。裁判のルールです。大きく分けて5つあります」

「1つ目。被告人が有罪であることは,検察官が証明しなければいけません。逆に、検察官が有罪であることを証明できない場合には,無罪の判断を行うことになります。」

「2つ目。被告人が有罪であると証明されたといえるためには、常識的にみて、被告人が起訴状に書かれている罪を犯したことが証拠上間違いないといえなければいけません。不確かなことで人を処罰することは許されないからです」

「逆に,常識に従って判断し,有罪とすることについて疑問が残るときは,無罪としなければいけません」

「3つ目。被告人が有罪か無罪かは,法廷に提出された証拠だけに基づいて判断しなければいけません」

「新聞で読んだり、テレビのニュースで聞いたりしたことは,証拠ではありません。こうした情報は、判断の際に除外して考えなければいけません」

「また、検察官や弁護人は,事実がどうであったか,証拠をどのように評価すべきかについて,意見を述べますが、これも判断の参考にするための意見であって、証拠ではありません。ですから,検察官や弁護人の意見を参考にすることはできますが、それでいいのかはあくまで証拠に基づいてご自身で考え、ご自身の判断を話していただく必要があります」

「4つ目。裁判官と裁判員の意見の重みは同じです」

「評決をする際は、裁判官1人1人と、裁判員1人1人は、皆同じ1票を持って多数決をします。そこに至る評議でも、ここまでに説明した3つのルールのもとで、裁判官も裁判員も、同じ重みで自分の判断に基づいて意見を述べることになります」

「5つ目。法律の解釈が問題となる場合には,裁判官がその解釈について説明します」

「ですので、法律の知識や解釈の経験がないことを心配する必要はありません。裁判官は、裁判員の皆さんと一緒に考え、議論していきますから、ご安心ください」


聞きながら、「○○しなければいけません」ということが多いのだなと思った。それがルールに基づいて人を裁くという重みなのだという凄みも感じられた。


もし、その被告人が本当はその事件を起こしていないのに有罪の判決をすれば、その被告人はえん罪で刑務所に行くことになる。その悲しさや苦しさは、それこそ想像を絶する耐えがたいものだろう。だからこそ細かいルールが決まっているのだろうし、常識的にみて間違いないといえる領域での確からしさが要求されるのだろう。当たり前ではあるけれど、責任重大だ。


裁判長は続けた。


「ここまでで説明した5つのルールは、判決の中身、判断をする際のルールです。これとは別に、裁判員裁判自体を成立させるための重要なルールが3つあります」


正直なところ、まだあるのか、と思った。


説明の密度が高くて、脳を休めるいとまのないまま全く新しい話が次々インプットされていくので、そろそろ理解が追いつかなくなりそうだった。


大学で似たような体験をしたことがある。頭の良すぎる教授の流麗な授業は、最初こそ論理明快でいいのだけれど、その後の情報密度が濃すぎて、息つく間もなくて、次第について行けなくなり、眠くなるのだ。


などという思いとは全く関係なく、説明は続く。


「1つ目は、裁判は皆さん全員がそろわないとできないということです」

「といっても、体調が悪いのに無理をして裁判所に来るということはないようにしてください。補充裁判員が選任されている意味は、まさにそうした場合に備えるためです」

「コロナは5類になりましたが、可能であれば朝、体温を測って問題ないことを確認していただければと思います。そして、発熱が分かった場合は、ためらうことなく裁判所に電話で連絡をしてください。発熱に限らず、体調不良の場合に無理に裁判所に来る必要はありません。でも、必ず連絡をしてください」

「2つ目は、評議で誰がどのような発言をしたのかは、絶対に秘密にしていただくということです」

「評議の秘密が漏れることになると、率直な意見交換が難しくなってしまうからです。ただ、法廷は公開されているので、法廷で見聞きしたことや、裁判員を務めた感想などは、話していただいて問題ありません」

「3つ目は、みなさんご自身が、この事件の裁判員であるということを、事件が終わるまでは公にしないでいただくことです」

「といっても、仕事の調整や、学校を休むために、裁判員に選ばれて裁判所に行かなければいけないのだということを、会社や学校の担当者に申告することは問題ありません」

「控えていただきたいのは、SNSやブログなどで、具体的なこの事件の裁判員をしているということを明らかにすることです。そのようなことがあると、皆さんに接触しようとするよからぬ人物がいないとも限りません」

「逆にいうと、事件が終わった後に、裁判員になったことを明らかにしたり、さきほど説明した秘密に触れない範囲でその経験を発信していただくことは、問題ありません」


なんとも周到に、いろいろなことが想定されているのだなと思った。しかし、やはり一気にこんなに説明されても、全てを消化するのは難しい。そんななか、裁判長の次の言葉が救いになった。


「たくさんのことを一度に説明しましたが、分からないことや不安なことがありましたら、いつでも質問したり、相談したりしてください」

「判断に関するルールについてはこれからも皆さんと何度もお話しし、議論をすることになります。秘密の範囲などのことも、どこまでよくてどこから駄目なのかといったことは、今の説明だけでは不足もあると思います。そうしたことも含めて、何でも質問してください。何でも気軽に聞いて、疑問を解消していただければと思います」


裁判長も、裁判員に選ばれたばかりの人に、一気にこれだけ説明するのに無理があることは分かっているらしい。


でも、職務上これらの説明をしなければいけないのだろうし、この説明だって、なるべくわかりやすいように、でも正確にというところを狙ったものなのだろう。


実際、使われた言葉は日常用語がほとんどだけど、日常会話とは違ってとても断定調の内容だった。法律でそう決まっているから、それはそう言い切るしかない、という感じだった。でも、それがどれだけ伝わるか、限界があることも分かってもらえているようで、少しほっとした。


「最後に、裁判員と補充裁判員の皆さんに、今の説明をご理解いただき、法令に従って、公平誠実に職務を行う旨の宣誓をしていただきます」

「お座りいただいている机に、『宣誓書』という紙が置いてあります。この宣誓書の『裁判員』あるいは『補充裁判員』という場所に、お名前を署名していただき、名前の横に押印してください」


皆が署名押印を終えたタイミングを見計らった裁判長が告げる。


「では皆さん、ご起立ください。宣誓は、全員起立で、声をそろえて宣誓書を朗読する方法で行います。私が『宣誓してください』と言ったら、声をそろえて、宣誓書を読み上げてください。最後のお名前は、おっしゃらなくて大丈夫です」


全員が起立し、そこから2呼吸ほどおいて、裁判長が言う。


「宣誓してください」


「「「「「「「法令に従い、公平誠実にその職務を行うことを誓います」」」」」」」


くじで選ばれた寄せ集めなので、誰が音頭を取るわけでもなく、声も全然そろわない。そんなことでいいのだろうかと思ったが、別に問題はないらしい。


「お座りください。ただ今の宣誓をもって、皆さんは正式に裁判員、補充裁判員に就任しました。改めて、よろしくお願いします」


初めての体験ばかりで、よく分からないままここまできてしまった。


けれど、裁判員制度が始まってからもう10年以上経っているから、同じ経験をした市民は、それこそ数えきればいほどたくさんいるはずだ、みんな最初はこんな気持ちだったのだろうか。私に重責が担えるだろうか。


やはり宣誓をすると厳粛な気持になるもので、そんなことを思っていた。

この作品はフィクションです。2023年時点での日本の法制度を前提にはしていますが、登場する国名や地名、会社名などは全て架空のものであり、扱う事件も実在のものではありません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ