世界の世界 ①
日向向日葵は夢を見ていた。
父と母がいて、死んだ蛇を埋めたときの夢だ。
父のへっぴり腰や、母の豪快な笑い声。掘り返された土の匂いに、何も見ていない蛇の赤い瞳。その全てが鮮明で、夢と呼ぶよりは体験した記憶をもう一度体験していると言った方が正確かもしれなかった。
『はあ、これで良いかい? お嬢様』
神知教の敷地内の取って付けたようなテンプレートな遊具しか置いていない公園の隅に掘った穴を見せる。向日葵の父は、何故か自分の嫁をそう呼んでいた。何でも、母親は所謂お金持ちの令嬢だった。そんな世間知らずな彼女を口説き落とし、遂にはローカル紙に載るぐらいの波乱万丈な昼ドラさながらの結婚だったらしい。その為、向日葵は母方の両親の顔を知らない。
『ご苦労。ちゃちゃっと埋めて、晩御飯にしよう』
不遜に腕を組み、顎で蛇の死体を指す母親。さっきまで平気で触っていたのに、今は何故か触りたくないらしい。嫌がる向日葵に埋めさせようとしていた。こう言った、理不尽で我が儘な母親が、向日葵は嫌いではなかった。母親と姉の中間の存在で、大好きだった。
怖がりながらも向日葵が蛇を掴んで、父親の掘った穴の中にそっと置く。本当は放り投げたかったが、首筋に熱烈な視線を感じたので諦めた。
『じゃあ、帰ろうか』
『パパ手繋ぐー』
『ざんねーん。パパの両手は私の物ですー』
『ずるーい! 私も』
『ぎゃー、蛇触った手で触らないで!』
本気で嫌がられたのはショックだったのを良く覚えている。女の子に触らせといて、自分は一回も触ろうしてなかったのも。
『パパ、駄目よ。死んだ蛇を汚い物のように』
その様子に、お嬢様二人は、より一層その手を激しく奪い合う。
『世の中ろくでもないことばっかだけどさ、失くした事さえ忘れちゃったら寂しいじゃない』
「いや、お父さんは単純に蛇が嫌いなだけだったと思いますけど」
目を開けて、覚醒した意識でもういない母親に突っ込みを加える。いい話をしたように見せかけてはいるが、思い返せば全然関係ない事を喋っている。ゴキブリ以外の生物は殺せない人だったからなー、と父親の背中を思い出す。
「こんな時間ですか」
ちらりと枕もとの携帯のフリップを開き、時間を確認する。
時刻はセットした目覚まし時計が鳴る五分前で、なんだか得した気分になる向日葵。
昨日は結局、祖母には腹が痛いと伝え、一日中部屋に籠っていた。学校をサボった罪悪感からなるべく授業の予習をして、区切り毎に世界と涼にメールをした。世界からは、一通も返信がなかったが、それぐらいじゃあ落ち込まない。逆にちまちまメールを打っている所を想像したくない、そう強がった。
今朝は働く必要がなくなった目覚まし時計のスイッチを押して、布団から立ち上がる。両手を天井に向けて背伸びをし、ボキボキと小気味いい音を鳴らす。
流石に二日連続でサボれる度胸はないので、気は進まないが学校に行く覚悟を決めなければいけないらしい。
溜息を付かないように気をつけながら、向日葵は顔を洗おうと一階の洗面所に向けて今日最初の一歩を踏み出した。
「あれ?」
階段を降りながら、向日葵は首を傾げる。祖母の話し声が聞こえるのだ。この家には向日葵と祖母しかいないので、祖母の話し相手になってくれる人間はいないはずだ。それに、声はもう一種類ある。テレビだろうか? 祖母は一切そういった情報ソースを持たない、世の中は回覧板だけで回っていると言い切る豪傑だ。朝から軟弱なテレビなんて見るとは思えない。好きなアイドルのDVD以外は一切視聴したりしないはずだ。因みに、開店中もずっとアイドルのコンサート映像は流れ続けている。
しかしこんな朝から人が来るわけもないので、本当にテレビとお喋りをしている可能性も捨てきれない。その可能性を考えるとぞっとする。学校の変な噂がどうでも良くなるぐらい、ぞっとする。ひょっとするとチェーンソーを持ったホッケー選手より、テレビと喋る肉親の方が数倍怖いかもしれない。
止まりそうになる足を動かし、向日葵は慎重に階段を降りていく。
「…………でね。あのガキは本当に…………」
「なるほど。それは…………」
良くは聞き取れないが、確かに会話形式だ。ああ、唯一の肉親が痴呆に……と言うわけではなさそうだった。よくよく耳を澄ませば、声はリビングから聞こえてくる。当然、テレビはそこにはない。つまり、テレビと会話をしているわけではなさそうだった。冷静になれば、普通はテレビより電話の方を先に想像するよなー。と反省する。
「物音がしてるな?」
「ああ、孫娘がようやく起きたみたい」
最近の電話は受話器越しに足音までわかるらしく、向日葵は科学技術の進歩に驚く。そんな受話器は逆に使えないのじゃあないだろうか?
そんな事を思いながら
「おはよー。おばあちゃん」
声量を控えめに、挨拶をしながらリビングに入る。
そこにいたのは、
「おはよう。向日葵。あんたお客さんだよ」
「よ。腹痛はいいのか?」
見知った祖母と、バナナをモリモリと食べる新里世界だった。
「はい?」
いるはずのない人間と目が合い、向日葵は一瞬呆けた後に、
「な、なんでいるんですか?」
寝癖の有る髪の毛か、まだ一切手を加えていない顔面か、それともこの毛玉がついたぼろいパジャマか、一体どこを隠すのが正解かわからない向日葵は両手を忙しく動かしながら、リビングから急いで退室していった。
「あんたが心配だから迎えに来てくれたんじゃあないの!」
質問に答えたのは祖母のほうで、何故か朝から声がでかい。
「それは、ありがとうございます。でも、何していたのですか」
嬉しいのだが、嬉しすぎるのだが、あまりにも突然すぎて感情の表し方がわからないまま、向日葵は廊下から取り敢えず礼を言う。
顔だけを見せた状態でリビングを覗くと、目玉焼きと味噌汁と言うテンプレートな朝食が乗る小さな丸いテーブルの上に、一冊のアルバムを見つける。遠めに見ても黄ばみが凄いそれは、向日葵が神知教から持ってきた物ではなさそうなので、祖母の物なのだろう。
「見ていて楽しいですか?」
手で髪の毛をあーでもないこーでもないと弄り回す。他人の父親が映っている写真を見て、世界は退屈ではないのだろうか?
「嵐のガキの頃の写真があるって言われてな、ちょっと見せて貰ったんだよ」
バナナの最後の一口を口に突っ込み、世界が写真を人差し指でつつく。向日葵からは見られないが、きっと嵐が映っているのだろう。
「へー、なんでそんな写真があるのですか?」
「あの子はこの街のスターだからね。ちょっと古い家に入ればどの家庭にも『嵐アルバム』があるものなのよ」
「絶対、嘘ですよね」
「それは私にはわからないよ」
「大体、何者ですか? その人」
世界は妙にその名前を事ある毎に出してくるし、尊敬をしている風でもある。そして、何故か町の床屋さんの家に彼専用のアルバムが存在する。只者ではないだろうが、別にテレビに映っている所を見た事があるわけでも、メジャーデビューした音楽家と言うわけでもなさそうだ。
本人を一度だけ見たが、別にこれといって普通そうなお兄さんだった。特別格好良いわけでもないし、滅茶苦茶に背が高いわけでもない。まだ、一緒に来た黒天と呼ばれた青年の方が言い得ない特殊な空気を纏っていた。
「そんな事より、体調は良いのか?」
食べ終えたバナナの皮を炊事場に向かって投げ捨て、世界が学生服の裾で手を拭う。それを見て祖母が「ナイスシュート!」と拍手を挙げる。世界が座る場所からは三角コーナーは見えないはずなのだが、バナナの皮は吸い込まれるように見事に三角コーナーに納まる。
「あんたも、まだ顔が青いよ。バナナもう一本いる?」
「…………はい」
断りきれずに押し付けられたバナナを再び口に突っ込む世界。どうやら答えてくれる気はないようだった。ちなみに、あのバナナは向日葵がお腹痛だと告げると、一も二もなく店を抜け出して買ってきてくれた物だ。バナナ=病人の者。そういう考えがまだ頭にある人のようだ。
「顔色を見るには大丈夫そうだね。ほら、彼氏が迎えに来てくれたんだからさっさと準備をしなさい」
バナナを黙々と消費する世界を満足そうに眺めて、祖母に朝食を食べるように勧められる。
「……」
この家に二つしかない椅子を全て占拠されている今、どこで食べれば良いのだろうか。二人とも、一向に席を譲る気配がない。
「本当に、町で騒ぎが起こるたびに、この子が真っ先に疑われていたね」
「あー、わかる。あいつはそんな昔から他人に迷惑を」
「ほら、この写真。友達が犬噛まれたって聞いて、そこら中の野良犬の手足を紐で繋いで河川敷に集めたんだよ。びっくりしたよ、町中。百匹以上の犬が身動き取れずに転がっているんだから」
「うお、気持ち悪っ。この後、犬達はどうなったんです?」
席を立つどころか、ますます昔話に華を咲かしている。
「一体、何をしに来たのですか。後、誰ですか嵐って」
その言葉に答える人間は一人もいなかった。




