今再びの日常へ
「おい、ちょっと待てよ、英介」
ようやく大学に戻ってこられた俺は、英介の姿を見つけて声をかけた。
「ん? ああ、末田か。お土産でも持ってきたのか?」
惚けた風の英介に、俺は少し苛ついた。
「そんなものあるわけないだろ。何があったか知ってるのか?」
「ああ、そう言えば、色々と大変だったらしいな」
そうだ。
俺はあの日――ようやく本土に無事戻ってこられたあの日――ボートが浜辺に乗り上げると、その足で警察署に向かい、事件のことについて報せたのだ。
急遽警察が島を調べに向かい、そこで無残にも崩れ落ちた館を発見したのだそうだ。しかし、死体に証拠に、何もかもが木端微塵に吹き飛び、当てにできるのは俺たちの証言だけだった。
その取り調べのために、俺たちはその後数日警察に引き留められ、詳しく事件の話をする羽目になったのである。
だが、犯人である夜宵の遺体も、爆破した館の一部の下敷きとなり、原型を留めてはいなかったようで、手帳に書いてあった夜宵華絵と同一人物であるかどうかはおろか、夜宵と言う人物がどこの誰であるかという事さえも、警察にも調べがつけられずじまい。
事件が明るみになってから数日の間、マスコミはどこもこの怪奇に満ちた事件で持ちきりだった。
しかし、それもまた僅かな間だ。
気付けば世間はこの事件も、他の数多の事件と同様に消化して、また別のものに食いついていた。
そして俺はと言うと、実に一週間ぶりに、この大学のキャンパスに足を踏み入れることができるようになったのである。
そしてあれから、沖とは今でも度々連絡を取っている。例の事件について、落ち着いて色々と話し合った。
その中でも最も驚いたのが、武刀と女納尾が交際を始めたということだった。これには、知らせてくれた沖自身も、大変に驚いている様子であった。
所謂、吊り橋効果というやつの賜物か。
人生何が起こるかわからないものだ。
「おい、どうしたんだ? 人を呼び止めておいて、だんまりかよ」
英介の声で、俺は回想から引き戻された。
「あ、悪い。ってか、そうだよ。お前に言いたいことがあったんだよ」
「言いたいこと?」
「そうだ。お前のせいでこんなことに巻き込まれたんだから、文句の一つも言わせてくれよ」
元はと言えば、この英介があんな新聞記事を見せて来たせいなのだ。そうでもしないと、収まりがつかない。
しかし、彼は予想外のことを言われたようで、ぽかんとした顔になった。
「はあ? 俺のせい?」
「そうだろ? お前といると、いつもロクなことがないんだ。今回のことだって、お前のせいでだな……」
俺が愚痴を並べ立てようとしたのを、英介は慌てて制した。
「ちょちょ、ちょっと待てよ。俺のせいでロクなことにならないだって? それはこっちのセリフだよ」
思わぬ英介の言葉に、俺もまたぽかんとした顔になった。
「え?」
「前からお前といるとロクなことがないと思ってたんだけど、今回のことで、やっぱりお前がとことんツイてないやつだってことがわかったよ」
「でも、あれは、お前が応募したせいで……」
「確かに応募したのは俺だけど、当たったのはお前だけだろ? それに、行くって決めたのもお前だ。実際行ったのも、事件に巻き込まれたのも、お前だけじゃないか」
言われてみれば……。
英介といるといつもロクなことがないと思っていたから、彼が疫病神なのだと思っていたのだが、もしかして本当は、疫病神は俺なのか……?
あれ? そんなはずは……。しかし……。
思い返してみると、俺は英介と会う前から、運が悪かったような、そんな気もするような、しないような。
などと考えに耽っていると、再び英介の言葉で、現実に引き戻された。
「あ、それにお前、この間の英語休んだだろ?」
「え、英語って、あの英語?」
「そうだよ。今度サボったら落単確定だって言われてた、あの英語だよ」
意地悪気な笑みを浮かべる英介。
単位が厳しいといわれる、あの英語の教授の顔が、英介の顔と重なる。顔面から血の気が引いていくのが自分でもわかった。
「ちょ、ちょっと待てよ。あれはサボったんじゃなくて、警察に捕まっててだな……」
「それは俺じゃなくて、教授に言いなよ。じゃあな」
英介は冷たかった。にやにやと薄ら笑いを浮かべながら、足早に俺から去っていく。
「あ、ちょっ……くそっ!」
俺は急いで英語の教授の許へと向かった。
しかし、それでも俺の目には全てのものが、いつもより明るく見えたような気がした。
俺は何だか満足していた。いつも通りの日常が戻ってきたことに。
謎にまみれた殺人事件なんて、小説の中だけで十分だ。
それから、教授の部屋できつく説教されて土下座をしつつ単位の望みを繋いでもらったのは、言うまでもない。
部屋から出てきた俺の目には全てのものが、いつもより暗く見えたような気がした。




